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モータウンの影

永遠のモータウン / Standing in the Shadows of Motown

CD関係者

ブラ・スセクション

リズム・セクション

ストリングス

ボーカル、コーラス

Benny Benjamin? Jack ButlerInterviewer

記事を見た時期:2003年7月

インターネットというのは便利なもので、たいていは喜ぶのですが、たまには知らない方が良かったというようなニュースが入って来たりします。永遠のモータウンは随分前から興味をそそられたタイトルで、楽しみにしていた映画でした。守備良く見るチャンスがあり、その日はうれしい気分で帰って来ました。ミュージッシャンのその後を知ろうと、インターネットを見始めたら、「あれっ?」という記事がみつかり、その後複雑な気分。

ザ・ファンク・ブラザーズというキーワードでメンバーの生死などを確かめようとインターネットを眺めていたのですが、モータウンに疑いを挟む記事にぶつかりました。疑われているのはザ・ファンク・ブラザーズで、記事は2000年の2月9日(あるいは9月2日)にアップロードされたようです。書いたのは私たちとほぼ同じ世代の人で、翻訳が職業、音楽にも関わったことがある人のようです。

著者は90年代の頭に書かれたある英語の記事から、モータウンの根拠地がデトロイトにあると信じられていた時期に、カリフォルニアにモータウンの事務所があり、そこを切り盛りしていたという人物を発見しています。素人の私は「レコード会社が根拠地以外にロサンジェルス、ニューヨーク事務所を持っていたっていいじゃないか」と思うのですが、この時著者は衝撃を受けたそうです。

今回の映画公開にあたっても宣伝文句に使ってありますが、モータウンはこの時期ビートルズ、ビーチ・ボーイズ、プレスリー、ローリング・ストーンズを全部合わせた数以上のヒット・チャート・ナンバー・ワンに輝いています。そして永遠のモータウンは世界を制覇したサウンドを支えたバンドが隠れた存在で、ずっと舞台の裏にいたのでそれを取り上げようという企画です。

記事で論争の焦点になっているのは「モータウンがいつ事務所をデトロイトからロサンジェルスに移したか」というところです。移転に問題があったことは映画の中でもはっきり言われています。そこで書いたようにバンドは会社の都合でポイっと捨てられてしまうのです。しかしこの記事の著者が言っているのはその点ではなく、移転が公式に言われている1960年代終わりではなく、60年代の前半だったということ。そしてこの人が展開している理論で行くと、ザ・ファンク・ブラザーズはヒット曲のレコーディングにそれほど関与していないという点。

めちゃくちゃ縮めて言うと、

・ 会社が軌道に乗り出してすぐロサンジェルスで活動が始まっていたが、緘口令が敷かれていた
・ ハリウッドのスタジオで録音に携わっていた重要な人物は、白人のミュージッシャンだった
・ 彼らにはデモ・テープを録音するのだと言って、デモ用の謝礼を払っていた
・ デトロイトでうまく行かなかったトラックの一部を修正する程度の規模ではなく、カリフォルニアのサウンドでリリースされた

著者はこの話を裏付ける記事をいくつかの本やサイトで発見し、衝撃を受けたと書いています。特に引き合いに出されているのはハリウッドでスタジオ・ミュージッシャンとして働いている人たちのディスコグラフィー。黒子として有名人のバンドの録音に参加している人たちで、腕は確か、名前はほとんど一般に知られていないという人たちです。私も以前そういう人を知っていましたが、本人にはあまり有名になろうという意思が無く、音楽で食べていけることで満足していました。ですから記事にある黒子的、職人的なミュージッシャンの描写は信憑性があるように思えます。となるとそういう人が果たして「自分はビーチ・ボーイズの録音に携わった」とか「バーズの録音に携わった」などと言い出すだろうかという疑問は浮かびます。私の知り合いもディオンヌ・ワーウィックのコンサートについて来ていた人でビートルズと並ぶ大物の録音に携わったと言っていました。これは暫くして確認するチャンスがあり、確かにこういう人たちはたまにはジャーナリストでない人を相手にそういう話を口にすることはあっても、あまりジャーナリスト相手に自慢したり、本を書いたりはしないような印象を受けました。この人は「普段は巡業には出ず、カリフォルニアのスタジオで働いている」と言っていました。ある記録映画にチラリと顔を出していますが、それはハリウッドの映画スタジオでした。もっとも1人を見て全体を言うことはできませんが。

記事を見ると録音リストにモータウンの大物スターと曲名ががずらずら並ぶので、ファンだったら衝撃を受けるのは当然でしょう。そして著者はそういうミュージッシャンの1人と直接メイルなどでコンタクトを取り始めています。記事を信じるとすれば、ヒット曲は主としてハリウッドででき上がったことになります。シンガーがロサンジェルスへ飛んで録音したとは書いてありませんが、リリースされたのはザ・ファンク・ブラザーズの演奏ではないと言い、モータウンは引越しの時期をあいまいにしていると書いてあります。著者の説では1963年頃ロサンジェルス事務所が開設され、すぐレコーディングも行われているそうです。メイド・イン・カリフォルニアの第1号は1964年のリリースだそうです。そしてモータウン全曲のうち3分の1、あるいは60%がロサンジェルスの録音だという結論を出しています。2つの数字は著者が別なソースから入手した数です。

私は3分の1ぐらいならばまあ大騒ぎすることもない、60%でもまあそういうこともあるかも知れないという受け取り方をしたので、このテーマについては衝撃というほどのショックではありませんでした。スタジオでかなり修正するという話はカーペンターズの頃にも聞いたことがありますし、日本のテレビに出ていた(元気な頃の)カレン・カーペンターのドラムを聞いていて「この人のドラムって大丈夫なんだろうか」と思ったこともあったからです。実際リチャード・カーペンターがスタジオでいくつものトラックの調整をしている写真が誇らしく雑誌に出ていたこともあります。「お金を取って売るレコードを録音する時、歌手が美声を聞かせてくれたら、バックにサポートする人が出てもいいか」ぐらいに思っていました。本当はこういうずさんな事を考えては行けないのでしょうが、ミュージッシャンには何種類かあって、スター的な存在の場合、必ずしも知名度と音楽の腕が一致せず、スタッフが周囲をカバーするというのもまあ芸能界だからありか、と考えたわけです。

著者は黒人企業家が黒人ミュージッシャンと黒人会社で黒人のファンのためのレコードを出した式のイメージが傷つくという点を大きく取り上げています。これは確かに私たちのような遠くにいるファンでもちょっとがっかりしないでもありません。しかし金融の世界では、お金になる話には人種に関係なく人が集まって来て投資したがります。そしてお金儲けの上手なゴールディー氏は恐らくお金を持っている人だったら誰にでもレコード買って欲しいと思っていたことでしょう。そういう意味ではまあ、裏がばれてもそれほど驚かないです。

この話を読んで私は驚くより悲しくなってしまいました。まず家で座ってモニターを見ている私には事実の確認のしようがないこと。「そういう本があります、そう書いてあります」というところまでは図書館にでも行けば確認が取れるかも知れません。あるいは著者が使ったサイトをみつけることが可能かもしれない。探す気になればあっさりみつかることもあります。本当かもしれないし、事実誤認かもしれない。そして私には黒人の音楽に白人が関わっていたってそれが黒人シンガーを傷つけるとは思えないのです。例えば黒人のシンガーが全員白人のミュージッシャンで録音したプレイバック(カラオケと言うんですか?)を持ってテレビ・スタジオ入りして歌ったって声はその人から出るんですからね。この間見た 8 Mile ではモータウンの町で黒人の友達がエミネムをバックアップしていましたし。白人が手を出した、出さないはあまり重要ではないようにも思えます。主として黒人がやっていた音楽を白人もいいと思ったからやり始めた、というわけで、白人が始めたオペラに黒人の歌い手がいたりしてもかまわないし、西洋の文化にあたるオーケストラの指揮者が日本人だったり、スモーキー・ロビンソンのキーボードが東洋人だったり、ユダヤ系の人がサンバがすばらしいというのでやってみて世界的なヒットを出したり、イタリア人がスペインで西部劇を撮ったり・・・音楽から脱線しては行けませんが、要するに誰かが何かを始めて、それがいいものだったら、真似をする人、参加する人が出て来ます。そうやって広がって行くということはそれに人に気に入られる良さ、力があるからです。「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。」などと称して女が日記を書いたということにして実は男が書いていたなどという話を学校で聞いたことがあったので、芸の世界で予想をガラっとはずされてもそれは、ま、いいでしょう。

悲しいのはこの年を取った職人的ミュージッシャンの人生は何だったんだろうという点。ヒット曲の最後にリリースされたバージョンがハリウッド製であっても、このスタジオ・ミュージッシャンたちはデトロイトで演奏していたミュージッシャンから大きく逸脱したわけではありません。そしてデトロイト組が無能なはずもありません。ゴールディーはわざわざデトロイトでジャズやブルースのベテランを集めて来ています。独特のベースやドラムのサウンドはカリフォルニアで引き継がれ磨きをかけられたにしても、作り出した人はデトロイトにいたのではないかと思います。この人たちがあまりちゃんと支払われていなかったという話は映画にも出て来ます。その上突然予告も無しにレイオフ。やっと何十年もたってこの人たちの映画が作られた今、こんな記事を見てしまって、ため息が出て来ます。映画を見終わった直後は映画のサウンド・トラックでも売って彼らの年金にしたらいいなどとのんきな事を考えていたのですけれど。映画制作にモータウン関係者が関与を断わっているので、ザ・ファンク・ブラザーズは今も見捨てられた存在。今後もし初期のメンバーが老衰で亡くなった時大統領は葬式に1番大きな花束を贈るでしょうか。

問題の記事は映画に合わせて出たものではありません。2年か3年前にアップロードされたものです。

今日はスタックスのソウルでも聞いて気分転換します。明日はまたスモーキーのポップス調の曲、その後はマービン・ゲイ、マーサ・リーヴス・・・。誕生の歴史が何であれソウルは元気の出る音楽です。

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