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1911-1992年、心臓発作及び肺気腫
1960 USA 128 Min. 劇映画
出演者
Yul Brynner†
(Chris Adams - ピストルの名手、志村喬の役
1915-1985年、肺癌)
Steve McQueen†
(Vin - ライフルの名手、
1930-1980年、肺癌)
James Coburn†
(Britt - ナイフ投げの名手、
1928-2002年、心臓麻痺)
Charles Bronson†
(Bernardo O'Reilly - アイルランド系メキシコ人、
1921-2003年、肺炎)
Robert Vaughn
(Lee
1932年生まれ)
Horst Buchholz†
(Chico - 元農夫、三船敏郎の役、
1933-2003年、肺炎)
Brad Dexter†
(Harry Luck - クリスの友人、宝捜し、
1917-2002年、肺気腫)
Eli Wallach
(Calvera - 山賊の親分
1915年生まれ)
Vladimir Sokoloff†
(村の長老、83才、高堂国典の役、
1889-1962、心臓発作)
Rosenda Monteros
(Petra - 村の住民、
1935年生まれ)
Whit Bissell†
(Chamlee - 町の葬儀屋、
1909-1996年、パーキンソン病)
Jorge Martínez de Hoyos† (Hilario 村人、
1920-1997肺癌)
Rico Alaniz
(Sotero - 村人)
Natividad Vacío†
(Miguel
1912-1996年)
Pepe Hern
(1927年生まれ)
John A. Alonzo†
(Miguel - 村人、1934-2001自然死)
Enrique Lucero†
(1920-1989年)
Robert J. Wilke†
(Wallace、
1914-1989癌)
Val Avery
(Henry - セールスマン、1924年生まれ)
Bing Russell†
(Robert - ヘンリーと同行中の男、
1926-2003年、癌)
Roberto Contreras†
(村人、
1928-2000年)
Valentin de Vargas
(カルベラの手下)
Larry Duran†
(1925-2002年)
見た時期:1960年代後半か70年代前半
古い映画ですので出演者の大部分が生まれたのが1920年代。1番長老は1889年生まれ。2004年現在から見ると生存している人は僅か。一部生死が不明な人もいますが、生存していてもかなりの高齢になっているのは当然。それは当たり前ですが、目を引くのが、肺の病気で死んだ人が非常に多いことです。もう1つ目を引くのが1960年以降に成功した俳優の数がかなり多い点。自分のシリーズを貰えた人もいます。7人の中で私があまり知らないのがブラッド・デクスター。ホルスト・ブーフホルツは世界的に見るとあまり有名ではありませんが、ドイツでは大スター扱いです。ほとんどの出演者にとって荒野の七人は運命の作品だったのでしょう。
黒澤明の七人の侍を6年後に焼き直ししていますが、西部劇になっており、筋はやや浅くなっています。しかし日本の監督の作品が1960年という年にリメイクされたというのは、日本が徐々に世界に認められて行く過程の最初の部分。おもしろいのは明確に反共的立場を取る西側の世界にありながら、貧しい農民に味方をする白人の奉仕の精神で筋がまとまっている点です。黒澤の構想をそのまま引き継いだのでしょう。1950年頃から朝鮮戦争が起き、赤狩りはマッカーシーが失脚した1954年後も後遺症を残しており、その後米ソ対立、中国敵視が続いており、やがて冷戦に突入。70年代に中国とはまた付き合うようになっていますが、アメリカ国内はあからさまな共産主義擁護の発言はしにくい状況になっています。フランケンハイマーの影なき狙撃者 失われた時を求めてなどを見ると、当時の傾向がざっと分かります。現実に東西、南北は諜報関係などでは熾烈な競争を演じていたのでしょう。 私が荒野の七人を最初に見たのはテレビの洋画劇場。まだ世間知らず、夢を見ていた時代です。有名なスターが出る、黒澤の焼き直しとそれだけの話題につられて見ており、ストーリーはあまり覚えていませんでした。今月無料の映画館で改めて見て、画面が古いのに生き生きとした作品で、驚きました。しかしもっと驚いたのは、アメリカの映画人が堂々と誉めて、好きな映画のNo.1などに挙げているこの作品が、政治的なメッセージを満載している点です。スタージェスはそれでもエンターテイメント作品に仕上げており、黒澤かスタージェス、どちらが良いかは甲乙つけ難く、好みにもよります。
まずは単純にミーハー路線で見てみましょう。俳優たちは旬と言うのでしょうか、皆生き生きとした表情で、形式的なウエスタンなのにあほらしさがありません。弾を撃っても最近の映画のような凄惨な傷口が見えるわけでもなく、出血も「ここでこの人は撃たれて死ぬのだ」という約束事を示す程度。リアルな血の跡などはほとんどありません。全てが約束事で進み、私たちは暗黙のうちに、ここでは悲惨な撃ち合いがあって、気の毒な農民は撃たれて死んだのだと理解するような仕組みです。古き良き時代のウエスタン。それなのに2004年に見ても全然退屈せず、ばかばかしいというフィーリングにならず、驚くほどの長さなのに、あっという間に終わってしまったような気がしました。
この映画館は無料で、貧乏経営なので、近代的な設備は無く、1時間ほどすると休憩になります。映写機にロールをつけかえるのです。普段の映画ですと真中に1度休憩が入ります。その間にトイレに行ったり、コーヒーを飲んだりします。ところが荒野の七人では休憩が2度入り、終わって家に帰ったらもう午前1時でした。普通は午後10時前後に始まり、CM は無しで、短篇を1つ見て、本編。終わるのが0時頃です。荒野の七人は普段より3分の1ほど長かったのです。
ちなみにこの短編というのが結構おもしろいので楽しみにしています。アイス・エイジの時は学校で理科の授業で見せたらいいような話で、最初は物がどんどん大きくなって行き、湖で釣りをしている少年から大地、地球、太陽系、銀河系とどんどん進んで行きました。その後逆戻りして、少年に戻り、少年の手に止まった蚊が映り、皮膚、肉、血管、細胞とどんどん小さくなって行き、やがて原子にたどり着くといったものです。何の説明もありませんが良く分かります。
荒野の七人の日は地震の話で、アメリカのサンフランシスコ地震を取り上げていました。その後松代や、アンカレッジなども引き合いに出され、日本の観測体制が進んでいるとか、偶然カメラを回していた人のフィルムが地震の分析に役立ったなどという話になりました。かなり古いフィルムで、BBC が制作したものをドイツの学校で見せられるように変えたようです。
地震の国から来た私はアメリカが地震対策を考えずにどんどん高層ビルを建てる様子を見て怖くなってしまいましたが、日本は1度痛い目に遭うと、すぐ次の工夫を始める国民なのかと改めて認識しました。日本の地震地域では警報が出ると人はさっと逃げるというような話も出ていました。新潟では家が倒れた人は気の毒ではあるけれど、家はそのまま横倒しになったので、物を持ち出せるという話が出ていました。その直後に完全崩壊した外国の建物が出ていました。ま、これ以上詳しくは書きませんが、そういう、劇映画とは全然違う映画を本編の前に出してくれます。私はこれも大いに喜びながら見ています。
さて、本編のユル・ブリンナーは主演の中では年が行っている方ですが、非常に若く見え、きれいな顔だと思いました。スティーブ・マックイーンはこの時もその後も、以前見た古いテレビのウエスタンでもほとんど違いが見えず、いつもの顔です。ジェームズ・コバーンもその前後はずっとこういう感じでしたが、この作品の後はファッションなどがどんどん良くなって行き、ダンディーさに磨きがかかっています。それにしても痩せているなあと改めて感心しました。そう言えばほとんどの人がすらっとしていて、身が軽そうです。ロバート・ボーンは荒野の七人では美男で、1番良い時期だったのかも知れません。ホルスト・ブーフホルツはこの作品の中ではずっと道化役ですが、非常に若く見えます。彼がこんなにニコニコ笑っているのを見たのは初めてです。この人はゲイなので、唯一彼に女性との絡みのある役を与えるというのはやや皮肉に思えます。もう1つ改めて目を見張ったのがチャールズ・ブロンソンの皺の無い顔。この人も古いテレビのウエスタンで見たことがありますが、その後、化粧品のCMのシンボルになった時にはもうかなり皺だらけでした。それが渋くていいというスポンサーの判断はなかなか先を見越していたなあと思います。あの顔でと陰口を叩いた人もいたようですが、女性はかなり魅力を感じたようです。
もう1つおもしろいなと思ったのは、農民をやっているメキシコ系の俳優たちにたくさん台詞をあげ、キャラクターを出せるような演出になっていたことです。私が見た西部劇ではメキシコ人が出て来ると言えば、山賊だったり、名も無い農民だったりで、誰も内容に関わる重要な台詞を貰えない作品が多かったのです。ホルスト・ブーフホルツに農民を馬鹿にしたような台詞を言わせていますが、これにはわけがあって、実は彼は自分が農民の出身で、それを恥じていたからこういう反応になってしまったという筋運びにしてあります。ですから最後は自分のアイデンティティーを発見して、農民の娘と結ばれるという風になります。 ユル・ブリンナーとスティーブ・マックイーンはのっけからもう人種差別に反対する白人というスタンスを全面に出し、当時のアメリカの実情とは違った態度。その辺がユニークなのですが、当時の私はそんな事には全然知恵が及びませんでした。これは実は啓蒙映画だったのです。その後はソールジャー・ブルーのようにインディアンを虐殺したのは間違っていたなどという筋の映画もできていますが、1960年と言えばそれより大分前です。メキシコ系、ラテン系の人が芸能界で活躍するのはちょっと前まで難しかったようですし、現在やや良くなって来ているのは、アメリカが欧州との対立に平行して、メキシコなどとは仲良くしておいた方が得策だろうという風な政治の風向きになって来たからでしょう。理由は何でも良く、私はロバート・ロドリゲスやサルマ・ハヤックなどに注目していますが、彼らが60年代の人だったら、トントンと上に上がっては来られなかっただろうという可能性は否めません。そういう時代にこの作品は確かにちょっと毛色が違っているなあと思います。
筋は単純で、山賊に常に収穫を掠め取られているメキシコ人の農民が、もうこれでは生きて行けないというので、村の防衛を手伝ってくれそうなガンマンを探しにアメリカの町に行くという話です。たまたま町で葬式のトラブルに出会い、銃の腕前の良い2人の白人がトラブルを強引に解決するのを見て、仕事を依頼します。しかし払えるのはごく僅かな金。プロのガンマンは普通はもっと高い謝礼で動きます。しかし何かを感じたクリスはヴィンと組むことになり、徐々に腕のたつ者を集めて行きます。志村喬には過去にこれこれ、こうなって・・・という深いわけがあるのですが、ユル・ブリンナーの演じるクリスにはあまり深い理由はつけてありません。切る所は切って分かり易くという判断だったのでしょう。いずれにしろ集まったのは合計6人。加えておっちょこちょいのチコ。これで合計7人。
7人は損を覚悟で村人たちに銃の撃ち方を教え、見張りを立て、山族が襲って来るのを待ち構えています。1回戦は成功。相手方に損害を出し、追い払います。しかし2回戦は苦戦。自分の側にも犠牲が出ます。しかし何とかやり遂げハッピー・エンド。しかし死者の数を考えると、それほどハッピーでもないという、当時としてはこれもややユニークな終わり方です。黒澤の方にはもう少し突っ込んだ話も出るのですが、全部を真似しないで、エッセンスを取るという方針。ま、私の目にはリメイクとしては上手くできた方だという印象に映りました。
最初から終わりまでユニークだなあと思いつづけたのがクリスという名前。やけにかわいらしい名前を凄腕のガンマンにつけたものだと思いました。いちゃもんつけようと思えばいくらか埃も出ます。仲間の死なせ方には所々納得が行きません。しかしそれでも全体としてはエンターテイメントで上手にまとめてあり、黒澤に敬意を払いつつ、明るくアメリカ的にしてあります。
有名なテーマ音楽ですが、一緒に見ていた人たちは「マーボローの CM ミュージックを使っている!」とのたわまったのであります。いいのですよ、この世代はそれでも。七人の侍、荒野の七人は忘れられても、マーボローは永遠です(とか?)。ドイツではタバコの宣伝は映画館を中心にまだ生き残っておりますが、風前のともし火。間もなく禁酒法時代のような時代に突入でしょう。タバコを吸わない私には関係の無い話ではありますが、タバコの CM は見ていておもしろかったです。1番のお気に入りだった CM は子供に影響が強過ぎるという理由で裁判に負け、数年前完全に消えました。長年対抗馬だったのがマーボロー。この会社の CM は好きではありませんが、会社の戦術というのははっきりしています。それには感心せざるを得ません。他で見たことがない俳優が長期独占契約でもしたかのように常に主演のカウボーイを演じ、全部の CM に馬と一緒に出て来ます。大西部を数分で演じて見せるのです。イメージは現アメリカ大統領を思わせますが、この人はどうも政治には顔を出さないようで、ドイツではマーボローの CM でしか見たことがありません。そこへ流れるのがバーンスタインのあの曲。タバコの CM 消滅と共に荒野の七人も忘れられるのだとしたら悲しいなあ。荒野の七人は永遠だろうか。
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