映画のページ
2001 D 119 Min. 劇映画
出演者
Peter Fieseler (11)
Ralf Müller (15)
Danny Richter (21)
Christian Berkel
(Steinhoff - 38、軍人)
Polat Dal (40)
Stephan Szasz (53)
Wotan Wilke Möhring
(Joe - 69)
Moritz Bleibtreu
(Tarek Fahd - 77、タクシーの運転手、ルポライター)
Oliver Stokowski
(Schütte - 82、牛乳アレルギーの男)
Markus Rudolf (74)
Thorsten Dersch (86)
Sven Grefer (94)
Timo Dierkes
(Eckert - 看守)
Justus von Dohnanyi
(Berus - 看守)
Antoine Monot Jr.
(Bosch - 看守、やや良心的)
Nicki von Tempelhoff
(Kamps - 看守)
Lars Gärtner
(Renzel - 看守)
Jacek Klimontko
(Gläser - 看守)
Markus Klauk
(Stock - 看守)
Ralph Püttmann
(Amandy - 看守)
Edgar Selge
(Klaus Thon - 研究チームの教授)
Andrea Sawatzki
(Jutta Grimm - 研究チームの博士)
Philipp Hochmair
(Lars - 研究チームの一員)
André Jung
(Ziegler - 雑誌社の男)
Maren Eggert
(Dora - 交通事故の相手)
見た時期:2001年3月
実はこの作品は予定に入っていませんでした。ところが気の毒な井上さんが偶然見てしまったのです。うたむらさんは運良く事前に情報が入っていたようで、難を免れました。私はどんな映画でも見てから文句を言う主義なので、こういうのを見る羽目に陥るリスクは背負わなければなりません。今流行りの自己責任ですなあ。しかし1度見てしまった人間としては、万人に見て下さいとは言いませんぞ。特に調子の悪い時には、避けた方が無難です。悪い映画だというわけではありません。作った意義はあるかも知れません。要は表現の問題で。与太話でもおもしろおかしく語られれば・・・の反対で、ガセでも与太でもないマジな話を、ユーモアも余裕もなくこうかっちり語られるとねえ・・・。これを見ると落ち込む人が多いと思います。
気取って es[エス] なんて名前をつけた作品。心理学に関係のある話です。
これを見て迷惑したのは井上さんだけではないでしょうねえ。私はドイツ公開当時に見ましたが寝覚めの悪い話で、こんな話を聞かされたら友人一同迷惑するだろうと思って記事にしませんでした。寝覚めの悪い理由はいくつかあります。1つは事実に基づいた話で、そのことを考えるだけで背筋が寒くなるという点。次にドイツ的だなあという演出方法、演技方法で、観客に押し付けるような面があること。ドイツの名誉のために言っておきますが、最近ドイツ映画にはいくつか種類があり、人間を描写しつつ観客を楽しませるようにできているもの、偉い人がたいそうなテーマを扱って学の無い下々の者に教育を与えようという姿勢のもの、最近の世相を反映して、ばかばかしく、アホらしく、軽く、薄く、これといって意味無く作ったイージーな作品などに分かれています。es[エス] がどれに当たるかは井上さんの感想からはじき出して下さい。そしてもう一点、モーリッツ・ブライプトロイに再び失望させられたこと。彼は本当はティル・シュヴァイガーと並ぶようないい役者だろうと思えるのですが、大分前に日本の法律とは絶対に相性の良くない軽薄な作品に主演。大いに失望したばかりだったのです。その後これですから、私は二重に失望してしまい、人に薦める気になりませんでした。彼は es[エス] では架空のルポライターを演じていますが、これが騒ぎの元。とは言っても出来事自体は彼1人の責任とも言い切れません。
さて、その事実関係ですが。
時は1971年、場所はカリフォルニア。スタンフォード大学の心理学者が実験を思いつき、一般から20人ちょっと人を集めます。2つのグループに分け、囚人と看守の役割を与えます。全体で2週間の予定で、その間刑務所風の場所に(合意の上で)監禁され、囚人役の人は看守役の人に囚人らしく扱われます。この様子は心理学者からカメラで監視されています。舞台をドイツに移し、関係者の詳細は変更してあるようですが、大きな流れは映画と似たような事だったそうです。
日本人は《場》という概念を知っており、人間が《場》に左右されて態度を変えるということは昔から知れ渡っています。ドイツではそういう考え方が行き渡っていません。アメリカもそうだったのかも知れません。とにかくこの作品のバックボーンになっているのは、人間が《場》によって態度をがらっと変えたというところです。
カリフォルニアの実験でも無作為に選ばれたようですが、es[エス] でも人は新聞広告で公募され、集まった人間の職業、経歴などは偶然の組み合わせ。特に邪悪な人が看守組、特に無抵抗な人が囚人組に割り当てられたわけではありません。やや人為的なのは潜入した2人。1人は公的な方面から、もう1人は売れないルポライターが金のために一発当てようとして潜り込んでいます。しかし実験を行う側はそんなことは知りませんし、2人もつるんで潜り込んだわけではありません。お互い他の人の事は知りません。
実験する側は人間の行動に関心があり、一定の枠内で刺激を与えるとどういう風に反応するかを見たかったようです。私の目にずさんに思えるのは、学者であり、心理学を専門としている人たちが、群集心理、個人とは違いグループはダイナミックな動きをするという点をきちんと計算に入れていなかったところ。「こんなので学者なの?マジ?」と思ってしまいましたが、近年大学という所はたがが緩んでいるのかも知れません。
個人の経歴、名前その他枝葉末節に関わることは創作、あるいは変更してあるようですが、人々の動き、エスカレートの段階は実際の事件と似ているとのことです。
モーリッツ・ブライプトロイはアラビア系の人物を演じるのが好きなのか、今回もアラビア系のタクシーの運転手を演じています。元々はフリーの記者で、新聞で広告を見つけて応募します。2週間の報酬が2000ユーロというのにもつられたのかも知れません。普通の人の1ヶ月分の給料ぐらいです。実験に参加する前にしっかり馴染みの雑誌社と話をつけ、記事を買い取ってもらおうとします。この話はどうやら脚本家の創造のようです。
ドイツの刑務所というのは人の人格を破壊するような規則は禁じられており、囚人が刑務所内で凶暴性を発揮するなどということが無い場合、つまりは通常の場合ですが、わりと人間的な環境です。重罪を犯した人でも、態度が普通ですと扱いも普通です。ですからこの実験の規則を知って私はその時点でもう嫌な予感がしました。
囚人は番号で呼ばれます。こんな事ドイツでやっているなんて聞いたことがありません。ミスターで呼ぶかどうかは知りませんが、本人の名前ぐらいはちゃんと使います。番号で呼ぶと、画一化されてしまい、その人の人格がそれだけで無視されるということで、ドイツ人は日本人以上に名前に強くこだわります。
囚人は看守に対して無礼を働いては行けないということで、言葉遣いまで制限されます。こんな規則がドイツにあるのかどうかは知りませんが、ドイツは現在では逆かも知れないと思わせるような国です。看守が囚人を邪険に扱っては行けないことになっている可能性もあります。私は刑務所を訪問したことがありますが、囚人と看守は両方とも節度のある、それどころか割に親しそうな口を利いていました。
es[エス] では消灯と同時に無言。口を利いては行けないことになっています。これもドイツでは《静かにせよ》ぐらいは言われるかも知れませんが、一言も口を利いては行けないということはないと思われます。
出された食事は全部平らげる。これはドイツの家庭がそういう風になっています。母親が食卓に鍋を置き、家族の皿に食べ物を入れたら、絶対服従で全部平らげなければ行けません。これが肥満の原因になると批判を受けたこともありますが、この規則を守っている家庭は現在でもあるかも知れません。80年代頃までは多数派。80年代、90年代と健康に関心を持つ人が増え、食べる量を調整しようという話になり、それからこういう事をやらない家庭が増えました。しかしこれが習慣だったということはたいていのドイツ人が今でも知っています。
看守の命令には絶対服従。これは無論どの刑務所でも当たり前ですが、 看守が命令していい事と、行けない事が法律で決められており、看守自身もそれを守ります。ですから普通の刑務所では極端な出来事は起きない仕掛けになっています。
規則を破った者に看守が懲罰を与える。・・・のは刑務所ですから当然ですが、罰を与えていい場合、そして罰の内容については法律で決められており、本物の刑務所ではそれが守られています。
・・・ところが、この仮設刑務所では法律を無視した看守が無理難題を吹っかけるのです。その上、このルポライターが記事をおもしろおかしくするために看守を挑発。2日目にしてすでにエスカレートの気配。実験経過をわくわくして見守っている教授は大喜び。
看守の中にはモラルがしっかりしていて止めようとする者もいますが、全体の流れに押され、看守はどんどんエスカレートし、囚人を痛めつけ始めます。方法は直接暴力を使えない規則になっているので、屈辱を味わうような刑罰、侮辱など。しかしアレルギーを抱えた人も混ざっており、囚人は肉体的な危険を肌で感じます。カメラの死角に入ると規則を無視する看守も出ます。
おもしろくなって来たと喜んでいる教授と、深刻な事態を恐れる研究員の間にも対立が生まれ、結局実験は強引に真中で中止。タレクはおもしろい記事を書く材料ができたのは確かですが、こんな経験をしてしまって、これから普通に生きていけるのだろうかと思いたいのですが、そこは監督がわりといい加減なオトシマイをつけています。軍関係者もこの実験に興味を持ち、潜り込んでいたのですが、自分が囚人の側でこれを経験して一体どんな報告をするのだろうか、興味深々です。そして普段はまともな市民生活をしていた看守側の人たちは、こんな事をしてしまってこれからどういう物の考え方をするのでしょうか。ここには大きな興味がわきました。
見た時この映画でショックを受ける人が大半だろうとは思いました。しかし日本人はこれを見せられ、《場》というものが人間を変えるのだということを改めて納得するだけなのではないかと思いました。それに比べ、《場》という物の力について考える習慣のない西洋の人たちは自分は違うと考えるか、納得しないか、これは例外だと考えるか、日本人とは違う反応を見せるのではないかと思いました。ところが意外なことにこの映画が公開されると、暫くの間《問題作》というレッテルが張られ、あちらこちらの映画祭で賞を貰い、アカデミー賞の候補としてアメリカに送り、それっきり。《場》についての討論とか記事は見ませんでした。《ああ、凄いなあ、問題作だなあ》と暫くつぶやいただけで終わりです。作った甲斐あったんだろうか。演じた人は結構ストレスだったと思いますが。
実際の実験は Phlip Zimbardo というスタンフォード大学の教授の指揮の元行われ、看守はサングラスと、警棒、囚人は手錠と囚人服で実験開始。場所は学内の地下室を刑務所に改造した所で、普段は監視カメラが回っています。ところが映画と同じように始まって間もなくカメラの死角になる場所では特に夜にサディスティックな行為が行われ、2日目には謀反が起きます。エスカレートし続け、囚人の1人が深刻な傷を負う可能性が出たため6日目には中止。この種の実験は以降禁止になったそうです。
井上さん、こんな映画では休養できませんよね。どうせなら、子供の映画ではありますが、スウェーデンの猫の話とか、オランダの猫の話にしておけば良かったかも知れません。
★ よせばいいのに逆輸入
アメリカで生まれたものはアメリカに帰ると言うことでしょうか。エクスペリメントというタイトルでアメリカ版リメイクが作られました。
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