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輝ける青春 /
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The Best of Youth

その2

Marco Tullio Giordana

2003 I 400 Min. 劇映画

出演者

Luigi Lo Cascio
(Nicola Carati - 精神科医になる)

Sonia Bergamasco
(Giulia Monfalco - ニコラの内縁の妻)

Alessio Boni
(Matteo Carati - 警官になる)

Maya Sansa
(Mirella Utano - 図書館の職員、写真家、マテオの知り合い)

Riccardo Scamarcio
(Andrea Utano - マテオとミレーラの息子)

Valentina Carnelutti
(Francesca Carati - ニコラとマテオの姉、法律家)

Jasmine Trinca
(Giorgia - ニコラとマテオの友達、精神分裂症)

Adriana Asti
(Adriana Carati - 教師、ニコラたちの母親)

Andrea Tidona
(Angelo Carati - ニコラとマテオの父親)

Lidia Vitale
(Giovanna Carati - カラティ家の末娘、カルロの妻)

Fabrizio Gifuni
(Carlo Tommasi - 金融専門家、ニコラとマテオの親友)

Camilla Filippi
(Sara Carati - ニコラとジュリアの娘)

Greta Cavuoti
(Sara Carati - ニコラとジュリアの娘、8歳)

Sara Pavoncello
(Sara Carati - ニコラとジュリアの娘、5歳)

Paolo Bonanni
(Luigino - マテオの同僚)

Roberto Accornero (トリノの裁判官)

Michele Melega (文学部の教授)

Pippo Montalbano (シチリアの警部)

Mario Schiano (医学部の教授)

見た時期:2005年1月、2月

400分という長編なので、2度に分けて上映。日曜日2回映画館に行きました。全く飽きることなく全部見ましたが、あまりに長いのでこちらも全体を2つに分けてみました。

詳しいストーリーの説明あり
日本で公開されるかは全く見当がつきません。何しろこの長さですからねえ。

もう前半読んでしまった方もおられるかと思いますが、ここで中断して作品を見るという方は こちらへ。目次へ。映画のリストへ。

前半の前半、俳優の年より若い部分を演じている時は無理があると思いましたが、後半は俳優の年に近いところから、やや年より上の役に代わり、概ね違和感無く見ていられました。時たま同じぐらいの年齢なのに若く見えたり老けて見えたりすることがありましたが、スケジュールの都合で同じ時期にいくつものシーンを撮影したのかも知れません。予算がどのぐらいあったのかは知りませんが、大勢が出る上に、色々な地方が取り上げられるので、キャスト、クルー大勢で移動しなければならなかったのではないかと思います。しかしテレビとしてはかなり気合が入っています。

★ 一家のその後

後半は1982年のトリノから始まります。母親は未亡人になってからも教職を続けています。長女フランチェスカは離婚して法律家のまま。長男マテオはカッとしてデモ隊を殴ったためシチリアに左遷されていましたが、またローマに戻って来ています。しかしローマで仕事をしていることを家族には告げていません。シチリアで知り合ったミレーラは偶然同じ町で図書館に勤めていて、マテオと再会。下の妹ジョヴァンナはニコラたちの友達カルロと結婚し、息子が生まれるところです。ニコラの妻ジュリアは子供も置いてテロリストになっています。警官のマテオはテロリストも仕事で扱い、手配されている人物の中にジュリアを見つけます。発見次第問答無用で撃ち殺していいテロリスト・グループの1人です。

80年代以降は全国至る所で要人がテロの犠牲になる時期でした。シチリアではマフィアが判事など法律家を狙ってのテロも行っていました。シチリアのマフィア・テロの数日後に現場を通ったことがありましたが、たった1人の人間を殺すのにここまで大げさな事をやるのかと驚くぐらいの大きな穴ができていました。狙われた判事は護衛と共に爆死しています。このテロリストは政治的な動機ではなく、日本のやくざと同じような動機で動きます。裁判に脅しをかけるとか、強引に釈放したいなどが主な理由。

シチリアではマフィアの家族が自分たちの夫、息子をマフィアから取戻そうとデモをしているのに出会ったこともありました。収入源がないので男たちは否応無しにマフィアに関連する仕事につかざるを得ないという経済的な事情が島を支配していて、夫や息子がいつ死ぬか分からない上に、状況に押されて犯罪者になることに怒った母親や妻がパレルモ中でデモをしていました。そういう事情にも少し映画で触れています。

★ テロリストのジュリア

ジュリアがなぜテロリストになったのかが分からないままですが、彼女はせっせと仲間が連絡を取って来て、仕事をしています。髪は黒に染めて、神経の張り詰めた生活を続けています。実際に彼女が人を殺すのか、あるいは後ろで支援をしているのか分かりにくいですが、ピストルを携帯しています。ある日彼女の元に届いたターゲットの中にカルロ・トマジが入っていました。ニコラと暮らしている時、ニコラの家族とは仲良くしていたので、ジュリアはショックを受けます。

意を決してジュリアはカルロと結婚したジョヴァンナと連絡を取ります。「あなたの夫は私たちに狙われているから国外に出ろ」と言うのです。ジョヴァンナから「それは難しい」と言われ、ジュリアはカルロを殺さずに済むように持って行こう、ジョヴァンナはカルロを説得するように持って行こうということになります。

事情を知らされたニコラは意を決してジュリアを逮捕させることにします。ジュリアも生かし、カルロも生かすための苦しい決定でした。で、ジュリアは捕まります。外にいる時は娘に会いたがったジュリアですが、屈折するものがあり、娘が面会に来た時は動揺します。ニコラは当初ジュリアがなぜテロに走ったのか、自分はなぜ彼女を行かせてしまったのか分からず悩んでいましたが、ジュリアと正式に籍を入れようと考え結婚を提案します。ジュリアには断られます。2人は世間から家族からもも夫婦のように認められていましたが、籍は入れていなかった様子。フランスにはそういう夫婦が多いと聞いていましたが、イタリアもそうだったのか、知らなかった!

判決が出て、ジュリアがシチリアの特別な刑務所に送られてから、ニコラは手紙を書き続け、彼女が好きだった音楽の楽譜を送ったりしますが、ジュリアは心を開きません。ニコラは《あの時行かせたのはジュリアの意思と自由を尊重したからだ》と思っていましたが、人は配偶者や愛する人間をどこまで縛り、どこまで自由にさせるべきなのか、その匙加減が分からず何年も悩み続けます。

これはいいテーマを取り上げたものだと思いました。日本でも過干渉は行けないと止める方向がありますが、逆に親なのに子供の事を全くかまわず、そのため子供がどうして言いか分からず(価値観が育っておらず)、極端なケースでは犯罪に加害者として巻き込まれたというニュースもよく聞きます。それでも社会はまだ過干渉の問題だけを取り扱い、親が子供が成人するまでにどの程度の干渉をするべきかについてはあまり気合を入れて論議されていません。

ドイツの様子を見ると、子供には過干渉する親を跳ね返す力が日本よりやや多めにあるなと思いますが、《自由》という名の元に子供に何も教えなかった親が多く、それが社会で問題を作っているのに、その点には目をやらない傾向が強いです。親は《子供に自由を与えた》というお題目を掲げながら実は70年代、80年代と自分が自由を謳歌するのに忙しかったのです。

その次の世代はドラッグなどの誘いに負け易い上、その世代もだんだん成人し始めていますから、親は18歳以上の子供が犯罪を犯した場合、《本人の責任だ》という理屈が成立してしまいます。《そんな子に育てた覚えはない》という話を聞いた時に、《あなたは子供を育てなかった》と言いたくなるような親も結構多いのです。犯罪などという極端な話にならなくても、恋人とうまくやって行けない人や結婚して困難にぶつかると簡単に別れてしまう人も増えています。家族を助けたり助けられたりという経験が無いまま社会に出てしまうので、仕方のない事だとは思いますが、何だか残念な気がします。

その点カラーティー家では親は子供をちゃんと躾ています。夫婦共稼ぎな上子供が4人だったので過干渉になるほど1人に干渉する暇も無く、子供は適度に自由も味わっていたようです。子供の1人は逆に「お母さんは生徒が好きで、僕たちはちょっと生徒にやきもちをやいていた」という発言があるぐらいです(母親は教員)。カラーティー家の描かれている時代から徐々に大人になってからやっていける程度のノーハウすら子供に与えない親が増える時代が始まるので、この一家はもしかしてその目安を示すために撮ったのかとかんぐりたくもなりますが、イタリアはドイツに比べ家族の絆は強い国ですから、70年代以降もこの程度の結びつきは普通で、ドイツのように子供が放り出される社会にはならなかったのかも知れません。少なくとも私の知人の範囲のイタリア系の人では家族の名前が話に出たり、親子兄弟が現われたりします。

★ 孤独なマテオ

マテオはシチリアから戻って来ても家族と合流せず1人で暮らしていました。姉にばれて怒られますが、それでも家には顔を出しませんでした。ある日偶然図書館でシチリアで1度であった女性ミレーラに再会し、暫くルンルン気分になりますが、ミレーラに比べマテオはあまり積極的ではありません。ミレーラにはシチリアで嘘の名前を言ったのですが、それも訂正しないままです。ミレーラはマテオがニコラだと思っています。

ある日マテオの本名がばれ、ミレーラは警察に現われますが、マテオはなぜちゃんと名前を言わなかったかなどの説明はせず、2人は大喧嘩になり別れてしまいます。大晦日の晩、家族の集まりに久しぶりに顔を出したマテオは、パーティーを早めに切り上げアパートに戻ります。2度ミレーラに電話を試みますが、結局話をしないまま切ってしまい、そのままアパートのベランダから飛び降り自殺してしまいます。せっかく家族を訪ねてくれたのにその足であの世へ行ってしまったマテオに、母親はひどい衝撃を受けます。

★ 大分良くなったジョージア

マテオの自殺の後ニコラはミレーラという女性が行った写真展に通りかかります。ポスターに映っていたのはマテオでした。ニコラはカタログを買って、ジョージアを訪ねます。ジョージアはニコラに救われてからずっとクリニックにいますが、症状は大分良くなっています。本人はまだ外で暮らすほどの自信はないようです。ニコラに「この写真家を訪ねてくれ」と頼みますが、ニコラは断わります。ジョージアはクリニックを抜け出しミレーラを見つけようとしますが、うまく行かずニコラに保護されます。しかしニコラはジョージアがそろそろクリニックでなく普通のアパートで暮らすべきだという考えで、実行に移します。

ジョージアのエピソードはこれで終わりです。私はちょっと物足りないと思いました。なにしろ彼女がニコラとマテオの人生に与えた影響は多大でしたから。その後うまく行っているとか、苦労しているとか何かしら1つシーンを入れてもらいたかったです。

★ ミレーラは家族だった

ミレーラのエピソードが続きます。マテオの死後またシチリアに戻り、時々写真の仕事でお金を稼いでいるミレーラ。姉のフランチェスカは法律の仕事でシチリアに転勤しています。展覧会からミレーラを探し当てたニコラはシチリアに彼女を訪ねます。マテオとのいきさつなどを話しているうちに、ミレーラにはマテオとの間にできた息子がいることが分かります。その話を聞いて喜び会いに来た母親はそのままミレーラと孫の所に居つきます。母親はそこで静かな日々を送り静かに死にます。

★ 4人組のその後

元々4人組だった友達の1人は組合の労働者でしたが、その後首になり、ゼロからやり直しで苦しい生活をしていました。マテオが死んでいるので、現在では仲間は3人ですが、1人は有名な大臣になるかというような金融の大物、もう1人は精神科の院長に収まっています。それで残った友達を援助しようというので、カルロはトスカーナにガタの来た家を買い、友達に修復させることに決めます。家ができあがり、間もなくここでニコラとジュリアの娘サラがボーイフレンドと結婚ということになります。それで親戚一同が集まって来ます。その式の直前にサラの元にジュリアから手紙か来ます。

★ ジュリアのその後

ジュリアは釈放され、新しく図書館でやり直すと書いてありました。結婚式に出てもらいたく思い、サラはジュリアを訪ねます。再会して話しているうちに、多少打ち解けて来ます。式には来ないけれど、お腹の子供が生まれる時には来ると約束。

★ 家族のその後

という風に最初大きかった家族、笑いの満ちていた仲間、兄弟にどういう事が起きてどうなって行くかを40年近く追ったストーリーです。私に1番悲しく思えたのは、大きかった家族の輪が、1人死に、2人死に、徐々に小さくなっていくところです。人生はそういうものなのだと分かっていてもやはり悲しいです。そこへミレーラに子供ができていたという話が入ると、観客はちょっとうれしくなります。ストーリーが終わる頃にはサラにも子供ができ、大きくなったミレーラの息子は自分の父親マテオが行く予定を変更して行かなかったノールウェイに恋人と出かけます。そしてマテオに気兼ねをしていたニコラは友人にせっつかれて思い切ってミレーラにアプローチ。マテオの息子がニコラを父と呼ぶことに・・・(ルンルン)。家族はまた少しずつ大きくなり始めますが、昔とは違います。

イタリアは大家族で有名なので、ニコラたちも4人兄弟。次の世代からはしかし一人っ子がイタリアでも増えています。私の身内も4人生まれている家が多かったですが、その後は子供2人という家が増え、更に減る傾向です。失業問題、食糧危機などを考えると大家族というのは現代では時代に合った形ではありませんが、祖父母。親兄弟、伯父伯母、従兄弟がぞろぞろいるというのは私にはいい思い出です。一緒に遊んでもらった記憶というのは何年経っても消えず、友達との思い出と並び、スランプに陥った時には大きな支えになります。昔は全然そういう事を意識していませんでしたが、この10年ほどで、自分が時々何かを見てうれしい気分になるのは、昔そういう物を見た記憶があるからだと思い始めています。殺伐とした面を持つドイツ人に比べイタリア人は人とのつながり方が上手ですが、その背景にこういった家族の結びつきや友達がいるからなのだ、とごく当たり前の考えに突き当たりました。当たり前ではあるけれど、そういう事の恩恵に浴していない世代が育ち、若い人は私たちに比べるとずっと寂しい思いをしているのかも知れないと思うこのごろです。

恐ろしく長いですが、見る価値のある作品です。

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