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2002 Spanien/F/I 113 Min. 劇映画
出演者
José Ángel Egido
(Lino - 就職試験を受けるところ、解雇に逆らったため退職金が貰えなかった)
Luis Tosar
(José - 解雇に逆らったため退職金が貰えなかった)
Javier Bardem
(Santa - 無賃乗船男、独身、解雇に逆らったため退職金が貰えなかった)
Celso Bugallo
(Amador - 諦めている男)
Serge Riaboukine
(Serguei - ソ連時代には宇宙開発に携わっていたエリート)
Enrique Villén
(Reina - 転職に成功)
Joaquín Climent
(Rico - 退職金でバーの経営を始める)
Nieve de Medina
(Ana - ホセの妻、缶詰工場勤務)
Andrés Lima
(弁護士)
見た時期:2004年1月
これが2004年度最初の映画になるはずでした。幸いその直後にふたりにクギづけの元日試写の券が当たりました。よかった、よかった。
その後毎日《次回アップしよう》と思いながらはや1年以上。あまり調子の良い年でなかったため、読むと落ち込んでしまいそう。そうやってのびのびになっていたのですが、いくらなんでも1年延期は行き過ぎだ・・・と言う声もあり、いえ、そんな声はありませんでしたが、せっかく書いたのだから出そうということになりました。
と思っていたらやれゴールデン・グローブだ、オスカーだ、ラジー賞だ、金のクマだという話になり、その上急にボーン・アイデンティティーの続編が HP の話題に上がり、ついふらふらとそちらを出してしまいました。当初の志(などとはっきりしたものは持っていませんでしたが)はくにゃっと曲がってしまい、その上のびのび。ようやく今日の目を見ることになりました。
★ うわっ、落ち込む
あらすじ紹介を聞いただけで暗く落ち込みそうな話です。それで行くの止めようかと思ったぐらいです。でもその前に滅法明るいふたりにクギづけを見ていたので、多少元気が出ていました。月曜日にひなたぼっこを見てふと思い出したのがフル・モンティ。テーマが失業だという点と、男性中心に話が進むという点が共通しています。
フル・モンティは一応コメディーということになっていて、苦しい失業者の生活を笑いを交えながら描いています。無論失業がどういう事か知っている人に取っては、ストリップをやってヘラヘラ笑っているのがテーマではないということはすぐ分かりますが、全然そういう状況にない人にも楽しめるように、ユーモアの部分も増やしてありました。離婚や失業、子供を妻や夫に取られてしまう人の苦しみはマジで、不器用な男たちが状況にすぐ対処できない様子がコメディーにしてありました。私はそのバランスがいいと思っていました。フル・モンティに出ていた俳優はその後も着実にキャリアを積んでいます。
それに比べると月曜日にひなたぼっこはコメディーではなく、深刻さが強調されています。夢も希望 も無い中、神様というものがいるのだったら、この町を見過ごしたのか、ドイツのあるビショップ(カソリックで言うと司教に当たる偉い人)が言っていたように「みんなが困っている時あなた(神)はどこにいたんですか」と訴えたくなってしまいます。こんな映画を作って失業中の私をさらに苦しめるのか、と怒っているのではありません。こんな映画ができてしまうほど失業問題が深刻なのだと解釈するしかありません。この慰めの無い作品を見て、私は来る前より落ち込みながら家に帰ったのです。失業という大変な問題の中で女性はさらに下に置かれ、苦しさを受け入れることを周囲から期待されているのだと分かり、不公平だとも思います。スペインの女性は耐える事が多くて大変です。
★ 粗いあらすじ
筋はそれほど複雑ではありません。物語はある港町で始まり、町の湾の真中で終わります。以前は造船業など船に関連する産業で栄えていたらしいのですが、現在は会社が閉鎖になり、かつての労働者は皆失業中。中年で一家の大黒柱の年代の男性数人の物語です。スペインでもわりと保守的な場所らしく、かつては男性が威張る代わりに、家もちゃんと支えていたのでしょう。それが現在では支えたくても仕事が無くて、奥さんを工場に働きに出さなければならないような状況。本人は仲間とつるんで酒を飲む日々。
登場する数人は何十年も知っている仲らしく、気心が知れています。状況も皆似たり寄ったり。職安に行ったり、就職試験を受けに行ったり、銀行に金を借りに行ったりです。造船所が閉鎖になる時にストをやった者は退職金も貰えず、裁判に巻き込まれていたりで、満足の行く生活を送っている者はいません。金の切れ目が縁の切れ目になってしまった人、なりかけの人もいます。
ギクシャクしている夫婦者(ホセとアンナ)、独身者(サンタ)、妻に逃げられた男、退職金を手にした者、しなかった者、再就職ができた者、できなかった者などを並べ、苦しい中で仲間を助けようとサッカーの試合をただ見させてやる者(レイナ)、どうやら全然お金は払わないのに酒を飲ませているらしい飲み屋のおやじ(リコ)など慰めになるようなシーンもあるのですが、フル・モンティーに比べ深刻さが全体を支配してしまい、慰めも慰めになっていません。監督や俳優が悪いのではありません。テーマがシビア過ぎるのです。ということは現実がシビア過ぎるということでもあります。
★ 見る人によって
まだ仕事のある人はこういう話を見てもあまり何も感じないかも知れません。失業を経験した人には今仕事があってもきつ過ぎるかも知れません。1番きついのは他の人が仕事で忙しくしている時に何もする事が無いこと。旅行に行けないとかレストランに入れないということがきついのではなく、今日が終わって明日になっても何も予定が無いということなのです。その辺はタイトルにもチラッと表われています。月曜日に日向ぼっこのできる人は誰か・・・。
自分が完 全失業という状態になるまではこの種の映画を見てもあまり気にしなかったと思いますが、現在は身にこたえます。私の場合バブルの恩恵は受けておらず、常に節約を迫られる生活でしたが、3年ほど前(現在から見ると4年ちょっと前)からは超極限状態完全失業状態の中で暮らしています。ですから今フル・モンティーを見ると辛くて映画館を途中退席してしまうかも知れません。
私自身がこういう状態になる前も、私の住んでいる地区は労働者の地区なので失業者は多かったです。ただ、その人たちの多くはまがりなりにも失業保険というものを貰える立場の人たちなので、わりとのんびりしていました。ところが首相が変わり、世間の状況が変わり、これまでは失業保険で家にゆっくりしていられたのが、各種の値上げ、公共施設の私企業化などでどんどん首を締められています。で、最近はのんびり失業者も減り、深刻な顔をして歩いている人の方が増えて来ました。(などと言っていたら、2005年2月の時点でまた失業者数が増えたというニュース。)
私はずっと以前から現在の失業者が感じている不安を感じ続けて生きて来たので、「値上がりだ」と聞くとすぐ「次に節約するものは・・・」という発想で物を考えますが、のんびりしていた失業者はこれからそういう事を考えなければならないので、これから大変さを感じ始めるのだと思います。しかしこの人たちには強制的な労働という道があり、まだ良い方でしょう。強制労働と言うと人聞きが悪いですが、戦時中のあれではなく、生活保護などを申請した時に、その交換条件として職安が提示する仕事を受け入れなければ行けないというものです。私にはその役所が強制してくれる仕事も無いのです。
自分の生活の状況の苦しさを知っているからこそ、映画が楽しめ、「この2時間嫌な事は忘れるぞ」と固く決心して映画館に入ります。映画館を出ればまた現実が目の前にあります。ですから上映中はできるだけ現実を忘れるようにしています。そしてこの不況時代にタダ券が当たる懸賞や募集をしてくれる出版社や放送局に感謝。失業者の苦しみをつかの間忘れさせてくれます。感謝と言えば、先日友人が何人か協力して音楽やコメディーを楽しめるようにしてくれたのです。この時も不安で凍り付いていた気持ちがほわーっと解けるような感覚でした。全部見てしまわず、1週間の用を済ませたら休憩という風にして見ています。その用というのは仕事探し。下手をすると絶望的な気分になってしまう用事です。断わりの手紙すら来ないのがほとんどで、たまにはっきり断わってくれると、その件はそれで切りがついて却ってスッキリするという変な用事です。
というわけで月曜日にひなたぼっこはリアル過ぎて、見るのが苦しい映画ですが、リアル過ぎるということは演出、演技などがまるでハリウッド的でないということです。失業に関係の無い所で暮らしておられる方、あるいはタフな神経をお持ちの方にはお薦めします。私にはファンタより恐いホラー映画に思えてしまいました。
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