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2000 USA 118 Min. 劇映画
出演者
Dennis Quaid
(Frank Sullivan - ジョンの父親、消防士)
James Caviezel
(John Sullivan - 刑事)
Daniel Henson
(John Sullivan - 6歳)
Elizabeth Mitchell
(Julia Sullivan - ジョンの母親、看護婦)
Andre Braugher
(Satch DeLeon - フランクの友人、刑事)
Noah Emmerich
(Gordo Hersch - ジョンの友人)
Stephen Joffe
(Gordo Hersch - 8歳)
Michael Cera
(Gordy Jr. - 10歳)
Shawn Doyle
(Jack Shepard - 刑事)
Nesbitt Blaisdell
(Fred Shepard - ジャックの父親)
Joan Heney
(Laura Shepard - ジャックの母親)
Marin Hinkle
(Sissy Clark - 殺人の犠牲者)
見た時期:2005年3月
テレビが大半で劇場映画は4本作ったという監督。うち3本を見たことになります。オカルト、完全犯罪、SF と方面はばらばらですが、オカルトで騙し討ちに遭ったように感じた以外は力作です。しかしそのオカルトは監督の責任というより、筋を考えた人の責任。豪華スターを集め、前半はまさかオカルトになるとは思えない刑事物。そこまではわりといい出来です。
騙し討ちのオカルトの埋め合わせをしようとでも思ったのでしょうか。オーロラの彼方へはまさか力作だとは思わなかったのですが、見てみるとかなり気合入っていました。公開された当時予告を見ていて、「どうしようかなあ」と思いつつ見なかったのです。時代が変わり、DVD という便利な物が普及し、近所に私の好みに合う作品を集めた店ができたので、「そのうち見てやろう」と思っていました。
イースター休暇になったので2本借り込んで来て見ました。両作品ともまあまあの出来だろうぐらいに思っていました。ところが見てみると、満足。話の意外な展開を劇場で見られなかったのは残念ですが、Better than never. で、喜んでいます。雑誌ではけなしている記事があり、他もあまり大きく取り上げていません。デニス・クエイドという主演俳優のせいでしょう。
今でこそデイ・アフター・トゥモローで盛り返していますが、デニス・クエイドという俳優はドイツでは、《メグ・ライアンの亭主》という役でしか知られていません。実はライアンと結婚する前はクエイドの方がスターで、ライアンは《売り出し中の自分が大スターのクエイドと結婚した》という認識だったそうです。いわばトム・クルーズと結婚した当時のニコール・キッドマンのようなもの。
キッドマン夫妻の方はクルーズがずっと上り調子で、キッドマン自身は離婚後ようやく有名になったという印象ですが、ライアン夫妻の方は結婚後ライアンの売り出しが盛んになり、クエイドは徐々に後ろに引っ込んでいます。その後は《ライアンの夫》、《ライアンの子供の父》という役に専念した感がありました。
ライアンの方は自分から投げ出さなければ今でも大スター。ロマコメが嫌になっていたらしいですが、世間がマンネリと言おうが何と言おうが、あのまま押し通していたら今でもネーム・バリューは落ちていなかったでしょう。会社が「仕事をやる」と言うのだから、ヒット・ランキングの上に行こうがずっこけようがあのまま演じていても良かったかも知れません。しかし本人に考えるところがあったようで、イメージの一掃をはかり、それは成功。しかしその後演じている役が彼女にぴったりだとか成功したという話は聞きません。
クエイドの方は、ドイツでの再ブレークはデイ・アフター・トゥモロー。しかしその少し前から父親役で再起を図っています。ライアンとの離婚の時に子供を気遣っていたというニュースが入っているので、その辺実生活が役に生かせたのかも知れません。
デイ・アフター・トゥモローは子供を気遣う父親の役でしたが、オーロラの彼方へは子供が気遣う父親の役。
ホブリット監督、悪魔を哀れむ歌ではオカルト路線でしたが、オーロラの彼方へはエゾテリックの匂いがかすかに感じられる SF 路線。ところがそんな与太話が全然気にならなくなります。監督の努力もありますが、デニス・クエイドという俳優を得たのも幸いだったかも知れません。特に演技派という大げさなジェスチャー無しに子供を気遣う親という役に上手にはまっています。
ドイツの映画雑誌の批判は、「映画の半分に来るまで監督は家庭お涙ちょうだい物にするか、連続殺人事件の刑事物にするか決められず、あやふやだ」というものですが、私には逆に1本の作品に両方のファンを呼び寄せられると感じました。あと1歩押し過ぎると、お涙頂戴が過ぎてうるさくなりますが、ちょうどそのあたりで連続殺人事件に切り替わるので、そこから後は犯罪物で通ります。そして信じられないような設定が邪魔になりません。
まずは家族関係から。1969年10月10日。60年代の一家は両親と息子の3人。お父さんのフランクは芝刈りに、・・・でなく火消しに、お母さんは洗濯に、・・・でなく患者の看護に。消防士と看護婦さんの家族です。息子ジョンの夢は刑事になること。時代が時代なのでソウルのヒット曲が出て来ます。♪♪♪
ところが1999年10月10日、ジョンは幸せではありません。ガールフレンドとはうまく行かず別れそう。長い間母子家庭。フランクはジョンがまだ子供の頃殉職しています。友人関係は今も昔のままでゴードとの付き合いがあります。職業は父親の後を継がず、自分の夢を通して刑事に。父親が早く死んだ子供として何か物足りない人生を送っていました。
ゴードとおしゃべりしている時にゴードの息子が古いトランクや箱見つけ出して来ます。開けると、中から古い通信機が出て来ます。フランクは当時ハムの無線に凝っていて、シーキューシーキューなどとやっていました。ふと懐かしくなってジョンは無線機をインストール。懐古趣味もあって自分もシーキューシーキューとやってみます。すると携帯が普及している時代だというのに応える人がいます。外はアラスカではなくニューヨークなのにオーロラが出ています。これで科学の矛盾はすべて許せという催促なのでしょう。いいです、許します、どんな与太でもおもしろおかしく語ってあれば・・・。
ちなみにここに出てくるオーロラは極光帯型の中カーテン型で、普通は緯度の特に高い地域、極地に出ます。それ以外の地域にまったく出ないという規則があるわけではなく、ニューヨークも比較的緯度の高い地域なので、この作品全体はかなりの与太話ではありますが、まあ不可能ではないのかも知れません。話を都合のいいように曲げてあるのかも知れませんが、まその辺は細かく詮索しない。いずれにしろ空気の成分の一部が電子、陽子的なエネルギーの変化を起こし、空にカーテンをかけたような現われ方をすることが多いです。
さて、ジョンの無線の相手は元気そうな中年のおじさん。楽しく話しているうちにふとある言葉が飛び出します。それはその中年のおじさんが家の中で息子に「酋長」とあだ名で呼びかけている時。それを聞いてジョンはぶっ飛んでしまいます。ジョンのあだ名は「酋長」だったのですが、通信の相手も息子にそれを言ったのです。ジョンがぶっ飛んだことを知ってぶっ飛んだのは中年男も同じ。色々情報を確認してみると、話している相手は死んだはずのお父ちゃん。そんな馬鹿な・・・。
しかし相手はいい加減な人ではなさそう。言っている事は辻褄が合います。信じるしかありません。「これは俺のおやじだ!」次にジョンが気にしたのは日付。この与太話が本当だとすると、お父ちゃんは間もなく仕事で事故に遭って殉職と決まっているのです。息子としてはおめおめ死なせるわけには行かない・・・。で、運命に逆らい始めます。息子はおやじに「次の出動でやばい事が起きるから気をつけろ」と警告します。
功を奏しておやじ救出に成功。火事の現場で《今日は危ない》と知っているので最後のチャンスに賭けてみます。見事成功。で、おやじは生き延びて、次に死ぬのは1989年、タバコの吸い過ぎで肺癌。あと20年は生きられます。息子はしかしそんなことでは諦めません。「おやじ、肺癌で死ぬんだぞ」と言ったので、おやじはある日タバコを止めます。
ふむふむ、これはいい、先に注意するとおやじが言うことを聞いて長生きする・・・。
ところがせっかくおやじさんを助けたら、今度はお母さんが消えてしまいます。死んだかどうかは分からないのですが、記念写真におやじの顔が登場、代わりにお母さんの顔が見えません。一体どうなってんだ!?
お母さんは10人連続殺人事件の3人目の犠牲者として10月22日に殺されてしまうのです。そう言えば映画の冒頭ジョンは古い骨の発見現場で仕事をしていました。あの骨が関係あったんだ・・・。
しかし欲張りのジョンはお母さんも死なせたくない。で、事件を解明して犯人を先に捕まえなければ行けません。運命の先回りをするのです。
この辺りからお父ちゃんと2人で探偵家業に乗り出します。元々この時間はお父ちゃんが10月12日に殉職して、お母さんは葬儀に追われていたので病院で勤務をしていないはずでした。ところがお父ちゃんがその日死ななかったので、お母さんはいつもの通りの勤務。これがあだになります。ここで救急患者を世話していた医者が間違いをしてあわや死にかけた男を、お母さんが助けてしまった。その相手が悪かったのです。
お父ちゃんが死んでいればお母さんは病院におらず、医者は運命通り薬の扱いを間違え、患者は死んでしまう、そうすれば連続殺人事件は無かったのです。しかし殺人鬼を助けてしまったので、フランクとジョンは別な方法でお母さんを救う手立てを考えます。犯人がお母さんに手を伸ばす前に邪魔すればいい・・・。
ドタバタするちょっと前、犯人に免許証を盗まれて困っていた2人ですが、男がお父ちゃんの財布に手を触れていることを思い出し、「あいつの指紋がついているはずだ」と思いつきます。問題は指紋をどうやって1969年のお父ちゃんから1999年の息子に渡すかです。ここでまた与太話になりますが、こういう手を思いついたのはこの脚本家1人ではありません。以前にファンタの子供向けの作品でもそういうのを見たことがあります。会話は無線機を通じて現在と30年前でもできますが、物品をどうやって30年後に持ち込むか。子供騙しのトリックですが、観客はもうここまで与太話に巻き込まれているのでいまさら矛盾が出て来ても驚きません。ええい、面倒だ、乗ってしまえ。
で、指紋つきの財布は無事に現代に届きます。その指紋はある警官の物と一致。犯人は刑事だったのです。
お父ちゃんと犯人は対決しますが、相手の方が分が良くてお父ちゃんは警察に捕まってしまいます。お父ちゃんは犯人に免許証を盗まれており、殺人現場に置かれてしまいます。その上署内を好き勝手に出入りできるので犯人はお父ちゃんを襲いに来ます。警察でお父ちゃんは事件担当の友人サッチと話します。まさか信じてくれまいとは思いつつ「息子と通信をしていて殺人事件を解決している最中だ」とのたまうのです。サッチが信じないのは当然ですが、お父ちゃんは色々間もなく起こり得る出来事を予言します。例えば野球の試合の状況などを、次にヒットを打つのはイチローで、記録を更新するぞ・・・ってな風に。いや違った、あの頃はまだイチローは生まれてなかった。
友達を殺人で逮捕というのはサッチにとってもうれしくない話。それでお母さんを慰めていたのですがフランクの予言が当たり始めます。サッチは唖然。その頃警察を逃げ出したお父ちゃんは犯人のアパートをつきとめ、連続殺人犯と確信できる品を見つけます。サッチがその後を追います。結局犯人はフランクに殺されますが、母親がまた消えます。どうなっているんだ?
現代の方では犯人は年を取っていますが生きています。彼と対決するのはジョンですが、形勢不利。そこへ銃をぶっ放すのが年を取ったフランク。めでたくおやじさんと再会。これで親子3人共生き延びます。
ジム・カヴィーゼルはこの後自分がキリストになるなどと予想していたのでしょうか。こういう奇跡を起せると2000年から確信していたのかも知れません。何しろちょうど2000年前にもキリストが色々な奇跡を起していますから。
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