映画のページ
2005 UK 100 Min. (ドイツ版) ドキュメンタリー
本人出演
George Michael
(元ワム!の歌手、その後ソロ、ソングライター)
Andrew Ridgeley
(ジョージ・マイケルの幼馴染み、ワム!時代のパートナー)
Kenneth Goss
(現在の実生活のパートナー、間もなく法的なパートナーになる予定)
Mariah Carey (歌手)
Boy George
(解散、復活バンド、カルチャー・クラブのメンバー、DJ)
Elton John
(歌手、ソングライター)
Noel Gallagher
(オアシスのメンバー、ソングライター)
Geri Halliwell
(スパイス・ガールズのメンバー)
Sting
(元ポリスのメンバー、その後ソロ)
Pepsi & Shirlie
(ワム!のダンサー)
Simon Cowell
Martin Kemp
見た時期:2006年1月
今年初の劇場で見た映画、しかも割り引きの日とは言え、正式に料金を払っての鑑賞です。この作品はベルリンでは2館でしか公開されないのだそうで、懸賞の賞品にはなりそうにもなく、タダ券が期待できないので、公開終了になる前、厳寒のマイナス10度近い中、勇んで出かけて行きました。普段行かない小ぶりの映画館ですが、場所は目抜き通り。ヨーロッパ・センターの端っこにあります。中に入ってみると古臭い内装ですが感じの良い映画館で、じっくり見られる、優しい雰囲気、映画が始まる前や後にゆっくり座れる場所がロビーにある、塩と砂糖の両方の味のポップコーンがある(砂糖しかない所が結構多いのです)、ポスターが展覧会のように張ってある、上映する作品に個性があるなどの特徴があります。映画の日は火曜日。割引料金です。
ベルリンとこの作品とジョージ・マイケルには因縁があるので、なぜ2館しか公開しないのか不思議でした。ゲイ人口が多いベルリン、ブランデンブルク門の前でオーケストラをバックにした素晴らしいベルリンでのコンサート・シーンがある、その上マイケル・ファンが十分いるので、大手の映画館の小さいホールで上映しても十分お客さんは集まると思いました。厳寒の夜9時半でも結構人が入りましたから。
男性ファンばかり来るだろうと予想していたら、女性もちらほら来ていました。女性2人連れもいましたが、単独、男女などの姿も。男性はゲイだろうと思える人が多かったです。私の前に1人、(なぜかかなり席が空いていたのに)真横に1人、ゲイらしい人が座り、なぜ?と思ったのですが、真面目なマイケル・ファンだというのが共通項だったようです。そのうちの1人は何と後で、自分と同じ区に住んでいる若者だと分かりました。静かな熱心なファンのようです。
マイケル自身は公開にあたって「これはあまり人前に顔を出さない自分からファンへのメッセージだ」と発言していましたが、言葉を真に受けてかまいません。報道ドキュメンタリーではなく、今彼はこうやって時を過ごしているんだ、あの時はこうだったんだ、昔から今までの変遷はこうだったんだという状況を順序だって説明してくれるのです。宣伝映画、ファン作りのためのプロパガンダというより、もう存在しているファン層に近況を伝えるビデオ年賀状、ビデオ暑中見舞いといった感が強いです。英国にはクリスマス・カードに合わせて近況を1年分まとめて手紙にして知らせる習慣がありますが、それをデビュー当時から2005年まで一まとめにして知らせて来たという感じです。ですから大ファンは大喜び。ちょっとファンだった人はこれから大ファンになるという趣向です。
私はマイケルのワム!時代はほとんど知りません。末広がりの88年がキャリアの中で1番上だったそうですが、80年代は生活に追われ、家には古いラジオがあっただけ。レコードなど買える状態ではありませんでしたし、ステレオなんていうものはまだ1度も買ったことがありませんでした。私がマイケルに魅せられたのはただただ歌声のせいです。ゲイだという話は後で聞いたのですが、私生活のエピソードで好き嫌いが左右されるような歌手ではありません。その上ベルリンは「ゲイだ」「それがどうした」というような町ですから、普通の町以上にどうということも無いわけです。ですから私が彼を好きだという評価にはゲイ・ボーナスも無ければ、ゲイ減点も無いです。彼がどういう顔、姿をしているかを知ったのもかなり後で、容姿ボーナスもありません。単に声が良くて歌が上手いというだけですが、歌手という商売をやっているのなら、それで十分でしょう。
後になってボーナス・ポイントが出ます。それは彼が契約問題に巻き込まれ裁判に負けたあたりから。会社にも彼にも言い分があり、ビジネスということを考えれば揉めて仕方ないと思いますが、私はマジで彼の将来を心配しました。あんなに才能のある人物をこのまま潰すのか、世界文化財産(現役だから遺産とは呼べません)の損失だとマジに思ったのです。当時は解約が無理でしたが、他と契約ができなくても、発表できなくても、せめてレコーディングぐらいは続けて欲しいと思ったものです。その辺の事情も映画の中で説明してくれますが、私はこの苦境を乗り切った彼に大きなボーナス・ポイントをあげます。映画を見ていると、周囲に彼を励ます友人がいたのかという雰囲気が伝わって来ます。
ジョージ・マイケル〜素顔の告白〜はマジそうな、深刻そうなタイトルですが、実はジョージ・マイケルが居間に座って色々な質問に答えたり、当時の話をしたりという趣向です。ドイツ版はなぜか長く、堪能できます。ドイツの映画雑誌の評価は《まあまあ》。親指が上を指すと《最上》、時計の針の10分あたりを指すと《上出来》、15分あたりを指すと《まあまあ》、それより下に行くともっと評価が低いのですが、その中の《まあまあ》です。但し、注釈がついていて、ファンにとっては喜ばしい作品とありました。ま、私が見たところ、ちょっとファンだった人が見た後大ファンになる確率が高いです。
「当時はこうだった」と語る中にはマジな話も多いので、この映画を深刻に取ってもいいのかも知れません。彼に好意的な話ばかりが出るのではありません。しかし私は現在の彼を楽しみ、ここに至ったいきさつを本人の口から聞けただけで喜んでいます。大変だったんだなあ、と納得の行く、説得力のある作品ですが、過去より現在の存在感の方が大きく、途中で諦めなくて良かったと、そこを彼と一緒に喜ぶ、そういう作品に仕上がっています。
どんな人にも辛い時期があるのは当たり前の話ですが、彼の様子を見ていると、近くの人の死が彼を孤独に突き落とすと感じます。それを補うほどのいい友達、知り合いがいるのが幸いですが。そういう話を現役の彼がファンに直接伝えるというのが重要なところ。間もなくジョニー・キャッシュの伝記が公開される予定で、賞も取り、映画としては素晴らしい出来だそうですが、もし私がキャッシュのファンだったら、死んでしまった今伝記映画で彼を知るというのはちょっと遅いと思うのです。ジョージ・マイケルの言い分に対して、レコード会社や彼を逮捕した警官にはそれなりの言い分があるでしょう。しかし歌手がファン1人1人に自分の見解を伝える機会というのは意外と少ないように思えます。ゴシップ屋さんの書いた記事では話が彼の主張、見解を無視して報道されてしまうことが多いでしょうから。それを有名税と言うわけですが、たまには本人に自身のバージョンを公表するチャンスがあっていいかと思います。
愛にすべてをを歌うフレディー・マーキュリー追悼コンサートのシーンはベルリン、ブランデンブルク門のシーンと並んで圧巻です。ベルリンの方は暗い背景でジーゼザス・トゥー・ア・チャイルド静かに歌い上げるのですが、クイーンのコンサートの方は驚くような数の人の前で1人戦いを挑み、声だけでこの聴衆に軽く勝利してしまいます。ロック・バンドですと、声だけでなく、楽器という人を圧倒できる武器があります。言わば兵隊が手に自動小銃を持って戦うようなものです。ジョージ・マイケルは舞台で楽器を演奏しないので、持っている武器は声だけです。これだけの人数を圧倒する力があり、一時マーキュリーの後任と目された理由が分かります。
私はマーキュリーの大ファンだったのですが、それでも作曲をする力も歌唱力も声もジョージ・マイケルの方が数段上だと認めざるを得ません。以前は知らなかったのですが、彼はかなりの曲を自分で書いていて、そのハーモニーの良さ、ジャンルの理解などを考えると、素晴らしいソングライターでもあります。歌える曲の範囲も広く、非常に才能に恵まれた人です。ですからジョージ・マイケルがクイーンに入ると、クイーンはマーキュリーの完全版を手にしたことになり、当時私はそれが理想ではないかと思いました。ですからクイーンとジョージ・マイケルが《やらない》と決めた時は意外に思いました。正直言って残念だとも思いました。
その決定が勇気あるもの、正しいものだと分かったのは、ポール・ロジャーズと組んだクイーンを見た時です。クイーンというのも才能あるバンドで、大黒柱と目されたマーキュリーが亡くなったとしてもそのまま消えてしまうには惜しいバンドです。もしジョージ・マイケルが来なかったらどうするんだろうと思っていたのですが、勝るとも劣らぬ実力と名声があり、かつクイーンを古いクイーンの枠に閉じ込めてしまわない人材として白羽の矢が立ったのがロジャーズでした。あれほどのバンドに参加して、クイーンの名に振りまわされること無く、かつ自分のキャリアがクイーンを振りまわすことの無い人というのは数が限られています。その上、クイーンのレパートリーを上手にこなさなければならず、しかもそれが物真似に終わっては行けないという難しい選択です。
ジョージ・マイケルには物真似をする気が無くとも、声の質と高さがマーキュリーに似ていて、発声はマーキュリーよりずっと良く、その上曲が書ける人です。そうなると一般の人はマーキュリーのグレードアップした亡霊を見ることになります。ところが曲を作る段階になるとマーキュリーとジョージ・マイケルでは外枠の構造からして全く違います。当然創造的な仕事をするジョージ・マイケルは自分の流儀で行きたいでしょう。しかしファンはマーキュリーの再来を期待してしまうでしょうから、聞きたいのはフレディーが書いたような、ピアノ系の構造。これではジョージ・マイケルは拘束衣を着せられた状態になってしまうでしょう。彼が候補と目されたこと自体はおいしい話でしょうが、それぞれの偉大な才能が潰し合いになってしまう危険がありました。それでこの話は流れたのでしょう。
これは私の勝手な解釈ですが、おいしい話を断る勇気があったクイーン、ジョージ・マイケル双方が正しい判断をしたように思えます。ジョージ・マイケルを加えたクイーンというのを聞きたいのはやまやまですが、時たまゲスト出演する程度にしておいた方がいいだろうというのが私の結論。それすら無いとしても、追悼コンサートの CD が残っているわけで、それで十分なのかも知れません。
ジョージ・マイケル〜素顔の告白〜では映画が始まるとまず彼は昔住んでいた家に行き「当時のままだ!」と叫びます。労働者階級の出身だと本人も言っていますが、階級制度が日本人が想像できないほど強く残っているなあと思います。ドイツも階級的な傾向が日本より強いですが、一部の金持ちが住む地域、私の所のような労働者階級の人が集中する区のほかに中間の区というのが広く、そこに住むと階級制度を強く意識せずに暮らすことができます。そして奨学金制度などもでき、大学に行くのが金持ちばかりでない時代に入っていました。英国はそういう発展の仕方ではなかったらしくけっこう大変そうです。世界はこれからまたこういう貧富の差を強める傾向があるのですが、1度はそこから抜け出した日本とも事情がかなり違います。ですからジョージ・マイケルという人を理解するのにまず子供の時住んでいた家を出すというのは正解でしょう。彼の大きな強みである率直さが冒頭から出ます。
その後はワム!時代の話になり、こういう地域に住んでいた若い少年が曲を作ったりするようになり、その後あっという間にポップ・スターになってしまったいきさつが出て来ます。そこで当時彼と組んでいたアンドリューや舞台に一緒に出ていた女性ダンサーなどが登場し、本人の口からも色々語られます。ここは私は全く知らない時期の話なので、「ああ、そうなんですか」と聞いているだけですが、当時ワム!のファンだった人にはずっとおもしろいかも知れません。アンドリューはジョージ・マイケルと一緒にかなり長時間登場します。2人とも少年時代はとっくに過ぎ、もう中年おじさんですが、1度ぐらい当時の曲を一緒に歌ってもらいたかったです。
その他曲を書いた時のいきさつ、レコード会社との揉め事、政治的なアニメ、アメリカで警官に捕まった時のエピソード、両親の話など、ジョージ・マイケルを知っている人だったら関心を持ちそうなテーマが網羅されていて、その合間に当時のプロモーション・ビデオやコンサート・シーン、それどころかレコーディング・スタジオの様子まで出て来ます。ドイツでも100分のみ、他の国はさらに短いですが、それでもジョージ・マイケルをたっぷり経験することができます。
自分のために自分が作らせたドキュメンタリーではありますが、そのわりには押さえが効いていて、あまりナルシストぶりが前に出ません。驚くのは外見の変化。ティーンのアイドルだった時期、ソロの時期などでガラっとファッションもタイプも変わります。それを見ているとある程度ナルシストなのかとは思います。ショー・ビジネスに生きていると、自分に全く構わないというわけには行かないので、一種の職業病でしょう。しかしそれにしては現在のジョージ・マイケルにはエキセントリックな面が見られず、ボイ・ジョージ(なぜか英国のラジオを聞いていると「ボーイ・ジョージ」と言わず、「ボイ・ジョージ」と発音しているのです)の方がずっとエキセントリックです。エルトン・ジョンもかつてはかなりエキセントリックな外見でしたが、それに比べるとジョージ・マイケルはおとなしい方です。
上に「率直さが彼の強み」と書きましたが、一連の事件はその率直さが災いして起きています。その辺の彼の性格と出来事の関係も分かり易く説明されています。ファンの心をつかむ時には強み、しかし周囲の企業や政治とやって行く時にはそこを突かれてしまうのです。「当時自分は無知だった」との発言がありますが、一直線だったわけです。そういう彼を出すと、これまでのファンはますますファンになるでしょうし、今までただその辺の歌手として知っていた人はこれからファンになる、そういう仕掛けになっている作品です。
ところが彼を始めあの開戦に反対した人の方が正しかったことが後でばれてしまい、英国の首相が罪に問われかねない微妙な状況になってしまいました。
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