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呪われた町 /
'Salem's Lot

Mikael Salomon

2004 USA 174 Min. 劇映画

出演者

Rob Lowe
(Ben Mears - ノンフィクション作家)

Andre Braugher
(Matt Burke - ゲイの英語教師)

Donald Sutherland
(Richard Straker - 古美術商)

Rutger Hauer
(Kurt Barlow - 古美術商のパートナー)

Samantha Mathis
(Susan Norton - カフェで働く女性、元美術の学生)

Elizabeth Alexander
(Ann Norton - スーザンの母親)

Robert Mammone
(James Cody - 医者)

Paul Ashcroft
(Royce - トレーラーに住む男)

Bree Desborough
(Sandy - ロイスの妻)

Dan Byrd
(Mark Petrie - バスから追い出された高校生)

Tara Morice
(Joyce Petrie - マークの母親)

André de Vanny
(Danny Glick - バスから追い出された高校生、入院)

Zac Richmond
(Ralphie Glick - バスから追い出された高校生、殺される)

Rebecca Gibney
(Marjorie Glick - ダニーとラルフィーの母親)

Joe Petruzzi
(Tony Glick - ダニーとラルフィーの父親)

James Cromwell
(Donald Callahan - 牧師)

Steven Vidler
(Parkins - 保安官)

Robert Grubb
(Larry Crockett - 不動産屋)

Penny McNamee
(Ruth Crockett - 高校生、ラリーの娘)

Brendan Cowell
(Dud Rogers - ラリーの下請け)

Todd MacDonald
(Floyd Tibbits - ラリーの下請け)

Christopher Morris
(Mike Ryerson - ラリーの下請け)

Andy Anderson
(Charlie Rhodes - 復員軍人、スクール・バスの運転手)

Julia Blake
(Eva Prunier - 下宿屋をやっている未亡人)

Martin Vaughan
(Ed Craig - エヴァの夫の友人)

見た時期:2006年4月

2度テレビドラマ化されています。最初のは日本では死霊伝説というタイトルがついた Salem's Lot で1979年の作品。184分が本来の長さですが、監督の反対を押し切って短くして劇場にかけたそうです。短縮版は評判が悪かったですが、長い方は後で良い評価を受けています。監督はファンタでは 名前を聞くトビー・フーパー、そしてストレーカーにジェームズ・メイソンが顔を出しています。

今度はチラッとタイトルが変わり、'Salem's Lot とアポストロフが2つついています。内容は変えていない様子で、俳優には名のある人も入っています。こちらも174分などという長さで、そのぐらいの時間をかけないと、登場人物の関わり方が駆け足になってしまうのでしょう。

原作はホラー作家のスティーヴン・キングがキャリーに続いて発表した作品。ドラキュラ伝説を現代に持ち込んだストーリーなので、話はクラシックな吸血鬼物として進みます。ドラマとして俳優が再現する呪われた町には舞台になる町の寒々とした雰囲気がたっぷり。普段劇映画で見るアメリカはニューヨークやカリフォルニアの大都市が多いですが、そこを上手にはずして、アメリカ北東部の小さな田舎町にしてあります。普段とは違うアメリカが見られ、楽しいです。

吸血鬼の退治法はストーカーに準じます。吸血鬼の強さ、弱さもストーカーに準じます。最近のモダン吸血鬼とは違います。伝染病のように噛まれた人が吸血鬼になり、次から次へと数が増えて行くのもその辺のホラー映画と同じです。その辺の事情が最初から分かっていても呪われた町は一見に値します。それは1つには舞台に選んだ場所が、ムードたっぷりで、それを良いカメラマンがきれいに撮っているから。もう1つは子供、青年、年配の俳優が丹念に演じているからでしょう。怪奇物だと手を抜いている人はいません。

もう1つキングが特徴を出しているのは、ただその辺の清廉潔白な人が事故にでも遭ったように吸血鬼に噛み付かれるのではなく、この小さな町の住民の長い間の関わり、過去にも触れているからです。この種の人間関係は時々テレビや映画でドラマ化されますが、なぜかアメリカの北東部が舞台に選ばれることが多いようです。

吸血鬼物でおもしろい考え方だと思うのは《ちゃんと死ねない》という悩み。日本でも《成仏できない人が幽霊になってさまよい出て来るが、双方の幸せのためにちゃんと死ねるように》というストーリーは落語などにありますが、西洋にもそういう考え方があり、その典型が吸血鬼物です。

人間は矛盾しているなあとつくづく思います。つい「なぜ永遠の生命を求めて、遺伝子変換をしてみたり、ホルモンで若さを保とうとするんだろう」と思ってしまいます。「毎日柔軟運動をしたり、栄養のバランスを上手に保ったら寿命が90歳まで延びた」というのならいいですよ。体が動くのなら長く生きても楽しみがあるでしょう。寝たきりでも頭脳活動が活発で毎日を楽しく過ごせるのならそれは素敵な人生です。それを極端に伸ばして吸血鬼になれば永遠に生きる事ができる・・・それだったら大喜びして楽しい人生を送ればいいのに、なぜか吸血鬼物を見ると大悲劇か物凄いドラマになってしまいます。

さて、私が見たドラマですが、後半の混乱が彼らしくありません。キングの映画化やテレビ化された物の中では珍しく途中で一貫性を失い空中スピンします。だからつまらないと言っているのではありません。劇場映画にすれば長めの作品にあたる174分を十分持たせる力はあります。このまま劇場で上映してくれても私ならちゃんと最後まで見ると思います。

冒頭は最後につながるのですが、浮浪者のような姿をした男が奉仕活動をしている牧師を襲い、格闘になり、2人とも重傷を負って病院に担ぎ込まれます。すでにここでおやと思うのは牧師の行動。賊が押し入って来たのですぐ警察を呼べと部下に指示するところまではいいのですが、なんと牧師がピストルを隠し持っていて、賊を撃ち殺そうとするのです。押し入った男はよくよくの覚悟で来ていると見え、一歩も引かず、窓際で格闘になるため、3階か4階ぐらいの高さから道路に転落。駐車してあった車の屋根にドタン。こういう状況で死んでしまうのが黄秋生演じるウォン警視。しかしアメリカの2人は、死なずに済みます。

2人とも病院に担ぎ込まれたものの、浮浪者は牧師を襲ったので印象が悪く、病院のスタッフから苛められそうな気配。

ここから後はその浮浪者風の加害者が、患者虐めも辞さないという顔の看護人に話して聞かせる物語です。

彼はベンと言い、浮浪者ではなくサーレムズ・ロットという田舎町出身のピューリッツア賞作家。長い間町を離れて世界中を飛び歩いていましたが、新しい作品を書くため町に戻って来ていました。暫く滞在の予定。

この町ではベンがまだ子供だった時にマーステンという名の家で人が3人死ぬという事件が起きています。ベンは肝試しと言われ他の子供たちに無理やり家に行けと言われ、忍び込んだところ。ちょうど男が首吊り自殺をするところに居合せ、それだけでもショックですが、逃げ出そうとして風呂場に差し掛かり、そこで出血多量で倒れている夫人らしき人物を見て腰を抜かします。さらに風呂桶からは声が聞こえます。長時間そこで倒れていたベンは翌朝来たおばに発見されます。その時おばは風呂桶の中に子供の死体を発見。

まだうめき声が絶えていなかったので、彼が勇気を振るって起きあがり通報していれば子供は助かったかも知れないと、ベンはそれ以来良心の呵責に悩まされています。おばは今となっては元に戻せないからこの事は黙っているようにと諭します。

外国の戦争なども取材したベンは原点に戻り、当時の事件も含め町の事を新しい作品に書こうと決心して戻って来たのです。

ところが彼が戻ってから事件が始まり、それが延々と続きます。皮切りはスクールバスの運転手と揉めた3人の高校生。お喋りをしたからとバスから追い出されます。この3人がその後つるんで森に行き、うち兄弟2人が行方不明になります。1人は牧師が発見し、病院に担ぎ込みますが重態。もう1人は見つかりません。3人目も怖い思いをしていました。

間もなく少年は急死。死斑が出なかったり硬直の状態が不自然だったり、赤血球の量が極端に少なかったりと理屈に合わないことが観察されています。

同じ頃医者のコーディーは問題に巻き込まれて行きます。かつての同級生の赤ん坊に暴力の痕跡が見え、医者の義務として通報しなければ行けないのですが、子供の母親に丸め込まれてしまいます。その結果後で父親から恐喝を受けます。《グルだった、知らなかった、チックショー、気づくのが遅かった》です。

これはまだストーリーのさわり。行方不明になった人たちは実は吸血鬼に噛まれて自分も吸血鬼と化すのです。吸血鬼になると、他の映画のゾンビのような行動に出ます。まだ吸血鬼になっていない人を見つけては噛みつき、吸血鬼人口を増やして行きます。吸血鬼になると昼間は活動が停止。出て来るるのは日没以降です。ただ単に人口増加を目指してせっせと噛んで回るわけではなく、町の過去、人の古傷を巻き込み、それをまだ噛まれていない人を吸血鬼にする時の餌に使います。

そこに過去の人間関係、現在の親子関係などさまざまな人間の弱みが織り込まれて行くので、ストーリーが長くなってしまうのです。それに比べるとブラム・ストーカーの原作はすっきりしたものです。キングが長い小説を書いたのはもしかすると字数が多いと出版社からの支払いがいいからなのかも知れません。アメリカには字数で行う契約もあったようです。しかしそこで Bla, bla... と主人公に何か言わせたりして読者を退屈させる方法を取らず、色々な人の人生模様を折り込んで行ったのです。

この原作を書いた頃のキングはまだ超有名作家ではなく、キャリーが成功したばかり。1つが上手く行くと次の依頼が来て、成功を繋げていけるかという重要な時期。そしてまだ燃え尽きていないので、かなりエネルギーを注ぎ込むことができる時期です。その時期に小説のネタを探して故郷に戻り、知り合った人のエピソードを小説に使ってしまおうとしたので、ガールフレンドと揉めるというエピソードが盛り込まれています。もう将来を見通していたのでしょうか。

そうやってたくさんのエピソードをモザイクのようにちりばめて行きますが、いつか終わりにしないと行けません。外の人間の目で見て、理屈だけで言うと、この町がすっかり吸血鬼に占領されてしまうと、次の町を狙うでしょう。そうやって全米が吸血鬼と化し、アメリカが終わると他の大陸にも・・・。何となくドーン・オブ・ザ・デッドのラストを想像してしまいます。私はそこで、世界の住民が全員吸血鬼になったら、あとはどうするんだろうと考え込んでしまうのですが、私の問に答を提供してくれた映画監督はまだいません。

キングはそういうオープン・エンドにはせず、ちょっと捻ります。まずこの町にはマーステン館破壊という形でオトシマエをつけます。吸血鬼が昼間隠れる場所を取り上げてしまうのです。しかし敵もそう簡単には滅びません。この町に巣食った吸血鬼は滅びますが、吸血鬼は仲間にするために脅した者を全員噛んだわけではないのです。噛まれず脅され続ける者が生存。その1人が牧師。町が滅ぶまで怪しい行動を取っていたストレイカーもそういう人間の1人。言わばスリーパーであります。ですから、クルト・バーロウが昇天(地獄へ落ちたか?)してしまっても次のボスが来れば、スタッフは揃っているのですよ・・・。

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