映画のページ
2005 Belgien/F 103 Min. 劇映画
出演者
Carlo Ferrante
(Georges Bissot - 家具屋の主人)
Vera Van Dooren
(Sonia Bissot - ジョルジュの妻)
Ellade' Ferrante
(Juliette Bissot - ジョルジュの娘)
Georges Siatidis
(Bernard Coudert - マッチョ男)
Christine Grulois
(Christine Montjoie - ベルナールの妻)
Stefan Liberski
(Simon Colas - 町の警官)
Anne Carpriau
(シモンの母親)
見た時期:2006年8月
見た直後に書いた記事なので、ちょっと話題が古くなっています。
近年映画を見ていると、現実の方が怖いと思います。事実があるから映画ができるのだという理屈は成り立ちますが、映画を見た直後に似たような事件が発覚する場合もあります。
ベルギーというのは美しい国で、すばらしい伝統工芸もあるのですが、例のマルク・デュトルー事件が発覚してからはすっかり評判を落としてしまいました。はっきり分かっている被害者だけで8歳から19歳までの6人。1995年に発生、1996年にばれたということになっています。裁判が始まったのは事件発覚から7年以上経ってから。生存していた少女2人、放置され死に至った遺体2体、その他に別な場所で発見された遺体2体。10年前にすでに5人の少女に対する犯罪で有罪になり13年刑務所にいるはずの被告が数年で自由の身になっていての再犯でした。しかも1996年には事件で捕まっているはずなのに、移送中にのこのこ銃を手にして自由外出。ざっとこういうのがあちらこちらに報道されていた事件の大まかな筋なのですが、世間は驚きで麻痺してしまい、どうしたらいいのか分からなくなってしまったような戸惑いを示していました。
被告は6人の少女に対する責任を問われていますが、ベルギーには娘が行方不明になったという家庭がたくさんあります。本人は大掛かりなシンジケートの枝の1つに過ぎないと主張していて、 事件の全貌解明にはまだかなり時間がかかりそうです。子供が行方不明になった親の何割にきちんとした説明ができるのかは今後を見守るしかありません。
そんな中、先日オーストリーのウイーン付近で1998年に誘拐された、当時10歳、現在18歳の女性が保護されるという事件がありました。誘拐犯は平凡に見える事件当時30代半ばの男で、ウイーン郊外の家の地下室を改造して彼女を閉じ込めていたそうです。重いドアがついていて、中には簡単なトイレやベッドがあったそうですが、他人とのコンタクトがゼロに近い中、社会的な意味では人間らしい生活ができる環境ではなかったようです。8年目になって本人が自力で抜け出し助けを求めたそうですが、犯人らしき男は鉄道自殺。
被疑者死亡で、犯人の口からは何も聞くことができませんが、被害者からはいくつか意外な発言が出ています。犯人の死亡を聞かされると、一時期かなり悲しんでいた様子。これはストックホルム・シンドロームとして知られている現象だったようです。自分をひどい目に遭わせた男であっても、彼の手に自分の生死、人生の全てを握られているため、なんとかその状況に適応していかざるを得ず、いつの間にか犯人を悪人と見なさなくなってしまうそうです。事件に巻き込まれ、解放された直後に見られる現象だそうです。私も彼女が犯人死亡の知らせの直後に泣いたと聞いて、「ああ、これなのか」と思いました。
もう1つ彼女の取った意外な行動は、両親と事件直後に短時間会った直後、「当分両親には会いたくない」と言ったことです。彼女はオーストリーで法的な責任の取れる18歳を越えていたので、本人の意見は尊重され、その後両親は彼女に会えなくなっています。そのためメディアが両親が嘆いている様子を報告しています。
最初は不思議だなと思いました。いくら法的に18歳になっているから意見を尊重すると言っても、10歳以降学校にも行っておらず、成人の判断力がある人なのか、あるいはこれから過去8年分抜けていた学校教育を取り戻さなければ行けない人なのかが分かりませんでした。もし8年分の教育がスパっと抜けているのだったら、年齢は18でも、両親の保護者としての権利が延長されるかも知れないなどと考えていたのです。
この予想ががらっと崩れたのは、ビデオ・インタビューを見てからです。最初私は、彼女の保護のため俳優を使ってインタビューの再現をやったのかと思いました。健康状態も良いかどうか分かりませんでしたし、弱っているだけでなく、言葉も満足に喋れないのではと思ったのです。ところが出て来た女性は明るい表情で、はきはきと受け答えし、使う言葉は大学生かそれ以上の教育を受けたという印象を与えます。「えええ、この人が8年間外界から遮断されていたの?」とびっくり。
どうやら被疑者が彼女に本を買い与えたり授業をしていたらしいのですが、それにしてもしっかりした子に育っています。これだったら弁護士やカウンセラーが彼女の判断力を尊重したのも頷けます。それでも暫く解けなかった謎、なぜ両親に会いたがらなかったのか。
これは間もなくして雑誌の報道で解けました。ジャーナリストが両親にカメラを渡してスクープを取ろうとしたのです。恐らくはかなりの金額が提示されたのでしょう。ところがそれが警察側にばれていて、カメラ取り上げ、接見禁止措置になったようなのです。
お父さんは彼女がさらわれてから現在まで死んだという説は信じておらず、売春宿に売り飛ばされたのだろうという説を取っていました。警察はかなりの間一般の誘拐事件として大規模捜査をした後、死体発見という方向に変えてはいますが、8年間ずっと数人の捜査員を当てていました。お父さんはそれだけでは埒があかないと考え自分でハンブルクから東欧までの全ルートを車で通り、全てのポン引きに娘を知らないか聞いて回ったそうです。非常な努力家ですが、せっかく見つかった娘の写真を売り飛ばそうとしたのはちょっとまずかったと思います。
結局彼女は自宅へは戻らず、現在は警察の他に弁護士、カウンセラーがつき、将来は自分のアパートを得て学校へ行くつもりのようです。将来についてもすでに具体的にどういう職業につくか考えている様子。崩壊してしまった家族の信頼関係、失われた8年の代償になるかは分かりませんが、取り敢えず落ちついた生活が望めそうな様子になって来ています。
と、ここまでは実際にあった事件ですが、Ordinary Man はちょっとこういう出来事に関連します。2005年の作品ですから、2006年の8月に発覚したウイーンの事件と関係無く作られたわけですが、主人公のジョルジュとクリスティーネの関係がストックホルム・シンドロームになってしまいます。
後になって考えると主人公の1人クリスティーネは元からストックホルム・シンドロームだったのかも知れません。彼女は結婚しているのですが(籍を入れているのかははっきりしない表現ですが、夫婦のように暮している様子)、夫のベルナールというのが彼女を苛めることを楽しみに生きているような嫌な奴。なぜクリスティーネは去らないのかと思いますが、長年の経緯があるらしく、彼女は殴られても我慢しています。
クリスティーネがまたもやベルナールに言いたい放題言われたり殴られたりしながら2人で田舎をドライブしている時に車の事故発生。ベルナールが下車すると、銃をぶっ放す男がいて、ベルナールはその場で昇天。クリスティーネは拉致されます。
何が起きたか観客もクリスティーネも理解しないまま、気づくと彼女は囚われの身。すぐ殺されなくて済んだだけ運がいいですが、彼女はこれから長い間銃をぶっ放した男の囚われの身に。
この男はジョルジュといい、姿を見るとこれ以上平凡な男はいないと言えるぐらい普通の風貌。小さな町で家具店を経営しています。既婚者で娘1人。妻は町の警官と不倫中。家ではジョルジュは妻に頭が上がりません。不倫はまだばれていない様子。娘は父親にあまりなついておらず、父親の権威も認めていない様子。
町の自宅の他に郊外に別宅があり、ジョルジュはさらって来たクリスティーネを取り敢えずそこに隠します。ところが彼女は自力で逃げようとします。が、見つかって連れ戻されてしまいます。
彼女に声を上げられてはまずいと思ったジョルジュはインターネットで耳鼻咽喉科のページを探し、彼女の鼻から木の枝を突っ込んで、声が出ないように声帯を潰してしまいます。このシーンはやる事があまりにも幼稚で、それでいて被害者に対しては考えられないような苦痛を与えるので、見ていて辛いです。私は彼のやる事が信じられず呆気に取られてしまいました。ここまでされたらさぞかしクリスティーネはジョルジュに反感を持つでしょう。
彼女は諦めず、知恵を働かせて、車のトランクに閉じ込められている時に中で糞をしてしまったりします。娘を乗せて町中を走っていた時に悪臭がするので、エレガントな方法ではありませんが、名案だと私は彼女が助かる方に希望を持ち始めたのですが、ジョルジュはその都度実に単純な解決法を考え付き、彼女をまた元の状態、ステータス・クォに戻してしまいます。Ordinary Man というタイトルのように、危機を乗り越える時も非常に当たり前の方法で対処する男です。そのあまりにも普通なところがじわーっと来ます。
クリスティーネのストックホルム・シンドロームが強くなり、徐々にクリスティーネとジョルジュの関係には妙なハーモニーが漂い始めます。私の目には残酷に見える時もあるジョルジュですが、クリスティーネが車のトランクで退屈しないように、本が読めるように中を改造したり(ブルース・ブラザーズ2000のバスターと勘違いしては行けません)、凍えないように寝袋を調達したり、誘拐拉致という異常な状況の中で変な思いやりを示すようになります。それを受けるクリスティーネの方も何だかわけの分からない形で自分のステータスを築き、2人は《逃げる》、《追う》の関係では無くなって来ます。
このようにして拉致されてからかなりの時間が流れるのですが、ある時手違いで、クリスティーネをトランクに入れたまま、外は雪になってしまいます。気付いて慌てて開けて見ると彼女は凍死寸前。それで発覚の危険も顧みず、自宅の風呂に入れます。で、事は妻と娘にばれてしまいました。妻はすぐ警察に通報せず、取り敢えずはクリスティーネの介抱に協力。
妻の恋人の警官は母親に頭の上がらない男ですが、ジョルジュの妻と一緒になりたいのか、プレゼントを用意していました。2人は逢引が公にならないようお互い携帯で電話をし合っていましたが、クリスティーネがこんな様子なので、今は逢引どころではありません。で、この日は妻の方が断わって会えないということになります。
夫とは警察に連絡をしないという協定ができたので、妻はその話は警官にもしませんでした。しかし警官に電話をした通話記録が彼女の携帯に残っていました。妻の不倫を知らない夫がそれを見つけ、妻に裏切られたと思い、発砲。妻と娘は即死です。
クリスティーネをまたトランクに入れてファーゴの舞台のような真っ白な大平原へ。突然の展開に、まだどうするかはっきりした計画はありません。警官は恋人が死んだとも知らず、プレゼントを持ってジョルジュの家に出向いたのですが、そこで母娘の死体を発見。車で真っ白な大平原へ。ちょうどそこにいたジョルジュとクリスティーネを発見し、銃でジョルジュを撃ちます。脚に命中。普段はジョルジュが持っているショットガンを手にしていたクリスティーネはそれを使って警官を射殺。薬莢をパトカーの近くに置き、ジョルジュの車の中にあった寝袋その他生活道具一式を抱えて、警官の車のトランクに移動。
事件は家具商の妻に横恋慕した独身の警官が、思うようにならないので、一家3人を殺そうとして・・・というストーリーが成り立つように捻じ曲げられ、クリスティーネは気の毒な拉致被害者、ジョルジュは気の毒な一家皆殺しの被害者の生き残りということになります。
CSI よ、何処に。マーク・ベネケはここから車で数時間で行ける町で勤務中。プロの手にかかったらあっという間にばれますが、このストーリーはかなり田舎ということにしてあります。
公に被害者として認められ、ほとぼりもさめた2人は手に手を取ってヨットの旅に。オープン・ウォーター2のようなドジも無く、バカンスの旅行を終えた2人は仲良く車で帰還。しかしクリスティーネは助手席には座らず、トランクへ・・・。
とこれだけでも皮肉たっぷりですが、この他に2人のゲイの刑事が2度ほど登場し、全然的外れなプロファイリングをして行くというギャグも入っています。
・・・とまあおもしろい作品なのですが、実は見ていて妙な感じもしました。全体の3分の2ほどは統一の取れた退屈な出来で、見ていて不快感を催す1歩手前。それが監督の狙いにも見えます。ところが3分の2あたりから急に皮肉、風刺、ジョークというトーンに変わり、物語も急展開。あっという間におもしろくなります。脚本家がここで交代したのかとすら思いました。延々こちらの体が痛みそうなほどクリスティーネが苦しむ様子を見せられていたわけですが、後半ジョルジュの提供する範囲で、クリスティーネがそれなりに快適な生活に適応し始めるのです。そして最後の切れはカンパニーマンに似た印象を残します。
いずれにしろストックホルム・シンドロームに陥る人の複雑な事情がチラッと見えたようにも思いました。逃げ場が無い、相手は自分をこの程度まで苦しめると見極めがついたところで、被害者は最低限の条件に適応しようと試みるのでしょう。いくらひどい状況でも一種の安定が訪れると、生存できるからなのかも知れません。外側の人間から見ると言語道断の状況の中で、いかに生き延びるか、そういう極限の選択なのでしょう。確か有名なケースとしてはパトリシア・ハースト事件、ストックホルムの事件があり、その逆の事件としては南米の日本大使館占拠事件がありました(犯人が人質に親近感を抱いてしまう症状)。いずれにしろ極端な運命を共有すると、そこに一般常識から外れる人間関係が生まれるということなのでしょう。その辺のことを考えた脚本ですが、3分の2でなぜこういう展開に変わったのかはちょっとした謎です。
日本でこの作品を見る機会があったら、是非最初の3分の2は我満して、最後の3分の1をご覧下さい。
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