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オープン・ウォーター2 /
Adrift /
Open Water 2

Hans Horn

2006 D 95 Min. 劇映画

出演者

Richard Speight Jr. (James)

Susan May Pratt
(Amy - ジェームズの妻)

Mattea Gabarretta
(Sarah - エイミーとジェームズの娘)

Niklaus Lange
(Zach - ジェームズの学校時代の友達)

Ali Hillis
(Lauren - ジェームズの学校時代の友達)

Eric Dane
(Dan - ジェームズの学校時代の友達)

Cameron Richardson
(Michelle - ダンがどこかで拾って来たガールフレンド)

見た時期:2006年8月

2006年 ファンタ参加作品

ソウがファンタに出た後、オリジナルの続編が次々に作られ、その他にたくさんの亜流が作られました。どうもオープン・ウォーターもそういう路線のようで、続編がこれですし、2010年のファンタには似たようなパターンで雪山に閉じ込められる話が出ます。

この種のストーリーは好き嫌いがはっきり分かれます。私はソウ系もオープン・ウォーター系も好きではありません。

実話に基づいた映画で、大洋で起こる出来事という以外はオープン・ウォーター(1)(1番下の記事)との共通点はありません。

井上さんは水泳が得意で、潜水の講習も受けたことがあるそうです。私はと言うと、泳げるようになったのが40代に入る直前。親の1人が非常に水を嫌う人で、それがもろ影響し、さらに当時の小学校の授業では、男子はちゃんと泳げるようにならなければ行けなかったのですが、女子は水に顔をつけたり、水に浮ければ良く、前に進まなくても、泳いでいる最中に呼吸ができなくても良かったのです。で、私は水泳を覚えないまま大人に。

ドイツには市の企画で外国人の大人に水泳を教える教室というのがあり、いつか医者が「水泳はバランスの取れたスポーツだから年配の人にも薦められる」と言っていたのを思い出し、いい年をして出かけて行きました。同じクラスにいたのはほとんどがイランの女性。皆国では泳ぎを習っていなかったのです。子供のいる人も多かったです。私は「日本は回りが全部海なのに君はなぜ泳げないのか」と言われてしまいました。

私は講習の最後の日まで泳げませんでしたが、なぜか最終日の授業の後半に突然泳げるようになってしまいました。今でもあまりプールの端から離れませんが、競技用のプールのバーンを途中休憩せずに始めから終わりまで泳げるようになりました。

しかし大きな欠点は頭を水から出したら沈んでしまうこと。ドイツ人の女性はほぼ100%頭を水から出して平泳ぎをします。で、先生に「あれ教えてくれ」と頼んだら、「ダメ」ですと。この先生は大学で心理学とスポーツを修めた人で、「ああいう泳ぎ方をしたら首を傷める、健康な泳ぎ方では無い」と言って教えてくれないのです。「なるほど」と、先生の話に納得して、そういう泳ぎ方は覚えないままになっています。ですからオープン・ウォーター(2)は私には本格的なホラー映画に見えました。

オープン・ウォーター(1)(1番下の記事)は2004年のファンタのフィナーレでしたが、私はパスしています。大洋に取り残される男女の話と聞いていましたが、ソウ(1)が出た年で、意味もなく人を不安に陥れるような作品が多く、せっかくの楽しいフェスティバルを後味の悪さで締めくくらないようにと思い、早退。正しい判断だったと今でも思っています。後で人に聞いたら、海に人が取り残されただけで、事件性は無かった、助からなかったと言うのです。

フィナーレをパスしたので、見終わった人と詳しい内容を話す暇はありませんでしたが、井上さんが具体的なストーリーを紹介してくれています。興味のある方はこちらヘ

今年オープン・ウォーター2ができたと聞き、見ないつもりでいたのですが、スケジュールが発表されると、《見ざるを得ない》ように組んでありました。初日のオープニング作品の次に配置されていて、選択肢はこれ1本。初日にすでに早退しようかとすら考えましたが、まあ、嫌だったら途中で中座しようと思っていました。尤も私が中座などは実際には考えられないので、本心は「諦めて見よう」だったのですが。

好きなタイプの話題ではなく、見ていて腹が立つことばかりでしたが、初日の2番目という配置は良かったです。その後ずっと佳作が続き、オープン・ウォーター2を見たことを徐々に忘れて行きました。

私が映画を嫌う1つの理由は意味も無く人を怖がらせるだけの作品だった場合。もう1つは登場人物があまりにも愚かな行動をする時。その両方がテンコ盛りでした。「カリカリするなよ」と言われれば確かに「たかが映画に本気で腹を立てることもないか」と思いますが、映画館に足を運ぶのだったら何か別なタイプの方が、見て得をしたような気分に浸れるのも確か。

事実に基づいた話だというテロップを見て、ファーゴのようにテロップ自体が与太話なのではないかと疑いの眼でジロリ。しかし友人に言ったら、実話というのは信じても良いだろうとのことでした。この事件があった後、ヨットやボートの設計に改善が加えられるようになったのだそうです。

では一体何があったのか。

ネタばれしない程度にストーリーの説明が始まります。

エイミーには過去に目の前で父親が溺れて死んだという経験があり、水を怖がっています。学校時代の友達と誕生日を祝って再会するというので生まれたばかりの娘を連れ親子3人で桟橋に向かいます。学校時代の友人、ヨットの持ち主のダンが連れて来た美人のガールフレンドなど大人6人と乳飲み子が豪華なヨットでメキシコから大洋に繰り出します。

エイミーは過去の記憶から解放されておらず、ヨットに乗ること自体が大変な苦労。四六時中オレンジ色の救命胴衣を着て、できるだけ船室にこもって赤ん坊の面倒を見ています。他のメンバーは太陽と大洋を満喫し、楽しそうに話をします。

やがて暑くなったということで泳ごうという話になり、エイミーの夫ジェームズ、ローレン、ダンが連れて来たモデルのミシェール、ヨットの持ち主ダンの4人が水に飛び込みます。何を思ったかザックが船室から出て来たエイミーを無理矢理抱えて水に飛び込みます。本人はいたずらのつもり。

エイミーに何があったかを良く知っている夫のジェームズはエイミーが水に入るとどういう事になるか知っているので、船に残していましたが、そのエイミーが水に入ったので、非常に緊張します。素人が思いついたショック療法で過去の思い出を消せるような軽いトラウマではなかったのです。

登場人物の行動に腹が立つと冒頭書きましたが、例えばこういう行動に非常に腹が立ちます。人それぞれ色々な経験をし、エイミーにとっては救命胴衣を着てヨットに付き合うということ自体がもう勇気ある行動。自分の困難に立ち向かっているのです。彼女がもっとひどいトラウマになっていたら、旅行に出てすら来なかったと思います。夫もそうやってついて来ている彼女を理解し、「無理に水に入れ」などとは言いません。そこへいたずら気を起こした友人が強引に彼女を水に落としてしまうのです。

私はここでもうむかっ腹を立てていました。

エイミーを演じた女優は説得力ある演技でパニックを演じていました。ここでホールを立とうかと思いましたが、彼女の演技に免じて残りました。

ドイツの事しか知らないので、一般化して言う事はできませんが、ドイツでは障害のある人を無理矢理一般人に合わせようという圧力を感じることがあります。これはある意味では「障害のある人を差別するのを止めよう、一般人と同じチャンスをあげよう」というまことに結構な動きです。「お前は障害があるのだから家に引っ込んでおれ」というのの正反対。「自分たちが楽しんでいる事を、君も同じように楽しめ」という、まことに思いやりのある考え方です。

私も最初は「何といい考え方なのだ、平等だ」と感心したものです。しかし暫くすると、「まてよ」と考えるようになりました。実際上に書いたような考え方が基本にあり、それは立派なのですが、その横にもう1つ別な要素があるようなのです。

自分の周囲にいる人が自分と同じ行動を取らない、あるいは取れないと非常に不安を抱くようなのです。誰かが自分のやっている事を一緒に楽しめないと、まるで良心に呵責を感じるかのように。例えば切断で起きた障害のように《不可能だ》ということが目ではっきり見極められるような場合はさほどでもないようですが、静かにしていなければならないとか、特定の事をやっては行けないような場合、さらには行けないとは決まっていないけれど、やらない方がいいと薦められるような場合、トラブルが表面化することがあります。

エイミーの場合ももしかしたらこれかなと思いました。

ですから健康上の障害や問題を抱えている人は、「一般人と同じ権利を与えろ」の他に「自分に合った対策はやらせろ」との主張もしなければ行けないのです。「やれやれ、そんな当たり前の事も大声で主張しなければ行けないのか、しんどいなあ」と思ってしまいました。

すると次の問題発生。

実は問題は6人が水に入った時にすでに起きていたのですが、6人が自分たちの立場を悟ったのはエイミーのパニックの後。そうです。船に戻る手立てがなかったのです。

豪華ヨットは水の上を早く走れるようにできるだけ表面を滑らかにしてあり、邪魔な物はついていません。で、梯子が取りつけてないのです。梯子は船上でボタンを押すと上から降りて来る構造になっていました。船の上にいるのは生まれて間もない赤ん坊1人。それも船室の中にいます。大人で歩ける人はザックとエイミーも参加したので、全員海の中。デッキまでの高さはちょうど人が登れないぐらい。ジャンプしても届きません。

責任の擦り合いが始まります。そしてせっかく持っていた浮き袋は喧嘩をしている間にダメになってしまいます。あんな物でも、疲れた人がかわりばんこに2人ぐらいはつかまっていられそうだったのに、このアホが・・・。 役に立ちそうなものはナイフと水着。激しい喧嘩をしつつ、知恵を出し合ってあれこれ試みますが、全て水の泡。この作品を見ていて、体温低下が始まるまでの時間がかなり長かったので不思議に思いましたが、日が暮れるまで喧嘩をし続け、やがて夜と嵐がやって来ます。

1人去り、2人去り・・・最後に残る人がいるのか・・・という筋運びになります。この話が実話として映画化されているということは当然誰か生き残っているわけですが・・・。

とにかく大人の愚かな行動をたっぷり見られます。

作ったのはドイツ人の監督ですが、ドイツということは強調していません。欧州で撮った作品ですと時々ハネケ監督のように意地の悪さが強調され過ぎるきらいがありますが、そこまでえぐくはやっていません。鮫が来る危険や、低温で体が何時間持つかなどといったところで恐怖を出しています。しかし監督の悪意は感じられず、単に Shit happened. をそのまま映画化したという感じです。

仲間内で評判が良かったのは、メンバーの誰かが出血して、鮫の危険を暗示しますが、鮫との戦いは出さなかった点。《危ない》という暗示だけで十分に恐怖を出しています。今年のファンタは《そこまでやるか》というえぐさを取った、やや上品な恐描写の作品がいくつかあり、私には好感が持てました。

ネタばれしない程度のストーリー説明、ここで終わります。

腹を立てまくっていますが、井上さんの記事を読むとオープン・ウォーター(1)(1番下の記事)も実話だとか。それだけではなく、潜水の講習を受けた井上さんがダイビング経験者に何を聞いても「あり得る、あり得る、いい加減なところがあるぞ」と肯定的な答、つまり人が死ぬことも考えられるという答が返って来たそうです。くわばらくわばら。

井上さんは「実際に経験した人までいる」という証言を耳にしたそうですが、一体どうやって戻って来たんだろう。考えるのも怖いので、これ書き終わったら布団被って寝ます。

オープン・ウォーター3が作られるかどうかは分かりませんが、是非ドイツ人の監督で作ってもらいたいです。テーマに選ぶのはちょっと前に起きたコンテナー船の事故。これでしたら嫌な思いをせず喜んで見に行くと思います。

ちょっと前にドイツの輸送船から女性船員が海に落ちてしまい、置いてきぼりになってしまったのです。救命胴衣を着けていたかは忘れましたが、大洋に1人きりで、取り敢えずその場は助けも無し。

ところがこの女性は意思のしっかりした人でした。船員だったので、何が危険か、何をすべきかは知っていました。それでも大洋に1人きり。

彼女にはっきり分かっていたのは《助けが必ず来る》ということ。問題は《いつ来るか》です。それまでに体温が下がり過ぎて死ぬかが問題でした。

全速力で走っている最中に目の前で同僚がぼちゃんと水に落ちてしまった船の方では、すぐ船長に連絡が行き、他の船への連絡は迅速に行われました。普段ティームワークの良い船員と船長だったので、「絶対に見つけ出すぞ」という意思は固かったそうです。しかし大洋の中の紅一点をどうやって見つけ出すかが問題。付近の船に連絡をしまくり、数隻で捜索。そしてなんと彼女は救出されたのです。

救出後の彼女の最初の一言「太っていて良かった」。皮下脂肪が十分だったので本人は助かると思っていたそうです。救出後少し休養を取ってまた勤務へ。

この話雑誌で読んだのですが、感心しました。いくら信頼できる上司や同僚がいても大洋で夜を明かすのは不安だったでしょうに。しかしオープン・ウォーター・シリーズにはぴったりの素材ではありませんか。

そんな事を考えながら思い当たったのは、オープン・ウォーター2にも存在価値があるということ。「こういう時はこういう風に注意しなさいよ」というマニュアル的な効果があります。あんな豪華なヨットに私が乗るということはあり得ませんが、万一そういう事が起こった時には《必ず成人が1人船に残る》とか、泳ぎ始める前にロープをつけた浮き輪を出しておくなど、気をつけるヒントになります。どんな作品にも淀長さん式の考えで行けば何かしらの意味を発見することはできます。淀長さんの「怖いですねえ」という声が聞こえて来そうです。ああ、怖かった。

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