動物のページ

クヌート / Knut 1

2006年12月5日ベルリン生まれ

登場動物・人物

クヌート (元小熊)

ラース (クヌートの父親)

トスカ (クヌートの母親)

トーマス・ドルフライン
(クヌートの育ての親)

考えた時期:2008年2月

この記事は今年の2月に書いたのですが、映画の話題が多くてボツにしました。主演の1人トーマス・ドルフライン氏の急死という事態になり、倉庫から引っ張り出してきました。ドルフライン氏の死に関しては後続のページに書きます。

うちの近所で生まれた北極熊のことです。世界的に有名になってしまいました。

★ 家族構成

お父さんはラース、お母さんはトスカと言ってお父さんは元ミュンヘン動物園の住熊、お母さんは元東ドイツのショー・ビジネスで活躍していた熊です。現在は両方ともベルリン在住。職業婦熊で育児が苦手だったのか、母親は過去にも育児を放棄。1度に双子、三つ子が生まれるので荷が重かったのかも知れません。2006年の出産では双子だったのですが、1頭は病死。

お父さんのラースも子供から大人になる時に自分の父親熊が危険になったので他の動物園に移されています。お母さんのトスカは外国生まれで、ショービズ、具体的に言うとサーカスで働いていました。日本では「サーカスに売り飛ばしてやるぞ」などと脅し文句にでて来たりするので、サーカスはあまりいいイメージではありませんが、欧州では立派な地位を築いている文化の1つで、フランスの大スター、ヴァンサン・カッセルも最初はサーカスに入っていました。2頭はベルリンに移され、トスカ20歳にして2度目(?)の出産。少なくとも合計5頭産んでいます。ベルリンでは過去30年以上北極熊が生まれたことが無かったので関係者は喜んでいたのではないかと思われます。

ちなみにこの動物園は市民に好かれていて、経営難に陥った時には市民が株主のような形になって支えていました。私も大好きなのですが、近年入場料が高くて入れません。クヌートが生まれる前もあれこれ経営に関してはやり直しや工夫が必要だったようです。

★ 生き延びたクヌート

話を戻しますが、生き残った双子の片割れは810グラムの可愛い坊やでしたが、トスカは子育てが苦手だったようです。そう判断した人間2人が小熊をお母さんから引き離し人工的に育てることになりました。でないと坊やは危険にさらされたそうです。クヌートと名付けられその後はメディアにも顔を出す飼育係のドルフライン(ちっちゃな村という名前)氏とメディアに顔を出さない獣医によって育てられていました。

クヌートというのはドイツ語では健ちゃんとか博君といったような普通の名前。後で生まれた(雪やこんこんの)フロッケのような普通名詞ではなく、普通の男の子の名前です。

★ 父性愛を受けて

4つ足で自分の体重も支えられず、始めのうちは保育器で育てられていましたが、間もなく元気になったクヌートは飼育係のおじさん、ドルフライン氏のアパートで暮らすことになりました。おじさんのアパートは本当は動物園の外にあるのですが、クヌートが赤ちゃんの間生まれたばかりの人間の子供と同じように数時間おきにミルクをやらなければ行けないので、こういう事になった次第。男性ですが、世のお母さんが育児で不眠症になってしまうのと同じ苦労を味わったようです。しかしドルフライン氏がこれを苦労と思ったかは別な話。

今でもユーチューブにビデオが出ていたり、ヤフーのニュースで大きくなったクヌートなどと言って過去と現在を比べるビデオが流れたりしますが、よくそこに一緒に出て来るのがドルフライン氏です。孤独そうな顔のおじさんですが、ドイツ人はよくああいう顔つきをしています。ところがビデオを見ているとおじさんがクヌートにとても愛情を注いでいるのが見て取れます。クヌートのために夜中起きるのはかまわないってな感じ。母性本能はよく女性特有のフィーリングだと言われますが、ドルフライン氏にも母性本能が生まれたようにも見えます。こちらの勝手な解釈ですが。

★ 子供の成長を喜ぶ親、しかし・・・

熊が早く育つのは私も知っていました。3ヶ月でもう体重は10倍。そろそろ一般客の前にお目見えしてもいいということで、デビュー。その後の騒ぎは日本でもよく知られています。

私はこの頃からちょっと心を痛めていました。日本人はなぜか熊が大好きな民族で、私も子供の頃から色々な話を読んでいました。その1つに幼稚園の園児のための絵雑誌がありました。そこには次のような物語が張り絵のような挿絵と一緒に描かれていました。

地方の小学校に迷い込んだ熊の家族のうち小熊が保護され(母親は死んだのではないかと思います)、学校で飼われることになりました。子供たちもこの熊が大好きでみんなで世話をしていました。ところが熊がどんどん成長してしまい、今までのように小熊がじゃれ返していただけなのに、小学生が怪我をしてしまったのです。多分現実にはこの熊を殺すかどうか大人の間で話し合われたのではないかと思います。この物語の結末は動物園に送られ、小学生が後から面会に来るというハッピーエンドでした。描かれ方が上手で、小熊がよかれと思ってじゃれたのに小学生が怪我をしてしまったというシーンが心を打ちます。

クヌートの話を聞き、ドルフライン氏とじゃれているシーンをニュースで見た時私はこの話を思い出さずにはいられませんでした。間もなくドルフライン氏もクヌートから離れないと自分が危険になるなあと。もちろん専門の訓練を受けているドルフライン氏はそんなことは先刻ご承知。大きくなって歯が生えてくるにつれてドルフライン氏もTシャツだけではなく、体を保護するような服装で出るようになりました。今ではドルフライン氏を超える大きさに育ち、じゃれると命の危険が伴います。大きく育てはいずれは手放さなければならないでしょう。お父さんのラースがよその動物園から拝借中の身なので、クヌートもその動物園に属すわけで、いずれはクヌートもベルリンを去らなければ行けなくなります。

★ メディアのクヌート・ヒステリー

一般人がクヌートのかわいらしさに魅せられている間に動物保護支援者とメディアの間で喧喧諤諤の騒ぎが起きていました。何とクヌートは安楽死させなければ行けないという論議が起きていたのです。当時はヒステリー状態で、騒いだ人たちは誰も冷静に話を把握していませんでした。誤解や過去の報道が現在と混ぜられてしまったりして、正しい判断を下せる状態ではなかったようです。

自然や動物保護をする人の間に「動物は原則として自然に育てるのがいい、保育器や飼育係の人間に育てられるのはけしからん」という考え方があり、それをクヌートに関係のない別なケースで過去に発言した人がいたそうです。どういう経緯でかクヌートの話と混ざってしまい、その時は誰も検証を行わず、短絡にそれを言ったとされる人に非難が向いたようなのです。その人が脅迫を受ける騒ぎにまで発展。

★ 納得の行く自然保護

ドイツには一般人の私から見て理性的な主張だと感じられる自然保護主義者(動物の保護も入る)と狂信的で理屈が矛盾しているように見える人たちがいます。各種の法律も作られ、役所も理性的に見える部分は賛同して実行しています。ドイツで1番大きな都市ベルリンがここまで森や野原に囲まれ、ちょっと行ったらすぐ気持ちよく散歩ができるのはそのおかげです。

父や祖父に東京都にかつて狸が出たと言われてもピンと来なかった私ですが、ベルリンでは町のど真ん中でもリスやウサギはそこいら中で見かけますし、モグラの穴も至る所にあります。ちょっと郊外に出るといのししの親子も散歩しています。

大嵐が来てその辺の樹木がなぎ倒されると、間もなく森林管理の職員が来て撤去。暫くすると代わりの木を植えて行きます。ちょっと前のサッカーの選手権のように百万単位の人が森に集まると無論芝生は滅茶苦茶。しかし催しが終わると速やかに清掃の人が来てガラスやプラスティックのごみを除け、すぐその後に森の管理人が来て手入れをして行きます。

★ ただでさえ賛否両論

と、ここまではいいのですが、その先に行くと意見が分かれます。クヌートの件も、命あるものを助けられるのなら助けようという意見と、自然の摂理に任せよう、死ぬ運命なら死なせようという意見に分かれます。どちらにも一理あって、はっきりこちらとは言いにくい。これを人間の話に移すとさらにややこしくなります。生まれて来た子供に生存する力が充分備わっていなかった場合、無理にその子を助けるか、あるいは戦前や戦後の15年間ぐらいのように、その子は自然に死なせ、次の子供に期待するかという重大な決断を迫られます。知り合いには1940年代に生まれた五郎という名前の男性がいて、よく聞いてみると5番目の男の子なのだそうです。身近な身内でも戦前生まれの人はそれぞれ子供が1人、2人生まれてすぐ死んでいるので、出産の回数は現代の親より多いです。

クヌートの場合は母親が育児拒否をしたため、十分な栄養が取れていなかったようで、バックアップするために保育器や、飼育係のおじさんが用意したミルクが与えられたようです。母親と同じ場所においておいたら間もなく死んだと考えられています。人間と動物を同じ次元で考えるとドイツ人は怒りますが、日本人はあまり人間と動物の間に線を引かず、命のある生き物として考えます。いずれの場合でも目の前の子供を助けるか、自然に任せるかと聞かれると簡単に答えが出ません。

★ それがさらにややこしく

さらに問題がややこしくなったのは「クヌートを殺せ」発言をしたとされている人が「クヌートを殺せ」とは言っていないからです。

クヌートに絡んで動物愛護をうたう人が「殺せ」と言ったとの報道になったのも妙な話ですし、クヌートを地球温暖化阻止のシンボルにしようという話も妙です。北極は下に地面の無い地域で、氷が溶けて水位が上がると言われても私にはピンと来ません。中学や高校で習った話が間違っていたのでしょうか。

私はたまたまベルリンの動物園にいて、周囲にクヌートを助けられる人材が揃っていたのだったら、《助かる》のがクヌートの運命だと思います。アフリカの草原に住む動物でも運のいい動物は襲われることも無く天寿をまっとうしますし、運の悪い動物はハンターに見つかってしまったり、自然災害や飢えで死んでしまいます。クヌートはたまたまベルリンにいて、1度死の危険にさらされ、その後助かる条件が揃ったのだと思います。クヌートのお父さんも危ない目に遭ってから、父親と隔離という形で人間の手が加わって助かっています。

ここは原則論にこだわらず、ベルリンにこんな可愛い坊やが生まれたと喜びます。

ここ当分クヌートが世界で1番有名な北極熊、フロッケが世界で2番目に有名な北極熊となり、話題を独占するでしょうが、かつて英国にも世界で1番有名な熊がいました。カナダのウィニペックに因んで名付けられ、後にロンドン動物園に贈られた熊です。孤児になってしまった熊で20歳ぐらいまで生きました。

これがクマのプーさんの本名ウィニー・ザ・プーになりました。物語に登場するクリストファー・ロビンは実在の人物で、彼は子供の時この実在の熊ウィニーに会っています。その名前をお母さんから貰った熊のぬいぐるみにつけたのが始まりです。プーの方はやはり実在する白鳥の名前です。

ローリング・ストーンズの死んだメンバーが住んでいた家というのがクリストファー・ロビン・ミルン氏が子供時代を過ごした家で、作家で父親のミルン氏が書いた童話に出て来る舞台でした。そのおかげでクリストファー・ロビン・ミルン氏は数奇な運命を背負い、苦労もあったようですが、クマのプーさんは発表後ずっと世界中の子供に愛され続けています。人がなぜ本当は危険な動物の熊をここまで愛するのかは分かりません。ベルリンというのも小熊という意味で、町の旗はクマのマークです。

これが日本人となると熊に対する愛情はかなり強いようです。去年、今年とヤフーのニュースを見ていたら熊が食料がなくて村に出て来たという出来事がかなりの数報道されていました。特集までありました。報道の傾向を見ていると、ジャーナリストも村人も専門家も誰もが熊が好きで、できれば殺したくないという雰囲気が漂います。かく言う私もその1人。射殺せざるを得なかったなどというニュースには心が痛みます。しかしなぜ日本人は熊が好きなんでしょうね。

とここで終わりにするつもりだったのですが、記事を出しそびれて半年ちょっと。そこへ飛び込んで来たのがドルフライン氏の訃報です。

この後どこへいきますか?     次の記事へ     クヌートの2ページ目に行く     前の記事へ     目次     映画のリスト     映画以外の話題     暴走機関車映画の表紙     暴走機関車のホームページ