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F/I 1963 103 Min. 劇映画
出演者
Michel Piccoli
(Paul Javal - 劇作家)
Brigitte Bardot
(Camille Javal - パウルの妻)
Jack Palance
(Jeremy Prokosch - アメリカの映画制作者)
Giorgia Moll
(Francesca Vanini - 通訳、アシスタント)
Fritz Lang
(Fritz Lang - 映画監督)
Jean-Luc Godard
(ランクの助監督)
見た時期:2012年7月
★ 軽蔑
このタイトルは結婚して2年ほどの熱々夫婦の間に急に秋風が吹き、妻から夫が軽蔑されてしまったことから来ています。軽蔑は《なぜ》そういう事になったのかの上っ面を描写し、それ以上の時間を現在《どういう風》になっているのかに割き、いきなりラベルのボレロのようにぱっと終了します。
ちょっと目を凝らして見ると夫のふるまいが妻に軽蔑の念を抱かせているのが分かりますが、では妻がそんな勝手な事を言える立場かと突っ込まれると、どちらにもそういったふるまい以上には物事を深く見ようとする様子が無く、終わってみると観客に「虚しい事に100分も時間を使った」という後悔の念が浮かんで来ます。
作品が作られた頃の事情を鑑みると、アンナ・カリーナと結婚している最中だった監督の私小説のような面が浮かばないでもありません。欧州というのは結構狭い場所にかなりタイプの違う人たちが国を作って住んでいて、目に見える壁を建設しようが、しまいが、物事に対する考え方が場所によって全く違います。その上当時のフランスには階級差が今以上にしっかり残っていて、60年代から階級を無くそうとの努力はあったようなのですが、エスタブリッシュメントは堂々と表に出なくなっただけで、一向に消えませんでした。そういう状況を考えた上でゴダールとカリーナを見ると、ちょっと無理な組み合わせだったと後からですと言えなくもありません。しかし2人はダメだから結婚しないのではなく、違うからこそ結婚したのでしょう。結果としてダメになってもやってみるだけの若さがあったのだと思います。
カリーナはゴダールより10歳ほど若いデンマーク人。ギャップが出たのは年齢の差ではなく、どちらかと言えば国民性の差なのではないかと感じました。結婚した頃フランスは階級差に取り組んでいる最中。上流、中流、下層階級で全く違う人たちと付き合い、違う物を消費し、違う考え方をしています。デンマークの方は階級がどうなっているかはよく知らないのですが、オランダから北欧にかけて北へ行くほど物事に対する考え方がドライになって行きます。宗教の影響かも知れません。結婚などに関しても当時のフランスに比べるとずっと現実的になっていて結婚も、離婚も大騒ぎになるようなテーマではなくなっていたようです。
カリーナは母親の世代で結婚、離婚が続いていたので、本人も家族ということに大きくこだわっていなかったのでしょう。高校生ぐらいの時にふっと家を捨ててパリに来てしまいます。いきなりスカウトを受け、上流の有名人と知り合う機会を得ます。ほっそりとした体型だったためかファッション・モデルとして成功し、そのまま映画に移行、長編デビュー作を企画をしていたゴダールと知り合います。主演 + 結婚。
そこまでは一種のシンデレラ・ストーリーですが、その後がゴダールに取っては難しかったようです。男性芸術家に女性の女神がいて、その女性を素材に次々作品を作って行くという話は昔からあります。ゴダールに取ってのカリーナはその典型的なパターン。彼ののろけ話を見せられたフランス人が喜んだのか、迷惑したのかは分かりませんが、彼女はヌーヴェルヴァーグ運動の女神になってしまいました。自然なカリーナの姿を映画の中に残そうとしたのでしょうか。
しかしどこかで何かが行き違ったらしく、離婚。それまで無邪気に自分を通すカリーナを描いていたゴダールはもしかしたら軽蔑のバルドーにその様子を演じてもらったのかも知れません。劇中のバルドーには突然の死が襲い、殺人でも自殺でもない突然の死は観客をアッと驚かせるのには十分です。この部分は鮮やかな終わり方です。ちなみに映画の役ではない生身のカリーナは現在でも生きています。
最初大して興味も無かった2人の仲ですが、カリーナがフランス人でないと知り、カルチャーのギャップが生じたのかとは思いました。現在でもデンマーク人とフランス人ではかなり考え方、特に割り切り方に差があります。地図を見ると、スペイン、フランスなどカソリック系の国が左から右に並び(上が北の地図)、陸続きにオランダやベルギーを経てドイツ、その先にデンマーク、さらに先に他の北欧の国があります。この順番で物事の割り切り方が北上するほどドライになって行きます(ベルギーはやや保守的)。ドイツとオランダは順序が逆と言えないこともありませんが、ドイツはベネルックス3国よりずっと広い国で、北ドイツの人にはオランダやデンマークに近いドライな割り切り方が見られます。
デンマーク人が「僕を愛しているかい」「僕のどこが好きかい」と事あるごとに聞くとはとても想像ができませんが、フランス人ですとある時期まではそういう人もいただろうなあと思えます。最近はフランス人も前ほど色々な事にこだわらなくなったようではありますが、デンマーク人は10年、もしかすると20年ほど先を行っていた、あるいはそういうこだわりはもう何百年も前にどこかに置き忘れて来たのかも知れません。私はデンマーク人のドライなユーモアや、割り切り方が好きですが、60年代のフランス人の男性から見るとあっさりし過ぎているでしょう。カリーナがゴダールを軽蔑の目で見たかはともかく、時々うざい(鬱陶しい、ごちゃごちゃ言ってうるさい)と思ったのかなと想像はしてしまいます。人を静かにそのままにしておくことが日常の文化と、他人の行動や考え方に深く関心を抱くことが日常の文化の差が歴然としていた時代がありました。そこにはそれぞれ個人を尊重し過ぎて生じる孤独と、何もかもを見つめられ、あれこれ言われうるさくてかなわないという感情がついて来ます。
★ センセーションは幻か
公開された当時から軽蔑はドイツではドヌーヴの60年代の作品と並んで衝撃の作品の1つに数えられており、現在でもインテリ層から高い評価を受けたままです。私は日本にいた頃一通りこのジャンルの作品を見ましたが、淀長さんの洋画劇場だったり、いずれにしろテレビだったため、かなり鋏が入っていたようです。
今年無料映画館でいくつもそういったフランスの映画をドイツ語で見る機会があったので、行けるだけ出かけて行きました。そこで発見したのは、時代に追い越された姿でした。私は見た当時大して感激をしませんでした。国内で有名な俳優などが専門的な知識を披露しながらこの種の映画を高く評価するのを見て、自分にはこの種の作品を理解する知性が欠けているのだろうと思っていました。
私は映画は結構な数見ている方で、国内にいた頃は日曜日、月曜日、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日、土曜日に何かしらの洋画を見ていました。日曜洋画劇場が始まる前、子供の頃はニッサンテレビ名画座という昼間の洋画番組も見ており、そこでもフランス映画に接していました。
70年代の途中からテレビを生活から除いてしまったため、エンターテイメントはテレビ以外の源を頼っていました。当時は珍しい絶滅種のように思われていたのですが、最近ドイツには似たように考える人が増えたらしく、ちょくちょく「自分はテレビを見ない」とか「うちにテレビはあるけれどニュースしか見ない」という人がいます。無料映画館も映画を見るならテレビよりこういう所の方が楽しめると思った人が来るらしく、結構繁盛しています。そういう中今年古いフランス映画を見直す機会を得て、ニッサンテレビ名画座でやっていた作品の方が、夜9時から始まる映画劇場でやっていた作品よりおもしろかったような印象になりました。
☆ ゴダールのヌーヴェルヴァーグ
カリーナより10歳ほど年上のゴダールはエリート大学を放り出してヌーヴェルヴァーグ(フランス映画人の運動)に参加した人で、助監督などの役目をすっ飛ばしていきなり監督になった(当時の)若手監督の1人です。すでにあった運動に後から参加したのではなく、運動を立ち上げた側と言えます。20歳代で積極的に映画人、文筆家などと交流しています。映画作りではロケを重要視し、録音はアフレコにせず、その場で録音。ちょっと前デンマークで起きたドグマ運動が見習った元になる運動と言えないこともありません。偶然ですが、アンナ・カリーナの故郷はデンマークです。
同じようにヌーヴェルヴァーグ運動で名の知られている監督はフランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロル、ロジェ・ヴァディム、ルイ・マル、ジャン・ピエール・メルヴィル、クロード・ルルーシュ他数人。トリュフォーは比較的気に入った作品がありますが、シャブロルはミヒャエル・ハネケが手本にしたのかというような作風で、あまり好感を持っていません。ヴァディムがヌーヴェルヴァーグと言われてもピンと来ませんが、ヌーヴェルヴァーグで名を上げたバルドーの夫だと考えると無関係ではないようです。ヴァディムは助監督や脚本家として下積みがあり、いきなり監督になったわけではなく、作り方はそれほど即興的に感じません。ルイ・マルも作品を見ると手堅い作りで、即興ばかりをやっているわけではなく、ちょっとヌーヴェルヴァーグ的かなと思えたのは地下鉄のザジぐらい。沈黙の世界と死刑台のエレベーターは気に入った作品ですが、このどこがヌーヴェルヴァーグなのか、しっかり手堅く作られているではないか、即興なんか挟んでないし・・・と思ってしまうのです。ルルーシュはほとんど見ておらず1本は記録映画だったため、ヌーヴェルヴァーグかどうかの判断はできません。記録映画は気に入りました。優秀な監督も混ざっていますが、そうそう好き放題無関係なシーンを放り込んでいるわけではない監督が結構混ざっています。
ゴダールはこういった監督の中で比較的はっきりヌーヴェルヴァーグ路線を取った監督のようです。この運動が終わったのかどうかは分かりにくいです。フランスは長い間俳優が長々としゃべりまくる作品を作り続けたため、私などはあっさり手を切ってしまいました。映画をわざわざ見に行って人のナルシズムにつき合わされたのでは入場料はもとより自分の時間を無駄にするだけだとの判断でした。なにしろ私は映画でストレス解消をしていたので、長々とつまらないおしゃべりに付き合う気がしませんでした。なけなしのお小遣いをはたいて映画館に行く人のこともちょっと考えてもらいたかった・・・ぶつくさぶつくさ。
私が再びフランス映画を見るようになったのは、何十年か経ってファンタにすばらしい犯罪映画やアクション映画が来るようになってからです。それまで人間ドラマばかり作っていた(ドイツに送っていた)フランスがまるで人が変わったようにエンターテイメント映画を作り始めたからで、リュック・ベソン、(本当はフランス人ではない)ヤン・クーネンなどが登場してからです。そこには即興的な作りは見られず、壮大な世界観を追い求めるでもなく、私小説に走るでもなく、「2時間ほどで楽しめる作品を作ろう」という意欲が溢れています。
☆ ヌーヴェルヴァーグの絵になる女性
あの時代を今振り返ってみると、私とヌーヴェルヴァーグは相性が悪かったようなのですが、なぜか私はドヌーヴとバルドーを眺めるのは好きです。2人の容姿には運動や思想と無関係に現実離れした美しさがあり、「自分も真似してみよう」と思うような見方ではなく、「この世にはこういうタイプの美があるのか」と、恐らくは男性とは違った視点で感心しています。そして驚いたことに今年の無料映画館で、2人の作品を上映した日は毎回圧倒的に女性の観客で溢れていました。大部分は現在20歳代ぐらいの女の子で、その他に年配の女性も加わっていましたが、男性は非常に少なかったです。と言うことはドイツの女性たちも同じように感じるのでしょうか。
☆ 軽蔑にちらつくゴダールを振り回した女性と商業映画を作らないという結論
30歳代のゴダールはパリで知り合ったアンナ・カリーナを振り回したと言うか、カリーナに振り回されたと言うか、2人のため世界はあるのと言った時代です。カリーナを題材に作った作品で賞も取ります。しかし数年後2人の間には亀裂が入り、離婚。映画作りでは協力関係が続きます。そして1967年に何を思ったのかゴダールは「商業映画を作るのはや〜めた」と言い出します。
この宣言は映画の観客に取って由々しき問題を生み出します。商業映画を作らないということは一面ではスポンサーに媚びないということになりますが、「ではどこからお金を持って来るんだね、ゴダール君」という問題に直結します。フランスは1968年の学生運動を経て政治全体がが大きく動きます。映画界ではカンヌ映画祭を否定し、はっきりそれまでの映画作りにノーを突きつけます。ドイツもほとんど間を置かずに似たような状況に。いつどうやって話をつけたのかは分かりませんが、両国ともいつの間にか映画に大きな補助金を出して作品を作るようになります。
☆ 波及国独米 - 補助金の少ないアメリカではやはりエンターテイメント
70年代はフランスの新しい映画界がアメリカとも連動するようになり、両国の交流が活発になります。ドイツでも新しい映画作りの波が生まれ、憂さ晴らしをしようと思ってお金を払って映画館に来る観客に取っては迷惑な作品が増えます。私は70年代前半頃都内で開かれたドイツ映画祭に出くわし、有名どころの作品をかなり見る機会があったのですが、他の人が言うような「これだ!」という感想ではなく、「ごちゃごちゃ何をしゃべっているのかね、君」という感想か、サービスの悪いレストランに入って、雑に切った食べ物を出されたような気分でした。
正直言って確かにこれまでとは全然違う作風だとは思いましたが、感激には至りませんでした。わけの分からない作品を見せられても普段私はそれほど怒ったりはしません。2001年宇宙の旅も最後のシーンがよく分からず暫くは???状態でしたが、それでも快適な宇宙への旅に招かれたような気分で帰宅しました。それに対し、ドイツの新しい作品は見終わってから作った人や演じた人に「あれ、何だったの?」と聞き返さないと行けないような作品が多く、1度にまとめて見られて良かったと思いました。あんなの何度も見に行かされたら疲れる・・・というのが正直なところ。
アメリカも1部この運動の影響は受けたらしく、新しい方向が生まれています。ただ、アメリカ人というのは大西洋を渡る時に何かを海に落として来てしまった代わりに、大陸に上陸してから400年の間にサービス精神だけはしっかり身につけたらしく、さすがに「お主、説明無しにわしの映画を正しく解釈しろ」というスタンスは有名どころではデビッド・リンチぐらい。彼が世に問う映画を作り始めたのは70年代後半からなので、ヌーヴェルヴァーグの影響があるのかも知れませんが、正確なところは分かりません。他の監督の新しい作品は一応劇映画として楽しみ易く作られていました。
☆ 周囲を巻き込みながら
ヌーヴェルヴァーグ関係者はその後も作品を出し続け、監督は皆特別な評価を受けるようになります。ゴダールのように商業映画を拒否する人まで出、他愛ない作品を見てストレス解消を望む観客とは一線を画したまま進みます。その代わり映画祭などでは高い評価を受け続けます。ただ、お金が儲かるか、観客動員数が上がるかでぎりぎりの勝負を強いられているエンターテイメント系の作品と違い、時が経つにつれ緩い作風に変わったと思えました。
自分の理解力が足りないのかとも思いますが、運動が始まった当時何かに対する批判で大きく燃えていた監督たちの炎が徐々に小さな、紅茶を温める蝋燭の炎に変わったような印象を受けました。もしかして彼らにリードされてフランスの社会が変わり、変わった後の社会は批判しにくいのかとも思います。武器を持って戦う人たちではなく、文化の変化を促すことで戦った人たちですが、兵隊としての役割が終わったのかも知れません。そのあたりは私が見た作品のみでの判断なので、公正さを欠きます。ただ、現実世界では元々は自国を取り返すため、自国を守るために戦っていた抵抗運動の人たちが、一件落着後平和な生活を送れず、意味無くさらに戦いを求めてさまよう姿もあるので、文化的抵抗運動の人たちが炎を縮め静かになって行く過程は間違ってはいないと思います。
映画の歴史を見ると当時の社会に疑問を持ち映画で戦おうという人たちは50年代からおり、時期的には政治の世界が親共・反共に分かれる時期と一致しています。フランスでヌーヴェルヴァーグを志した人たちはフランスに居ながらにして心情的には自国の体制を批判する側。しかし経済のシステムには大きく触れていません。ブルジョワっぽい社会の習慣などが批判の対象なのですが、ヌーヴェルヴァーグの中心人物の多くはエリート大学に行っており、裕福な両親の下経済的に恵まれた生活をしている人たちです。
☆ ゴダールの2つの方向
多くの人がヌーヴェルヴァーグと聞くとゴダールの名前を思い浮かべるほど典型的な人物になり、これぞヌーヴェルヴァーグと言える撮影スタイルを確立して行きます。内容の方は日本人の目から見ると私小説的な要素を持ち、特に新しいとは思えません。上に出て来たアンナ・カリーナが作品の中心に置かれます。必ずしもどの作品にもカリーナが役者として出演するわけではなくとも、頭の中で想定しているのがカリーナだという作品がいくつもあります。ここは有名な画家が1人の女性をモデルにいくつもの絵を描いているのと同じことです。
ゴダールの関心は自分の下(もと)にいる1人の女性にとどまらず、当時の時代を反映する政治を含めた社会の出来事にも向いています。この点は他の監督と差がついています。片方でカリーナにのめり込んでいますが、もう一方で社会、世界にも目を配っています。と言うことは政府から嫌われる題材を扱うこともあり、スポンサーになるべき経済界からそっぽを向かれてしまう事は承知していたものと思われます。当時のヌーヴェルヴァーグ以外の作る側の映画界がどういう風になっていたのかは知りませんが、私が見ていた作品はハリウッド製のミュージカル、ディズニーのアニメ、実写映画、ジョン・ウェインなどの西部劇と、その頃徐々に力を得て来たテレビの連続ドラマなどです。こういった作品の監督が毎度何かの思想や心情に忠実に作るのではなく、プロデューサーやその時代の政治の意向を汲むのが普通でした。特定の美学を追及できる監督もヒッチコックぐらいで、あまりたくさんいなかったように記憶しています。
その場所にいるとそこに無いものを求めるようになるのがインテリ層の運命なのでしょうか。ヌーヴェルヴァーグの関係者は中国に傾きます。中国は1966年から十年ちょっと文革で忙しく、その間に他国と関わり無く国内だけで数百万人から1000万人ほどの死者を出していたのですが、ヌーヴェルヴァーグの関係者は、時期が1部重なるベトナム戦争を批判したいがために自ら近づいて行った中国で、ベトナム戦争と似たような数の死人が出ていることには気づいていなかったようです。しかしヌーヴェルヴァーグ関係者の中で何がしかの矛盾に気づいた人がいたらしく、内部分裂が始まります。分裂はゴダールとアンナ・カリーナの間でもはっきり外に見えるようになり、2人は離婚。
ゴダールの目に見えた社会には矛盾や欺瞞が多かったのでしょう。身近な所から批判を始めたようですが、私の目には当時も今も自分がいる世界を批判してそこの体制を壊すのはいいけれど、一体誰を助けたいのか、誰のための運動なのか、そして壊した後何がしたいのかが良く分かりませんでした。例えば社会主義運動だと言ってがんばっている純粋な学生を何度も見たことがありますが、家に帰ると豪華な調度品の揃った部屋、外ではジーンズにTシャツで労働者のために戦っている(つもり)、しかし労働者の友達はいない、工場でバイトをしたことも無い・・・といった感じで、そういう学生を教えている教授も授業の時はジーンズにTシャツ、しかし高級住宅街のお屋敷に帰宅。やはり労働者との接点は無い・・・といった状況を何度も見ました。私はゴダールにもそれと似たような、頭の中の社会運動を感じてしまいます。
ゴダールが映画という手段を娯楽のためではなく、何か他の事に使おうとしていたことについては異論はありません。私は憂さ晴らし、ストレス解消のために映画館に行く、ゴダールは何かを人に伝えたかったので映画を作る、結果はポップコーン映画とは全く違うものができる・・・それは全く構いません。同じ書物でも漫画を読む人もいれば哲学書を読む人もいますし、時には思想の本を読む人もいます。ゴダールがエンターテイメント以外を目指したのだとしたら、それは別に構わないと思います。願わくば税金などを使わず、思想を同じうする人からの寄付金で作ってもらいたい・・・そうやっていたのでしょうか。
ゴダールなりに試行錯誤をしながら進んで行ったらしく、ごった煮のような作品を作る時期もあれば、分かりやすい筋のある作品の時期もあったようです。私は初期の作品しか知らないので、これ以上はコメントできません。尊敬すべきは自分の意思を貫き、現在までずっと仕事を続けている点です。そういう彼の作品を見たいという人がいる限りは続けて行くのでしょう。見たい人は見続ける、見たくない人は私のように早々にリタイアする・・・。
★ 映画軽蔑
長々とヌーヴェルヴァーグの話をしましたが、軽蔑はいかにもというストーリーです。というかストーリーは無きに等しく、夫婦の間の会話が中心になっています。舞台の脚本を書くのが本職のポールが、お金のために映画の脚本の書き直しを引き受けます。頼んだのはアメリカ人プロデューサーのジェレミー。大監督ランクがギリシャ神話の映画を撮ることになっているのですが、脚本が難解で観客に話が上手く伝わらないことを危惧したプロデューサーが、脚本の書き直しを命じたためです。
ポールと妻のカミユは仲のいい夫婦だったはずが、ジェレミーの登場でおかしくなります。ジェレミーが何かしたということではなく、ポールがジェレミーに対して取る態度がカミユにはカチンと来たらしいのです。2人は60年代としては特におかしな関係ではなく、夫が金を稼ぎ、妻のカミユは家にいるだけ。そして夫が何かを決め、妻が従うというスタンス。ところがこの夫、自分で何かをはっきり決めることをせず、周囲に合わせてばかりいるため、妻の癇に障ったのでしょう。2人はことごとく言い争いになり、時には暴力が出そうになります。例えばプロデューサーが図々しくカミユにモーションをかけて来るのですが、間に入って「ダメ」と言うべき夫がずるずるとプロデューサーの決めた事に振り回されて行きます。カミユは元々あまり乗り気でなかった招待も夫が安易にスルーするため結局受けることになり、プロデューサーがカミユを車に乗せて別荘に行き、夫は後から別な車でついて来るという珍妙な事になります。
人間の思考や行動を書けなければ仕事にならないはずの職業の夫は妻が何に腹を立てているのかが理解できないまま。妻は多くを語らず離婚を決意。プロデューサーについて行ってしまいます。しかしローマに車で向かう道中自動車事故で2人は即死。そこで作品は終わりますが、よく考えてみるとこの作品の筋は・・・
・ まだ結婚してそれほど長くない夫婦の間の情熱が冷め始めた時に、
・ 第三者が現われ、
・ 特に恋をしたでもない中、パートナー交代。
・ プロデューサーと妻もお互いをまだほとんど知らず、
・ 今後何をするかも定かでない中
・ 折り良く事故になってしまったので、
・ この2人が揉める事は無かった
というだけの話。
後に1人残された夫は妻と喧嘩をしているうちにようやく自分は劇作家だったのだという事を思い出し、映画の仕事を断わったばかり。妻の訃報が入り、一緒に死んだプロデューサーの家を去るところで終わります。
見終わって主人公が無駄な生き方をしていた(から、死んでも大して感銘を受けない)という事に気づけば監督の意に沿うのでしょうか。
★ バルドーの演技
アラン・ドロンの所でも書きましたが、フランスには時々やたらイケメンや美女の、《見せる俳優》がいて、演技は全く要求されないままスターで居続けます。ファッションモデルを目指したのならともかく、俳優をやっていて、周囲から演じる事は求められず、姿を見せることのみを要求されるのはその人に取っては楽なことではありません。一時期はいいでしょうが、ずっと俳優をやっていると辛くなるでしょう。で、ファンダムのように長い間(アホな)アクションばかりやっていて、ある時一生に一度の演技を見せる人もいます。ドロンはプロ根性を出してずっと周囲から期待されている《絵になる男》という役割を演じて来ました。ドヌーヴとバルドーもその路線だったのですが、ドヌーヴは生活の中から学んだ事が演技と言わないまでも表情に出るようになり、かなりの貫禄がついています。バルドーは若い時は見事な体と顔で押し捲りスターになりましたが、ドヌーヴと似た路線を歩きながらも別な展開になり、最近は過激派動物愛護運動家になっています。
彼女の最初の地位確保に大いに寄与した軽蔑では演技らしい演技はしていません。この作品では文句をたらたら言い、すばらしい体を見せれば良く、演技は求められていません。なので十分役に立っています。ただ、ここで求められた役割に彼女ははまり過ぎており、もし彼女が女優として大成したいと願っていたのだとすれば、将来の選択肢を狭めてしまったと言えます。この時のバルドーが何を目指していたのかが分からないので、彼女のために良かったのか悪かったのかは分かりません。
★ パランスとランク
どういう経緯で配役が決まったのかは分かりませんが、ジャック・パランスが重要な役で出演しています。パランスは個性があると思い注目していた俳優ですが、軽蔑の出演は意外でした。その上驚くような下手な演技です。彼が下手な俳優だというのではなく、非常に下手な演技をするように努力しています。元々はスポーツ、軍隊など《いかにも男性》という職業に就いていましたが、戦後演技をきちんと勉強してから俳優業に転向。下積み期間は短く、あっと言う間にスターになりました。貰う役は《いかにも男性》という役が多く、性格俳優として順調にのびて行きます。ちょうどヌーヴェルヴァーグの時に欧州におり、ゴダールの作品に登場したわけです。
軽蔑ではバルドーを夫から掻っ攫うアメリカ人プロデューサーの役なのですが、台詞を呆れるほど棒読みし、演技らしい演技はしていません。私は他のパランスの作品を見たことがあるので、この演技は監督からそういう風に言われてやっているのか、本人が自分の役をあほらしいと感じてそれをそのまま表現したのかどちらかでしょう。見ているとひどく違和感を感じます。
もう1人の重要な脇役はフリッツ・ランク。ドイツの超有名、伝説的な監督で私は生まれて初めて彼の動く姿を見、その上話をしているところを見ました。ドクター・マブゼを作った人で、M でも世界的に知られています。その彼がフリッツ・ランクという監督の役で出演し、俳優として仕事をしています。現実のランクとやや違う設定なので、たまたま同じ名前の監督の役を演じていると言えます。その機会を利用して言いたかった事をさっと言っています。さすが監督で、演技は非常に自然です。パランスが驚くような棒読み、ランクが驚くような自然さで、この落差には驚きます。ランクは言いたい放題を言わせて貰っています。さぞかし気持ちがすっきりしたことと思います。
★ ピコリ
ドイツ語に訳されているのでミシェル・ピコリをどういう風に解釈したらいいのかは分かりません。体のポジションなどを見る限りは普通に自然な演技をしています。彼の役はいくらか卑劣、卑怯に見える夫。とは言うもののこういう人はそこいらじゅうにいると思われます。そこを上手く出しています。特に尊敬に値する事をするでもないごく当たり前の人をちゃんと俗物に見えるように演じるのが俳優に取って狂人や異常者を演じるより難しいと考えると、俳優としての能力はこの時点ですでに確立していたと言えます。恐らくピコリにはもっとそういう負の点を強く出した作品があるのだと思います。昼顔もちょっと嫌な男の役を演じていて、特にイケメンでもない中肉中背の俳優としてはそういう役を演じることで個性を出しているのだと思います。軽蔑の中では一応プロの俳優らしい演技をしています。
★ おもしろい映画 vs おもしろくない映画
結局のところ《観客は何のために映画を見るか》を作る側がよく理解していれば問題はゼロということになります。当ったり前の結論ですが、ポップコーンとコーラを手に喜々として映画館に足を運ぶ観客にゴダールと言っても馬の耳に念仏。ゴダールの念仏は私の耳には届きませんでした。
ただ、やたら音響効果だ、CG だと言って大げさな制作費を使って何かをする監督がいいわけではなく、ヌーヴェルヴァーグがインディー系の映画を生んだとすれば、そこには意味があったと思います。観客に挑むような姿勢で来られるとこちらも引いてしまいますが、どうでもいい所には余計なお金は使わない、プロットや演技で勝負という方向が確立するにあたって、ゴダールなどの影響があったのかも知れません。幸いなことにアメリカ人はそれでもある程度観客を楽しませなければという義務感に苛まれたらしく、思想が絡んだり政治的な主張を前に出す時でも劇映画としてのエンターテイメント性をばっさりやりませんでした。
他の国は良く知りませんが、独仏ではそこをばっさりやった監督が続出したため、私は機会があれば見ますが、見て感激した事はありませんでした。しかしそれにも別の方向を目指す後継者を生むという効果はあったのかも知れません。あまりにも長い間ドグマを前に出した作品が並んだため、フランスでは今世紀ファンタで特集が組まれるようなおもしろい作品が続出するという結果を生んでいます。ゴダールが反面教師だったとすれば、世に貢献したと言えます。
映画作りはかつてのように複雑でなくなり、スーパー 8 で子供でも映画が撮れるようになり、今では小さなカメラで誰でも動画が撮れるような時代になりました。なのでゴダールが自分の主張を入れた作品を撮るにも大してスポンサーの心配は要らなくなりました。私のようなエンターテイメントに流れる軟弱な映画ファンにも、硬派で立派な思想を入れた作品を撮りたい人にも満足の行く時代が来たと言えるのかも知れません。ゴダールはそのビデオを劇場で上映する必要は無く、同胞に配信すればいい時代になったのであります。
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