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USA/Kanada/F 2012 102 Min. 劇映画
出演者
Jessica Biel
(Julia Denning - 看護婦)
Jakob Davies
(David - ジュリアの息子)
Eve Harlow
(Christine - ジュリアの息子のベビーシッター)
Colleen Wheeler
(Johnson - 子供をさらわれたホームレスの女性)
Jodelle Ferland
(Jenny - 言葉を話せない少女)
Samantha Ferris
(Tracy - ジェニーの母親)
Stephen McHattie
(Dodd - 刑事)
William B. Davis
(Chestnut - 保安官)
Lucas Myers
(Campbell - 保安官代理)
Janet Wright
(Trish - ダイナーの店主)
Ferne Downey
(Mrs. Parker Leigh - )
Derek J. Finnik
(FBI 捜査官)
Jodi Sadowsky
(子供を引き取る女性)
John Mann (Douglas)
Teach Grant (Steven)
Garwin Sanford (Robert)
Katherine Ramdeen (Carol)
Georgia Swedish (Ashcroft)
Prya Lily Campbell (Tiffany)
Ricardo Hubbs
Rene Mousseux
Steve Taylor
見た時期:2012年8月
★ 拉致事件の伝説化
デビッドの捜査を担当するのは地元の刑事や保安官と、FBI。誘拐事件な上、多発しているので、FBI も関心を持って見守っています。町の人は超自然現象や幽霊かも知れないと考えてみたりもしますが、警察とジュリアは現実の事件と考えます。特にジュリアは誘拐犯の車にしがみついて、デビッドを救出する寸前まで行っており、現にその車が現場に残されています。
ここでジュリアとごく僅かの人にしか理解できない疑問が生じます。デビッドを拉致したのが、他の大勢の子供をさらった犯人と同一かという疑問です。作中の警察も映画館の観客もこの時点ではそれまでに見たシーンだけではこいう疑問に突き当たりません。
このあたりの展開は長い間日本で神隠しと言われたり、個別の事件扱いをされていた拉致事件と共通する面があります。The Tall Man では地元警察や近隣の警察は被害届を受け取ってはいるようですが、これと言った成果が上がらないまま何年も経っていました。家族は子供を探し求めて写真のコピーをその辺に掲示したりしますが、誰一人戻って来ません。トール・マンと呼ばれる人物は徐々に伝説化して行きます。
★ かわいそうかな、主人公 その1
冒頭顔にガラスが刺さり怪我をしているジュリアが手当てを受けているシーンがあり、刑事が彼女を丁重に扱っているので、観客は彼女の立場に同情する方向に誘導されます。自然な流れとして、私たちは我が子を奪還しようと必死でトール・マンを追った主人公が自動車横転で傷を負ったのだろうと考えてしまいます。しかし私の記憶ではあのシーンで彼女は足に擦過傷を負っていてもおかしくありませんが、顔には傷を負っていなかったと思うので、撮影のミスかなと思ったりします。実はここで観客は無言のうちに騙されています。
実はジュリアは2度怪我をします。1度はデビッド誘拐犯との戦いと車の横転に伴うもの。2度目はショーダウン間際。2度目に襲われるのは別な理由です。
★ かわいそうかな、主人公 その2
ショーダウン間際、町の住民が怒って建物の前に集まり、物を投げたり、彼女にリンチを加える寸前になっています。ショックを受け、うろたえているジュリアの様子にもう1度同情しようかなと思ったりします。そこを見てもまだ田舎の物の分からない人たちが、高等教育を受けているジュリアを誤解でもして凶暴性を発揮したのかと考えそうになります。
何しろ町の人はほぼ全員が失業者。ヒルビリー、レッドネック、ホワイト・トラッシュと呼ばれるタイプの人たちと、自分の連れ子が新しいボーイフレンドと関係を持ってしまったり、ホームレスになってろくに子供を食べさせられない人たち。ジュリアは死んだ夫と共にそういう人たちに医療を通じて手を差し伸べようとしていた人。
その上彼女も息子が誘拐されたんだし、同情した方がいいんだろうか・・・。
・・・と揺れては行けません。この作品に限っては、怒った町の人が彼女をリンチしたくなる気持ちの方が正しいのです。普段自分の子供をきちんと扱わず、子供たちがちゃんと教育を受けられない、ちゃんと食べられない、親が暴力を振るう、ことによっては性的な虐待もあり得る、そういう人が町の住民に混ざっていたとしても、ここで彼女をリンチしようと息巻く人たちには怒るだけの正当な理由があります。子供の虐待はそれとは別に処理すべき問題。
★ 2つの同情したくなる出来事の間に − ここからは完全なネタバレ
話を時系列に沿って説明しましょう。
現在30歳台ぐらいに見えるジュリアはかつて世界を歩いてボランティア活動をやっていた人物。海外の恵まれない地域を回り、その土地の子供たちの世話をしていました。後に夫になるやや年の離れた男性は医師。ジュリアは看護婦。国際的なボランティア団体の一員で、そこには何人かの医師、看護士が加わっていたようです。
2人はいつか結婚し、コールド・ロックに移り住みます。貧困層を幅広く援助してくれる2人は町の人に取っては重要な存在。単なる医者としての義務以上に町の事を気遣う2人でした。しかしある時夫が死亡。ジュリアは町に残り妊婦の世話など、看護婦以上の働きを続けます。
現在は1人息子デビッドと暮らしており、デビッドにはベビーシッターのクリスティンがついています。
話が軌道を逸れるのはここからで、ジュリアと夫は町の子供たちが親からきちんとした躾、教育、保護を受けていないと考えた形跡があります。ジュリア自身は町のソーシャル・ワーカーや所轄の役所と何度も掛け合ったようですが、失業の町では親が子供を傷つけた場合ですら十分子供を保護することができないと分かり、失望感、挫折感を味わう毎日になって行きます。
2人は他の同調者と協力関係にあり、恵まれない環境の子供をそこから《救って》もっといい環境で育てる《運動》を自ら立ち上げたのか、すでにあった組織に入ったのか、いずれにしろ子供の救済に取り組みます。大義名分を考え出した2人は子供をその地で助けることは諦め、誘拐する側の人たち。夫の死後も誘拐事件は続いています。
そしてある日デビッドが拉致されます。ジュリアが必死になってトール・マンを追い、警察と話している時に迷信のような話を一切信じない理由は、彼女がトール・マンの側の人間だからです。ジュリア自身にデビッドがトール・マン以外の者にさらわれたのではないかとの疑念が生じても、警察にそのまま言うわけには行きません。必死で車に追いすがったのも、自分の知るトール・マンと手口が違うため、デビッドがどういう目に遭わされるか予想がつかないからでしょう。
デビッドはジュリアの実子ではなく、よそからさらって来た子供。実母は同じ町に住む赤毛の女性。子供が消えてから憔悴し切っています。映画の冒頭食堂の外でくたびれ切った顔で座っている彼女にジュリアはコーヒーを恵んであげようとします。この行動はジュリアを誘拐犯ではないかと怪しんでいる母親を怒らせ、ついにデビッド奪還を実行。子供を今は使われていない大きな建物に隠します。
ジュリアはボランティアをしている時の経験から、恵まれない子供を金持ちに養子に出すことが正しいと確信しています。その手段が法律違反でも目的が子供の幸せならいいと思い込んでしまっています。同じ事を考える人が組織を作り、養子縁組の順番が回って来ない金持ちとの間に密約を交わし、子供をさらっては斡旋してしています。ジュリアが働いているのはさらわれる被害者の多い地域。組織とは協力体制にあります。
組織は英語を話す貧しい家の子供をさらって、英語を話す金持ちに差し出すことを行っています。ジュリアはそうやって赤毛の女性からさらった子供を自分の子供として育てている最中に、改めて(偽)トール・マンに子供をさらわれてしまいます。デビッドの行方を追って地下道、古い建物を探し回っている時に何物かに殴られ気を失います。
目を覚ますと自分は古い建物の中で人質状態。犯人は頭巾を脱ぎ、正体を現わします。2人は言い争いになり、乗り込んで来た警察に捕まります。同じ頃ジュリアの子供の世話をしていたクリスティンがジュリアの家で首を吊って自殺しているのが発見されます。
ジュリアの事件は1回切り、デビッドの実母のたった1度の犯行でしたが、ジュリアにはこの事件をきっかけに誘拐事件全体の嫌疑がかかります。警察は取り合えずジュリアの家の付近をブルドーザーで掘り起こしてみますが、死体は1体も出ません。ジュリアの家の地下室はかつて採掘場だった洞穴へ通じており、もし子供がジュリアの家にいれば、そこからどこかへ連れ去る時人に見られないようになっています。そして医学の知識のあるジュリアは麻酔を使うこともできます。
ジュリアは逮捕され、自宅から警察署に連行されますが、その時に怒った町の人に取り囲まれ、石を投げられたりします。顔に怪我をしたのもそのため。
取調べ中彼女は子供の状況については話しますが、子供の運命がどうなったかについては固く口を閉ざしたまま。周囲の人は彼女の精神状態を疑い始めます。
観客の側から見ていると、自分のやった事が正しいと盲信し、殉教者のようにそこに命をかけたのか、組織に消されることを恐れて口を閉ざしたのかどちらかです。監督が前に作った作品との関連で考えると、前者でしょう。誘拐犯は子供を保護こそすれ、危害を加えるつもりはありません。
★ 根っ子を切る?
終わり近くでジュリアの家に出入りしていた口の利けないジェニーが、ジュリアに自分をトール・マンに引き合わせろと要求します。彼女は長い間にジュリアの活動に気づいていたのです。実母はトレーラーに住み、生活はあまり恵まれていません。母親は娘に対する愛情もありますが、その他の事にも忙しい・・・。ジェニーはより良い生活を目指し、町を去ることを決心。
ジュリアは最初ジェニーの要求を断わりますが、逮捕される前に話をつけたらしく、少女はトール・マンについて行きます。次のシーンは彼女がお化粧をしているところだったため、一瞬ドキッとしました。いくつもの化粧品が並んでいて、売春組織にでも売られるのかと心配しましたが、きちんとした家庭に斡旋されます。トール・マンは引き取り手の女性が差し出した謝礼を受け取りません。この団体は本気でダメな親から引き離して、もっといい家庭に子供を渡した方が幸せになれると考えているのです。
これとそっくりな話は壁が開いた頃ドイツで何度かインテリ層から耳にしたことがあります。東ドイツは子供を誘拐するのではなく、正式に第三国(日本で使われる意味の第三国ではなく、開発途上国を指す)から、ドイツに連れて来て、ドイツの学校に行かせ、ドイツの家庭で育てることをやっていました。恐らくそういうプロジェクトでドイツに来て育ったのだろうと思われるドイツ人には何度か会ったことがあります。
私はこの話を知り、今年この映画を見て、頭を抱えてしまいました。言語関係の事に長年関わっていたため、子供を生まれ育った土地から引き離したり、その土地の方言を避け、標準語だけを覚えさせたりするだけでも子供のアイデンティティーに大きな影響が出る事を知っているからです。
子供の幸せがお金に恵まれることかも大きな疑問。貧しさ = 不幸 でないことは当然です。ただ、貧しさゆえに親が崩れた生活をしていたら、それは子供の不幸になるでしょう。しかし子供にひどい事をするのは貧しい人だけではありません。
どの層にしろ子供が親からひどい目に遭わされているために親から引き離す必要がある場合も時にはあるでしょう。その場合でも私は養子縁組を同じ地域でやるなり、一時期養護施設で世話をするなりして、それまでの根っこの部分をすっぱり切り離してしまわない方がいいのではと思うのです。
そしてなぜ親が飲んだくれていて、子供に危害を加えるのか。そこでまず1番に挙がる理由は失業。親がきちんと働いて家にお金を入れることは、ただ経済的に恵まれるというだけの話ではなく、子供は自分たちを食べさせるために懸命に働く親の姿から多くを学びます。その機会がスパッと抜けてしまう大きな理由が失業。
ジュリアや組織がそれほど子供の将来を気遣うのなら、親がちょっとでも働けるような方向に運動をすれば良かったのです。高等教育を受けていながらそこには気づかなかったのかね、ジュリア君。
★ 全てを背負って死刑か
ジュリアは最後まで組織については一切触れず、何十人もの子供を殺したかも知れない犯人として刑を受けるか精神病院に収容される決心がついています。警察はそこから先を追うことはできません。
この町からはデビッドが消えた後、ジェニーも神隠し。ジュリアはすでに豚箱に入っています。冷静な老刑事は新たな疑いを抱くでしょう。ジュリアに共犯者がいたのか、全く別な犯人がいるのか、クリスティンの自殺の原因は・・・など。
観客にはもう1つサプライズ、ジェニーがトール・マンについて行き、お金持ちの婦人に引き取られてからの後日談が用意されています。
トール・マンはジェニーを車のシートの下の秘密の空間に隠し、どこかへ連れ去ります。もしかしたら国境を越えてカナダへ入ったのかも知れません。ジェニーを婦人に引き渡す時にはパスポートを含めたいくつかの書類も手渡します。おそらくは出生証明書などでしょう。
そして彼女が新しい家庭に落ち着いた時、彼女は言葉を話せるようになっています。どこかで治療を受けたのか、あるいは落ち着いた家庭生活で徐々に話せるようになっていったのか・・・。
そして1番のサプライズは、最後彼女が学校の近くでデビッドを見かけるシーン。ジェニーの方はそこまでの経緯を記憶していますが、デビッドは何も覚えていない様子。表向きこれで「子供たちは幸せになったのだ」という体裁を整えていますが、監督の主張はこういうハッピーエンドではなく、変な方向に妄信するジュリアへの大きな疑問の方です。
トール・マンは複数存在し、色々な場所で活動しています。話はジュリア逮捕では終わらないのです。
★ ビール
主人公の後ろに大きな男の影が見えるポスターが出回っています。このポスターは彼女の背後に暗い秘密ついていることをばらしています。
ビールは全くの善人に見える演技で、役に良く合っています。ビールはずっとこういう小ぶりに見える作品に出ている人で、それまでのイメージを上手に生かしています。なのでびっくりしたのは、最近有名な歌手と結婚したことです。
この歌手はこれまで何度もその時の大スターと交際している人で、ブリトニー・スピアーズ、キャメロン・ディアス、ジャネット・ジャクソン、スカーレット・ヨハンソンなどの名前が挙がります。それに比べるとビールはかなり地味で、雑誌などはキャリアに大きな差があるなどと書いています。一見ビールの方が年上に見えるのですが、実際は年下。ビールの良さは小ぶりの地味な作品に表われるので、変に大スターにならない方がいいのですが、最近衣装が派手になったりしています。映画ファンとしては、先行きが心配です。
★ 残酷ホラーではない
前の作品がショッキングだったので、監督の名前で見に来る人たちには失望があるかも知れません。しかし監督として幅広い作品を手がけるには、毎回手法を変えて数本作っておく方がいいと思います。そういう意味で、トールマンは良い転換になると思います。
トールマンには怖さを特に強調したシーンはありません。観客の頭の中に「もしかしたら・・・」という疑念を抱かせ、「もし予想が当たっていたら・・・」という怖さを所々に配置してあります。しかしをそれを強調し過ぎず、最後に「これで正しいんだろうか」という疑問に結びつき、前作とは違った意味で監督の思った方向に着地します。
いくつかの対比があります。世界を歩き、世界を知っている人、ある村に生まれ、そこしか知らない人。高等教育を受けた人、ハイスクールを出たか出ないかの人。家を持ち、生活が安定している人、ぎりぎりの条件で生活している人。毎日する事がある人、無い人。
そういう風に主人公と周囲の住民を対比させて行くと普通は立派な教育を受け、世界を歩き、世のために尽くす人は正しい事をしているのだと、観客は思い込んでしまいます。そこに思い込みがある事に気づけば監督の意に沿うのだと思います。前作でも地位の高いインテリが必ずしも良い事をしているわけではないことを描いていましたが、手法が非常に極端だったため、「そういう例もあるかも知れないが・・・」と、観客には特殊な例のような受け止め方をされました。確かにあんな事をする人は非常に限られた階層、人物でしょう。
今度は善意があっても間違った道に迷い込むことがあるのだという例を本当に善人に見える登場人物を使って描いています。その怖さは「キャ〜」っと叫ぶ怖さでもなく、後でジワリと来る怖さでもありません。むしろ毎日の生活で時々ふと「これ、いいんだろうか」と思わせる、怖いという感覚より、自信に疑念が生じる感覚です。
今年のファンタには観客をミスリードする作品がいくつかあり、成功しています。大型予算を使わず、この経済不況の中を生き抜いて行くには知恵が必要ですが、知恵を使った作品が今年は出ていました。
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