January.27.2002 また来ちゃいました中日劇場
1月20日 『尾張嫁入り物語』 (中日劇場)
年末に何回か植木等さんが来店された。植木さんは一月に名古屋で上演される『尾張嫁入り物語』の稽古を森下の稽古場でやっておられた。その稽古帰りに出演者の小松政夫さん、三上直也さん、石見(いわみ)榮英さん、赤城太郎さんらとお見えになったというわけ。「世の中、旨いものを食うのが何よりの幸せってもんだよ」とおっしゃられる植木さん。それもあるけど、私にとっては[世の中、面白いものを見るのが何よりの幸せ]。「必ず名古屋まで植木さんの芝居、見に行きますよ!」
植木さんの『名古屋嫁入り物語』は名古屋の中日劇場でしか見ることが出来ない、地域限定の芝居なのだ。前回は一昨年の秋だった。このとき私は名古屋に行き初日の舞台を見た。楽屋口に行ったら植木さんにバッタリと出会って、初日の慌しい最中だというのに植木さんの楽屋に招かれお邪魔してしまうというハプニングになり、初日の舞台前の光景をはからずも目撃させていただいた。この顛末は、まだこのコーナーがなかったこともあって『蕎麦湯ぶれいく』の2000年10月に、芝居のことは11月に書いた。
日曜の朝早くの新幹線に飛び乗り一路名古屋へ。といっても名古屋までは2時間。あっという間だ。地下鉄に乗り換えて、栄へ。なぜか地上よりも人通りの多い地下街を抜けて中日劇場へ。楽屋口で石見さんを呼んでもらう。「やあよく来たね。植木さん、もう楽屋入りしているから挨拶しておいで」 「はーい! 行ってきまーす!」 二度来ているから中日劇場の楽屋は知っている。階段を駆け上がって座長の部屋へ。部屋の前にいた若いマネージャーさんに来意を告げると植木さんに話を通してくださり、中に入るように言われた。
植木さんに年末のお礼を述べ、東京で買ってきたチョコレートを差し出すと、替わりに公演パンフレットと手拭いをいただいてしまった。
「うん、東京で稽古をしたあと、年末にこっちへ来て舞台稽古。大晦日と元旦は稽古を休んで、二日が初日だったんだ。だから年越し蕎麦はこっちで食べた。いやー、蕎麦はやっぱり東京の方が旨いね」
これは多分にお世辞も入っているだろう。植木さん、そんなに気を使ってくれなくてもいいのに。
「元旦はね、雑煮を食べたんだが、これがこんな小さな丸餅と菜っ葉しか入っていないんだ。どうもこれが名古屋の風習らしいんだけどね」
へえー、名古屋の食に興味がある私だが、さすがに雑煮の風習までは知らなかった。あとで『尾張嫁入り物語』を見たら、正月という設定になっていて、一家で雑煮を食べる場面があるのだが、あっという間に食べ終えてしまうというギャグになっていた。客席からは爆笑が起こったが、これ、地元の人でないと理解できないギャグ。どうも植木さん、東京から来た私にさりげなく予備知識を与えてくれたらしい。一昨年も開演前にうかがったときに、「名古屋では[お仲人さん]のことを[おちゅうにんさん]と言うんだよ。これ、名古屋の人にはわかるけど、よそから来た人には舞台で言ってもわからないと思うんだ」と、教えてくれたっけ。
しばし植木さんの楽屋で話していると、「石見の楽屋へ行こうか」と言い出した。植木さん、明治座にご出演なさっているときでも、ほとんど自分の楽屋にいない。石見さん達の楽屋に入り浸りで、人と話しているのがお好きなようなのだ。緑色のガウンを羽織ると一緒に石見さんと赤城さんの楽屋に移動。濃い目のお茶をすすると、
「眠いなあ。開演前だというのに、どうしてこんなに眠いんだろう」
とボヤく。そして始めたのが前夜の公演後にみんなで食事に行った話。小松政夫がベロベロに酔っ払っていたという話になる、
「疲れているときに駄洒落を連発されると、余計に疲れるだろ? もう、あいつは駄洒落ばっかり」
と、そのあとの様子を、酒を飲めない植木さんが酔っ払った小松政夫の真似をして語ってくださったのだが、これがもうほとんど落語を聞くような面白さ。さらにホテルに帰って寝たらば夢を見たという話になる。これがなかなかセクシーな夢の話で、植木さんまだまだお盛んだなあと思っていたら、その夢にとんでもないオチがついていた。もう楽屋は大爆笑。へたな落語を聴くよりも可笑しい。
石見さん達の楽屋で話を聞いていると、植木さんの声を聞きつけ、役者さんたちがひっきりなしに朝の挨拶をしにやってくる。そんな中、ある若い女優さんが「おはようございます。よろしくお願いしまーす」と挨拶すると植木さん、
「あれ? あなた、ひょっとするとボクの後ろで刀持って座っている人?」
女優さんコクリとうなずいた。
「あの子ね、舞台で一度も見たことがないんだ。それがね、楽屋で衣装着て歩いているんだよ。この芝居に出ている子なんだなあと思ってたんだが、今、突然思い出したの。お城で直ちゃん(三上直也)のお殿様の横で刀を持って座っている役があるんだけど、あれがあの子なんだ。ちょうどボクの真後ろなんで見たことがなかったんだよ」
あとで芝居を見たら、確かに植木さんの真後ろの位置。これじゃあわかんないよね。そろそろ開演の時間が近づいてきた。植木さんは自分の楽屋に戻る。赤木さんは出番が板付き(幕が開くと役者さんがすでに所定の位置にいること)だそうで、扮装に余念がない。こちらもそろそろ客席に移動しなければ。三上さんの楽屋に顔を出して、チョコレートを渡そうとしたら小松さんも遊びに来ていた。「大丈夫ですか? きのうのお酒残ってないですか?」と聞いたら、「もう舞台では、ヘロヘロー」―――って言ってたけど、いざ幕が開いたらノリノリの演技。さすがプロというか、きっと酔っ払っても舞台でもおんなじ人なんだろうなあ。
芝居の方はもうこのシリーズ、毎回おんなじパターン。ただ時代が現代ではなく江戸時代になっただけ。大須の町医者(植木等)の二女(渡辺典子)が結婚しようとしている相手は、西洋医学を学ぶ好青年(川崎麻世)。ところがこの青年の父親(林与一)は植木とは犬猿の仲。結婚に絶対反対する植木ではあるが、やがて娘に折れて結婚を承認するというお話。
幕が開くと大須観音の境内。渡辺典子と川崎麻世が初めて出会う場面だ。渡辺典子がヤクザにからまれているところを川崎麻世が救うという発端。役者さんが名古屋弁を使っただけで客席から笑いが起こる。普段名古屋弁の芝居があまりないからだろうか、これだけで反応がある。植木等が登場して「どこのたわけじゃ」と言っただけでいままでで最高の笑いになる。あの植木さんが名古屋弁を使っているということが可笑しいらしい。もっとも、芝居が進むにしたがって名古屋弁に慣れるらしく、客席からは名古屋弁だけでは笑いが起こらなくなっていく。植木さんの下男役の小松政夫も出てきて、ヤクザ相手に戦いを挑む。懐に手を入れて「オレのケンカは汚ねえぞ、飛び道具を使うからな」と拳銃を出す振りをして、相手にペッペッペッとツバ攻撃。小松さん元気元気。二日酔いとは思えない。植木さんも「眠い」 「もうこの芝居も一ヶ月もたつと飽きてきた」と言っていたのに、いざ舞台に立つとハイテンション。
いつもおんなじ展開なのだが、今回は暗転の合間の舞台前のツナギがよく出来ていた。ちょっとしたコントのようなコーナーになっていて、小松政夫がラップを披露してくれたり、伝染病繋がりでやってくれました電線音頭。圧巻だったのは林与一の踊る『雨に唄えば』。ジーン・ケリーが映画で雨の中、傘を振りまわして踊るシーンを、着物姿、蛇の目傘で見事に再現してみせてくれた。結婚式の場面の前には、江戸時代はなかっただろうという名古屋の風習、これまた恒例の客席への菓子蒔き。
江戸時代、娘親は婚礼に出席できなかったというエピソードは辛い話だが、うまい盛り上げ方になっていた。そしてこれまた恒例のラストシーン。植木等と妻役の山田昌の名コンビが名古屋城の見える場所で語り合う。「名古屋の春はええなあ」 「そんなことありゃーせんて。春は何処行っても同じだがね」 「いいや、名古屋の春は日本一、いや、世界一かもしれにゃーだがね」 満場の拍手の中、幕が降りていく。
楽屋に戻って、植木さん、小松さん、三上さん、石見さん、赤城さんに挨拶。「面白かったですよー」。小松さんに、「そろそろ翁庵のねぎせいろが恋しくなってきたなあ」とお世辞言われて恐縮して、さようなら。
今度の『名古屋嫁入り物語』はいつなんだろうなあ。今度来るときは泊りがけで、憧れの大須演芸場を見る計画を立てようーっと。
January.26,2002 えっ!? 玉ちゃん・・・!!
1月19日 『クレイジーバッハだ ポカスカジャン』 (R`s ARTCOURT)
昨年9月の野音以来のポカスカジャン、4ヶ月ぶり―――って長かったような短かったような。この間、正月などテレビで彼らの姿を確認したっけ。でも彼らの楽しさはやっぱりナマで見なくちゃ。テレビじゃできないネタも多いしさ。
まずはボルネオの音楽。んっ? ボルネオ? なんでも正月3日から9日までテレビ番組の取材でボルネオに筧利夫、お笑い女性コンビのオセロらと行っていたとか。ボルネオで買ってきたという帽子を被ってマレーシアでは誰でもが知っているという流行歌『ジャンパタン・ド・タンパロリ』。玉ちゃんは現地で買ってきた民族楽器サンボトンを吹いての演奏だ。なかなか憶えやすく耳につくいいメロディーだ。マレー語(?)で歌うので、ありゃ最初っからマジな演奏なの? と思っていたら、突然日本語になって、三人が交代でヴオーカルをとってボルネオ・ロケの内幕暴露歌合戦。省吾のヌード写真公開つき。見たかねー!
同じテーマにそって競作した新作。三人三様三者の競作。そのテーマとは・・・チクワ、って何だあ? 三部作一曲目は玉ちゃん。玉ちゃん、前置きが長ーい。で、始まったのが『チクワの穴』という曲なのだが、とても卑猥で書けないよー! 省吾のは『へほぷへ』。『みんなの歌』狙いのカマボコとチクワのなにやらメルヘンチックな歌。省吾、けっこうロマンチシスストなのね。
さあトリがノンちん、というところで客席に本物のチクワが配られる。ノンちんと一緒にニューオリンズのジャングルビートに合わせてチクワを振ることになった。ノンちんがチクワを振ったら客席全員もチクワを振る。ノンちんがチクワを頭の上に乗せたら、客席全員も頭に乗せる。助っ人の杉浦哲郎のピアノが軽快にニューオリンズ・サウンドのリズムを叩きだす。気分はすっかりドクター・ジョンの音楽世界。題して『愛はチクワを救う』 ドワー! ♪チッ、チッチッ、チクワ チッ、チッチッ、チクワ 思わず合唱しちゃったじゃないか!
ところがこれだけじゃ終わらない。ノンちん女性だけを立たせて「普段女の子がしたくてもできないことを、特別にやってみたいと思います。先日『anan』を読んで知りました。今女の子がしたくてもできない事、それは立ちしょんべんです」 嘘デエー! 女の子たちに股間にチクワを当てさせ、おしっこが終わったあとプルプルと切るポーズまでさせちっゃた。おおーい、一歩間違えるとセクハラだぞー! でもなぜか楽しそうな女の子達。
次は男の子の番。「さあ男性諸君も普段やりたくてもできないことをやってみましょう。先日『SPA!』を読んで知りました。今男性がしてみたくてできない事、それはフェラチオです」 嘘デエー! ええーっ、チクワでフェラチオやらせるのー!? しょーがねえなあと音楽に合わせてフェラチオの真似事始めたら、この日ビデオが入ってやんの。来月CSで流れるそうで・・・まいったなあ。私のすぐ隣、下手通路にビデオカメラがいるのだよ。どうやらこっちに向かってビデオを向けているよう。こんなのアップで撮られて流されたら嫌だなあ。
クラシックネタコーナーに突入。バッハの『G線上のアリア・演歌ヴァージョン』 演歌手の物真似で『G線上のアリア』を歌うというもの。美空ひばり『河の流れのように』、都はるみ『アンコ椿は恋の花』、北島三郎『与作』あたりまでは原型があるのだが、そのあとの島倉千代子、五木ひろし、千昌夫を三人同時に歌うというあたりはもうカリカチュアが徹底していてなんだかわからない。それでいて妙にバロック音楽に合うのだから不思議。最後は三人森進一。
『トルコ行進曲・世界情勢アレンジ』 「ゲストをお迎えしています」 ♪タリラリラン、タリラリラン、タリラリタリラリ タリバンだ! と現れたのがターバンに口髭をはやして戦闘服を着たノンちん。どうやら○サマ○○ラディンのつもりらしい。こうして『トルコ行進曲』を替え歌で歌いはじめたのだが・・・その内容は危なくてちょっと書けない。
ハチャトゥリアン『剣の舞』を津軽三味線でやってみようという企画。玉ちゃん、省吾がギターから三味線に持ち替えて―――と言いたいところだが、三味線が手に入らなかったのか、なぜか沖縄の三線(蛇皮線)。手が空いているノンちんは雪を降らす係だが、どうも三線だと南国の香りが漂っちゃうなあ。
ここで三人が着替えにたった間に、杉浦哲郎が『クレージーキャッツアレンジによるビゼーのカルメンスーダラ節』を披露。『カルメン』の名曲の数々にひょこひょこと顔を出す『スーダラ節』がやけに可笑しい。
いったいどんな格好で出てくるのかと思ったら、なんと『白鳥の湖』のダンサーの格好。ノンちんドラムセットに座ってやる気満々。こうして始まったのが『白鳥の湖・ロック組曲』。まずは玉ちゃんがジミヘン気取りで『スター・スパングルド・バナー』と『白鳥の湖』をミックスしたようなギター・ソロをみせるオープニングから、エリック・クラプトンの『愛しのレイラ』へ。ここでも杉浦哲郎のキーボードだけは『白鳥の湖』。一転、印象的なドラムがビートを叩き出すと、これはレッド・ツェッペリンの『移民の歌』。省吾がロバート・プラントばりに♪アアア―――――アア! 歌い出すと見せかけて、そのままアアアーは『白鳥の湖』へ。ローリング・ストーンズの『サテスファクション』のイントロが流れると、客席から自然と手拍子が起こる。いいぞいいぞと思ったら♪アイ・キャント・ゲット・ノー・サテス まできて、ハクッションとくしゃみをして笑いを取る彼ら。またもや曲調一転、レッド・ツェッペリン『天国への階段』。イントロの静かなギターソロと杉浦哲郎の弾くキーボードの『白鳥の湖』が妙にシンクロするから面白い。そのままキーボードの『白鳥の湖』が残って、今度はギターの方がイーグルスの『ホテル・カルフォルニア』にスライドする。さらにはキング・クリムゾンの『21世紀の精神異常者』を経て、ブルース・セッション。こうなるとブルース好きの省吾の見せ所。♪小太りの白鳥がいてどこが悪いんだい 汗っかきの白鳥がいてどこが悪いんだい ひげ面の白鳥のどこが悪いんだい・・・ やがては勝新太郎の物真似まで入る。省吾乗ってるねえ。クライマックスは『ジョニー・B・グッド』。♪ゴーゴー ゴーハクチョウゴー ゴーハクチョウゴー 省吾のスキャットでエンディング。今回のライヴではこのネタが一番音楽的だったし、私の好きなロックだからお気に入りだった。
ところが最後のネタが『甲斐性なしのブルース』にはびっくりした。人造ヒモ人間甲斐性ゼロ(ノンちん)と、ゼロ1(玉ちゃん)の実話ブルース対決。結婚しているふたりだが、売れていない時代にはほとんどヒモ状態。そんな実生活の自己暴露ネタ。ブルースとはいうが、歌うのは最初のところだけ。あとはもう事が深刻すぎて歌うのを止めて、普通の喋りになってしまう。ゼロ1玉ちゃんの有名な『女房に浮気現場を見つかったブルース』がまた始まってしまった。なんでまたこれを演ったんだろうと思っていたら、このあと明らかになった。ゼロノンちんの『10日で二万円もらっているお小遣いを一晩で使ってしまったブルース』のあとでゼロ1玉ちゃんが演ったのは、『一人暮しの男の気持ちがわかるかのブルース』。ええっ!? 玉ちゃん別居しちゃったの!? 「女房に捨てられた男の気持ちがわかるか!?」 「えっ? 玉ちゃん今年スイートテンを迎えたんじゃないの?」 「苦いスイートテンになっちまった」 「女房に三行半突きつけられたの?」 「これからはオレのことを[津軽のみくだり半次郎]と呼んでくれ」 果ては玉ちゃん、女房のハンコ付きの離婚届けを出して見せた。
本当にあった離婚劇をこういうところで半分お笑いにして見せるという芸人魂には恐れ入ったが、これが最後のネタというのは、見ている側としてはつらいなあ。ともあれ玉ちゃん、顔で笑って心で泣いて―――っていう心境なんだろうなあ。元気出してね。
January.19,2002 これぞコントの見本!
1月13日 『いい加減にしてみました2』 (紀伊国屋サザンシアター)
前回の『いい加減にしてみました』は、20年くらい前に三宅裕司が出ていたテレビ番組『いい加減にします』に伊東四朗が出たときのコントが面白かったということから、一度舞台で再現してみようというという意図で行われたもの。その後三宅裕司は小倉久寛とのコンビでのコント・ライヴ『タイトルマッチ』を行ったのであるが、それを見た伊東が、あの中でのコントとコントのつなぎである楽屋での即興のやりとりが面白いと思い、今度は三人であの形式でやろうと持ちかけたのが今回のキッカケらしい。『笑芸人』でも三人コントの難しさを語っていた伊東四朗だが、果たしてどんな舞台になっていることやら、こんなに見に行くことを前々から楽しみにしていたものはちょっとない。
幕が開くと、そこは田舎の風景。どうも時代劇のようだ。伊東四朗の父親と小倉久寛の息子が庭で藁を編んでいる。そこへ三宅裕司の金貸しがやってきて、金が払えなければ馬を持っていくという。笑いの要素はまるでなし。馬が連れて行かれるところで暗転。悲しい音楽が流れる。サザンシアターにはないはずの回り舞台が回ると、そこは楽屋。
「いやー、オープニング受けませんでしたねえ」と三宅。「コント・ライヴなのに悲劇だからドキモ抜かれて、もう少し反応あると思ったら、シ――ンですもんねえ」 ここで客席は大受け。ドーッと笑いがきた。そりゃあそうだよ。この三人、笑い以外にもしっかりとシリアスな演技ができる人。実は笑いを取ることの方がよっぽど難しいんだということを知り尽くしているはずだ。「三宅ちゃん、今の時代劇、カットしない? オレはあんまり面白いと思わないけど」と振る伊東に、「いや、意外性ですよ」 「お客さん、引かない?」 「いや、そのあとで溜めておいて爆発させる」 「溜めて爆発しなかったらどうするの?」 次のコントのための着替えをしながら即興(?)で、いろいろな話をしていくこの形式は面白い。ひとり芝居のイッセー尾形の無言の着替えシーンを、複数で笑いを取れる会話でつないでいくといった風。コントとコントの間に挟まるこのアクセント具合が見る側としても息抜きのようになって疲れないのだ。着替えが終わると、舞台が回って次のコントになる。
次は『父親面接』とでもいうコント。息子を有名中学に入学させたいと思っている伊東。裏金を使って父親面接の質問事項リストを関係者の三宅から買う。「この順番で質問されますから、よく考えておいて当日キチンと答えれば合格間違いなしですから」と言われて、さて当日。面接官が小倉で三宅は書記として横に座っている。順番通りに質問が来ると思い込んでいる伊東は小倉の声など聞いていない。指折り数えて次は何番だから何と言えばいいか準備している。それが突然順番がずれることから笑いが生まれてくる。伊東がひとつ先の質問の答えをいうものだから可笑しなことになる。「息子さんは何かペツトを飼ってらっしゃいますか?」 「母親です」 「息子さんが一番大切にしているものはなんでしょう」 「ゴキブリです」 「一番きらいなものは?」 「フツーのサラリーマンです」・・・。伊東の演ずる父親がとにかく暗記してきたことを順番に話すことが必死な様子と、あわてる三宅の表情が可笑しいのなんのって。
三人コントの難しさとは、てんぷくトリオ時代のコントを思い出すとよくわかる。伊東四朗も言っているように確かにひとり遊んでいる人が出てきてしまうことがよくあった。その点今回の『いい加減にしてみました2』では妹尾匡夫の台本が実によく出来ていた。三人で演るコントという前提をキチンと把握して書いている。次の爆弾処理のコントがいい例。公金横領をしたという容疑がかけられている三宅の家に、その日が退職となるデカ長の伊東が部下の小倉と共に逮捕にやってくる。三宅は毒薬を飲んで自殺をはかるが、ひょんなことから時限爆弾が始動してしまう。「たいへんだ! 爆発したらシの海だぞ!」と江戸っ子の伊東が言ったところで携帯電話が鳴って、三宅は無実だったと知らされる。時限爆弾の止め方を知っているのは三宅のみ。三宅の指図で4本のコードを順番に切って行かなければならない。ところがここで伊東が心臓発作。作業ができなくなってしまう。替わって小倉が作業しはじめるが、どうしてもデカ長に最後の手柄をあげたい。三宅が指図するのを一旦伊東が受けて小倉に伝えるようにしろと言うから、話が混乱していく可笑しさが生まれる。そして三人をうまく使ったコントとして成立している。
『笑芸人』の第3号というのは実に興味深い号で、伊東四朗を中心にした特集が組まれていて、伊東四朗、三宅裕司、小松政夫のそれぞれのインタビューは中身が濃い。三宅のインタビューの中で彼は伊東とのコントは漫才の間ではなく落語の間だということを指摘している。それを受けて伊東も納得している風だ。それなのかもしれない、私が今の若手お笑い芸人のコントよりも伊東、三宅のコントに面白さを感じるのは。そういわれると三人のセリフのやりとりは落語に近いと思えてくる。
ところがこの三人、言葉だけの笑いではないのだ。次の野球のコントではセリフがない無言コント。動きだけで可笑しさを表現してみせる。小倉がバッター、伊東がキャッチャー、三宅がアンパイヤという設定である。球が飛んでくる。伊東が受けた位置はくそボール。ところが判定はストライク。次の球もくそボールなのに判定はストライク。三球目を小倉は叩くとボールはホームランしたらしいのだが判定はファール。頭にきた小倉、四球目の球を前に打たずに後ろのアンパイヤに向かって打つ。ボールはアンパイヤを直撃。頭にきたアンパイヤ、ピッチャーに球を投げ返すフリをしてバッターの頭に球をぶつける。次の球はあきらかにデッドボールねらいのバッターの真後ろにキャチャーはミットを構えている。あやうくデッドボール。注意を受けたキャッチャーが次に要求したボールは真中高め。キャッチャーは受けるとみせてミットを下げる。当然球はアンパイヤを直撃。こうして三すくみの状態になっていくのだが、この無言コントに私は大笑いをしてしまった。最近こんなに笑ったことはない。無声映画時代の喜劇を思い出させるが、三人の演技のレベルは恐ろしく高い。
手術のコント。小倉が盲腸の手術を受ける患者、医者が三宅、そして伊東はピンクの制服を着た看護婦(!)。これは前回もやった、あるキッカケで伊東が歌を歌い出してしまうというパターン。例えば手術室の戸が開かないと言う三宅に、「先生、これは押し戸です」といった途端に伊東のスイッチが入ってしまう。 「押し戸・・・押し戸 ♪こ・・・おし戸をくぐり抜け 見上げる夕焼けの空に 誰が寝てるのか手術台・・・」 手術が始まるとタイヘンだ。「メス・・・ガーゼ・・・ピンセット・・・ハサミ」と指示を出す医師に、「はい、メス、メス、メス」と復唱しているというよりは歌を捜しているような看護婦。「カンシ」という指示に、ついには「カンシ・・・カンシ・・・カンシ ♪カンシちっゃたのよ、ヤヤヤンヤ」 かなりブラックな笑いだが不思議と嫌な感じがない。前作でも葬儀屋でこのパターンをやっていたが、これはこのふたりの財産となってきたようだ。
何をやっても駄目でポピュラーを歌おうとしているオペラ歌手(伊東)と、作曲家(三宅)のコント。試しに何か歌ってみろと言われた伊東、『菩提樹』をドイツ語で歌ってみせた。すごいじゃないの、ドイツ語、しかもけっこう上手いよ伊東さん。何か流行歌は歌えないのかという三宅に、歌ってみせたのが ♪とんとんとんからりと隣組・・・ 『隣組』って戦前の歌だよね。流行歌ねえ。しかもオペラ調。これじゃあダメだって三宅、ミニモニ風にアレンジを変えることにする。いかにもミニモニ風の曲調のイントロが流れると後ろのステレオセットから小倉とふたりの女性が飛び出してミニモニ風の踊りを踊りながら歌い出す。これがよく出来ているんだ。「どうだ、できるか」と伊東を指差しながら無言で去っていく小倉。さあ伊東にやらせてみるとリズム感がないオペラ歌手。これがまた可笑しいのなんのって。次は『上海帰りのリル』を桑田佳祐風に。「スタンド! アリーナ!」の叫び声が伊東のオペラ歌手にかかると「スタンド! わりーね、わりーね」になってしまうのには場内大爆笑。『国境の町』はユーロビートのパラパラ。そして『リンゴ追分』に至っては究極のアレンジ「ヒップホップ風にしたのをラテンテイストにしてハウス風にしてジャズっぽくして和風を入れて、ちょっと崩した感じ」
フィナーレは本当に『リンゴ追分』を三人三様に歌ってみせてくれた。いやあ楽しかった楽しかった。こんな楽しいコントライヴを見たのは久しぶりだ。若手コントのみなさん、これは必見ですよ。ぜひとも参考にして欲しいなあ。最後にひとこと、やはり同じ『笑芸人』のインタビューの中で伊東四朗は最近のコントを書く作家及び若手コント芸人に苦言を呈しているのが的確な指摘になっているので書いておきたい。最近はショートコントなんていって一発ギャグみたいなのをコントだと思っている人が多いというのである。コントというのは筋がなくてはいけないのだ。かといってやたら長いのはコントではない。短い時間に筋があって、それが凝縮されていてこその笑いなのだ。そういったことからも私が今一番面白いと思っている若手コンビは、ちゃんと筋があるコントを演っているアンジャッシュなのだが、なかなか今の若い人にはわかってもらえないのかなあ。
January.13,2002 プロであることの決意を感じさせた志の輔
1月12日 志の輔らくご NEW YEARS SESSION #4 (サントリー小ホール)
前座は今回も立川志の吉の『寿限無』。頑張ってね。
志の輔の一席目。高速道路の交通渋滞、飛行場での理不尽な対応などのマクラを振り「人間、カ――ッと頭に血が昇っている時は、わけのわからないことを喋っているものでして」と清水義範の小説から材を取った『みどりの窓口』。
JRのみどりの窓口の前で、乗りたい電車が全て満席で怒り出すおばちゃん。話が要領得ない老夫婦。そして気の短い江戸っ子風の男がやってくる。「よお!・・・客なんだぜ、『いらっしゃい』くらい言ったらどうだい」 「(事務的に)いらっしゃい」 「イマムラまで、トーンとイキのいい電車入ってるか?」 「・・・」 「特急だよ。鈍行みたいに干物ののようなもの乗ってられっかい」 「ちょっと待ってください・・・ああ、満席ですね」 「あっ、そう。じゃあ何番のところへ行けばあるんだよ?」 「・・・いや、何番って、どこにもございませんよ」 「ええーっ! 東京駅にないの? じゃあ有楽町行かなくちゃ」 「有楽町にもありませんよ、これはコンピューターで発券してるんですから」 「なにー!? コンピラさまー!?」 「有楽町に行っても、どこに行ってもありませんよ」 「有楽町にあるかないか、どーしてお前にわかるんだよ! ちょっとお前の持っているキップ、ここにらズラーッと出してみな! その中からオレが選ぶから! 開けろ、それ」 「ないものは出てこないんですよ」 「鍵がかかっているのか、それ!?」・・・。延々と続くトンチンカンなやりとりに客席は大笑いだ。
志の輔のこの噺を聴くのはこれで二度目。原作をかなりアレンジしてあって、『バールのようなもの』と同じくまったく独自のものにしているのが偉い。原作にあった芝居のチケットをとろうとしている男の部分などは、演ると面白いと思うのだが、これは大胆にカット。ところが後半の居酒屋の場面は原作にはなかったはずだ。夜になってこのJRの職員が友人を誘って居酒屋でグチをたれている。男、壁に書いてある[わかさぎのフライ]がどうしても食べたくなる。「ちょっと、店員さん、このわかさぎのフライ二人前ちょーだい!」 「あっ、すいません、キレてます」 「いいよ、いいよ切れててもつないで持ってきてくれれば」 「・・・いや、終わっちゃったんです」 「始めてよ」 「・・・無くなっちゃったんです」 「捜してよ」 この言葉のひねくりかげんのセンスがやっぱり志の輔らしい。さらには、これまた原作にはない唖然とするオチがよく出来ている。
仲入り後は、元ネーネーズのリーダー古謝美佐子のライヴ。弦楽四重奏とキーボードというバックで沖縄らしい歌声を聴かせてくれた。有名な民謡『安里屋(アサドヤ)ユンタ』 ♪サー、アサトヤ ヌクヤマニヨー サーユイユイ アンチュラサマリバショ マタハーリヌ ツンダラ カヌサマヨー なんだか意味わかんないんだけど一緒に歌ってしまった。古謝さんが孫のために書いたという『童神』。これはNHKの朝ドラ『ちゅらさん』で使われたことがあったそうで、けっこう問い合わせもあったようだ。私は知らなかったのだが、こうやって聴いてみると、確かに耳に残るいい曲だ。近く、『みんなの歌』でハイファイ・セットの山本潤子が歌ったヴァージョンが放送されるらしい。最後が喜納昌吉のこれまた名曲『花』。
一転お囃子が鳴り響き、沖縄ムードからまた落語の世界に戻される。志の輔の二席目。「沖縄には音楽の名人がたくさんいます。なぜかと申しますと、気候が穏やかだからですね。だから、人間まで穏やかになれる。血の巡りがよくなる。リラックスできるんですね。もっとも音楽以外の人はリラックスしすぎ」 こうして志の輔はタイガー・ウッズの例を出してきた。タイガー・ウッズはゴルフ・トーナメントでも、ここは自分のプライベート・レッスン場である自分の庭であると思うようにするという。「リラックスする方法を知っているんですね。いざというときに緊張するのがあたりまえですよ。凡人は周りのギャラリーの目の中で、なかなかできんでしょう」 さらにはこの話、自分の噺家生活に関連づけていく。「前座時代はお客さんの前で、ガヂガチになってやっていた。それが二十年演っているうちに力が取れて取れて・・・こんなになっちゃった。今更力んでも、できることとできないことがあるんです」 「名人、プロと言われる人は、ここ一番と思ったときに、精神はここ百番という気持ちになれる。いい意味でのリラックスというのは大事なことだと思うんです」
こうして志の輔は、オチとして使う籠かきのことをさりげなく挿入しながら『抜け雀』に入っていった。小田原の宿屋で毎日三升の酒を飲んで泊まりつづけている男がいる。さすがに心配になってきた宿の女将さん、主に「ひょっとして一文無しなんじゃないかい? おまえさん一文無しばかり連れてくるんだから。どこへも出かけないで酒飲んで寝てるだけなんておかしいよ」と話を向ける。「宿屋に泊まっている人なんて、みんなそんなもんだよ。朝起きて廊下拭き掃除するわけないだろ?」と言いながらも、男のところに行くと、やっぱりこの男一文無し。「商売は何やってんですか?」 「わしはな・・・絵師だ」 「エシ? 腐っていく?」 「それは壊死だ。わしは加納派の絵師だ」 「やっぱり化膿していく壊死」
男は衝立に雀を五羽描きあげると宿を出て行く。翌朝になるとこの雀が衝立から飛び出して、また帰ってくるようになる。宿場で大評判になるが・・・。志の輔は去年のこの会で『ねずみ』を演ってみせた。こちらはやはり宿に泊まった男が、ねずみの彫り物をして出て行くと、ねずみが動き出したという噺。似たような噺を二年に渡って出してきた。ことによると来年は『竹の水仙』か? また、私は去年の十月に志の輔が『浜野矩随』を演っているのを聴いた。どうもここにきて志の輔はプロであること、その道を極めた者になることの自覚がメラメラと出てきたのではないかという気がしてならない。そしてこのところの高座を見ていると確かにリラックスするということを会得してきたようだ。今は亡き志ん朝師匠も、肩から力を抜いて演るのが肝心だと述べていたのを憶えている。面白くなってきたなあ、志の輔。
January.12,2002 お蔵出し『悲しみにてやんでえ』新装版
1月6日 第50回落語ジャンクション (なかの芸能小劇場)
まずは前説として林家彦いち、清水宏、神田北陽の三人が高座に出てきた。異様にテンションが高いのはやはり清水宏のせいらしい。まずは清水が自分の出ている山梨のラジオに忌野清志郎が突然飛び入りで来てくれたエピソードを語ってくれた。スタジオで、「君に歌を考えてきた」とのことで清志郎が歌い出したのが、♪シミズ、シミズ、シミズヒロシ・・・ とただ名前だけを連呼しているだけの歌。清志郎の大ファンである清水はすっかり感激して「俺も歌います」と『忌野清志郎の歌』というのを即興で歌ったという。♪忌野清志郎が目の前にいる〜、忌野清志郎が赤い服を着ている〜 と延々と見たままを歌いつづけたらしい。ぶっ飛んでいる清水宏らしいなあ。こうなると清水のひとり舞台。
「今度、三月に[すずなり]でライヴをやります」とチラシを出す清水に彦いちは醒めた顔でチラシを眺めていたが、清水が一息つくと、電車の中で円蔵師匠に逢ったエピソードを話し出してこれまた笑いを取りに来る。さらに「きょうは、スペシャルゲストがあります。今、日本中で一番有名な人」と言うので誰かと思ったら、ウクレレえいじ。テレビの『雷波少年』の企画で去年の10月から3ヶ月で日本海側を回り、ライヴをやって累計一万人を超えなければ離婚という企画に乗ったウクレレえいじさん。すいません、あまりテレビを見ない方なので、この番組のことをよく知らなかった。客席は沸きかえっていたが、私は「えっ? この人誰?」 ウクレレえいじさん、ネタをひとつ。ジョン・レノンの『イマジン』にひっかけて『ヒマジン』。ウクレレのイントロのあと ♪ヒマジン、ノーマネー ってこれだけ?
快楽亭ブラ談次は、以前にも聴いたことのある、本人がペプシマンの着ぐるみのアルバイトをしていたという話。富士スピードウェイでコカコーラの看板にペプシマンの格好で正拳突きをくれてやったって本当かなあ。まさかとは思うが、本当っぽいのが怖い。
三遊亭天どんがいつにも増して疲れているような顔で出てきた。前説のことを指して「最初のテンションが高すぎる。楽屋でもうるさい」 どうも清水宏、彦いちのふたりが揃うとぶち切れてしまうらしい。「正月らしいネタを考えてきた」と、初詣に来る参拝客から神様だと言って法外な値段で物を売りつけようとする神主の噺。あいかわらずこの人の考えてくる噺というのは、シュールというか、途方もないというか・・・。
清水宏という人のことを去年の四月の時点ではまったく知らなかった。小宮孝泰さんのひとり芝居『接見』を見に行ったら、たまたま見に来ていた春風亭昇太と清水宏が前説をやっていたのだが、清水宏って何者なのだろうと思っていたものだった。ウチアゲに紛れこませていただいたときも清水宏はいたのだが、私にはこの人の舞台を見たことがなかったので、何も話すことができなかった。その後七月になって、小宮孝泰、ラサール石井、春風亭昇太、清水宏による毎年恒例のコント集『パンタロン同盟』を見て、この四人の中で一番弾けていて、ひとりぶっ飛んで飛ばしまくっていたのが清水宏。こんな人だとは思ってもみなかった。
セーラー服を着て出てきた清水、何やらもう役に入っているようだ。「えーとー、ちょっとおー、オーデションにー、遅れちゃったんですけどー、西条秀樹の妹役のオーデションということですけどー、わたしー、自分なりにー・・・」と、ひとりコントを始めてみたものの何か乗らないようで、突然に雑談のようなことを始めた。清水が新宿駅で見かけた光景。なにやら人だかりがしているので覗いてみると、コートを着たオジサンが大の字で倒れていて、口からはブクブクと泡を吐いている。駅員が「大丈夫ですか?」と尋ねると、しっかりした明るい声で、「ぜんぜん大丈夫ですよ、ぜんぜん平気ですよ」と答えている。それでも心配になって駅員が触れようとすると、「触んないで!」 本人は大丈夫のつもりらしいが状況はかなりまずいことになっている。極度に酔っ払っているのだろう。動けなくなっているのだ。「救急車呼びましょうか?」と言うと、「コートのポケットにケータイがありますから出してください」 ケータイを出す動きも出来なくなっているらしい。駅員がケータイを出してやると、今度は電話をかけてくれと言い出す。「ああ、かあさん? ちょっと動けなくなっちゃって、助けて欲しいんだけど」 凄い酔っ払いの目撃談だなあ。
ここからまだラジオの企画で東大の入試をすることになった話やら、お年玉をやらなくてはならないといった話を経て、ようやく本題に戻った。女子高生がオーデションで自分が設定した状況で演技をしてみせるというコントなのだが、架空の恋人タカシとの関係をつづったエピソード集。設定を説明するのが長い割に演技が短いという連続した可笑しさが延々と続くのだが、どうもこの可笑しさを文字に表し難い。と、これも途中で放棄。ついには清水、切れた! 即興が始まってしまった。「ここが世界の突き当たりか?」と意味不明のセリフを吐き、戸をガチャと開ける。部屋に入り、なぜか畳を持ち上げて客席に(見えない)畳を投げ飛ばす。なんだかシュールな世界に突入してしまったぞ。「オラオラオラ! 大きなスープだ」と大鍋にスープを作り出すは、客席に出てきて暴れるは、やりたい放題。「無限地獄になってきたぞー!」と収集がつかなくなってくる。なっ、何なんだこの人の弾けようは! 壊れたー! 清水が壊れたー!
と思いきや、今度は正座をして即席落語が始まってしまった。題して『落語・エクソシスト』。「ここが悪魔のいる家かあ。ガラガラ(戸を開ける音)。ごめんよ!」 「遅かったねえ、神父さん」 娘の部屋へ行くと悪魔に獲りつかれた娘がドロドロと緑色のものを吐き出している。「大丈夫ですかあ?」 「ぜんぜん大丈夫ですよー」 こんなことを始めてしまってどうするのかと思ったが、なんとかオチをつけて舞台を去って行った。清水宏、ちょっと注目ですよ、これは。
神田北陽が、本来は下手にある楽屋とは反対方向の上手から出てきた。「楽屋ではたいへんなことになっています。もう楽屋が自宅のようになっていまして、逃げ出してきまして上手の方から出てきたようなわけで・・・」 清水宏、昇太、彦いちが楽屋でぶっ飛んでいるらしい。そのテンションに対抗しようと、前説ではヘンな格好で出てきていた。中野の安売り婦人服店から買ってきたという服をもう一度見せて説明。ピンクのビニール製のミニスカート300円。赤のキャミソール200円。その下にラクダのシャツ着てたけど、これってどういうファッション感覚?
さあてネタに入ったら、『レモン』と同様の物を擬人化したような噺。何かと思ったら今回は鏡餅。買われてきた先の家のひとが全員餅嫌いで、食べてもらえずに置きっぱなしにされている毎年の鏡餅の数々の悲劇。うーん、正月らしい噺には違いないのだが、この餅、北陽の中でもまだ消化不良を起こしているようで、イマイチまとまりがない。どうやら、楽屋入りしてからまとめようとしていたのが、清水宏たちが楽屋でうるさいので手につかなかったらしい。ときどき楽屋から大きな笑い声が漏れているのが聞こえる。どうもたいへんな楽屋になっているようだ。
仲入り後が林家彦いち。年末年始にやった大喜利の話から入った。テレビ東京が2日にやった『東西寄席』。私も見たっけなあ。生放送で慌しいことこの上ない番組だったけど、そういえば彦いちも大喜利で出ていたっけ。「行きたくない旅というお題で私がやったのが、[不審船と行く日本海の旅]。これが受けたので次にやったのが[政治家と行く裏日本の旅]。これが放送禁止用語だっんですね。プロデューサーに怒られちゃった。『[裏日本]ではなくて、[日本海側]にしなくては』って、これじゃあ意味がない。でも3日のNHKで小遊三師匠が『千早ふる』の中で[川原乞食]って言ってました。あれだって差別用語」 ネタは園児にバカにされて自暴自棄になった幼稚園の先生が、そそのかされて包丁一本持って銀行強盗に入る噺。
トリが春風亭昇太。昇太にしては珍しくマクラが割と短く、ネタに入っていった。「もうこんな時間かよー、寄席いかなくちゃ」噺家が起き出して下高井戸の駅に向かって歩いていく。霧の向こうに見えるのが一軒の小さな家。何だろうと思って近づいていくと[ネタの部屋]と書いてある。鍵があるのだが、これはどこかで見た形。そうだ扇子の付け根の形だと気がついて戸を開けると、薄暗がりにいろな人が立ったり座ったりしている。中のひとりが噺家に気がついて「昇太さん、昇太さんですよね・・・忘れちっゃたんだ・・・ぼくたち昇太さんのネタなんですよ。昇太さん、ネタ書くけれど一回やってやんなくなっちゃうじゃないですか」と言い出す。『ぶさいく可愛い』 『松野明美物語』 『信じらんない』 『パパは黒人』・・・ふわあ、知らないネタがたくさんあるものなんだなあ、昇太さんって。
「ぼくですよ、さんざん演ってピタッと演らなくなってしまった『悲しみにてやんでえ』ですよ。二ツ目のときにさんざん演って、ぼくで認められたようなもんじゃないですか!」 「俺にはもう合わないかと思っているんだ」 そんな昇太だが、『悲しみにてやんでえ』に言われて、もう一度正月の池袋の高座にこの噺をかけることにする。しかも、ネタに言われてハッピー・エンド・バージョンに仕立て直して。ここからが劇中劇ならぬ、落語中落語。『悲しみにてやんでえ・ハーピー・エンド版』 なんだかひとつの高座で二席聴けて得した気分。そういえば『悲しみにてやんでえ』久しぶりに聴いた。オクラにしないで、他の噺もときどき虫干しにして出して欲しいなあ。
January.5,2002 紙芝居をラジオで?
1月4日 落語21・吉例顔見世・お正月特別興行 (プーク人形劇場)
寄席の初席もいいけれど、やっぱり楽しみなのは新作派の連中による新しい落語。今年もやってきてしまった、渋谷ジャンジャンなきあとのプーク人形劇場。熱心な新作落語ファンに紛れて、私も列に並ぶ。
まずは前座生活五年目に入ったという三遊亭あろーから。映画『ブリジット・ジョーンズの日記』の再現だ。淀川長春のような映画の粗筋紹介。 これなら淀長さんよりも面白い。『ブリジット・ジョーンズの日記』一本を見終えてしまったような感じ。映画解説者にでもなったら? そのくらい面白かった。
春風亭昇輔。アニメ映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモウレツ! オトナ帝国の逆襲』のことを話し出した。この映画、大人の鑑賞にも耐える傑作として私の仲間うちでも評判なのだが、私はまだ見ていない。これを機会にビデオを借りてこなければ。昇輔は世間の認識度とは違って『千と千尋の神隠し』よりもいいと言う。「『千と千尋の神隠し』なら漢字が五つも入っていますからね。そこへいくと『クレヨンしんちゃん』じゃあひらがなとカタカナだけ。米丸師匠が小さん師匠たちと落語会に出たことがあって、ネタ出しをすることになった。小さん師匠は『笠碁』。米丸さんは何を演りますかと言われて、よく演っている『ジョーズのキャー』をと言ったあと、漢字がひとつもないから『ジョーズの驚き』にしといてくれと言ってました」 ネタに入ったら、すっかり宮崎アニメやらポケモンやらに座を奪われてしまって、小豆相場に手を出して落ちぶれてしまったアンパンマンの噺。『ハンニバル』の一場面のクスグリもあり、この人結構映画好き。
神田昌味は新作講談『流氷の子供たち』。網走で農家をやっている母と息子ふたりだけの家族。この息子ももう三十一歳。まだ嫁の来てもない。そんなある年末の日、男は流氷に上ろうとしている若い女性を見かける。まだ流氷に上るには危険な季節。男は女性に注意をして、家へ連れて帰る。話を聞くと、この女性まだ高校卒業間際の十八歳。失業中の父のかわりに高校を出たら家計のたしに働こうと思っていた矢先、両親が交通事故で死んでしまった。傷心旅行に出た北海道。流氷に乗って自殺を考えたと言う。このあとふたりは結ばれて、後日談があるのだが・・・。どうも私には話が散漫で、盛り上がりが見えてこないような気がした。無理があるなあと思ったのが、果たして両親が死んだくらいで、いくら若い女性とはいえ自殺を思い立つだろうかということ。しかも後半、この女性がクリスチャンだとわかるのだが、自殺を禁じられているクリスチャンが何で自殺をしようとまで追い詰められた心境にあったのか、そのへんの理由づけが欲しかったと思う。
夢月亭清麿『バスドライバー』。ネオン街、最終バスが発車しようとしている。そこへ飛び込んできた酔っ払い。「バスはいいね、広くて、大きくて、明るくて、賑やか。タクシーは嫌いだ。暗くて、狭くて、運転手は無愛想」 そうは言われてもバスの運転手もこの酔っ払いには迷惑そうだ。この酔っ払い一万円札を出す。そんな高額紙幣を出されてもツリはないと言うと、ツリは取っとけと気前がいい。よーしそれならとこの酔っ払いの行き先の停留所へ先に回りましょうと運転手はバスをすっ飛ばす。信号なんて無視。「青は進め、黄色は注意して進め、赤は思い切って突っ走れ!」 最初は迷惑そうだった運転手が、酔っ払いと意気投合していくのがモー娘のうち誰が好きかという会話。ふたりとも飯田圭織だというのだが、そんなにディープなモー娘ファンではない私は、飯田圭織ってどの子?
本来なら清麿のところで林家たい平が出なければいけなかったのだが、たい平は遅れているようだ。七時十分、仲入り後も柳家喬太郎が出番を繰り上げて出てきた。「たい平さん、まだ来ていません。出番を忘れているような人ではないんですが・・・。私は今日は本来、浅草五時五分上がり、上野六時二十五分上がりだったんですが、夜この会に出るので浅草を二時二十分上がりにしてもらって、上野の方は休ませてもらったんです。こちらに来て知ったんですが、今日たい平さんはこちらの楽屋入りが七時二十分になると言っていたようで・・・どうも本来私が出る六時二十五分の上野、たい平さんが代演してくれたらしい」 ウハハハハ、何なんだー! 電車の中の酔っ払いの様子をマクラにして入ったのは、どうも古典の『手紙無筆』。あれー? 新作の会で古典演るのかあと思っていたら、これは劇中劇みたいなもので、主人公がテレビで『日本の話芸』を見ていたところ。入院していた男が病院で見かけたカップルのために治療費を援助してあげようとする噺。これ、『なわとび無筆』っていうのかな。
「こちらに来て、びっくりしました。喬太郎が落語を演っている」 たい平、まさかそんな事情だとは気がつかなかったようで、可笑しいね。はからずもこのあとは三遊亭白鳥でトリとなる。「ひざ代わりの位置ですので」と自分でもめったに演らないと言う、噺家の物真似。林家源平、桂文生、柳家とし松、一龍斎貞丈、先代三升家小勝・・・ってマイナーすぎて似ているのかどうかわからないー! 楽屋で鏡を前にして出を待つ、金原亭伯楽、入船亭扇橋、故古今亭志ん朝あたりになると頭に浮かぶのだが、無言で鏡に向かう様は見たことないもんなあ。さらには新宿末広亭の杉田恭子席亭やらスミコお姉さんなんて知らないよー! 最後は去年亡くなった江戸家猫八を偲んでうぐいすの物真似。
三遊亭白鳥は正月のNHKに出た。NHKから話がきて、紙芝居をやってくれという。ところがよく聞いたらテレビではなくラジオ。ラジオでどうやって紙芝居を演れというのか。その発想がNHKらしくないのだが、それを受ける白鳥も白鳥。稽古する場所がないので、年末の池袋演芸場の昼、お客さん五、六人の前で毎日演ったそうな。それと、浅草東洋館の『とんでも落語会』。「ここに来る連中なんて変態ばっかりですよ。ぜったいにNHKの受信料なんて払ってない。そんな連中の前で演って、NHKで受けるわけない!」 さらに当日の収録現場でのドタバタ話が続き、可笑しいのなんの。こうなると、その紙芝居のネタ、聞いてみたくなるではないか! 「もう、自分ではオクラにしたいんですが、せっかくですから・・・」と、その紙芝居を持ち出してきて、当日のネタを演ってくれた。
「何しろSF超大作ですからね」と始めたその紙芝居、最初の紙は[提供]としてある。IBM、JR東日本、住友グループなどの文字の中に、びっくり食堂、池袋千姫なんてのも混じっている。知っている人がほとんどいない池袋の食堂とソープランド、こんなのNHKで放送できるかー!(笑) 『銀河英雄伝説・人類対ホッテンポッポ族』が始まるとみせて、実は『にんぎょひめ』。「それは来週。寄席でもお目当ての噺家が出ると思って行っても代演ばっかりで、つまらない噺家ばっかり出るでしょ」と皮肉をかまし、人間の王子様に恋をした人魚の話を、かなりハチャメチャにした紙芝居に仕立ててみせた。しかしなあ、NHKのスタジオでの様子を語った前置きの方がネタの紙芝居より面白いってのはなあ・・・、ハハハハハ。
January.3,2002 初席らしい華やかな国立演芸場
1月2日 新春国立名人会昼の部 (国立演芸場)
初席だったらどこへ行こう。浅草も池袋も上野も新宿も、初席ばかりは超満員だ。散々悩んだ末に決めたのは国立演芸場。なにしろ、落語協会、落語芸術協会、円楽一門、落語立川流の垣根を取っ払っての興行だ。あれも見たい、これも見たいというなら、やっぱり国立演芸場の初席でしょう。国立演芸場の前まで来たら、なにやら人だかりが。なんだろうと思って近づいていったら、あら、あれは玉川スミさんではないの。来場した人たちを前にして挨拶をしている。
新春初日ということで、これから振舞い酒をすると言っている。「飲まないとブツよ!」 私も紙コップを受け取り列に並ぶ。
紙コップを差し出すお客さんにスミさん自ら柄杓で酒を注いでくれる。うれしいではないか! さっそくキューと一杯。うへー、昼間の冷や酒は効くなあ。チケット売り場に行ってみれば、指定券売り切れ。やっぱりね。でもめげないもんね。二千九百円の料金が、ここ国立演芸場、立見券なら二千二百円だ。それにしても、やばい、これは酔いが廻ってきてしまったではないか。立見というよりは、前の方の通路に腰を下ろして地べたで座り見することにした。
幕が開くと、後方の扉から女性が七人、木遣りを歌いながら一列になって登場してきた。揃いの着物に白足袋、草履姿。右手に扇子、左手に赤い提灯を持っている。提灯には何やら寄席文字が。ああ、この七人、みんな芸人さんじゃないの。これは自分の名前が書かれた提灯。小菊、金魚、寿代、まねき猫、皆子、にゃん子、美智。舞台に上がると、横一列になって木遣りは続く。普段舞台の上ではヘンな衣装でバカなことを言っているにゃん子金魚も神妙な顔で歌い続けている。やがて下手にまた一列なって去っていった。
木遣りの声がまだ残る中、チョーンと木が入って、後の垂れ幕がパラリと落ちると、笛に太鼓のお囃子さん。獅子舞が飛び出してきた。若山胤雄社中による寿獅子だ。映画などで見る中国の獅子舞はかなりダイナミックだが、日本のものは芸が細かいと言える。本当に生きている獅子に見えるから不思議。高座を走り回り、転げ回り、暴れ回る。やがて落ちていたみかんをパクリ。それと同時に獅子も眠くなってきたようだ。笛が子守唄を奏で出すと、ウトウトしはじめて、やがて眠ってしまった。すると翁の面を被った人物が登場。右手に扇子、左手には小槌を持っている。ひとしきり舞ってみせ、ご来場の皆様にお宝がさずかりますようにと願ってみせてくれた。入れ替わりに出てきたのは、前におかめの仮面、後にひょっとこ(?)の仮面を被った人物。膝をついて前と後で交互に挨拶。帰りついでに獅子の頭を扇子でポカリ。獅子は再び動きだした。うーん、木遣りに獅子舞。日本の正月だなあ。
昔々亭桃太郎、座るやいなやまた「曙があー」と始めた。まったくいつもと同じだなあこの人。「曙が結婚しましてね。お嫁さんがヤキモチ焼きで外に出さない。アケボノの缶詰」 いつまでやってんのかね、これ。ネタの方もまた『結婚相談所』。「どこから来たんですか?」 「うちから」 「どういうところに住んでいるんですか?」 「3DK」 「どこに住んでいるんですか?」 「うちの中」 「生まれたのは?」 「布団の中」・・・。住所を聞こうとする職員とのトンチンカンな会話が続く。
外で玉川スミ姉さんと樽を割っていた神田紅が「三年連続して国立の初席に来ている人っていますかー?」と客席に声をかけるとかなりの数の手が上がった。熱心な人もいるものだねえ。「十年続けて来ている人っていますかー?」 まさかとは思ったが高齢の人ひとりの手が上がった。すごいなあ。私は数年前に一度来ただけ。あのときも立見だったっけ。「去年までは江戸家猫八さんが振舞い酒やっていてくれたんですが、今年からはもっと年上の玉川スミさんになりました」 そうかあ、スミさんいつまでも振舞い酒、お願いね。最近講談を聴くと、講釈師が必ず言うのが今が忠臣蔵から三百年だということ。去年が松の廊下から三百年。今年が討ち入りから三百年。来年が切腹から三百年。紅も新年早々『祝いの討ち入り』 吉良邸討ち入りの様子を名調子で読み上げた。「義士の仇討ちの噺です。こういうおめでたい日には踊りで締めたいと思います」と釈台を片付けてもらって『せつほん』
橘家円蔵。「寄席の初席興行、だいたい一時間に八本から十本入れるんです。ひとりの持ち時間五分弱なんてことがある。こうなると、どうやって客を笑わせようかなんて了見はこれっぽっちも無い。それを金馬さんなんて二十分も演っちゃうんですから。こうなるとひとりづつ出ていたんじゃ終わらないから、ふたりづつ高座に上げろなんてことになる。そのふたりが別々の落語演ったりして、お客さんはなんだかわからなくなっちゃう。真中では正楽が紙切ってる」 そうなんだよね。国立に来た理由も、他の寄席と違って初席でもひとりひとりの時間をキチンと取ってあるからなんだ。先代文楽師匠のエピソード、談志のエピソードといったよく演っているマクラを今回もしてから、お得意の『不精床』へ。
玉川スミ姉さん、いつものように縁台に腰掛けて三味線を弾く構え。去年の芸能生活八十周年のことを語り、「十年ごとに演ってまいりましたが、これからの十年は遠すぎる。いつお迎えが来るかわかりません。これからは五年ごとにしました。今度は八十八歳。米寿の祝いでもあります。みなさんよろしくお願いします」と挨拶。都々逸一曲歌って三味線をひとしきりかき鳴らすと、「終わりだよ! 終わったら拍手するんだよ! ほらそこ! ゴチャゴチャ話してる場合じゃないよ! ブツよ!」 いつもながらの笑顔で罵声が飛ぶ。「三味線の糸にお気づきの方はいらっしゃいますか? 一の糸が松の糸、二の糸が若竹の糸、三の糸が梅の糸。松竹梅の糸っていうんですよ。正月になると使うシキタリなんですよ。一年に一度しか使わないのにわざわざ染めてもらうんです。七日までしか使えない。その先は使っちゃいけない糸。福の神が舞い降りると言う縁起のいい糸なんだよ!」 うれしいね、スミさん、そういうシキタリを頑固に守るところが偉いなあ。スミさんも一曲踊りを踊ると言い出した。「七十年ぶりに踊ります。腰が痛いやら、足が痛いやらでどうなることかわかりませんが、間違ったらごめんなさいよ」と、小さな獅子舞いの獅子を片手に踊り出した。おかめ、ひょっとこ、天狗の面まで持ち出しての、『獅子がしら』
スミさんのあとを受けて出てきたのが三遊亭楽太郎。スミさんの話題をふって、「それにしても、よく化けるもんでございます」と言った途端、「誰が化けるだよー!」と木槌を持ったスミさんが楽屋から出てきた。「ここは楽屋なのかな、老人ホームなのかなと思うときがありますよ。歌丸さんなんて、昨年倒れて、楽屋で点滴打っているんですから。『歌丸さん大丈夫ですか』って近寄っていったら、『あっちへ行け』って言われちゃった。点滴の管を私が踏んでたんですがね」 母親の台湾旅行の話から短めの新作落語『フルムーン』へ。三十年周年の結婚記念日に新婚旅行で行った伊豆の旅館に、再び訪れた夫婦の噺。
ここで仲入り前恒例の手締めの意味の手拭投げ。スミさんと紅さんも出てきて楽太郎と一緒に客席に手拭を放る。[国立演芸場] [大入り]と書かれた提灯の絵柄の黄色いてぬぐい。もらえないかなあと思っていたら、楽太郎さんが最後に投げたものが私のところに。こいつは春から縁起がいいわい。そういえば以前に来た初席でも私はてぬぐいを手に入れたんだっけ。スミさんに向かって「手を締めるよりも、首を締めたいよ」と言って笑いを取っていた楽太郎、紅さんの手を取って、スミさん残して楽屋に消えていっちゃった。「こら、こら」と追いかけるスミさん。
仲入り後は、花島皆子の日本古来の奇術、和妻だ。まずは南京玉簾のようなもの。簾を使っていろいろな形を作っていく。代わっては和紙を鋏で一枚が二枚、二枚が四枚、四枚が八枚・・・と切っていき全部バラバラになったと思いきや、これが全部繋がっているという手品。ふわあ、全然タネがわからないやあ。
和妻のあとがいわゆる奇術で、マギー司郎。馬、ニンジン、バナナ、ピーマンが描いてある画用紙を見せる。これと同じ絵が何枚かあって、手でパラパラやってみせると確かにおんなじ。「このニンジン、バナナ、ピーマンのどれかを馬が食べたら驚くでしょ? 何を食べさせたいですか?」 客席から「バナナ」と声がかかる。「それはお客さんが食べたいものでしょ。馬はバナナ食べないの」 「ピーマン」 「馬がピーマン食べるわけないじゃないですか。やっぱりニンジンでしょ。ではニンジン食べさせますよー」 もう一度パラパラとやると馬がニンジンを食べている様子が続き絵になっている。「実はこの馬、ピーマンも食べるんですよ」 もう一度パラパラやると今度は今度は馬がピーマンを食べている。ありゃ、どうなっているんだろう。うーん、最初にニンジンを食べさせる必要が手はずとしてあったんだということだけはわかるんだが・・・。
三遊亭好楽。「保母さんをやっている娘がいるんですがね、幼稚園の年少組(三歳)が『もう生きているのがつらいわ』、年中組(四歳)が『今の若いものは』、年長組(五歳)が『昔はよかった』って言ってたって」 ほんとうかなあ。ネタは『紙屑屋』。
ボンボンブラザースの曲芸もいつもどおり。コヨリを鼻の頭に立てて、フラフラと歩き回るのも高座が広いから、余所の寄席よりもやりやすそう。ついには客席まで降りてきちゃった。
トリの桂文治が「あけましておめでとうございます」と挨拶した途端に、また文治師匠の頭の中が江戸弁のことに向かってしまったようだ。「[ありがとうございました]なんて昔は言わなかったものですよ。商人は[ありがとうございます]。それと同じで[おめでとうございました]も無かった。[おめでとうございます]ですよ。[姪っ子]に[甥っ子]だってやんの。あれは東北弁。[紫蘇っ葉]のことをいつのまにか[大葉]なんていう。そんなもの昔は冬の寒いときに着てたんだ」 それはオーバー。なかなかネタに入れなくなっちゃった。「吉原には里言葉というのがありました。[そうでありんす] [また来てくんなまし] 花魁って、なぜオイランっていうかご存知ですか? たぬき、きつねは尾の才を持って化かすっていいます。そこへいくと花魁は、尾いらん―――って説がある。またオイランって、ハナのサキガケと書いて花魁。悪い病気を持っていて鼻が先に欠けちゃうという説があるんです」 そのまま調子が出てきて『鼻ほしい』に入っていった。性病で鼻が無くなってしまった侍が旅の途中で馬に乗る。頭の禿げた馬子のことを狂歌にして読んでやると、この馬子返歌を返してくる。「山々に名所古跡は多けれど、ハナのないのが寂しかるらん」 これ、怒っちゃいけないやね。アイコなんだもん。
正月らしい華やかな気分の国立演芸場。初席は国立がお勧めです。
January.2,2002 元旦に聴く『芝浜』の大晦日
1月1日 春風亭小朝新春独演会 (ロイヤルパークホテル)
殺人的に忙しかった大晦日。蕎麦屋だから年越し蕎麦をやっているとはいえ、ここ数年の大晦日としては最も忙しい大晦日だった。最後の片付けをして、コタツに足を突っ込んで横になったら朝までグッスリと眠り込んでしまった。一夜明けて元旦。ここ数年、元旦といえば前日の出前の器を下げて、お銚子を一本つけてお雑煮。夕方までまたひと眠り。元気回復してから、初詣で賑わう水天宮を抜けてロイヤルパークホテルへ。今年も小朝の落語を聴いて一年が始まる。
まずは林家しゅう平が元気よく飛び出してきた。「去年は殺伐とした事件が多かった中でも、日本国民にとって心安らかになる出来事がありましたね」 ははあ、皇室の話ね。雅子様に敬宮愛子様がお生まれになったことねと思った瞬間に、「そう、サッチーが逮捕されたんです」 違うでしょ! 林家三平が亡くなってもう二十年以上が経つ。三平が亡くなったのは昭和五十五年。しゅう平が林家門下に入門を許可されたのは昭和五十七年だったという。それでも、しゅう平の高座は三平の明るさを引き継いだかのように賑やかだ。この日の噺は『動物園』。最近はこの噺、みんな珍獣動物園として演る人が多いようだ。しゅう平のも、鼻のない象だの、毎日卵を生むトキだのが出てくる。特別出演の小泉純一郎首相もあったりして、初笑いにはうってつけのトップバッターだった。
小朝の一席目。「飲む、打つ、買う。男の三道楽なんて申しますが、最近の噺家の三道楽も変わってまいりました。飲むというのはビタミン剤。打つは鍼。買うといっても飼うの方、熱帯魚やらクラゲを飼ったりしております」 ふふふ、健康的な道楽だねえ。これって、小朝自身のことなんじゃないの? 小朝の高座からは、やけに健康的な匂いがしてくる。噺の方は『宗論』。キリスト教にかぶれてしまった息子に、浄土真宗を信じている旦那は気が気ではない。「番頭さん、息子ときたら机まで十字架の形に切って使っているんだよ。『使いにくいだろう?』と言ったら、『これが本当のテーブル・クロス』」 教会から帰ってきた息子はなぜか外人口調。キリスト教の教えを父親に語り出す。「最後の晩餐のとき、主なるキリストは三つのグラスに入った液体を指して申されました。『これはぶどう酒、これは水、そしてこれは・・・湯だ』 どうもおわかりになっていないお客様が多いようです。『これはぶどう酒、これは水、これはユダ』」 「お前は宗教家なのか、それとも漫談家なのか!」と叫ぶ父親が可笑しい。本来この噺のオチは古くさすぎて、最近はオチなしで演る人も多いが、小朝はちゃんと新しい時代に合ったオチで締めた。
メクリに[林家こぶ平]と出た。小朝以外の出演者は前もって公表されない会なので、誰が出るのかわからなかったのだが、こぶ平とは儲けだ。昨年の夏に、この人の『味噌豆』に遭遇して、こぶ平は変わったと思った。きっちりと古典を演るようになったのだ。「今、浅草演芸ホールに出てからこちらに来ました。浅草の街を歩いているとよく声をかけられるんですよ。『こぶ平!』とか『こぶ!』とかね。中には『松村!』なんて言う人がいる。似ていると言われますがね、あっちの方が太っている」 そう、夏の時にも書いたが、こぶ平は痩せた。それと同時に落語が格段と巧くなった。夏に聴いたときと同じ『クイズ100人に聞きました』での松村邦洋のこと、リポビタンDのCMのことをマクラにして、この日は『新聞記事』。「入ったうちが天ぷら屋だけに、すぐあげられちゃった」という中段のオチの部分を「うちの親父だって、こんなこと言わないよ」とクスグリを入れながらも、前半の隠居が語る嘘話をキッチリと語る巧さ、後半の、これを聞かされた男が豆腐屋に行ってやってやろうとするところのおとぼけの可笑しさ。こぶ平は本当に上手くなったと思う。この調子で噺の数を増やしていって欲しいな。
小朝二席目。「禁酒なんてやる気になればできるものなんですよ。無理だとお思いですか? 人間、ある状況になれば酒なんてやめられますよ。刑務所に入ってごらんなさい。あそこでは酒なんて飲ませてくれません。ビールが飲みたくて脱走したなんて話、聞いたことがないでしょう?」 ははあ、これはひょっとすると『芝浜』に入るのかなと思ったら、やっぱり『芝浜』が始まった。釜の蓋が開かないよと朝早く起こされた魚屋の勝さん。天秤棒を担いで夜明けの町へ。「ううっ、寒い!・・・魚食う奴がいるからいけねえんだ・・・うん? 売る奴がいるから食う奴がいるのか」なんてぼやきながら芝の浜へ。浜で財布を拾って中を確かめた途端、はっとなって懐へ。腰が抜けたように歩きながら「金だ、金だ、金だ、金だ」のつぶやきは真に迫っていた。家へ戻って女房に金を数えさせようとすると、手が震えて数えられない女房のしぐさに、彼女の心の動揺が見事に写し出されている。代わって自分で数え出す勝さん。「ひとひとひとひと、ふたふたふたふた」、最初大きな声で数えていたのが、長屋の隣の家に聞こえるとまずいと思ったのか、急に声を低くする演出の巧さ。「もう仕事なんかしない。これで飲んで暮らすんだ」とすっかり有頂天になっている勝さんに、「あたしの話を聞いておくれよ」と何回もこれは手をつけちゃいけない金だと諭そうとする女房の姿のよさ。そんな女房の声は耳に入らない。「そうだ、オレ、湯治に行きてえな」
酔って眠ってしまった勝さんに、あれは夢だったんだと嘘をつき、また働きに出そうとする女房。もう金輪際酒は止めたと宣言して働きだす勝さん。「酒は止めたって言わなくてもいいじゃないか、ちょっとくらいならいいんだよ。度を過ぎなきゃ」という女房にも「いや、もう酒は一滴もやらねえ」と言う決心の強さ。さあ、クライマックスの三年後の大晦日の場面だ。五十両(普通は四十二両として演る人が多いが、小朝はなぜか五十両だった)の入った財布を見せ、あれは夢ではなく本当のことだったんだと打ち明ける女房。一旦は怒りかける勝さんだが、女房のやったことを許す。実は妊娠しているんだと打ち明ける女房に思わず頬をゆるませる勝さん。三年ぶりに酒を勧める女房に、「こっちには子供の宿った女房のお腹、こっちには五十両。祝い酒だ」といかにもうれしそうな勝さんの表情がいい。この噺、最近はもっとねちっこく演る人も多いが、小朝はサラリとした中にも勝さんと女房の心理描写を巧みに表現してみせていた。元旦から大晦日の噺を聴かされて、今年は始まった。でも一年って短いよな。このコーナー始めて、もうあっという間に一年が経っているんだもんな。
おまけ
毎年行っているこの会は、開演前に飲み物と食べ放題のスナックが出される。今年は、焼き鳥とタコス、そしていつものチーズとツナのサンドイッチ。これが美味しいんだ!