4月27日、隣組の寄り合いで訪ねたお宅に五月人形が飾ってあった。その話を翌日カミサンにすると、その夜2Fの物置部屋から五月人形の部材を下す作業が始まった。そして翌28日にせっせと組み上げた。包みに使っていた新聞紙の日付を見ると平成23年とありビックリ。もう10年以上も飾っていなかったんだ。子供も大きくなり成人したため、全く手を着けていなかった様だ。そのため組み立てのノウハウも記憶から消滅し、全く初見の如き状態だった。終盤に入ってから説明書代わりの写真1枚を発見し、ようやく完成に至ったのが写真。連休で孫たちがやってくるためチョット力が入っている。 ところで懸案のスペアナR3273。手が届きそうな経費を掲げる業者をネット上で見つけ状況を伝える。ところが、部品の入手難で断りの連絡があった。校正も含みギリギリ納得出来る経費で、保証の無いオークションを狙うよりは賢明だろうと考えた結果だった。どうも入力ATTが無いらしい。エラーメッセージで入力レベル低下があり、外部SGから強引に+10dBmで入れると入力ATTが不良となる。内蔵CAL信号だとオンマウスの様に本来-10dBmあるべきCAL信号が凡そ30dB低い。入力ATT切替が出来ずCAL動作が途中で止まってしまうと診ている。+20dBmのCAL信号を入れたらCAL動作は先に進むのかもしれないが、SGは最大+10dBm止まり。まぁ、CALが出来なくても、他の測定器を併用しての評価は出来るので、現状のままケースに収めた。ATT本体か制御系かのすみ分けが必要だと思うが、時間が出来たら調査してみたい。 |
27日の約束だったが、隣組の寄り合いなどがあり初校紙の校正作業が伸びた。伸びたと言っても修正は出来ているので、それをA3スキャナーに掛けてPDFを作成し送る。その作業が自宅のスキャナーはA4止まりなので、自治会館の複合機を借用する。印刷じゃないので紙もトナーも使わないから問題ないと勝手に宣言している。それが昨夜は寄り合いで飲んでしまったので本日早朝の作業になった。たまに複合機を使うとカラー選択や送信先設定でまごつく。幾度か試している内にOKになった。印刷だとゴミを出してしまうがファイル化はそれが無いのでグッド。ところがそのPDF、50MB超もあってメール添付が出来ない。結局いつものギガファイル便に格納し届けた。27には閉口してトレスの校正も届き、こちらはコメントで修正点を送り対応した。これでやれやれだが20ページにもなる模様で、やや散漫な感じがしないか心配だ。 ところで連日汁見谷へ通っている。水やりが主たる作業だが、今日はハウス内に成長した草を草刈り機で刈った。除草剤を散布しようかとも考えたが、やっぱり草刈り機に手が伸びる。そして、根元が腐食している青島老木の根元を掘り、先輩から譲り受けた「みねた」を捕植した。老木も今は元気に花を咲かせ始めているが、実が着くと枯れ出すのは時間の問題と判断した。実が着くと十分な水分と栄養が供給出来なくなる。早目の対応となった。写真は40年物の青島老木の半分朽ちた根元を掘り、高接ぎした「みねた」を植えた様子。オンマウスは舞台スルガエレガントの着花状況。 |
ここ数日気温が上がらず、昨夜から雨が続いている。ミカンの開花は停滞状況だ。ミツバチも雨が無ければ飛び開花した花を回れるのだが、雨だとじっと我慢するしかない。早く上がって欲しいが、開花が3部咲き程度になると次の農薬散布が控えているので、それも悩ましい。3部咲きと言っても一斉に3部になる訳じゃないので、一体どのタイミングで散布しりゃ良いの?となる。そんなの真面目に考えたら何も出来なくなるので、要するにテキトーにやれば良いのだと呟く。中山間地の農業って本当にマニュアル通りには行かない。 ところで剪定時、枝や幹の切り口にバッチレートを塗るのを失念。枯枝落しの作業に併行して今始めている。以前は癒合剤(缶と刷毛)を使っていたが、小規模の切り口にはチューブ式が使い易い。ゴム系樹脂の手袋で、一度人差し指に適量出してから、指先で切り口を撫ぜると完璧。所々に前年までに選定した切り口が見えるが、バッチレートにより綺麗に処理され、腐食や枯れに至っていない様子を確認できる。切断した枝の処理は機械的に処理できるが、問題は幹や枝の途中の枯れ。写真は24日、田んぼの青島。ここから出ていた枝が枯れ出したため(害虫と思われる)、思い切って付け根から切り落とした(オンマウス)。そこを平らにしてバッチレートを塗ったもの。枯れの成長が抑えられ、皮が盛ってくればしめたモノだが果たして…まるで樹木医じゃん。もう少し早く処置すればよかったのにと反省しきりだ。 9日の選挙の投票所毎の投票率結果が発表された。山切自治会館は1500人規模の投票所ではトップ。しかし全体に低調だ。 |
後輩から4CX1000Aのリクエストがあった。どうやら球のイカレタ30S-1が自宅に転がっているらしい。汁見谷で伐採した栗やビワの木を薪ストーブの燃料として引き取りに来た際、御礼という訳じゃないがQSYして行った。4CX1000Aを探している内に、写真に写った4CX1500Aのことも思い出して探すと出て来た。両者共福井時代の異なる先輩が出処。写真の左は4CX1000Aだが、線上に強い薬剤を使ったと見え管名が消えている。恐らく右の4CX1500Aの様な書き込みがあった筈だ。最近オークションで、この関係の物件を手放されるOMを散見する。自分もそうなるのだろうと思いながら、未だ引き受け側に回っているが、それも時間の問題なんだろうと苦笑。ところで2つ並べて気づいたが、4CX1000Aは電極全てのコンタクトが同じ形だが、4CX1500AはSgのみ連続した〇型になっている。昔業務用4極管で、冷却ルートをプレートと切り離し、クリーンなエアをコンタクトへ流し、接触不良の改善を狙った物があったが酷似している。 ところで4月10日に寄稿したQEX_No.47の原稿(リモートシャックの発電設備関係の紹介)。昨夜初校紙がPDFファイルで届いた。未だ図は一部作成中のモノがあるため、文章だけ校正を依頼された。これを紙に印刷し、赤字で修正を入れ、再びPDFにして返送する予定だ。読み返してみると内容が多岐で散漫な感じがする。ポイントを掴み辛い感じがするが、興味のある方には実例として参考になると思う。お約束で初校紙をお見せ出来ないのが残念。 |
開花前に散布しておきたかったマシン油とダニ剤。この調子だと、柑橘集会で説明のあった「昨年より1週間早い」は正解で4月中に満開の可能性が出てきた。今日22日は曇天で気温は低目だが寒くはない。天気予報を見ると西の愛知は晴れている。朝パラパラと来たが瞬間だった。今しかないと散布を決意。グリーンセンターが開くのを待ってアプロード(フロアブル)500ccを2本購入。マシン油ストックがある。軽トラへ動噴とタンクを積み、農薬を持参して汁見谷へ赴く。マシン油10リットルはタンクに入れてきた。そこへ水を注いだら泡状態で水位が見えない…多分500リットル程度だろう。更にアプロードを1本(1000倍)流し込んだ。マシン油は5リットル(100倍)で良かったらしいと後で判明。まぁ汁見谷のヤノネは、昨年の収穫時尋常じゃなかったから「これで良いのだ!」と自分を説得。ただ液肥は失念。午前中に汁見谷と舞台早生を散布し農薬が終わる。午後は尾羽畑総で550リットル給水。マシン乳剤は5.5リットルとし、アプロード1本と液肥を1リットル(500倍)で入れた。これで田んぼの散布に臨んだが、残り8本のところで農薬切れ。時間も16時半を回り作業を切り上げ、残りは翌日の対応とした。翌23日、水300リットルへ、アプロードが切れたためダブルフェースとマシン油と液肥で薬調。田んぼの残りと伊野を散布して農薬切れ、最後の寺山に辿り着けず。農薬庫にはダニコングしか残っていない。これを水75リットルで薬調し寺山へ散布、ようやく完了となった。ダニ剤のオンパレードだった。 |
このところ毎日草刈り機を振り回していた。屋敷に始まり、舞台→田んぼ→汁見谷→伊野→寺山と回ると面積は6反を超える。3月に堆肥を入れた時はそれ程でも無かったが、気温が上がり草の成長は著しい。草の種類も様々で、地を這うようなものから真っ直ぐ伸びるもの、また何にでも絡まるもの。地べたは平らに見えそうだが、石や柑橘の根があり凸凹そのもの。それぞれの状況に合わせて草刈り機を入れるのは一つのノウハウだ。草刈りは18日までにひと段落したが、これから9月頃までほぼ毎月繰り返すと思うと楽じゃない。いっそのこと除草剤に浮気しようかと考えたりするが、雑草の花にも舞い降りるミツバチを見ていると気持ちがリセットされる。 草刈りの後は施肥。春肥にJA配送センターから2回に分けて届いた配合肥料が35袋もある。何かの間違いかと思ったが、昨年汁見谷を増やしたこともあって、増量注文していた模様。それを19〜20日で施肥。でもどう頑張っても17袋。てことは夏肥も含まれているってことかぁ。 20日に柑橘集会があった。早いと言われた昨年の開花より、凡そ1週間早く推移しているらしい。確かに施肥しながら蕾の膨らんでいるモノが目立った。そろそろ開花に合わせた農薬散布の準備も始めなきゃいけない。と言っても一斉に同じタイミングで開花するわけじゃないし、気温には大きく影響するので悩ましい。写真は午後訪れた汁見谷の不知火…南側(温室側)の一部が咲き乱れている!。そこだけプーンと橘の香りが漂い、ミツバチが飛んで来ている。 |
4月16日は柳生博さんの一周忌だった。昨年7月30日に八ヶ岳倶楽部でお別れの会が行われ訪ねた。写真は奇しくもその日に発売になった柳生さんの著書「柳生博 森に暮らし、鳥になった人」。倶楽部の売店を覗いていたら目に入り間髪入れずに購入した。それにしても何と言うタイミングの良さだろうと驚いた。全てが書き下ろしではなく、大半は過去の著書(「森に暮らす、森に学ぶ」「それからの森」「柳生博 鳥と語る」)でまとめられ、後段に書き下ろし部分と没後の関係者の後書きが記されている。また冒頭には倶楽部を引継いだご次男宗助さんのコメントも記されている…父は破天荒だったと言いながらも、しっかりと受け継がれている姿が爽やかだ。柳生さんのことを、ひとまとめにした本と言ったら良いのかもしれない。東京と甲斐大泉(八ヶ岳)との2住居生活は、単身赴任生活をしていた福井勤務時代を思い出す。車を400キロ飛ばして帰省し、農作業や家回りの所用をこなしてから再び400キロ飛ばした生活と重なる。「さまざまな誘惑の渦中にいたから、自分でわかるんだ。”ダメになっていく”って」…これ柳生さんの語録(勝手にそう思っている)だけど、何故か自分に当てはまる様な気がして時々口にしている。逃げたらあかん、初志貫徹ってことだと思っている。この本は一気読破ではなく、付箋を入れて置いて、気が向いたときに取り出して読み進んだり、また戻ったりするのが良い。それにしても1年が早い。昨年はハチミツだったが、今年こそ自家栽培のミカンを倶楽部へ届けようと思っている。 |
汁見谷の草刈を半分終えて12時半頃帰宅するとカミサンが慌てていた。屋敷蜂場の蜂箱を点検していたら、次に診る予定の箱で分蜂が発生したらしい。怖い管理人がやって来たので、何か悪い気配を感じたのだろうか。分蜂先は25m程離れた舞台のスルガエレガント畑の最下段にあるシバの木。シバだけじゃなくヤブカラシをはじめとするツル系が最上部を取り巻いている。そこに分蜂したミツバチが一時退避していた。分蜂時のミツバチは大人しく、滅多なことでは刺さないが、念のため網帽子を被り現場に駆け付けた。カミサンは既に回収用の蜂箱や巣枠を用意して作業を始めていた。幸運にも最初に巣枠へ回収した群に女王蜂を発見。それを巣箱に入れれば、ほかの蜂は黙っていても女王の居るところに集まる。ただそれだけだと時間が掛かるので、シバノキの枝やツルを切って人力で蜂を移動させる。彼らの指揮命令系がどうなっているのか分からないが、万単位の蜂が争うことも無く女王の下に帰って来る姿は、本能なんだろうが美しく見事だ。写真はシバノキに一時退避したミツバチ群。オンマウスは回収箱を用意してシバノキを見上げるカミサン。これから気温が上昇する日は分蜂との闘いになる。1日に複数回発生することもあってウンザリすることも多い。今回の様に手が届く所は良いのだが、高い木の上だと大捕り物になる。先日草を刈ったばかりのスルガエレガント畑は緑一色だ。 |
今週はミカン畑の草刈りが続いている。春肥が届いていて撒きたいのだが、気付くと草が結構伸びていて気になった。屋敷は4月初旬に刈ったがそれ以外は手付かずだった。11日に舞台、12〜13日は田んぼ(途中)、14日は汁見谷を刈った。あと伊野と田んぼの残りがある。50代の頃は1日8時間ほぼ休みなく刈っていたが、70近くなると長時間連続が辛くなり手を抜く様になった。やってやれないことは無いと思うが、健康のためには一寸怠ける位が丁度良いのかも知れない。写真は田んぼ初日の様子。草の種類も数多く、刈り取った後には次の種が芽を出すから面白い。根元から刈ってしまうと早々に次の種が出てくるので、それを遅らせるために多少茎を残して刈る。大地を枯らさない様にしながら、かつ草刈の効率を上げる(草刈数を減らす)ためのテクニックだ。、園地全てに渡り、同じ草が同じ条件で生えている訳じゃないから、教科書に書かれた様には行かない。状況に合わせて刈ることになるのだ。写真は殆どタンポポ畑の様相で、一斉に花が咲いたときは見事である。奥側から刈り込んで来ていて、暫くするとタンポポ畑は無くなる運命。やがて雑草は枯れ、土に帰り肥になる。まさにSDGsだ。 ところで修理中だったR3273。バッテリ交換でメモリアラームは回復したが、今度はCALが途中で止まる。メッセージからCALレベルが低いと思われ、外部からSGで30MHz/-10dBmを放り込み様子を見たがダメ。どうも入力ATTが切り替わっていない様に思える。その間ネットオークションを覗いたりの浮気心が芽生えたりする…。 |
2月4日のTopicsで紹介したピーターパンフォークフェスが葵区のアイセル21(女性会館)で行われた。この模様は4月10日の静岡新聞にも紹介されている。このフェスは葵区鷹匠にあるMusic Cafe SerendipityのマスターI氏らが中心となって企画されたもの。12時半、駿府城公園でカミサンと時間調整後、恐る恐る会場へ赴くとロビーは既に黒山の人だかり。その中に一際長身のI氏を発見し挨拶。そして、出演者に小川ロン氏を発見しビックリ。早々に楽屋を訪ねる…手紙でのやり取りがあったものの、再開は1979年青葉公園のコナミちゃんコンサート以来44年振り。すると横でニコニコしている兄貴、何とバンジョーの名手城田じゅんじ氏だった。始まる前からやや興奮気味で客席中央に座ったが、13時に始まると登場するMCやミュージシャンに見覚え。休憩時間や終了後に、もしやと恥を忍んで思い当たる方に声を掛けた。MCのNさん+ご主人、草薙MountainBoysのY氏、パトリックのO氏+奥様とH氏。全て当たりだった。懐かしい音楽を楽しむ一方で、半世紀近く封印状態だった音信が復活しかけ興奮している。所用でキャンセルしたH先輩(1976年6月25日同フェス企画、小生PA-Mix担当)へその旨伝えると「行きたかったよー!」だった。ちなみに客席は常時満席で、アイセル21によると、申し込み中4割が参加をお断りする狭き門だったらしい。とにかくラッキーな一日だった。写真はフィナーレで「さよならが言えない」を演奏する草薙MounteinBoys・城田氏他の皆さん。オンマウスはソロで熱唱の小川ロン氏。16時半終焉の予定が17時半頃になった。城内駐車場までの帰路、城田氏と偶然一緒になり歓談しながら歩くちょっとイィ時間。色々な人へ声を掛けられるのは年を取ったってことか。 |
昨年味わった青島と早生のそうか病の大発生を2度と味わいたくないと農薬散布のタイミングを見ていた。摘果の時に既に葉や果の多くが、金平糖の様にトゲトゲ状態で呆れるばかりだった。新芽が10mm程度になったら散布の目安としながらも、実際に新芽を見て回ると大小さまざまで困惑する。同じ樹の中でも枝によって違うし、同じ園地内でも場所で違う。一体どれを見れば良いのかと思いたくなるがそうも言ってられない。中には蕾になりかけているやつもあって驚く。遅れない範囲で平均を目指すって感じだろうか。農薬はデランフロアブルを1000倍で薬調し、液肥も500倍で薬調し混合した。微熱が無かったらもう少し早く散布したかったのだが結局8日になってしまった。本当なら全ての園地で散布したいところだが、去年酷かった屋敷(ゆら早生)、田んぼ(青島・早生)、舞台(早生)を中心に都合1100リットルの散布を行った。田んぼは、はるみも混植してあるが、種別毎の散布は面倒なので一斉にかけている。このところ農薬価格も高騰しており、使用量はギリギリに抑えたいとする狙いもある。写真は散布した屋敷のゆら早生。極早生種なので発芽が早い…この芽には花は着かないかも。そうか病は湿気を好むので、今期の剪定はかなり刈り込んでいる。オンマウスは何時もの軽トラの農薬散布グッズ。これから一気に芽が伸び月末には着花する見込みだ。 |
統一地方選の季節がやって来た。当地では市長選挙と県議会議員選挙が9日に行われる。地元選出の候補がいないことも有って、意外と静かな毎日が続いている。自治会が大手を振って選挙支援が出来るのは「投票所へ行きましょう!」と言うくらい。もう何年も続けてきたが、有志による「投票所へ行こう!」放送を今回も行うことにした。いつもアナウンスをお願いしている同郷のSさんとは、31日のご苦労さん会で一緒だったので、来週早々に収録したい旨を伝えていた。ところが4月に入ったら体調がイマイチで微熱が続いていた。様子を見ていたのだが、放送は前日の8日から実施することになると、編集作業を考えると6日には収録したいと、その日の朝になって決め連絡を取った。幸いにも予定が付き19時頃から30分程度の間に5プログラム分のアナウンスをTASCAMのレコーダへ収録。原稿は過去資料を探してきて修正した。前日の昼・晩、当日の朝・昼・晩の素材を2回繰り返し、前後にチャイムを入れた。編集はSoundEngineで行うためTASCAMからPCへWAVファイルで取り出した。最終的にWindowsPCのタスクスケジューラに放送時間を登録。PCはHeadPhone出力をステップアップトランス経由で、放送室ミキサへ放り込んだ。ミキサ入力はAux系を使いたいのだが、基板上のJP設定が良く分からず、今回もMic系プラグを差し替えて対応。何処かでAux系を生かせる筈なのに悔しい。これ毎回同じことを繰り返しているので何とかしたい。8日朝、行政の担当者に混じってPCをセッティングしテスト再生。無事準備が整い都合10回近い放送が行われた。果たして今回の投票率はどうなっただろうか…。 |
1日の晩から微熱を感じる様になった。季節の変わり目で気温が安定せず、寒の戻りがあったところに薄着でいた事が原因と思われる。やはりちょっと背中が寒いかなと思ったときに対処しないと何かが起きる。それで、2日と3日は力が出ず、布団に入ったり家の中の作業で時間が過ぎる。懸案のQEX原稿は、編集氏殿が他業務に追われているため3月末〆切が4月10日まで伸びた。これ幸いと思っていた所にやってきた微熱でちょっと慌てている。微熱でも熱があると集中できないのだ。本文を書き上げ、それにリンクする写真や図表に番号を付けキャプションを書くのだが、作業の効率が上がらない。と言うより判断が鈍くなり、写真の決定にしても時間が掛かったり、決められないでズルズルしている時間が目立つ。まぁ週明けまで十分時間があるからと安心してはいるが、このまま体調が回復しないとチト慌てることになりそうだ。 写真は32インチPCディスプレイにWARD本文と画像サムネイルを表示し、文中の番号と画像の番号を照合しながらナンバーリングしている様子。Windows時代より昔はネットも無く、写真はフィルムだったのでPC上のファイル操作など有り得ず、全て紙にして入稿していた。今から思うとゾッとする様な状況で、通信手段は手紙か電話(Fax)しかなく、細かな手直しなど出来る筈もなく、良くやっていたと呆れてしまう。今は100MBにも及ぶファイルをギガファイル便で瞬時に送ることが可能で、編集後直ちに校正紙がPDFで送られてきて居ながらにして修正が出来る。 |
地元のシニアクラブが元気だ。昨年9月の台風15号で荒地と化した山切公園(桜沢公園)の復旧に懸命だ。水で土が流されてしまったゲートボール場などの復旧が進み、周辺の花壇を整備し草花が植えられ既に花の競演が見られるまでになった。シニアクラブの皆さんの情熱には頭が下がる。カミサンもこれに便乗し花壇の端に自宅のフジバカマを株分けして持ち込み植えている。今年の空にはアサギマダラが飛来するかもしれない。ところでシニアクラブ会長の熱意で「3世代交流イベント」が企画された。当初は3月25日予定だったが雨で1週間延伸し4月1日の開催となった。1日は好天に恵まれ、朝から依頼された会場PAの設営を行った。土手に置いた軽トラから会場向けに音を出せば良いだろう位に思っていたのだが、やはり会場まで50m以上あり音の遅延が気になる。結局会場直近まで軽トラを移動させ普通の距離下でのPAとなった。WL-Mic2本とPCの音楽再生のみだった。電源のみ公園入口の電柱から70m程を延々と張った。さてそのイベントだが、冒頭の景気付けに地元庵鼓会の太鼓演奏から始まったのだが、訪れた人は30数名。庵鼓会以外は皆老人でとても3世代交流とは言えなかった。各戸配布のチラシを撒いたり有線放送で案内を流しても、目玉がないと中々人は集まらないものだ。意識的な動員計画も必要に思われる。コロナ禍で年度内の活動を控えている自治会のスタンスともズレを感じながら、シニアクラブの先輩方を持ち上げる対応も考えたりで実に悩ましい。写真は開始セレモニーの様子。 |
年末は引継ぎや体制移行などないから、忙しくても黙っていれば時間が片付けてくれる。ところが年度末はそうは行かない。しっかりと引継ぎメモを作成し出納関係も記述し次年度の担当者に引き継ぐ。柑橘委員の荷口検査は30日にも当番があり、終了後オレンジ色のウェアと帽子も引き継ぐ。その30日の晩はJA報告会が有り地区農家とJA関係者が自治会館に集結。31日は延び延びになっていた清水いはらフェスの有志によるご苦労さん会。居酒屋醍醐味で閉店まで盛り上がった。有志は広報部員とステージ部門関係者。本当なら熱い内の2月初旬にやりたいところだったが、ようやく年度末に収まった格好だ。でも熱さは直ぐ復活、時間の経つのを忘れた。 ミカン園で枯れ枝を落しや剪定をしていると新芽の動きが目に入る。昨年は田んぼでそうか病の嵐に遭遇したので、今年は1cm程度に伸びたらデランフロアブルを散布する予定だ。ボケっとしているとタイミングを逸するし、天候の問題もあって悩ましい。昨年落としたつもりでも生らせすぎたはるみで枝枯れが目立つ。これも早めに切り落として木の負担を軽くしてやるつもりだ。汁見谷のゆら早生は無事全数が根を張り出した模様で新芽が出て来た。もう少し根が張るまでは水やりが欠かせない。舞台はエレガント収穫後覗きに行っていない。草の生え方も早くなり、やることが一杯続く。暖かくなりカミサンは連日ミツバチのケアに奔走。貧乏暇なしが続いている。写真は手付かずのスルガエレガントワケアリ。オンマウスは最後の青島と不知火。 |