4月に亡くなられた柳生博さんのお別れの会が、甲斐大泉の八ヶ岳倶楽部であり訪ねた。1985年の南アルプス「ベト場」取材直後に2回ご自宅を訪ねたが、既に35年の年月が流れた。会場では柳生さんとの関係をご子息宗助さんご夫婦に申し上げ、用意されていたナラの葉を供えさせて頂いた。落葉樹好きの柳生さんも喜んでいるだろう。落葉樹が日本の自然を守るんだ!が口癖だった。伺う機会は幾度もあった筈なのにと悔む。ご冥福をお祈りします。写真は倶楽部内を散策中に見つけたキノコ越しの会場。前述の取材で、斜面にひっそりと咲くギンリョウソウのあおり越しにしゃがんだ柳生さんと猟師大村さんが、手でなぜながら立ち去るシーンを撮ったが今でも鮮明だ。その思い出が妙に重なって来る。朝は6時20分にカミサンに見送られ、清水いはらICから中部横断道へ入り双葉JCTから中央道、そして長坂ICから下道を上ると8時前には現着。自宅から何と1時間半、2時間も早い。周辺を散策する時間は十分。歩き回り昔訪ねたお宅を探すも辿り着けず時間切れ。カミサンから段取りが悪いと苦言を呈されるが、この日も同様。ハチミツだけじゃ寂しいと、出発直前にメッセージを書き昔の写真を貼り付けるやっつけ仕事。でもこの方が本気度が増すと返す。相変わらずの朝だった。甲斐大泉からは韮崎まで延々と下り、R20で甲府に入りJA1KAW黒瀬氏を訪ねHL-2Kが1年振りの里帰り。その後JR1AIB井上氏の山頂シャックを訪ねJJ1RDX内田氏も合流。皆さんから元気を貰い帰路に就いた。甲府は39℃もあり驚きの暑さだった。 |
リモートシャックのPCをT6-Proへ変更し、電源接続で自動起動する機能に満足している。処理速度も上がり、WSJT-Xの過去ログの取り込みや閲覧が格段に速くなった。ただ問題が一つ。HDMIに繋がるディスプレイの電源が入っていないと、PCの解像度設定が高解像度(1980x1080/16:9)にならなず、低解像度(4:3)になる。PCは24H起動していて、発電機起動でディスプレイの電源が入るのでどうしようもない。最近リモート流行りで、ディスクトップリモートを使う人たちは、どう対応しているのか疑問を持っていたら、何とHDMIダミープラグと言うモノがあった。ディスプレイの代わりにPCへ差し込んでおけば、PCの画像設定を継続できる。先代のDG-STK5Sは、ディスプレイの有無に関わらず、設定は継続していたのに…色々なスタイルがある様だ。写真はネット購入したHDMIダミーと中継コネクタ。 ところでオンマウスは29日の舞台早生。ゴマダラカミキリの産卵対策で、2回目のモスピラン(SL)散布を実施。吹き付けた根元にたまたま居たゴマダラカミキリがモスピランを浴び、数秒後には落下そして15秒後にはご臨終となった。触覚に農薬が垂れているが、ひとたまりもないのだろう。元々樹皮をかじって違和感を感じ衰退させ、そこへ産卵しない様にする目的だが、直接浴びたらひとたまりもない。この日は全園地で250リットル散布したが、舞台でのみ5匹捕獲。内3匹はモスピランを浴び早々にご臨終。残り2匹は飼育箱へ投函。このタイミングの散布はタイムリーだったかも知れない。 |
昨晩までに受け入れ態勢を整えておいた自治会有線放送の同報無線系。長年使用したNEC受信機はお役御免となり、代わりにOKI受信機へ交換になった。伊野の草刈りの最中、10時頃自治会館へ赴くが、同軸ケーブル等忘れ物が多く自宅を往復。業者さんも受信機を忘れ取りに戻ったとか。受信機のコネクタケーブルは業者さんが製作して来られ、こちらは先バラで受けられるように3Pのハモ端を用意。内訳はGND・制御・音声。写真はOKI受信機を投入し、ハモ端経由でリレー箱(制御)と放送設備(音声)へ繋いだ様子。テストは市役所でOKI方式の制御信号を一斉と個別それぞれ送出、有線放送設備の電源投入の有無で確認。そして12時の時報を待つ。NECのトーン方式では、早いタイミング(30秒前)で電源投入されたが、OKIのMSK方式では何と5秒前。12時の時報送出が始まると素早く受信機VRを回して音量設定。一番の懸案だった放送終了後の処理はスムーズで、ノイズ発生は無かった。これを確認し業者さんは写真撮影を行い引き上げた。1回の確認ではチト心配と、17時の時報を伊野の草刈をやりながら確認。それでも心配と思っていたら、翌26日朝7時頃、静岡市南部に大雨・洪水警報と緊急放送。これも問題なく放送された。どうやら思い付いて5年越しで所期の目的が果たせた様だ。辿れば10年以上前からの続いていたと思われる。しかしこんな努力をしても、今年度からデジタル化の調査が始まるらしく、何時までこのシステムが続くかは分からない。 |
自治会有線放送の同報無線ノイズ対策。いよいよ終盤だ。明日業者が他メーカーRxを持参してドッキングする。1.5kΩの抵抗を介すオープンコレクタ出力なので、これをフォトサイリスタで受ける。その改修が所用で遅れ、遂に前日夜になった。17時の時報放送後作業を始め完了は19時半頃だった。作業内容は、有線放送側の制御基板にフォトサイリスタを搭載し、入力(LED側)を前述のRxへ繋ぎ、出力はパワーリレー(現用制御系とパラ)へ繋いだ。電源は12VでLEDの規定値が2mAなので、抵抗(5.6kΩ)で1.7mA以下に調整している。現行Rxは明日撤去予定だが、それまでの緊急運用に備え、Rxとその制御系はそのままにしてある。そもそも本件は、静岡市と清水市が合併した時、制御方式を無理やり統一したことが発端。静岡はO社(AFSK)、清水はN社(Tone)だった制御方式を、Rx側には変更を加えないで、送信側でシリーズに制御信号を送るアイデアを講じたのだ。安定伝搬・受信が確保できれば問題は無いのだろうが、合併後伝搬ルートが高速の橋桁で塞がれ、Rx自体の特性劣化や予備機欠如等で、N社のRxで当初特性の維持が難しくなった。同報無線放送終了後の停止動作が設計通りにならず、ザァーと猛烈なFMノイズが混入するのだ。その解決のために、受信電界調査やアンテナ試作と受信点調査を繰り返したが、オンエア中のS/Nは良好であり、もはやO社Rxの交換しかない処まで来ていた。基板上に見える白っぽいDIPが愛用のフォトサイリスタHSR312。 |
午前中に猛烈な雨。短時間で通過し午後から青空になり、気温は12時過ぎには32℃近くに…。とにかく暑く畑仕事はやってられない。リモートシャックの燃料が尽きた模様で、灯油20リットル缶x5個を搬入。ところが、ガス欠かと思いきや、自然落下Wタンク混合給油方式の弱点を再び味わう。外部タンク残量が減ると、インジェクションポンへの供給圧力が下がり、エア混入を招き易い。タンクを高くして圧力を上げるのは容易だが、連動すべき内部タンクは今の10cm嵩上げがやっと。上面が不揃いだと満タン時に低い方でキャップのエア抜きから浸み出す。真横から観察するとキャップはタンク上面から数cm上に突起している。これを基に、外部タンクを5cm程度嵩上げ。キャップからの浸み出しは感じられない。暫く様子見とした。今回の給油量は90リットル。全て空なら105リットル入るので、15リットル近く残っていた勘定だ。時間計は3521.7Hだった。 この給油に併せ、外部タンクの水位検知接点を収容箱へ引き込み、フォトサイリスタで論理反転(リレーにしない理由は24H通電で電流が数mAに収まるから)しサーモスイッチ(室温異常)とパラってLANIOへアラーム情報として入力。写真はその様子。ハモ端から上に伸びる黒箱がフォトサイリスタ箱。右はLANIOでその上がHUB、左の白箱は発電機制御とATU制御用リレー箱でLANIOのオープンコレクタ出力で駆動。 手前は先日投入の電源自動起動のスティックPC。好調で速度も上がった。毎回色々な体験や発見がありハンドメイドHamライフって本当に面白い。 |
朝4時に目が覚める。しかし耳を立てるとしっかりと雨音。予想はしていたが今日の農作業はボツ。前日19時まで散布した農薬の乾きも気になる。降り始めは何時頃だったとか、乾いていれば農薬は流れないだろうだとか…悩ましい。そんな思いとは無関係に雨は降り続く。県内では一部に警報も出ている。雨の日に出来ることは無線!ではない。依頼されている原稿書きとHP制作。前者は「5T31/450THリニアアンプ製作」で、20余年前に製作したモノ。HP上に書いた製作日記を製作記事としてまとめ、20年前に出版社へ寄稿したがボツ。QEX_No.43の原稿を出稿した折り、ボツ原稿のpdf版を編集氏へメール添付したら、何とお気に入りになられ、日の目を見そうな雰囲気。そのためには、膨大なページを凡そ半分にする必要がるらしい。文章や写真・資料の刈込やWeb紹介併用より目的に近付け、その旨返信したが果たして…。そして後者。地元に三池平古墳と称する5〜6世紀頃の前方後円墳がある。地元で「三池平古墳まつり」と言うイベントを古墳で行っていたが、コロナウィルス感染絡みで2年休止していた。今年は是非やろうと、実行委員会が毎月開催され準備を行っている。そのイベントにPA担当として当初より参加してきたが、今回はHPも制作することになった。今年の予定や過去資料をWeb上にまとめたらと、つい失言してしまったのが運の尽き。結局自分が制作をすることになり本日深夜までにでっち上げた。手元にあるアリモノで作成したので過不足があり、追々修正して行く予定だ。 |
ところでこのARRL Club NewsとARES Letterのバナー。実は最近ARRLより頻繁にメールが届くようになり、時々この様なバナーが貼り付けてあって誘いを掛けて来る。20年近く前は良くテキストのみで案内が来たものだが、気付くとそれが無くなっていた。メールにはURLが記してあるが、ここではバナーをクリックするとARRL Club Newsを覗ける様にもした。特段のLoginも必要なさそうなので一般の人も覗けると思う。ARRLのWebサイトや書物の編集センスには憧れを持っているが、相変わらず参考になる。まさに世界をリードしている感じがする。 そうこうしている内に今度は下のARRL Contest Updateの案内が届いた。実に楽しい。 ところでこれらのバナー、ARRL Club Newsはjpgだが、他はgifファイルだった。何か意味があるのか制作者の趣味なのか、面白い。 |
今日はお地蔵さんと川施餓鬼のお祭りが予定されていたが、昨日来の大雨の影響と天候不順が予想され、朝7時の段階で早々と雨天会場で実施する旨の案内が自治会の有線放送で流れた。昼前から天候が回復し日中は汗ばむほど。祭が始まる16時なら、もうちょっと判断を遅くしても良かったのではと結果論も出てくるが、準備時間も必要であり、この種の屋外イベント開催は実に悩ましい。それで、実は、雨天会場での開催は自分としても初めて見るケース。自治会館に付属する木造倉庫で、東側の山向きにお地蔵さん、西側の川向きに川施餓鬼の祭壇が作られた。今年も新型コロナウィルス感染防止を意識して、最小限の参加者(和尚殿・役員・社会部員)で執り行われた。恒例により、先にお地蔵さんの祭壇でお経が上げられ全員が焼香。続いて場所を移動して、再びお経が上げられる中、米と水を全員で祭壇に捧げた。写真は川施餓鬼の段取り中の和尚殿と参加者。奥の壁前に先に行ったお地蔵さんの祭壇が見える。オンマウスは川施餓鬼の祭壇の様子。例年(コロナが無かった頃)は、子供たちや一般の家族連れが訪れ賑やかだった。憎き新型コロナウィルスだ。早くこの状況を脱したいものだ。 前日から未明まで大雨で、避難指示が出る状況だった。小雨の中バス通りに掛る障害木の伐採で午前中が過ぎ、午後は田んぼの草刈りを始めたらドピーカンになり、ギリギリまでやって自治会館へ駆けつけるなどで忙しかった。 |
今日は終日の雨。静岡県西部には大雨警報が出ていた。当地はそこまで降らなかった。ただやらなきゃいけない農作業はたまる一方でチト焦る。心機一転とばかり、リモートシャックの懸案対策を行う。一つは電源復帰時自動起動するスティックPC(NiPoGi T6-Pro)の投入。自宅でテストしていたモノだが、これを朝6時に現用投入した。ニコニコしながら帰宅するとアプリ系で忘れ物に気付く。リモートデスクトップのことばかり考えていて、RS-BA1関係のツールやUART設定、そしてWSJT-Xの通信設定など全く忘れていた。WSJT-XのALLログだけはサーバーへコピーしていたが、肝心な設定関係は何処かにメモがある筈なのに出て来ない。記憶を頼りに設定するが、ダメなのは昨夜まで使っていた初代スティックPC(DG-STK5S )を立ち上げ、設定情報を確認する。それでもまぁ運用できるようになった。それからT6-Proはディスプレイを繋いで通電しないと高解像度設定が出来ず苦慮…これ困るんだけどBIOSで出来るんだろうか。写真は投入したT6-Pro。曇天の連続でバッテリLowでシャットダウンした場合でも、太陽光が復活すれば自動的に再起動するはず。 もう一つはYDG350VAの内蔵タンクと外部タンクの上面併せ。安全を見て、外部タンクへ満タン給油したときに、内部タンクのエア抜きから溢れない様に木材を咬ませて10cm嵩上げした。とりあえず当てがってあるだけだが、木枠に組んで貫通穴を開け、タンクやカバーと一緒にボルト締めする予定。オンマウスはその様子。 |
1974年2月製作の自作AVR電源。背面にFeb_10_1974と打ったダイモテープが貼られている。松下電器の電源用IC/RD3153Pを使い、8〜20V程度を可変できるAVR電源だ。このICはブリッジ整流回路も内蔵され、少ない外部部品で容易に可変AVR電源が構成できた。現在でもインターネットで「RD3153P」を検索すると、世界中のサイトでヒットするのには驚く。1974年2月と言えば、就職して未だ1年も経っていない頃だ。よほど電圧可変の安定化電源が欲しかったのだろう。トランスはSLEの1Aのもので、20Vフルスケールの直流電圧計がリードのケースの前面に取り付けている。46年と半年前の製作だが、配線の仕方や半田付けの処理は今と全く変わらないことに気付く。この当時から既に自分の製作スタイルが形作られていたのだろうと思う。それ以前の小・中・高時代に、どれだけ多くの電子工作をこなしてきたか、この写真を見ると蘇って来る。昭和・平成・令和をまたにかけて活躍してくれたこの電源は、水か空気の様なモノで普段は有難味を感じないが、多くの場面で無線と実験の友達だった。ここぞと言う修羅場に引っ張り出されても普通に働いてくれたのだ。ついこないだの中華製ディーゼル発電機でも、フィールドコイル電源として働いてくれた。果たしてこの先何時まで活躍してくれるだろうか。 |
今日は朝から忙しい。5時半には西谷津へ赴き、昨日注文のあった甘夏の収穫を雨露の中実施。ついでにお盆で仏壇に供える分も採る。今日は午後、和尚殿がお寺の世話役宅を回ることになっている。午前中にカミさんと仏壇の飾り付けなどを行う。採ってきた甘夏の他に、吊るす枝豆はカミサンの実家、柑橘は庭先のレモンの枝で
代替、栗の枝は汁見谷の畑から、そして柿は玄関前の枝を、更にホウズキや花は藤枝姉が一昨日届けてくれた。こんな調子で材料が集まる。カミサンが仏壇上の飾り付けや供え物を揃え午前中に体裁が整う。毎年のことだが、オンマウスは話のタネにパチリ。 そんな最中、島田の矢澤OMから写真のR-390A/PTOが届いた。オーブンは無くオルダムカップラとシャフト類が付属していた。周波数は3.5MHz〜4.5MHzの1MHz幅で、軸1回転で100KHzなので10回転でそれをカバーする。ただOMによれば、実際は前後に余裕があって約15回転らしい。メーカーはCOSMOS製らしい。このところ所用が多く多忙感が絶えないため、Facebookの真空管式無線機サイトへ顔を出す時間も回数もめっきり減ってしまい反省している。直近の1TubeCompも今回は辞退させて頂いた。これを機に復帰を果たそうと思っている。このPTOを上手く使って1TubeRadioが出来るだろうか…既に1本使っちゃっているけど、複合管が1本あればレフレックス・スーパーが出来る。さてどうする。 |
いよいよ参議院議員選挙だ。前にも記したが、当地ではこの選挙期間中に一度も街宣車の音を聴いていない。これまでこんなことがあっただろうか。7月頭にはJA推薦候補が、JA本所駐車場で立会演説をやったらしいが、特段の動員要請もなかった。昔からひいきにしている以候補者がいたりすると悩ましい。公示日の翌日には期日前投票をしているから、その後は支援者の様な顔をしたお付き合いしかできない。選挙って本当に気味が悪い世界だ。さてそんな話はともかく、昨今の選挙の投票率の低さには呆れる。今回は街宣車も現れず、地元での盛り上がりに欠け、このままでは宜しくないと「投票所へ行こう!」放送を前日9日と当日10日実施した。このプロジェクトは昨年3月の市議会議員選挙以来続いている。9日は8時半より選管スタッフが投票所(自治会館事務室)の設営を始めた。これに合わせて投票場脇の放送室へ入り、PCを有線放送ミキサに接続。試験放送ファイルをメディアプレーヤーで再生しレベルを確認。そして、9時半にセットした試験放送の自動起動を確認。これで全ての準備が終り、9日は12時15分と18時に選挙予告、10日は7時と9時に朝バージョン、12時15分と15時に昼バージョン、17時5分と19時に晩バージョンの選挙案内を行った。投票終了の20時過ぎ、撤収が始まる頃再び訪れPC類を撤収して放送設備を通常状態に復帰。集計担当のスタッフにどれ位だった?と尋ねると。60%手前位かなぁと返事。まずまずかなぁと呟く。 |
このところ天気が不安定で、毎日雨に遭遇している。この日はその合間に気になっている屋敷ゆら早生畑を見回った。雨露があるのでやや遠巻きに根元の様子を観察して、かじったり産卵痕が無いことを確認して回った。ゆら早生以外にセトカやユコウにレモンが数本あり、園地内には50本程が植わっている。昨年はたった一晩でやられ、翌朝多数の木で産卵痕を発見しガッカリ。慌ててつぶしにかかったが、木は生き延びたが根元が傷だらけ。1年経つと大分皮が盛ってきて健康状態は維持されている。しかし油断は出来ないので、濃い目のモスピランSLを根元に散布して成果を上げている。ちょっと回り道したが、写真はそのゆら早生の木で発見した交尾寸前のゴマダラカミキリのペア。メスは人の気配を感じ逃げ出したが、オスはお構いなしにメスを追いかけていた。それを手掴みして捕獲し飼育箱へ放り込んだ。よく見るとメス(上側)がしがみ付いている枝に薄緑色の部分が見える。これは交尾前にかじって味見をした痕で、交尾が成功するとこの木の根元に下りて、再びかじりそこへ産卵する。しかし根元には濃い目のモスピランSLが浸み込んでいるので、運が悪いとかじって自滅する。あるいは木を嫌って他の産卵木を探すと思われる。今は産卵させないための戦いが連日続いている。今年は梅雨明けが早く気温も前倒しして高いので、例年にない動きも考えられるので予断を許さない状況だ。ただ、脱出穴は例年より少なく、また農薬が効いているのか成虫との遭遇も現時点では少ない。 |
7月3日、カミサンのリクエストで、山切川右岸に堆積した土砂に根を下ろした竹を伐採。目的は七夕飾り用の枝。何本か切り落としご近所に配るなどした。この日は、家の七夕飾りに飾るからと、短冊を5枚も渡された。願いと言うより不満と言うか、おかしな世相を問うた文言を記しお茶を濁したら、カミサンから家族の長いとクレームがあり普通の願いを追加する。写真は、それをコヨリで竹に結び玄関に飾った様子。昔は太い竹に家族中が大騒ぎして飾ったものだが、今は実にあっさりとしたモノだと思う。 ところで、西谷津には未だ川野甘夏が実っている。すぐ脇には、次世代の実が既に直径数cmになって生っている。気温も連日30℃を超える様になり自然落下も増えて来る。完熟状態だ。毎年収穫の時期にツルをはじめとする、木の上部にはびこる雑草を撤去したり、根元に生える笹竹を伐採して木が枯れない様に務めている。ただ、施肥や農薬散布は全く行わないので、100%自然農法が売りだ。それで本日、最後の頒布案内をOrangeVillageから行った。ざっと見上げた感じでは、未だ200kg程度は生っていそうだ。果たしてどれだけさばけるか…。写真は早々の注文に応じ収穫して来た川野甘夏。ヘタの健康状態を示す意味で、一部のお客さんには枝葉付きを詰め込んでみた。他の柑橘もそうだが、果実は知っていても葉っぱを見たことない人が意外と多いのが面白い。この時期になっても、しっかりとヘタがくっ付いている姿には感心する。 |
参議院議員選挙が6月23日に告示され、投票日が7月10日となった。市街地では選挙戦が賑やかに展開とマスコミが伝えているが、田舎ではまったく静かな状況だ。昨年3月の市議会議員選挙依頼、当自治会では「投票所へ行こう!」放送を、地区の有線放送で行っている。その甲斐あって、50%台だった当投票所(有権者1600)の投票率は65%程度まで上昇、このクラスで清水区のトップになった。今回もそれを踏襲、7月1日夜、自治会館にボランティアが集い素材収録を行った。前日の昼・晩、当日の朝・昼・晩と5種類の内容をPCへ収録した。写真は3日、収録したファイルを整音し編集する様子。2回繰り返し、前後にチャイムを挿入する。再生はWindowsのタイムスケジューラに登録。同じ内容を複数回再生する場合もあり、予定の送出回数は10回以上に上る。煩いかも知れないが、これ、自治会が公に出来る唯一の選挙活動かも知れない。PCは投票日前日の9日朝、選管殿の会場設営に合わせ有線放送設備に接続する。 ところでQEX/No.43原稿書いた折り、20年以上前に寄稿した真空管アンプ製作記を基にした原稿を再送してみた。とっくにボツになっていた原稿だが興味を示され、若干の手直しを施しNo.44に掲載されるらしい。その作業を忘れない内に行う必要がある。オンマウスは東京単身赴任中に製作のシロモノだけど、よくこんなモノをあの1Kアパートで作ったなぁと自分でも呆れている…今となっては。 |
自治会が所有する報徳林の視察を行った。前回は2019年4月7日に実施しているが、その後コロナ感染や天候などで時機を逸してしまっていた。今回も4月に実施の予定を立てたが、天候不順で機会を逃している。それで何とか現場の状況確認と後進への継承のためと、この暑い時期に設定した。自治会には報徳部と言うゆるやかな専門部があって、報徳林の管理や引継ぎを行っているのだ。そもそも報徳林や自治会館、そして自治会館に付随する倉庫などは山切報徳社の所有だった。初期には80軒に満たない地区で、全てが農業関係者で自治会を構成していた。その後新たに移住される人(軒)が増加し、現在では500軒を優に超える。そして農家数の減少もあり、平成になってから報徳社の解散に至り、それ併せて自治会が財産を引継いだ経緯がある。その歴史や経緯を知らしめ、自らも確認する意味も込め、報徳林の視察を行っている。写真は興津川布沢の北側斜面に位置する報徳林、所有者掲示のために塗料で「山切」と記している様子。これをやらないと、境界が分からなくなってしまう。境界杭も散見されるが流されたりして動いている場合が多い。オンマウスは伊佐布の通称釜奥の報徳林で急斜面を歩く様子。今日は5名の参加で、平均年齢は70を超える爺さんばかりだった。それでもこの斜面を掛けずり回れるのは、目的意識と日頃の鍛錬なんだろうか。本当にご苦労様だ。写真ファイルにはGPSデータも同録している。 |
ゴマダラカミキリの産卵対策として、全てのミカンの木の根元へモスピランSLを散布した。ミカンは本数にすると大小合わせて400近くになる。毎日園地を回り、幹を蹴飛ばし落下してくるゴマダラカミキリや空中を飛ぶゴマダラカミキリの追跡捕獲(捕殺)に努め、なるべく交尾をさせない状況を作っているが、他園地からの飛来も増え限界がある。それで、交尾後のメスが産卵のために必ずやって来る根元に、農薬を浸み込ませておき撃退する。1・2度かじって妙だと気付き他へ逃げたり、場合によってはそこで絶える。全てが台本通りに行く訳じゃないが、それなりの効果をここ数年で確認している。それでも運悪く産卵されてしまった場合は、産卵痕をいち早く発見して潰す。それも見逃してしまいふ化されると、幼虫が皮の内側をかじり出し、外に老廃物を出すので、それを見つけ潰す。それも見逃すと幼虫は成長して木をほじり出し切粉を排出する。これが最後のチャンスで、幼虫を先端に「かかり」の付いた針金治具で突き引き出す。殺虫剤を併用し、最終的に幼虫が木の中に残らない様にする闘いが8月下旬まで続く。毎年の恒例行事だが、子供の遊びみたいなところがあって面白い。今年のモスピランSLはx250倍で希釈し250リットルで丁度だった。以前はガットスターを塗布していたが、作業性を考えると散布になる。屋敷→伊野→田んぼ→汁見谷(30日)、舞台→寺山(1日)の順に回った。 |