8月も終わり。明日の始業式を控え、夏休みの宿題の仕上げに急がしかった少年時代が目に浮かんでくる。さて、8月30日の第45回衆議院選挙は民主の圧勝で終わった。8月後半はその関係もありやたらと不規則な生活が続いた。その最中、友人からリストラにあった旨の連絡。もう何回も苦難を乗り越えて来た筈なのに、持ち応えられなくなった様で気が滅入る。こうした境遇の人が実は私の友人に何人もいて驚く。ここ数年続いた政策や風潮がいかばかりだったか。そしてそれが招いた現実。その総括がこの選挙結果にはっきりと出たのだろうか。変化を求めるのは悪い事ではないが、余りにも急激だったり、庶民には「可笑しい」と思う事が多すぎた。政権与党がどこであっても、国民生活とりわけ弱者の生活を守れない国家はダメ。本当に困っている人に手が届かなければ、再び同じ事を繰り返すに違いない。庶民をバカにするなと言う声が聞こえるようだ。などと堅い文言を並べてみたが、我々には選挙権という最大の武器がある事を自覚していたい。ところで単身赴任先の福井では何故か自民が全県で小選挙区を制覇・・・文化や県民性の違いを感じてしまう。 写真は週末に届いたサムウエイの135KHzバンド送信機TX2200A。 |
不在者投票申請の返信が気になっていた。昼休みに自宅に戻ると9時40分に配達したが不在だった旨の紙。それで紙に記してあった番号に電話を入れ、職場への配達を依頼。既に再配達に出ているらしく、再々配達となった模様で届いたのは18時過ぎ。写真は簡易書留で送られてきた封書。遠隔地の不在者投票のために余計な費用を使って頂きやや恐縮する。しかし、この仕掛けを知らない有権者も多いのではと思った。期日前投票が無い頃、仕事の関係で良く不在者投票をしたが、それらは遠隔地ではなかった。さて、送られて来た封筒を開封せず持参し19時半福井市役所の選管へ赴く。期日前投票所は賑わっていたが、それとは違う会議室風の部屋に通された。中央にテーブル、角に投票台が用意され、2名の方が正面と横に座った。正面の方が氏名と生年月日を尋ねられそれに答えると投票方法の説明が行われた。しかしもう一人の方は一言も喋らず気味が悪かった。一風変わった雰囲気の中で比例区・小選挙区・最高裁の順に投票が進み、その都度2重の封筒に入れ提出。さらに当該選管へ返送のため住所が記された封筒をコピーして終了。しかしもう少し明るい雰囲気で対応して貰えないものだろうかと言うのが偽らざる心境。 |
昨日12AD6が到着。今夜ヒーター断球と入替え電源投入。ヒーターが灯ると間もなく局発が勢い良く発振。455KHz受信機に仕立てたIC-765がザワザワし出した。やったぁ!。VCをゆっくり回すとローカル局が聞こえる。アンテナ代わりに数mの電線をつなぎ、アンテナコイルのコアを回し同調点を探る。一気に感度が上がる。トラッキングレスVCなのでパッティングコンは無い。コアとVC補助トリマを加減し大雑把なトラッキングを取る。再びVCを回すと幾つもの局が聞こえる。IC-756はAMワイド設定だが普通のラジオから見たらナロー。1局1局が実に鮮明に分離され気持ちが良い。この感覚は中1時代に初めてスーパーラジオを作った時と同じだ。違うのは当時は完璧な物まねだったが、今は作り方に考えがあり周辺環境も技術レベルも違う。それでもモノ作りは理屈抜きに楽しく、50を過ぎたオヤジの目を輝かせる。今改めて5グリッド7極管の魅力を感じる。Hamの一部には同種の6BE6を周波数変換に使うのを嫌う向きがあるが、考えてみるとその根拠を一度も調べたことが無い。今夜は完璧なラジオ少年だ。ラジオ深夜便を聞きながら床に就く。写真は実験中の12AD6周波数変換器。周辺にVCとコイル群が見える。写真をクリックすると実験サイト。 |
昨晩は電池管12AD6でAMラジオ用周波数変換を実験中にヒーター断が発覚。実験中止を余儀なくされ、長野ハムセンターへ緊急発注。就寝前の1時間程の話だが、これで暫く実験はお預け。気分一新で、明朝晴れたら夜叉ヶ池経由で三周ヶ岳を往復しようと決心し床に就く。そして今朝、まずまずの天気で夜が開け、6時には福井ICを通過。今庄ICで下り、R365沿いのコンビニで食料を買い込み広野ダム経由で登山口に着くと6時45分。買ったばかりの登山靴に履き替え夜叉ヶ池を目指す。8時40分夜叉ヶ池に到着したが霧で非常に視界が悪い。躊躇したが、岐阜県側は良好なのでそのまま三周ヶ岳を目指すと天候回復。身の丈以上の熊笹が繁り足元も良く見えない。幾つかのピークを超え10時三周ヶ岳(1229m)山頂に到着。3角点は雑木が取り囲み眺望はイマイチ。早めの昼食を済ませ10時15分下山。途中10名程とすれ違う。夜叉ヶ池に戻ると11時15分。レンジャーのY氏と暫く歓談し下山。登山口へは12時45分頃帰還。今回は多くの小動物が迎えてくれた・・・カエル・ミヤマクワガタ・ヘビ・キツネ。写真は三周ヶ岳山頂、オンマウスは夜叉ヶ滝付近の道端で見つけた大形のミヤマクワガタ。久々の登山に運動不足を痛感した一日だった。 |
住民票を田舎におき単身赴任する場合の煩わしさの筆頭は投票だろうか。30日は衆議院選挙だ。ここ暫くは、帰省するタイミングと公示期間が一致し、いわゆる「期日前投票」で凌いで来た。ところが今回は、訳あって帰省が叶わずどうしようか迷っていた。過去を振り返っても選挙権を放棄した記憶がない。何とかしたいと思っていた矢先の昨晩、同僚が「不在者投票宣誓書・請求書」なる用紙をダウンロードして記入していた。これに必要事項を記入し当該選管へ送ると、関連資料が送られてきて、現住所の選管へ赴くと投票が出来る仕掛けのようだ。ラッキィこれだ!。 | 住民票のある清水区選管へ尋ねると担当S氏が丁寧に教えてくれた。ネットサービスは無い様だが用紙は直ぐFAXで届いた。早々に記入し今朝投函。選管は土日も動いているの?返信は何時?等と思いが巡る。そう言えば期日前投票が始る前は不在者投票のみだった様な気がする。何枚も封筒があり厳重に封をして投函した記憶がある。投票をないがしろに出来ない性格はやはり田舎者の現われなのだろうか。回りを見るとその温度差に気付き苦慮する時もある。でも似た様な志の同僚が居る事を発見し妙な安堵感に浸った。写真は不在者投票宣誓書・請求書用紙。 |
CQ誌9月号が届いた。表紙を何やら怪しい無線機が飾っている。良く見るとTHAMWAY(サムウエイ)のロゴ。もしやと同社サイトを訪ねるとあった。137KHz専用送信機TX2200Aだった。THAMWAYさんへメールを送ると直ぐ返事が届いた。DDSとFPGAを駆使しパワーMOS-FETをD級で駆動している模様。早々に資料が届いた。137KHz帯の正体がイマイチ不明だが、気の多いアマチュアには見逃せない。ハムフェアでは記念局8J1AとFEDXP・NDXAのブースに置くそうで電波も出すようだ。ジェネカバ受信機とアパマンアンテナで(福井でも)聞こえるのだろうか?。 |
10MHz帯で深夜から朝にかけEuが聞こえる。電源を入れっ放しだったIC-756のモールス音で目が覚めた。強いので国内局と思っていたらドイツのDL3JJだ。起き上がり呼ぶと直ぐ応答。6時半だった。まだ8月中旬なのに明らかにコンディションは秋だ。週末の10MHzDXingは、Euを中心に23局に上りオフシーズンとは思えない成果だった。さて昔から壊れた物を放置したり簡単にゴミにするのが苦手な性格。動かなくなりメーカーが保守不可とするシェーバー4403(BRAUN)が手元にあった。外見も綺麗だし歯も変えたばかりだし、何とか復活できないものかと分解し原因を突き止めた。電池がNGだった。使い古しのNiMH電池にリード線をハンダ付けして交換。何とも言えない満足感に一寸だが得意になったりするから面白い。この積み重ねが物を大切にしたり理解する心につながっている様な気がしてならない。さて次はと机の横に目をやるとキャノンのプリンタBJ-F900。実家のメインプリンタだった。最近インクを買ったばかりなのに通信不良に陥る。何てこったぁ、これもメーカーから修理対象外の連絡。こんな状態だから幾ら時間があっても足らない・・・休日なのに休ませてくれない。写真はリストから外れたBRAUN4403の内部と10MHzバンドのログ。 |
今朝は5時前に目が覚めた。あと1時間でも眠れば良いものを、時間が惜しいのか起きてしまうから始末が悪い。慢性的な睡眠不足を何とかしようと考えているのに困ったもんだ・・・。 今日は終戦記念日。何故か今朝は自作ICラジオがそれを伝えている。自分は戦後生まれだが伯父が戦争で亡くなっている。息子の戦死で男手を失った家族、すなわち母(後の祖母)そして妹(後の母)の苦悩はいかばかりだったかと、当時を偲ばずにはいられない。生前の祖母が仏壇や大黒様の前で長い祈りを捧げている姿が目に浮かぶ。ロウソクの火が静かに揺れ、背中を曲げ手を合わす祖 | 母の姿だ。子供にはその姿だけが目に焼き付いていたが、結婚し子が産まれこの年になるとようやく祖母の気持ちが分かるようになった。毎年8月になると、思い起こしたように原爆や戦争の話しをマスメディアが取り上げる。国家や組織のために個人が犠牲になるのが当然だった時代。高齢になられた皆さんも64年の沈黙を破り真実を語り出している。・・・ゆっくりと昔を振り返りながらも、不景気とは言え今の平和と繁栄に感謝している。 写真は朝5時過ぎ、アパートから臨む夜明け前の東方の様子。天気晴れ。写真では分らないが天空に星。中央遠方は白山の稜線。 |
先月末、愛媛西条市の無線仲間K氏から実家に干しエビが届いた。過去2回この干しエビを頂戴しているが、殆どは実家の親父や親戚にお裾分けするなどして終わっていた。それで帰省した折、半分実家に残し半分を単身赴任先に持ち帰った。殻を剥いて食べると美味いとK氏から助言を頂いていたが、そのままボリボリ噛み砕くとこれがまた結構な味。もちろん殻をとったり、トゲのある頭をとって食べても、味が微妙に変化して美味い。冷えたビールには格好のツマミになるが、そのままオヤツ代わりにボリボリやるとこれがまた止められない止まらない状態となる。昨日同僚のY氏と一杯やっていると、その干しエビの話になりお裾分けする事になった。しかしこのエビ、駿河湾辺りでは見かけないエビなので名前を訪ねると芝エビ?。写真は届いた干しエビ。K氏によると、干しエビにするエビの種類は幾つかあるようで、場合によっては車エビも登場するらしい。干しエビと言ったらサクラエビ位しか知らない自分には瀬戸内方面の食文化の多彩さを感じてしまう。オンマウスは40年振りに物置から出してきた真空管式カーラジオ。12Vで働く電池管12AD6とそのシリーズを初めて知った記念すべきラジオ。1球2ICラジオの製作コーナーで紹介している。 |
予定外だったが11日に実家で大切な用事が発生し今週末も帰省。事のついでに新盆周り、そして戦没者慰霊祭に出向く親父とご近所の小母様達の運転手で忙しい。小母様は私の赴任先を福島と勘違いし「福井って何処?」となる始末。帰省は8日昼12時半、午前中小松空港で所用を済ませた後、渋滞ダメモトの思いで福井を発つが、天竜川先からの事故渋滞があったものの、順調で17時前には帰宅。写真は9日朝、Hanaの散歩で久々に上った裏山からの定番ショット。時期はまさに緑全開。とんでもない田舎にに見える。遠方は第2東名連絡路。こんな処からDXへ良く電波が飛ぶものだと感心される向きもあるのでは。オンマウスは散歩で出逢ったミカンの葉に止まるシオカラトンボ。台風9号の影響なのか、前線によるもなのか、雨が降ったり止んだりの不安定な天気が連日続いている。甲子園はこの日も翌10日も第一試合途中で中止になった。雨続きの7月末、恩師に「暑中と記し難い…」と始まる書中見舞いを送ると翌日から快晴。時機を逸したかとしょげていたが、この不安定さで逆に元気になる妙な心境に。それにしても岡山や兵庫で発生した雨の被害や犠牲のニュースに、何とかならなかったのかと悔やまれて仕方ない。 |
11日5時7分静岡で震度6弱の地震。当地は5強だった。重要な所用を控え子供達も昨晩から帰省、家族全員がこの瞬間を体験。久々に体感する大きな揺れだった。一番揺れた静岡中西部でも瓦の崩壊があっても家屋倒壊は無く、ケガ人が出た程度で幸いだった(後日死者1名発覚)。東名高速菊川-牧之原の上り線が崩落し袋井-静岡が通行止め(下りは静岡-菊川)。下道は大渋滞になった。実家では墓石が動き骨壷が覗け、玄関化粧タイルにヒビ、瓶類に木彫りの置物が倒れ、床の間の石球が転げ落ち、居間の電灯が消えた。私見だが、昭和40年4月20日に当地を襲った震度4の地震の方が遥かに被害が多かった。清水市立庵原中学校では1m四方の窓ガラス約40枚が割れ、長さ80m程の木造校舎の屋根瓦が滅茶苦茶になった。私は小5だったが、着任早々の恩師H先生は揺れと同時に「机の下に入れ!」と指示したことを昨日の事の様に思い出す。6年生は翌日、中学校の後片付けに借り出された事も鮮明だ。この地震は無名のためか人々の記憶から遠ざかってしまった。しかし地元静岡新聞は流石、すかさず当時の状況を紐解いている。所用は名古屋からの客人の到着時間が大渋滞で読めず、延期と言う苦渋の結末となった。 |
今月はまともな帰省できないかも知れないと本日帰省。6時に福井を発ち10時過ぎ実家に戻る。道中、雨が降ったり止んだりで、また突如として大雨になるなど不安定な天気だった。今回の目的は愛車フォレスタを車検に出すこと。昼食後カミサンの車と縦走し親戚の整備工場に持ち込む。この間購入したばかりと思っていたがもう5年になる。年をとる訳だ。帰りは久し振りに日本平に上った。日本平ホテルのロビーで喫茶と買物後、庭園の端まで歩くと突然雨、大慌てで車に戻った。写真は庭園越しのホテル。反対側に清水港があり、天気が良ければその先に富士山が見える絶景だ。ところでオンマウスは実家のジャンク箱から40年振りに取り出した中古真空管。実は12V管の12AD6を長野ハムセンターのサイトで偶然見つけハッとしていた。これで周波数変換しLMF501Tと組合せるせると面白いラジオが出来る・・・。12AD6が確か有った筈と探すとお見事、40年前の記憶は正しかった。それで思うままに回路図を描いてみた。LMF501Tは455KHzのIFラジオにする。問題は12AD6を制御するAGC負電圧の生成方法。12AD6はプレート電圧12Vで使える真空管で機能は6BE6相当。昭和30年頃のカーラジオには必須の、知る人ぞ知る真空管だ。 |
帰省した1日の17時半、早々と夕食を済ませると慣れない運転に見慣れない白い車が車庫前に着いた。誰だろうと近づくと「エーッ!」。何と旧友のCさん。カミサンと同じソフトボールや青年時代の仲間だ。同じ地区にある実家に里帰りした機会を捉え訪ねてくれた。余りの懐かしさに85になるオヤジも交え、子供や仕事の事から近況に将来の事など、世間話に1時間以上も盛り上がった。お互いに年を取ったものだと歳月を感してしまうが、気持ちは何時までも青年でいたい。 翌日2日は朝一番に友人のNヘアサロンを訪ね散髪。N氏の毒舌とお喋りは相変わらず健在で止まる事を知らない。良くも続くと感心するが、繰り返される世間話が実は貴重な情報だ。しかし毎日接する奥様には大変な事と想像しているが如何だろう。昼食を済ませ12時にカミサンの車を代車にして福井へ発った。なにしろ慣れないAT車、何かあると左足がクラッチ、左手がチェンジレバーを探す。途中一宮辺りで土砂降りに遭遇したが16時無事福井に帰還。写真は帰路の名神高速で遭遇の大雨に全開のワイパー。オンマウスは持ち帰ったソケット装着の12AD6。色々とケアしなければいけない事が山積みなのだが、中々処理できないでいる自分が見え隠れしている。 |