Jan 29. 2004 文豪ミニ7RX電源NGの原因判明
再びこの写真が登場。今日は嬉しい事が幾つかあったがその中の一つ。昨年11月に電源がNGになり放置状態となっていたミニ7RXの電源基板が見事復活した。原因は2系統あるSW電源の+12Vと-12Vを作っている側が発振していない事は初期段階で分かっていたが、回路がはっきりしなかったため作業が停滞していた。良く見ると両者共トランジスタ1本による制御(ミュート)回路が設けられている事が分かった。それで単純にテスタでそのトランジスタの導通状態を確認したら正常な方は殆んどオープンに近いのに、NG側は何と方向を変えても10Ω程度。これじゃまるで短絡だ!。このトランジスタを取り外すだけで回路は発振を回復し正常な電圧を出力するようになった。本日は原因究明までとし、トランジスタは基板を実装する時に取り付けることにした・・・と言うより今は手元に無いので。過去の修理過程を記すと・・・@IC602/MA2420不良ARG11/10Ω/5W断BQ603/2SD773U不良交換・・・となるが真の原因は何か疑問が残る。
追伸:Jan30名古屋大須のタケイムセンから2SD773を購入し交換するが、更にフォトカプラ(フォトサイリスタ)の不良が発覚、またJan31に1番FDDの読み書きNGが発覚、Feb1ようやく完全復旧となる。
Jan 28. 2004 「文豪ミニ7RM」修理依頼受ける
高崎市の知人S氏の88歳になるお爺さまが、愛用の文豪ミニ7RMが故障し途方に暮れていた。それでオーナーのWebやBBSをご覧になり修理の可能性を打診してこられた。M式(森田式)キーボードに慣れ親しんでいるため、他機種ではダメなんだそうです。文豪ミニ7シリーズのトラブルの殆どは、フロッピーディスクドライブのベルトのへたりにあると御説明したところ、修理に出したがベルトではない旨のコメントがついて戻ってきたらしい。それではとにかく見てみましょうと言う事になり早速送っていただいた。このミニ7RM本体は同じシリーズのミニ7RやRXと機構的には良く似ている。メイン電源PWD-941はミニ7RXの物と全く同じである事が分りこれは新発見だった。
さて前後するが、開梱し電源を投入したら何と異常なく立ち上がった。温まるまで様子をみて再び起動すると今度は起動ディスクを読めず立ち上げる事が出来ない。やっぱり・・・輸送中に冷え込んでベルトのゴムが縮んでいる時はOKだったが、温まって常温になると伸びてNGになるという、いとも簡単な事が原因である。また0番ドライブと1番ドライブ両者とも同じ現象だった。手持ちに予備のベルトはないので、苦肉の策としてベルトのルートを張りが強くなるように変更し何とか起動できる状態を作った。写真は0番と1番の設定を入れ替えて起動させ文豪ミニ7RMのメインメニューを出したところ。ちなみにフロッピーディスクドライブ(2DD)の製造メーカーは松下電器産業で、型名はEME-213NHBVであった。いずれにしても原因が特定できたので後は正規のベルトを何らかの方法で入手する必要がある。この話を聞いてお爺さまもさぞかし安心するに違いない。
追伸:Jan29秋葉原の千石電商からベルトが届き見事完全復活、1日半のお付き合いで無事主のもとへ旅立った。
Jan 27. 2004 春近しか「ぼけの花」
PCに携帯電話からメールが届いた。見ると犬の散歩に行ったカミサンがぼけのツボミを撮って添付してきた(名古屋市守山区大森中央公園)。ここ丸2日間布団で横になっている者にとっては貴重な屋外の映像だ。ここ数日名古屋は例年にない寒さが続いているが、それにも関わらず彼らは何を感じてこのように毎年同じ頃にツボミを柔らかくするのだろうか。この様子では今週中に開花するかもしれない。そしたらカミサンがまた写真を送ってきて「プリントアウトせよ!」と言うに違いない。いずれにしても自然ってのは正確で正直だが、人間ってのはそれを良く忘れ後で気付く事が多い。だから目に映るあらゆる草木や動物昆虫にはいつも興味を持って接したい。最近は反省する事しきりである。手遅れってのもあるから十分気を付けたい・・・一体何の話か、熱で頭の中がちょっと可笑しくなっているようだ。
Jan 23-24. 2004 12年振りの京都
所要で京都を尋ねた。23日の名古屋は−2〜3℃程度まで冷え込んだ。山間部から北陸にかけては雪で、交通への影響もあったようだ。北陸本線の特急は随分と遅れたようで、22日午後名古屋から「特急しらさぎ」で富山に向かった知人は、福井で降りるはめになり一泊する事になった。思わぬ出費である。この場合JRさんは何か措置をしてくれるのだろうか?。
さて京都は1992年の冬以来で実に12年振りになる。琵琶湖までは子供と良く釣りやキャンプに行ったのだが、それから先の足が中々伸びなかった。多分初めてだろうと思うがJR嵯峨野線に乗ってみた。ところが、二条駅で下車する予定だったが、車内アナウンスが一駅間違えたため手前の丹波口駅で降りるはめになった。JRさんしっかりしてよ!・・・と言いながら時間が無いのでタクシーで目的地に向かった。
昔の京都は12月〜1月になると仕事でしょっちゅう来ていた記憶がある。1975年の夏には真っ赤なHONDA1300に乗り、この街から福知山を抜け鳥取の友人宅を訪れた事がある。写真は24日11時過ぎ京都駅前から京都タワー方面を撮影したもの。京都と言ったら昭和44年夏に初めて訪れた中学校の就学旅行を思い出す。その時の京都タワーはピカピカだったが、現在は随分とくたびれが感じがする。最近は京都駅ビルも改築され随分と立派になった。この日の京都は-5℃程度まで冷え込み寒かった。さすがに盆地であり、名古屋辺りの寒さとはちょっと違う。黙っていても人が集まってくる街は羨ましい。
Jan 20. 2004 「文豪ミニ7RX」譲り受ける
BBSに「文豪ミニ7RXの電源基板求む!」と書いたところ、千葉県袖ヶ浦市のタイガーズさんことFさんから声がかかった。電源基板のつもりでいたのだが、何と本体と付属品一式をお送り頂いた。奥様が学生時代に御父上からプレゼントされた一品という事で、譲り受けたオーナーもその気持ちを大切に引き継いだ。現役を引いてから既に10年以上の歳月が流れているという事だが、保存状態は大変良好でとにかく綺麗である。しかしさすがに10年は長くFDDのベルトが伸びてプーリーが空回りする音が聞こえる。現状では動作しないが、オーナーの電源NGのミニ7RXと合体して新たに完動品を1台作る予定だ。文豪ファンもここまで来るとちょっと病気に見えるだろうか。自作のSPC(SCSI)カードがあるので組み込んでハードディスクをつなげる元気は未だ健在だ。それにしてもFさん本当にありがとう!。
Jan 12. 2004 地上デジタル放送受信再テストOK
昨日不発に終わった「手抜き地上デジタル受信」に再挑戦した。今回は電波の到来をまず確認するために、ワイドバンドレシーバーを持って家の周辺を歩き回るなどの「電界測定」から初めた。最終的には最も簡単な方法と思われるダイポールアンテナで地上デジタル放送の全チャンネルを受信する事が出来た。詳細はTest&Dataコーナーにアップしたので参考にして欲しい。一定の電界が稼げれば、アナログ時代に悩まされたマルチパスによる反射(ゴースト)は全く無くなる。と言うより原理的に発生しないので近距離なら無理して高価なアンテナを設置する必要が無い・・・これはやってみた印象。地上波でデジタルHDTVがお茶の間に届くなんて、10年前には想像も出来なかった。写真はワイドバンドレシーバー(Kenwood/TH-F7)を持って測定中のスナップと、家のベランダに取り付けた「手抜き」ダイポールアンテナ。
Jan 11. 2004 地上デジタル放送受信テストNG
昨年12月1日に東名阪の三地区で地上デジタル放送が始まっている。現状のアナログUHF放送を受信しているアンテナそのままで、地上デジタル放送が受信出来るかどうかのテストを行ったが結果はNGだった。なるべく手を抜いて簡単に受信が出来ないかと目論んだ結果だったが、方向調整を施せば何とか受信できるものと考えている。詳細はTest&Dataコーナーにアップしたが、このテストは今回が終わりではなく安定に受信できるまで続く予定である。なお今年は、東海北陸地域で富山・岐阜の開局が予定されている。写真は諦めてBSデジタルを受信中のチューナーとTVのスナップと、方向が90度違うUHFアンテナ。
Jan 6. 2004 「初歩のラジオ」1967年10月号
誠文堂新光社の「初歩のラジオ」(通称「初ラ」)は休刊になって久しい。しかし1960〜1970年代、ラジオ少年達の良き指導書として「初歩のラジオ」が果たした役割は計り知れない。多くの元ラジオ少年達は、日本のエレクトロニクス産業を支えて来たと言っても過言ではないだろう。
写真はオーナーが永年探し求めていた一冊(1967年10月号)。表紙を飾っている水色パネルの高1中2受信機を、そっくり真似て製作し今でも大切に保管している。製作・執筆されたのは、当時無線雑誌やNHK教育TV「みんなの科学」でお馴染みだったJA1APT/金平OMと何時も斬新なアイデアによる製作記事を寄稿していたJA1QLV/辻OMである。実はこの写真はJF1VHX/江田氏から提供して頂いたもの。私の製作した高1中2受信機をWebでご覧になりメールを送ってこられた。実は氏が小学生時代に初めて手にした「初歩のラジオ」はこの10月号だったそうで、Webの受信機を見て随分驚かれたようである。オーナーも同様で、30数年前の記憶が目の前に甦り正月早々大変なお年玉となった。受信機は一部部品取り状態にあったが、これを契機に復活の機運が高まっている。
インターネットとWebは、こうした新しい発見や出会いを何事も無かったように提供してくれる素晴らしい媒体である。これを機会に江田氏のWebと相互リンクをはる事になった。
ちなみに私の受信機は1970年当時のSWL活動を支える一方、1971年5月には相棒の自作SSB-TXとペアを組み7MHzのSSB交信に活躍した。そしてローカル局以外のSSB初交信はあのJA1PCY/塚原OMだった。
それにしても人間の記憶と言うのは曖昧である。オーナーはこの高1中2受信機の製作・執筆者は、ずっとJA1AJQ/大沢OMと思っていた。しかし別項に大沢OMによる変調器の製作記事がしっかりと掲載されているらしい。30数年の間に記憶が反転してしまったのだろうか。またむさぼり読んだ当の10月も既に何処に行ったか分からない。Hand Made Radioコーナーの記述は早々に変更を加えた。その後1月9日に江田氏から関連ページのコピーを頂きTest&Dataに資料として追加した。
Jan 4. 2004 食器洗浄機届く
年末年始の休みも今日まで。やりたい事の殆どが出来ずじまいであったが、年末から懸案だった食器洗浄機が本日届き、無事蛇口とのドッキングが完了した。
蛇口メーカーが分岐水栓を作っていないためサードパーティに依存するしかなかったが、工事屋さんが何処からか見つけてきてくれ何とか取り付けが出来た。蛇口メーカーと型名が分かれば何とかなるらしくさすがである。しかしそれに至るまでにカミサンがあちこちから情報集めたようだった。電気的にはAC100VのコンセントとアースをつなぐだけでOK。
写真は取り付けてから早速動かしている様子。これで流し周辺がさっぱりしたと思うのは未だ早すぎるだろうか。普通の電気製品を買うのとはちょっと勝手が違うので、これから購入予定の方はご注意を!。
話は違うが右下のロゴは文豪ミニ7RXのもので、実写して取り込みGifで透過処理したもの。
Jan 3. 2004 QST新年号封筒で届く
QSTの新年号が届いた。毎月届くのにどうしてTopicsにあげたかと言うと、写真にある黄色い封筒にその理由がある。今までは薄いビニール袋で外から見て中身が分かるような状態で送られてきていた。またぶつかって変形したりは良く体験していた。封筒はボール紙で出来ていて大変丈夫で、QST程度の厚さの本にはぴったりである。エネルギー問題やゴミ問題を考慮した結果なのかよく分からないが我々にとっては有り難い話である。それにしてもアメリカ本土とそんなに変わらないで届く最近の郵便事情は素晴らしいと思う。
Jan 2. 2004 八剣神社へ初詣
写真は現住所の名古屋市守山区大森学区にある八剣神社の参道である。2日朝、カミサンと初詣に出かけた。その願い事は何か?・・・家族・仕事・趣味・・・色々あって書き切れない。
子供達は年明け早々深夜の初詣に出掛けたが、その時は参道入り口から4列の行列が境内まで出来ていたらしい。
Jan 1. 2004 四半世紀続く元旦の定点撮影
中東はイラク戦争処理やイラン地震でクリスマスや年末年始どころではないだろうが、国内は今年も平穏に新年を迎えた。毎年元旦、同じポジションから郷土の写真を撮る事を恒例行事としている。写真は午前10時半頃、地元の通称「防除山」からの撮影である。静岡市清水山切地区の奥平・伊野川原方面であるが、静岡市に併合されてから初めての正月だ。この恒例行事は既に四半世紀を過ぎたが、郷土の変わり振りには驚くばかりである。過去の写真はBack Countryコーナーで閲覧する事が出来る。今年はオーナーが郷土で生活した年数と、ここを離れてからの年数が同じになる節目の年でもある。