JH2CLV's Topics & Memorandam
January 2015

Jan 23-31 貧乏暇無しの休日出勤他・・・亡父の四十九日
余りの訃報の多さに困惑しながらも時間は流れていく。先週の日本平に関係する仕事が23日(浜松)、24〜27日(静岡)、そして28日再び日本平と続いた。31日に親父の四十九日忌の法要を控えるも、休日出勤でその準備もままならない。元々修羅場で力を発揮する性格か、間際にならないとエンジンが掛からない。と言うより目の前の仕事やお客さんが先ずは優先で、後のことはその大小に関わらず、その時に考えようとする悪い性格とも言える。 さて、休日出勤の甲斐あって予定内に作業が完了したが、29日はその事務処理でアッと言う間に時間が経過。30日はさすがに休みを貰い、朝からお菓子屋・花屋・銀行などをカミサンと手分けして回り法要の準備。晩にはお寺へ赴き挨拶と届け物など多数。女将さんが話好きでいつも話が長くなるが、愉快で楽しい。そして当日。朝からお菓子屋を往復し、引き出物の準備等に時間を取られていると、気の早い親戚衆が集まり出した。墓が自宅にあるものだから、自宅→寺→墓→自宅と4回もお経と線香を上げた。その後場所を変えて2時間程の昼食会。親戚衆は自宅に戻りお茶会(写真)。結局解散は15時半頃か。長い一日だったが、ようやく一区切りついた感ありとカミサンと胸をなで下ろす。

Jan 22 同窓会写真届くも…訃報の連続に困惑
写真は17日、日本平ホテルで行われた還暦同窓会の集合写真。昭和42年清水市立庵原小、昭和45年同庵原中を卒業した60歳の面々。約半数が集った。知らぬ間に年を重ねたが、小中学校時代の記憶は鮮明で大いに盛り上がった。
今回からテーブルごとのスナップを含めた自前の写真を、CDに焼き込みラベル印刷して参加者へ配布。いつでもファイルとして取り出せるし、今やどの家庭でも見る手段があるものと幹事会で判断。実はその方がコストパフォーマンスが高いのだ。
今週は、同窓会で談笑したばかりの同級生Kさんが19日急逝の訃報が21日に届き絶句・・・お元気だったのに・・・本日お通夜で最後の別れ。また病床からリモートシャック運用していたJR2BJE田原氏の訃報。そして先週から今週にかけ、ご近所の小母さんと小父さんの訃報が相次いだ。ご冥福をお祈りするばかりだ。

Jan 17 還暦記念の小・中学校同窓会…旧友の訪問
17日は朝から青島の撰果で時間が過ぎる。昼食後所要で富士川SAを訪ね、スマートETCでR1へ下りて興津経由で帰宅。
この日は5年振りに庵原小・中学校の同窓会。17時頃送迎バスで集合場所のJA庵原支所から会場の日本平ホテルへ赴いた。懐かしい面々との会話は予定の3時間では不足で、2次会そして3次回へと展開。帰宅は25時半頃だった。次回から幹事長を仰せつかることになり、早々に今回の反省を整理し次回のイメージを頭に描いている。
写真は17日17時半頃、日本平ホテルに到着しロビーからガラス越しに見た富士山方向の眺望。日没後の黄昏時で、街に明かりが灯り、雪を冠った富士山がうっすらと確認できる。
18日も終日青島の撰果。オンマウスは18日昼、富士市から訪ねて来られた旧友のJH2DQQ野村氏と、メインシャックでのツーショット(カミサン撮影)。野村氏は2度目の訪問。最初は1973年の5月の連休のときだった。高校時代の1972年、自作したSSB機同士で7MHzのラグチューをしたのがきっかけでアイボール。43年経った今でも交友関係が続いている。少年だったはずの2人だが、半世紀近く時間が経つと完璧に爺さんの領域だ。ちなみに今年度、2人共還暦になった。

Jan 13-16 日本平通いの1週間
この週は13日〜16日、日本平山頂で仕事があり連日車を走らせた。13日のみ会社から向かったが、それ以外は自宅から直接向かった。港湾道路を南下、宮加三から駒越街道に出て海側のローソンで昼食の弁当を買い、日本平を目指した。日本平への上りは旧道とパークウェイの2ルートがある。旧道は走っていると知らぬ間に矢部の畑総に侵入してしまう。途中にある看板に気を付けていないと間違いなくそうなる。暗い夜道は迷うから注意が必要だ。かつて有料道路だったパークウェイが無料になった今は、旧道は農道のイメージが強い。
両者とも山頂に至る手前に清水港と富士山を望めるお好みポイントが幾つかある。家の茶畑のある大峰からの富士山の眺望も素晴らしいが、海の見える富士もまた良い。富士山は細かいことに拘らない画作りや構図を教えてくれているような気がしてならない。
写真は日本平パークウェイの途中にあるミカン園越しに望む清水市街と富士山。山頂からも同様なショットが撮れるがやや俯瞰気味で、この高さだとサイズが緩くても富士が強調されるから面白い…全く個人的な見解だが。さて仕事は無事16日までに完了した。年明けから忙しい日々が続いている。 全く貧乏暇なし状態だ…。

Jan 10-12 相変わらずの週末・・・太田ポンカン撰果と初出荷
業務輻輳で、今月はここでしか出来ない休日出勤の10日。半日で終わりそうなペースだったが、やり出すと色々欲が出てきて、結局8時から始めて15時半上がりだった。
世の中3連休と言うのに、関係の皆さんには誠に申し訳ない。おかげ様で無事所期の目的を果たすことが出来た。衛星電話用の20D同軸ケーブルの引き回しが仕事だったが、重く可とう範囲が狭く、限られたスペースでの取り扱いは大変だった。おまけに、コネクタ処理済みの60m物を支給されたが、25m程が余る状況に一同苦笑。
11日午前は親父の四十九日法要の案内文を作成し、親戚や隣組を駆け回る。そして午後、今年初の太田ポンカンの撰果。今年は貯蔵場所を変えたので酸味の状況が心配だったが、全体に早熟のためまずまずの味。12日も後拾いの撰果を行い、午後初出荷となった。
写真は貯蔵庫南部屋で、外光の下で撰果を行うカミサンと姉。手前は今回の出荷条件(2L〜4L)から落ちた太田ポンカンだが中々の出来。一体何時休んでいるのと?疑問の声が聞かれそうな生活が続いている。オンマウスはこのところ静かな工房。
今年も健康に留意し、Take it easy!で行きたい。

Jan 5-9 西へ東へ・・・忙しい仕事始め
5日年始挨拶回りで浜松と静岡、6日雨の藤枝潮山と暴風雨の御前崎海岸、7日リベンジの御前崎海岸、8日快晴の東伊豆稲取、9日ようやく内勤で次週の仕事準備後に新年会で盛り上がり・・・仕事とは言え何と忙しいことか。
御前崎は灯台の近くで所用があったが、とんでもない強風と雨に降られ、車の外に出ることが出来ない。結局社内で打合せして、外の作業は翌日にリベンジするハプニングとなった。 殆ど出ずっぱりで、もう少し何とか生らないかと自問自答したりするが、結局忙しいことはラッキィ!だと落ち着いてしまう。困った性格だと思う。
ところで会社内でインフルエンザが流行る傾向にある。8日午後ダウンした後輩の一日も早い復活を願っている。自分も新年会の前に熱っぽかったが、アルコール変調でその熱も何処かへ吹っ飛んでしまった。これもまた困った特性だ。
写真は8日の東伊豆稲取往復の復路、伊豆縦貫道から見る富士山。時間は16時過ぎだが、左側が夕日を受けエッジが際立っている。もう少し時間が経つと真っ赤に染まってくる。静岡県東部方面から見る富士も中々グッドだ。オンマウスは7日午前の御前崎海岸。

Jan 3-4 正月休みも終わり・・・
あっという間に正月休みが過ぎていく。終りが近づくと気が重くなるのは誰でも同じことか・・・。
3日、カミサンが寺山の寿太郎の様子を見ようと言い出し軽ワゴンで赴く。到着すると近隣の畑のOさん御夫婦のトラックが立ち往生。覗き込むとバッテリがNG。日頃の走行時間も短く、今朝も−4℃程度に冷え込み、バッテリ劣化に拍車を掛けている様だ。しかも青空駐車らしいから。それで軽ワゴンで家へ引き返し、装備のあるフォレスタで戻り、バッテリ同士をつないで起動すると見事起動。暫く走行した方が良いと告げ分かれるが、人のためになったかと何故か嬉しい。
4日は、2日に撰果した青島温州を10時に出荷。JA出荷カードの名義変更を暮れに行い、端末でカードを擦ると自分の名前が出てきて不思議な感じだ。軽トラに積載オーバーかとも思われる荷を積み、ノロノロ運転で協同撰果場へ運んだ。
ところでMRF150x8_SSPAユニットのリード線状況を調べた。各ユニットからId測定用と思しきリード線(4Pコネクタに2ユニットずつ2個)とBIAS用リード線(2Pコネクタ1個に4パラ)が出ている。BIAS電源は相手が8x4=32個もあると、相当低Zにする必要がありそうだ。

Jan 2 今季最低気温-5℃弱・・・青島の撰果
前日の深夜までに、帰省していた3男と日帰り帰省の長男親子が、夫々車で群馬と名古屋への帰路に就いた。そして夕刻、カミサン車のバッテリ充電(年末再び上げる)を兼ね、東名と新東名で次男をJR三島駅まで送る。次男はJRで東京に帰った。賑やかだった正月もあっという間に過ぎ去り、何時ものカミサンとの生活に戻っていく・・・。
2日の朝は本当に寒かった、玄関横に設置してある温度計は-5℃の線を僅かに上回った。3男が帰った深夜0時頃、既に-2℃に下がり、車がガチガチに凍っていた。玄関前で親父が接木した「はるみ」の凍結が心配で、夕方コモを掛けたが、まさかここまで冷えるとは想像もしなかった。この日は4日出荷用の青島温州ミカンを500Kg程撰果。
写真は発砲スチロールの容器に張った氷。厚さは2cm程度ありそうだ。金物の容器だったらもっと厚くなったと思われる。
オンマウスはMFR150x8x4合成SSPAの電源部配線。いよいよ通電が始まった。但し3相200Vは発電機でしか得られないので、当面は単相200Vで仮テスト。トランスの手前が3相整流部でその左が平滑部。左のPA部手前の箱は電力分配・合成部。出力コネクタはHN型。なお、PA基板の解析が未だなのでRFドライブは未だ先か・・・。

Jan 1 謹賀新年
本年もよろしくお願いします。2015年元旦は穏やかに明けた。昨晩の紅白の騒ぎは何だったんだろうと言う印象だ(2001年まで4年間制作に関わった者として、血が騒ぎアルコール変調度も上がった)。
6時40分起床、天気快晴、気温-1℃だった。早々に車を飛ばし、家の茶畑がある大峰山頂へ車で上った。初日の出目当ての人や、山頂を目指すも迷っている人などの先客があった。 快晴で、毎年お馴染みの撮影ポイントに立ちパチリ。伊豆半島の稜線からは既に陽は出ているものの、雲に閉ざされてこちらには未だ陽が来ない。富士は標高が高く、既に5合目辺りまで東方から陽が差している。
写真は2015年元旦朝7時、大峰山頂より臨む富士山の雄姿。 ここ大峰山頂にリモートシャックを作るのが夢だが、何時の日になるだろうか・・・既に無線Lanは開通できているのに。
オンマウスは元旦恒例の、郷土の定点観測撮影スナップ(クリックで拡大)。場所は向こう山の中腹で東名-新東名連絡路下からのショット。1年間隔では大きな違いを感じないが、過去の写真を並べると随分変わったものだと驚く。1970年頃は80戸に満たず、内75戸はミカン農家だった。今は500戸に膨れ上がったが農業を営む家は激減。

Dec 29-31 慌しく年末作業の諸々
喪中につき、家の神棚(歳神・火神・地神・恵比寿様・大黒様)は封印したまま。例年だと飾り付けと餅の供えをするのだがそれが無い。ただゴミや埃は何となく払って綺麗にする。玄関等の正月飾りも同様で、何の飾り付けも無く何時もと同じ状況で妙な気分だ。
風呂場や玄関とトイレの土間をジェット水流で洗浄。さらに縁側の窓やミカンのコンテナ、そして車の洗浄と続く。ゴミ類は30日のゴミの日に出すが、それ以外のゴミ(木屑や葉)がやたらと多く自前の焼却場で処理。 平行してお世話になった方への挨拶回りやお寺への付け届けなど、恒例の年末行事をこなす。正月用と称しカミサンと食材の仕入れに走る。入江の魚市を訪ねると知り合いが複数いてビックリ。
写真は31日、諸作業が一段落した15時過ぎ、田んぼで残っていたミカン(青島・完熟早生)の後拾い成果。終わった時は既に17時を周り辺りは薄暗かった。先日完了宣言したのに80Kgもあり結構な量だ。
オンマウスは保温のためにシートをかけた貯蔵ミカン(太田ポンカンとはるみ)。これを2〜3週間、窓からの柔らかに陽による温度で酸味が抜け糖度が上がる。外は連日氷点下になり厚い氷が張っている。
そんなこんなで、あっという間に年の瀬の時間が過ぎて行った。