9月24日の台風15号被害依頼、その関係の備忘録としてTopicsを使っていたら、もう10月末日になってしまった。そんなことで今月のTopicsは話題に事欠かず、遂に皆勤賞になってしまった。HPを開設して22年目に入ったが、こんなことは過去にはなく、相当熱くなっていた状況が伺える。HPを始めたころは遠慮もあったが週に1件程度だったから、当時から見れば「どうなってんの?」と思うに違いない。 ところでこのところ朝が寒くなった。ゆら早生が完全着色になるかと思っていたが、まだ青みが残り気になる。1年生を定植して3年経っているが、土壌なのか陽当たりなのか…。極早生種のゆら早生は青みがあってもJA出荷は可能だが、それにしても遅く気になる。それどころが次の収穫品種である早生(興津・宮川)の色付きが良く、先週あたりからゆら早生のそれを追い越してしまった。写真は友人から依頼の最後のゆら早生(左)と初切りの早生(右)。両者とも本日の収穫だ。早生はほぼほぼ色が回っていて、来週には完全着色の勢いだが、ゆら早生は待てど暮らせどって感じで、何か理由がありそうだ。ゆら早生は酸抜けがやたらと早く酸っぱさがない。代わりに早生は酸味が抜け出していて甘味とのバランスを楽しめる。個人的には早生が好きで友人も同じ嗜好なのだが、市場や都会の消費者はどうも酸味を嫌う傾向があり難しい。明日早朝、これを軽トラで富士市へ配達することになっている。 |
数日前、仮復旧した山切川沿いの市道を上っていたら川沿いに人が集まって何かをしていた。そしてその翌日再びそこを通ると、川に単管パイプで櫓を作る作業をしていた。そしてその翌日29日には写真の様にボーリング調査の如き作業が始まった。場所は9月24日未明の雨で市道が民家の玄関先まで崩落した杉山橋上流左岸。記憶にある中で、この辺りの川でボーリングするのは初めてのことだと思う。河川管理者の静岡県も幾度か続く護岸被害に本格的に臨む気持ちになったのか…長年続くパッチワーク的な部分補修の限界を感じて。川沿いで生活する地元住民はは興味深く見守っている。 さて、先週有度生涯学習交流館で行われた「親子電波教室」が、今週は袖師生涯学習交流館で行われた。今回も支援に併せ自作のラジオを持参し7点程展示させて頂いた。ゲルマニウムラジオ、単球レフレックス・ストレートラジオ、単球レフレックス・スーパーラジオ、単球&3端子ICスーパーラジオ、3端子ICストレート・ラジオ(3式)と歴代のラジオを並べてみた。袖師地区は前回の草薙地区に比し、AM放送の電界強度が低く、建物の遮蔽効果も相まって、窓際に寄らないとまったく受信できない状況だった。これ電波教室開催に当たっては一考を要する課題に思える。初めてなった時のインパクトが音量的にイマイチなのだ。屋外ループANTで電波を捉え、増幅後室内へ再発射するなどの工夫が必要に思えた。写真はAMラジオ製作に興じる会場。皆さんお疲れさまでした。 |
10月25日のARRLレターでARRL HANDBOOK 100th Editionの案内が届いた。ARRL HANDBOOKは国内ではアマハンと呼ばれ無線のバイブル的存在だった。それが100年を迎えるなんて、にわかには信じ難い話だ。普遍的部分は継承しながら、毎年コツコツと修正を続け、時代にマッチしたHANDBOOKを100年も作り続けるスタンスに圧倒される。やっぱりアメリカはスゴイ。国内のJARL HANDBOOKは一体何処へ行ってしまったのだろう…。ところで2000年頃は、アメリカの無線状況を確認する意味もあって数年毎に購入していたアマハンだったが、最近は全く忘れていていた。ARRLレターでハッとしたのが本当のところだ。それで100thを予約注文する前に、最近のアマハンの内容を見たくなり、Amazonでバックナンバーを探すと2018年版がヒットした。もちろん中古で価格は\6Kを超えるが、迷うことなく注文するから困ったモノ。写真は届いたアマハン2018。最後の購入は2014年だった。気になっていたリニアアンプのページは、真空管アンプが半導体アンプの後ろに回る構成に変わっているが、デバイスとしての解説は真空管も半導体も従来通りに行われている。バランスが取れ、時宜を得た編集がなされている印象だった。それで100th Edithionだが、この4年間でどんな変遷があるのか興味が湧いている。また巻末のINDEXにWSJT-Xの記載があるが、2014年版はWSJT止まりだった…FT8は本当に最近の話なんだ。オンマウスは100thの案内。 |
昨日27日、早生ミカンの目揃え会が行われた。写真はその様子。今年は柑橘全体に生育が早く、ゆら早生の収穫を終えたばかりなのに、田んぼの興津早生をもいで食べてみると美味い。一般的には酸味を感じるかもしれないが、自分としてはやや酸味が残っていた方が味わいがあり好きだ。なのでゆら早生等の極早生は、酸味の抜けが早く腰抜けのような感じがして今一つ好きになれない。ただ、極早生は3部着色以下で出荷できるので、日照時間が少ない山間の当地では栽培品種として適している。出荷割り当ては、一番遅い11月最終週なので、残り1ヶ月間でどれだけ色が回るかがポイントだ。目揃え会は家庭選果の徹底を毎回促されるが、家の考えや方針があるので幅が広いのが現状だろう。 オンマウスは、30日に予定されている親子電波教室で展示予定のレフレックスラジオ。第1回のOneTubeCompeに出展したものの1台。26日に記したが、想定外の珍現象(G2-G3タッチと燈火)が真空管12GN7A内部で発生し、機能が停止していた。それを予備球に交換し若干のチューニングを施しケースへ納める直前のスナップだ。室内に5〜6mのビニール電線を張ってアンテナにすると良好に地元のローカル放送が受信できる。ちなみに予備球はピン配置が同じ12BY7Aを投入した。12GN7Aの手持ちは希少なので温存し、ゴロゴロしている12BY7Aを選ぶ台所事情だ。12GN7Aの相互コンダクタンスは36000mohと12BY7Aの3倍以上もある。利得より安定動作を期待する場合は12BY7Aの方が使い易い。 |
山切川に流れ着いた鉄くずを拾い集めている2人組の業者がいる。鉄ずくの買値が上がっているらしい。くずでも所有者を探し、了解を得てから回収作業が始まる。所有者も撤去費不要で願ったり叶ったり、自治会も安全や景観上大歓迎。10月21日、現場で業者と歓談していると、2台のパトカーがやってきて7〜8人程の警官に取り囲まれた。通りすがりの誰かが、怪しい業者が川で作業していると警察へ通報したらしい。通報を受けた警察は、状況を考慮せず現場に居る人々へ尋問を始める。パトカー2台が狭い道路に千鳥で駐車し大型車は通れない。車は直進できずS状カーブで交互通行になるのに、何もせず渋滞は拡大。コンテナ車がパトカーに接触しそうになりようやく気付く始末。もう少し地元の事情を考慮したやり方は出来ないの?と苦言を呈すと、あっさり「職務ですから」ときた。仕事熱心なのは分かるが、道端でクレーン操作する業者1名を数人の警官が取り囲んだり、自治会関係者が事情を説明しても聞く耳を持たないのは妙。人間だったらもっと穏やかで良い筈だ。車で現場を通り過ぎた先輩から、ほとぼりが冷めた頃電話があった。その捕り物にも似た状況が先輩の職場でもあったそうで、警察官のお横柄さを嘆いていた。ここは警察批判のページではないし、警察内の指導がどうなっているか知らない。しかし、人に何かをお願いするときの姿勢を今一度考えて欲しい。写真は26日の作業風景。発動機式ディスクグラインダーで鉄アングルを切断している。左は元自治会長。この種の災害復旧はまだまだ続きそうだ。ところで警察官は災害復旧支援やっちゃいけないの…。 |
極早生種のゆら早生を収穫している。今年は定植して3年経っていたがJA出荷は量が揃わないので取り止め、全て戸配に回している。と言っても極早生はミカンシーズンの始まりを告げるため珍しく、これまで収穫した殆どは贈答で使っていた。それで本日、いよいよOrangeVillage2022を開村。ゆら早生の残りを木生りも含めて確認すると200kg超あり、さっそく一斉メールで頒布案内を配信すると、翌朝までに完売となった。写真は本日収穫したゆら早生。当地は日照時間が少なく着色が遅い。なので、3部着色でも出荷OKのゆら早生を始めてみたのだが、やはり日照時間の影響が出て着色は遅い。それでも完全着色を気にしない安心感がある。それより、酸抜けが早いので糖度が低くても都会の消費者からの受けは良い。 ところでオンマウス。30日に予定している親子電波教室に出展しようと用意したレフレックスラジオの12GN7A。ラジオが鳴らないので中を覗いて見たらG2(スクリーンG)に電圧が無い。12GN7Aを抜くと電圧が出る。ひょっとしたら管内タッチ?と思いG2とG3にテスタを当てたらなんと導通(約15Ω)。そして内部がフィラメントの如く煌々と光るではないか。驚きの光景だ。早々にFacebookの「真空管式無線機」サイトへ写真とコメントをUpした。殆どのOMが初めて見る現象と思われ一寸した話題になっている。 |
2・3日前に、汁見谷で青芝老木の枯れ枝落としやはるみの摘果を行った。その際はるみの根元に白い切粉が出ていたのを発見。ゴマダラカミキリの幼虫が中に居る。気になっていたが諸々の事情で対応が今日になってしまった。自前のステンレスワイヤーで作った治具と専用の殺虫剤スプレーを持参し、根元を突いて切粉の出口を探す。そこワイヤーを突っ込み、上手く行けば幼虫へ突き刺さりワイヤー先端にその匂いが着く。しかし相当突っ込んだが辿り着かない模様。それではとスプレーを穴に突っ込みたっぷりと殺虫剤を流し込んでやった。下方向と上方向へまんべんなく。入り口にはバッチレートを流し蓋をする。これで多分大丈夫だろう。ここ数年こまめに駆除対応をしてきたこともあり、久しく切粉を見たことが無かった。 ところでその作業に併せてカミサンが渋柿(四つ溝)を収穫したいと同行して来た。大した量じゃないがコンテナ1杯程になった。渋柿の渋抜きは独特の触感があって、甘柿とは違う味わいがあり好きだ。ところで彼女、渋は何で抜くのだろう…焼酎か?。 写真は収穫時の主役高切ばさみとビク一杯の渋柿。奥に脚立が見える。オンマウスははるみの根元で見つけた切粉の元を辿り、見つけた穴へ殺虫剤を流し込んでいる様子。ゴマダラカミキリの幼虫は多分ご臨終だろう。 |
自宅前に群生しているフジバカマにアサギマダラが連日飛来している。個体の写真は撮り飽きた感があり、乱舞の様子を動画で撮ってみたくなった。それでネットワークカメラ(AXIS/LE2025-LE)を脚立に乗せて撮影ポジションを決めたのだが、問題はLANケーブル。15mモノが確かあった筈なのに無い。止む無く短いのを2・3本つなごうと思ったら、RJ-45コネクタの爪がことごとく折れている。酷いのはケーブルが千切れているのもある。NGになったのをそのまま箱に突っ込んで来た結果だ。結局自分でやるしかないとコネクタの付け替えや新規のケーブル製作が始まった。ところが調子良く取り付けてからチェックすると、ことごとくエラー。どうも視力の低下や異なる配線企画品の混入などあって、少なくとも4個はコネクタを再取換えするハメに…余計な仕事を作ってしまった。写真は接続をチェックしている様子。 オンマウスは、30日に袖師交流館で行われる親子電波教室へ持参しようとしていたOneTubeRadio2020。23日と全く同じじゃ芸がないと思い、2台は入替えようと考えていた。ところが、懸案だった裏箱の固定方法が完結しておらず、角材をボンド付けして工作を始めた様子。前面パネル裏の4角に取り付けた角材4本へ、裏箱から木ねじで固定する仕掛けだ。箱は元々日本酒が入っていたもので、左右のSPユニットと背面孔でバスレフ効果を期待しているもの。 |
本日午後、草薙児童館・有度生涯学習交流館・静岡県電波適正利用推進員協会が共催する「親子電波教室」が、清水区の有度生涯学習交流館で行われた。最初、電波の勉強とクイズが行われ、日常生活の中で気付き難い電波の存在を解いた。続いてラジオKitの製作が始まり、初めての半田付けに悪戦苦闘。完成が近付くに連れ会場は大いに盛り上がった。最後に終了証が参加者へ渡され、全員の集合写真を撮り終焉。 写真はラジオKit製作の様子。事前申し込みの親子参加が多い中、飛び入りの小4と小2の兄弟参加があり、参加者は9名(組)になった。自分はその兄弟のテーブルを受け持つことになった。初めて手にする半田ごてに最初は戸惑いを見せていたが、半田は付けるより流す感じでと伝えると、幾つか部品を取り付けている内に感じを掴んで貰えた様だ。そして無事製作が終り窓際でイヤホンから聴こえるJOPKにニコ!。人生初の半田付けとラジオ製作、聴こえた瞬間の気持ち…多分一生忘れないだろう。ところで、製作中に兄弟のお母様と思しき方が来られたが、話を伺う内に実はお婆様と判明。お孫さんたちの奮闘ぶりに目を細めて居られた オンマウスは会場後方に設けられた展示。休憩時間にデジタル簡易無線による通話体験も行われた。OneTubeCompで製作したラジオ等数点を展示、併せラジオ放送を会場に流した。ただ、鉄筋コンクリート建築と近年の電気・電子機器からのノイズは、AMラジオ泣かせだなぁと改めて痛感。 |
台風15号が通り過ぎた後、復旧作業をしていると小動物たちも普通ではなかったと見えて、本来は居ない処へ出没するから面白い。写真は10月10日晩、伊野沢桝の土石掘り出しを終えて農道でO先輩と歓談していると、足元で爪を立てて2人を見上げているズガニがいた。話に夢中になっていたためか、足元まで近寄って来る過程は全く分からない。先輩が素手で捕まえたところをストロボを焚いて撮った。既に夕暮れ時でストロボを焚かないと動くモノは辛い暗さだった。伊野沢をはじめとする山切川へ注ぐ沢はズガニの宝庫で、子供の頃は良く沢を歩いてズガニ取をした話で盛り上がった。昼魚の頭を沈めておき、夜それに引き寄せられるズガニを捕まえる漁法もあった。そう言えば桝堀の初期に、畑から桝へ飛び込んだズガニもいた。 オンマウスは自宅車庫に鎮座するヒキガエル。何かの作業をしていたら足元に居てビックリ。前足の手の平が内側言向いていて、人が畳の上で頭を下げるのに似ていて面白い。気分が乗らないと動かない様で、突いた程度ではダメ。結局手で捕まえて土や草のある畑へ移動すると、草むらの中に消えたが、体が大きいので秋の草も同時に倒して丸見えで、全く隠れる気持ちなど持ち合わせていない様だ。 カニもカエルも台風の被害者だろう。大水の後、バス通りを歩くズガニを複数見たし、家の裏の沢に居たイモリや山切川の生き物は無事だったのだろうかと心配になる。 |
このところの冷え込みで、10MHzバンドの伝搬に冬型の傾向が見えて来た。日没前、ロングパス(南東方向)でEuや西Afが入感する。早朝は北西のショートパスでEuからAf方面が良く聴こえる。晩も北東方向でカリブ海や南米方面が賑やかだ。20日晩はTO2DL(Guadeloupe)やHI8HRD(Dominican)、21日朝はTY0RU(Benin)等とFT8で1st交信している。他にも多数聴こえていたが2ndや3rd交信になるので呼ぶのは控えた。いよいよ1日中世界のDX局が聴こえる季節になり楽しさが増すが、年間に5000を超えるDX局と10MHz/FT8で交信すると、2nd以上の交信が多くなってきた。それでも昔の珍局追いから交信自身や電波伝搬を楽しむ姿勢に変わっているので楽しい。 本日午後、静大地域創造学環の学生さんと打ち合わせをする機会が交流館であった。道の駅社会実験のロゴマークのお願いごとだった。そのイメージを膨らめてもらうために、地元庵原(いはら)地区を回って貰った。広報部員3名がその対応を行った。写真は伊佐布(いさぶ)地区にある伊佐布の滝。自分たちも40数年振りに足を運んだ。オンマウスはミカンの産地なので、オーナーの自宅前の園地に立ち寄り極早生ミカンの収穫を体験している様子。視察コースは交流館→原畑総→新丹谷畑総→伊佐布の滝→杉山夜学校→山切ミカン園→東久佐奈岐神社→交流館。日没までお疲れさまでした。同行の広報部員により視察の様子がYoutubeへUpされました。 |
昨日今日と昼過ぎにアサギマダラが8羽程フジバカマの群生に飛来して乱舞していた。動きが早いので正確な数(特に花に留まっている蝶は数え切れない)はもっと多い筈。その中の一羽にマーキングがありカミサンが撮影して騒いでいた。写真がそれで「カミゴウ 10/12 mit 1649」と記されている。カミサンが調べたら群馬のカミゴウ農園から放たれたものらしい。てことはこの時季は北から南への移動中なのか。彼らの飛来で、夫婦間でブツブツ言い合っている闘いは休戦状態になるから面白い。 ところで今日は、隣のM氏らが富士川楽座で開催している富岳百景写真展を訪ねた。案内カードを貰っていたのだが、朝食時に今週末で終了と分かり、今日しか行ける日が無いと判明。午前中にR1で往復し、未だ会場時間前なのに押し入ってきた。写真は受付に居られたS氏とカミサン。他にお客さんが居ないことを良いことに、カミサンは殆どの時間をS氏との歓談に費やし、最後に軽く一回りしただけだった。あぁこういうコミュニケーションで話を引き出すやり方もあるのかと、彼女の脳力に感心した。 午後は太田ポンカンとはるみへ農薬散布(ロディーx2000倍、ナティーボフロアブルx1500倍、液肥x500倍)を実施。伊野→汁見谷→田んぼ→屋敷と回り500リットルを掛け切ると日没だった。農薬散布すると実の状況を必ず見るのだが、バラつきの目立つ園地もあって、早くも管理不足を悔やんでいる。 |
午前中葵区南沼上の「沼上資源循環学習プラザ」で、不法投棄監視員の中間活動報告会があり参加する。行政からの報告の後の質疑応答で、台風15号によって出た不用品の取り扱いが話題になっていた。黙って聞いていたが、地区ごとで考え方が違うんだなぁと心の中で苦笑。中山間地で報徳の村だった当地は、概ね自助・互助精神が発揮されている様に思うが、そうではない地区が多いんだなぁと…。 今日は谷津沢の農道が25日振りに開通した。関係の農家の皆さんはミカンの収穫に間に合いホッとしているに違いない。写真は日が暮れた17時過ぎ、気になって訪ねたもの。既に重機は現場から引き上げられた状況で、1台のみ待機場にあった。どうやら復旧工事はここまでで、道路脇によけた土石木の処理は今回の作業には含まれない様だ。土砂に埋まった沢や古い墓石もあり今後の復旧対応が気になるところだ。 オンマウスは伊野沢が山切川へ注ぐ下流側の写真。手前のコンクリートが伊野沢の暗きょで、その先の石積みの一部が崩落し復旧処理をしている様子。ここも昼過ぎには作業が完了した。これでバス通りに接した市道関係の仮復旧は全て完了した。ただ、県が管理する部分的な護岸崩落については、未だ複数個所が残っている。特に護岸石積みの崩落と共に陥没したミカン園など、増水による被害拡大や、現状でも危険を伴う場所もあるため早急の対応を願っている。この場所は、孫たちが魚釣りをする絶好のポイントだったが、岩の川底に土砂が堆積し全く姿を変えてしまった。 |
山切川沿いの道路仮復旧も最終版。川沿いの道路は市道なので、護岸の崩れは市が行う。ただ、市道に接していない護岸は河川担当である県が行うらしい。素人目には同じ護岸なのにと思ったりするが、どうも良く分からない。写真は山切時候地区の護岸の崩れを、市からの要請でこれまでと同じ業者が仮復旧工事を行っている。時候村橋と時候旭橋の間の左岸2ヵ所に護岸の石積みに部分的崩落があった。前日から作業を行っていたが本日作業完了となった。写真は17時頃、重機で最後の地ならしを行い水の流れを整えている様子。重機の後方と左に土のう積みが確認できる。 オンマウスはその後に赴いた谷津沢の様子。農道から土砂がほぼ取り除かれ、奥の重機の先に上から下って来る農道が見える。遂にここまで来たかの思いだ。車が自由に走れる日はもう直ぐだと思われる。ところで右手にある多量の土砂や、沢を埋めている土砂の処理も気になるところだ。渇水期に入るとは言え、本来のルートで水が流れて行かないのではと…。それに重機の侵入で割れた農道路面のコンクリートの補修は…。一難去ってまた一難って感じで課題は無くならない。実に厄介なのだが、ここで黙ってしまったら中山間地の安全はないと思っている。 |
大した天候不順じゃないのに、明け方にバッテリLowに陥るケースが増えていたリモートシャック。前日の運用で数時間の充電が行われている筈なのに、朝起きた時にネットワーク断が発覚することが幾度か発生している。一気に日の出があればソーラー発電でPCが自動起動するのだが、ノロノロしていると何処かにはまり込んでしまい緊急出向となる。それでバッテリを調べると、サルフェーションが出易い模様で、充電電流が余りにも少ない。それで今回は、同型のバッテリ投入に併せ、サルフェーションをパルスで落とす「のびー太」を実装してみた。「のびー太」は実績のあるマイカーから移設したモノ。写真はバッテリと「のびー太」の実装状況。果たしてどうなるか。 リモートシャックを開設した当時から、自宅周辺の畑や貯蔵庫と無線LANで結ぶ計画を持ってい。しかし多忙を理由に手付かずだった。本日朝、何を思ったかAP設定した無線LAN端末(CPE)を安全帯にブラ下げてタワーに上った。68だと言うのに、まだ違和感無く上れるから困ったモノ。ただ、昔に比べ体力は落ちているので、1歩1歩慎重に足を運んだ。LANケーブルは中継箱の中まで2.4GHz端末で使っていたものがあるので、これをRJ-45/J-Jで中継した。端末は田んぼのミカン畑南角に向けた。これにより、田んぼは元より、自宅コンテナ倉庫、貯蔵庫、伊野ポンカン畑などからWi-Fiでアクセスできる。とりあえず監視カメラを繋ぐ予定だ。オンマウスはローテータ高に取り付得たCPE。 |
朝8時頃、からたち橋上流の工事現場(昨日は休みだった)を訪ねたら、現場監督のI氏が今日中には通したいと言っておられた。じゃぁ夕刻までには開通かと思っていたら、11時頃所用でバス通りを下ると通行止めの看板が無い!。恐る恐る走り進むと何と開通していた。現場監督の話より半日も早く、工事部隊は次の目的地の時候村橋下へ移動し作業を開始していた。これにより、山切中道へ迂回していたバス路線も、数日中には本来のルートに戻るものと思われる。写真は仮復旧した道路を走る自動車。 そして気になる谷津沢は昨日も今日も工事が行われ、大分景色が変わってきた。オンマウスは16時半過ぎのモノで、既に本日の作業を終えている。恐る恐る現場に近付くと未だ土が生々しく湿っている。右手によけた土山に上り、重機越しの位置に来ると農道の一部が確認できる。こちらもあと1日・2日で開通するのではないかと思われる。農道の先でミカン栽培をしている友人へ電話を入れると、毎日様子を見に通っているらしい。先が見えてきたの収穫作業の見通しが立ち、本当に安心していると喜んでいた。ただ、フレーム外だが右手奥の山が大きく崩落し、多量の土砂が沢や墓地へ流れ込んでいる。農道が開通してもそのまま放置は出来ず、復旧作業はこれから暫くは続きそうだ。ところで行政はそこまで対応してくれると思ているが、果たしてどうなんだろうか。早く元の風景を見たいものだ。 |
友人のJA1VKV田中OMより、FSA3157/QS3126(SWデバイス)を使ったHモードMixerが届いた。送るからと数日前にメールがあった。基板を中国で作ったらしい。矩形波Sw'ingする基板と正弦波Sw'ingする基板を1枚ずつ送ってくれた。梱包を開けたらビックリ。基板だけかと思っていたら、しっかりと部品実装済み…こりゃ実験しないといけない。 もう随分時間が経ったが、田中OMの企画でCalogic社のSD8901HDを集団購入し評価したことが懐かしい。そのSD8901HDは素晴らしいデバイスだが、何しろLo(局発)レベルを+20dBmも入れてやらないと正規の動作をしないシロモノ。ところが今回の基板は0dBm程度で良いらしい。スーパーヘテロダイン受信機で最も重要なのはMixerだと気付いて半世紀以上経つが、断続的ながら永遠のテーマを追いかけている様な気がする。とりあえず低歪のLoを放り込みIfを既設ラジオで聴き、入力0dBmを超えるローカルラジオ放送帯を放り込んで、882KHz(JOPK)の第4高調波3.528MHzの発生具合を診てみようと思う。 田中OMとはSD8901HDや7F71Rなど、半導体や真空管を問わないデバイスを評価して自作に取り組むなど、何時も刺激を頂いている。次回の交信までに、何とかSD8901HDとの比較テストを行いデータを取っておきたいと思う。 写真は届いた基板と資料。オンマウスはQS3126と周辺。 |
朝食後、伊野沢の作業で使ったポンプやホースを水洗いし天日干しした。そして金属部分にはCRCを吹くなどして軽いメンテナンス。農作業とは違う機器への愛着がわき、夫々の活躍シーンが思い出されて面白い。そんな最中、桝底に残してきた石が気になった。時間は10時前だった。今からやれば午前中には引き上げられると来るから困ったモノ。脚立とハンドホイスト、それにチェーンやロープ類を車に積み早々に現着。短ロープを十文字に縛って桝底に敷き、そこへ問題の石を転がす。ロープがズレない様にして、石の上で縛る。枡の淵に脚立を建てハンドホイストを吊る。ハンドホイストの揚程は1m余りなので一気には上げられない。一度最高まで吊り上げ、下に小脚立を入れて降し、再び吊り上げて地上へ取り出す。重い物を動かす時って色々と知恵が働き勉強になる。最後の状況をO先輩に案内すると早々に到着。石を見ながら中山間地の治水行政の在り方など、チト高級な内容で歓談。 ところで台風の被害になるのかどうか分からないが、汁見谷の青島老木が実の成長で負荷が掛り、根元付近から折れてしまった。根元が腐食し弱っていたものだ。収穫を12月に控え苦渋の伐採を行った。オンマウスは伐採した枝や実を軽トラに積んだ様子。青島の着色は未だ先だが、食べると酸味が少なく食べられる。収穫すれば100kg程度はあると思うが、思い切って大峰のヒノキ林へ廃棄した。 |
昨日10月14日は亡母の命日。今日は姉弟が集まって保福寺で17回忌の法要を行った。17年目か、早いもんだなぁと当時を振り返る。静岡単身赴任中だったが、もっと話をしておけば良かったと悔やんでいる。得意の親子丼をリクエストしたら、1つだけ自分のために作ってくれたことが忘れられない。青年時代以来忘れていた味で涙を浮かべながら食べた記憶がある。今日は母を偲び穏やかに過ごした。 さて、復旧工事は順調に進んでいる感じだ。17時頃、現場を回ってみた。写真はこの日までに路面に敷かれた土をロードローラーで固め、更に砂利が敷かれ仕上げのロードローラーが掛けられた様子。作業用ダンプカーが走っていたからもう通行は可能と思われるが、未だ通行止めの看板が立っている。明日には開通の勢いだ。重機も川には居なくなった。開通すれば、バス通りもここへ移され本来の形になる。 オンマウスは谷津沢の様子。大分作業が進んでいて、埋没していた沢(谷津沢)の位置が分かるようになった。既に巨木は撤去され、作業の中心は土砂処理になっている。ちょっと分かり難いが、遠方に竹が横に倒れているが、その先に農道がある。目標地点が確認できるので、作業にハリが出てくるのではと勝手に想像している。ただ、土砂はフレーム外の右上の山から崩落し流れ込んでおり、何処までどの様に処理するのか興味がある。こちらは開通まであと数日か?と勝手に想像している。 |
8時半、今朝も伊野沢桝の水はオーバーフロー状態だった。今日は発動機ポンプを加勢し、3台体制で水を汲み上げた。さすがに3台だと早く20分もかからなうちに2立米近い水が空になり、土砂の下から浸み出る水だけになる。ポンプに小石や葉っぱがつかえると直ぐ水が溜まるので、水を気にしながらの掘り出し作業になる。そして10時過ぎ、横穴入口の上面に達した。ステップは4段目だ。掘り進めると巨大が石が土管を塞いでいた…これかぁ!。周辺を突くと一気に土砂が流れ出し、ポンプを使わなくても良い状態になった。近くに居たO先輩も駆けつけ一緒に水の流れを見て大いに喜んだ。これで午前の部終了。 明日の法事(母17回忌)、JA関係の報告とりまとめ、汁見谷の対応(青島老木倒壊)をこなした16時頃、再び伊野沢へ赴く。塞いでいる石を何とか土管から取り外したくて、底の方を掘り進むと石の下に幾つか大き目の石がありこれらを順次除去。すると塞いでいた周辺の土石が一気に流れ出し石の全貌が見えた。デカい!。現状は横置きで土管をしっかりと塞いでしまう。縦方向で土管に入れば流れて行ったかも知れない。重さは100kg近くになると思われ、素手で動かすのは辛い。実はこれ、今回の台風15号によるものではなく、水路工事より後の大水で運ばれ詰まったモノではないかと思われる。 写真は土管から取り外した桝底の石。上側は土管の入口(つなぎ部)だが、土管内はもっと細い。オンマウスは桝に篭って作業する様子…深さは2m近い。 |
からたち橋上流左岸の仮復旧工事も順調に進んでいる。写真は朝8時過ぎ、オンマウスは15時過ぎに撮影したもの。土のうの積み上げは3段目が進行中で、からたち橋付近の大型土管も土のうで囲まれている。土のう積みが終った上流側からダンプカーがバックで土を運び入れ路面の工事も始まっている。写真には写っていないが上流側にロードローラーがスタンバイしている。崩落後残った路面(アスファルト)は有効に活用される模様だ。 この調子だと今度の日曜日くらいには通行が可能になるかもしれない。 もしそれが実現すれば、現在は山切中道へ迂回しているバス路線が正規路線に復活する日も近いだろう。 ちなみに、土のうは2km程度下流の尾羽地区を流れる庵原川(山切川が合流する)で、堆積した土を重機で袋詰めしたものをトラックで運んでいる。元々山間部から流れて来た土砂が、蛇行している川の内側に堆積したもの。粒がそろっていて扱いも容易な様だ。大雨が降るたびに堆積量が増えているので、浚渫と災害復旧が同時に行え一石二鳥と言えるかもしれない。 余談だが、遠見の稜線の最頂点はリモートシャック(無線局)がある大峰。ここからは凡そ3km。北側へ伸びる稜線の下には新東名高速道路の和田島トンネルが通っている。 |
諸々の時間に追われるが、連日2〜3時間程度伊野沢・桝の土石撤去に時間を割いている。枡の内側は1mも無く鉄のステップが出ているため深くなると重機は無理。ひたすらスコップによる手掘りを繰り替えす。スコップは長さがあり、対角線上でないと収まらないので、放り出しは深さも手伝い楽な作業ではない。コンクリやステップの角に手が当たり血まみれにもなる。この日は未だ横穴の土管までは達していないが、2インチの鉄棒を打ち込んでこねると水が流れ出したりする。しかし、流れる経路が細いため直ぐ目詰まりして水が流れなくなる。それを幾度か繰り返す内に日没となった。ただ、水が溜まると水圧で浸み込んでいく量は増加の方向で、オーバーフローする量は明らかに減ってきている。ステップは3個まで姿を見せているが、その先がどうなのかは全く不明の状況だ。行政への復旧依頼は既にお願いしているが、ようやく管轄部署が判明するような状況に苦慮。行政支援が何時になるか分からない状況なので、可能な限りの自助努力(自己防衛)を続けている。そうしないと次に雨が降った時、沢の水がそのまま畑や道路へ流れ出し、水が多ければ土石も樹木も流れるからである。枡の構造や土管のサイズなど水しか考慮していない話もあり、伊野沢の実態を考慮しないで暗きょ設計されている向きもある。地元住民としては土石除去で終わらない根本的解決を願っている。写真は本日朝の作業風景。オンマウスはからたち橋上流の復旧工事。土のうが3段目になり、路面に土が入れられている。 |
自宅の南に伊野沢と言う沢が流れている。当地は昔から伊野川原(イノガワラ)と呼ばれてきた。雨が降ると沢の上流から土石が流れ、山切川へ落ち下流へ運ばれる。太古の昔からあった自然の営みだ。ところが昭和の終わりか平成の初めに、沢が一部暗きょになってしまった。また併せて作られた舗装道路からの水や土砂が沢に設けられた桝へ流れ込む。何年かすると土石(土砂)が桝に堆積して詰まり、続いて沢も塞いでしまう。水と土石は水路となるべき沢を外れ、農地や道路へ流れ出る。下方には住宅街があり、水が出た翌朝は土石の片付けから始まる。以前から気にはなっていたが、今回の台風15号で我慢も限界を超えた。行政の対応も遅く、地元の先輩と自助努力をすることになった。写真は水中ポンプ2台で水を吸い出しながら、土石を掘り出している様子。1インチx1.5mの鉄棒をげんのうで叩いて打ち込むと、殆どが土石に入る。先は長いと思いながらコツコツと掘り進み1m程度の所まで来た。さすがに手彫りは大変と、夕方先輩がパワーショベルを持ち込んだ。辺りは暗くなりどの程度の除去が出来たか全くわからない。ただ、土石に浸み込む水量は確実に増えていて、先が見え出している感じもするので明日が楽しみだ。 オンマウスはからたち橋上流の仮復旧作業の様子。14時頃上流から撮ったモノ。生コン土のうもほぼ詰め終わった感じがする。2段目からは、他で土を入れた土のうを運び込むので作業のスペースはグッと上がって来る筈だ。 |
今朝から静鉄バスが動く。朝食前の7時15分頃杉山橋赴き写真撮影のスタンバイ。山切の小学生たちが杉山バス停へ歩いていく。久し振りに見る朝の光景だ。7時半、バス停にバスが到着。小学生を乗せ仮復旧した道路を下り出した。杉山橋近くの仮復旧道路に達したタイミングで走るバスを撮影。舗装してないので左右にやや傾いているのが仮復旧らしい。これで18日振りにバスが通る様になり日常の一部が回復した。些細なことだが、ホッと安堵の気持ちとちょっと嬉しい気分になる。写真の左端の火の見やぐらが杉山バス停。 今日は伊野沢の土石搬出作業に追われた。水路が詰まり、水が道路とミカン畑を流れている。未だに行政の動きが無いため、自助努力でこれに対応したが日没を過ぎてしまった。山切川の復旧の様子を見に行ったのが17時半を回っていた。オンマウスがそれで、辺りは既に街灯が点灯し薄暗い状況だった。本日より生コンを流し込んだ土のうの設置が下流からおこなわれていた。90m近くある崩落現場に幾つ並べるのか分からないが、これだけの距離へ詰め込むと壮観だろう。道路は相当量の崩落容積があるから、運び込み土の量も半端ではないと思われる。上から来るのか下から来るのか分からないが、搬送するダンプカーの数も相当で、近年まれにみる光景になりそうだ。 |
10月10日は体育の日だ。東京五輪が始まった小4の頃の思い出が脳裏に浮かぶ。この日は雨が降らないとされていたらしいが、今朝は前日からの雨が残り、上がった午前中は露模様。午後になってようやく青空が出て来た。 昨夜からの雨で避難指示が出ていたが幸い大した雨にならなかった。でも心配なので、朝一番に重機を川に残しているからたち橋上流の工事現場を見に行った。水位は低く全く問題にならなかった。 写真は1日休んで再開された仮復旧工事。川底を掘り、コンクリ土のうを積むスペースを作っている。道路からゲージを出して、おおよその位置を目分量で決めている。現場監督によると崩落した長さは85m以上に及び、土のうを置く長さは90mとしている様だ。山切川でこれだけの長さが一時の雨で崩落したケースは、ここへ川が移された大正時代以来初めてのことではないかと思われる。 オンマウスは、谷津沢農道の状況。こちらも1日休んだ後の再開だ。土石と樹木が絡み合っているため、重機は目的に合わせたツールを取り付けて作業している。雑木はショベルではなくグリップで掴まないと引き出せない。オペレータには厄介な仕事だと思う。 この日は水路(暗きょ)が詰まり、畑と道路が水路化した伊野沢の流れを変え、畑への流れ込みを押える作業を実施。土がえぐられたミカン畑を見るのは辛いから。 |
屋敷の極早生ミカン「ゆら早生」の初収穫を行った。初収穫と言っても未だ木が若くて量が揃わないので、JA出荷はせず個配に回すつもりだ。定植3年目になるが、収穫は昨年に引き続き2回目だ。3部着色以上を目標に80kg近くを収穫した。このところの冷え込みでグッと色が着いてきたが、それでも全ての収穫は出来ずかなり残っている。今日の収量から判断して全体では300kg程度にはなりそうだ。オンマウスは収穫したゆら早生。こんなもんでも酸抜けが早く美味い。 ゆら早生の収穫最中にカミさんがアサギマダラが来ていると騒ぎだした。実は昨日も飛来したらしいが、写真に収めることが出来なかったらしい。今日は大サービスでフジバカマの花に止まり、随分長いこと羽を開いたり閉じたりしていた。最初は静止画で撮っていたが、その内動画撮影に切り替えたが逃げ出さず、十分楽しませてくれた。人慣れしているとも思えないが、自然の中で作業しているので近寄っても違和感がなかったのだろうか。写真はその様子。羽を開いた上からの画は余り面白くないので、羽を閉じた横からの画にしてみた。フジバカマは未だ蕾が多いので、これからの飛来が楽しみだ。我が家ではこの季節、アサギマダラが必ず訪れ乱舞する。必ず立ち寄ってくれる彼らのGPS機能は、一体どうなっているのだろうか。不思議でならない。スゴ技だと思う。 |
写真とオンマウスは本日はお休みの仮復旧工事現場。 写真はからたち橋左岸上流の道路崩落現場。70m程度こんな状況が続いているので仮復旧と言えど相応の時間が掛かるものと思われる。川にコンクリの残骸で高台を作り、そこに重機を乗せているが、今夜から明日に掛けて降る雨がチト心配だ…まさか流されることなんて無いとは思うが。ところで作業員の皆さん、被災依頼2週間休み無しだった模様で、大変ご苦労様だと思う。ゆっくり休んで頂きたい。当初計画によると着工が5日早く、工期は17日となっているので、終了は10月24日頃か…。 PS:25時15分に大雨でもないのに避難勧告が発せられたが、川の増水は無くホッとした。このところの避難勧告は行政が大事をとっている感が強く、それに従う動きは全くない。メールと同報無線で流れたが、家を閉め切っている状態での同報無線は殆ど聴こえないのでは。こんなもんで良いのかと疑問が湧く状況だ。 オンマウスは、8日から復旧作業が始まった谷津沢農道の崩落現場。こちらも本日はお休みで、重機が昨日の状態で置かれている。まだ1日しか作業をしていないが、農道を塞いでいる土砂や樹木の山の様子に余り変化はないように見える。何とか早生の収穫が始まる来月初めまでには開通して欲しい。 |
本日午前中に杉山橋〜みどり橋左岸が開通した。午前中昨日(杉山橋上)の作業を継続し路面の仕上げが行われた。9月24日以来14日振りの復旧となった。あっという間だった気がするけど2週間も経ったんだと、時間の過ぎる速さに驚いている。避難されていたご家族へ連絡を入れると、大いに喜んでおられた。なお、行政から「迂回路による路線バス復旧案内」が自治会長へ届き、チラシによる周知で11日(火)の運行開始に備えている。更に有線放送による周知も行われている。 工事部隊は午後から、からたち橋左岸上流の崩落場所へ移動し作業を開始している。なお重機1台は川を整理しながら下り、現場へ移動した。崩落現場は凡そ70m程度あり、相応の時間が掛かると思われる。今日は不要物を取り除いて地ならしし、土のうを置くスペースの確保をしていた。 写真は杉山橋左岸道路から仮復旧した道路を撮った様子。仮復旧なのでアスファルト工事は行わないとのこと。土埃が舞い上がる、昔の無舗装の道路を思い出す。オンマウスは、からたち橋左岸上流の崩落現場。重機が不要のコンコンクリートの塊を除去している。この場所は歴史的に一番崩落が多い場所で、大正年間に水害から逃れるために川を西側(山の根元へ)に移設した話を現場監督に話すと、土が違うと話され納得されていた。また、からたち橋から下流は河川改修され川幅が広がっているため、橋の下で水が渦を巻き暴れやすい構造的な課題もある。仮復旧後の本格復旧も気になるところだ。 |
今日は時折強い雨の降る中、仮復旧作業が進められた。晩には静岡市の一部に避難指示が出る程だったのに、工事の皆さんは大変ご苦労様だった。さて本日ようやく山切川左岸の崩落現場が全て路面でつながった。本日つながった部分は未だ走行は出来ないが、明日砂利を入れてロードローラを掛けると車が走れる様になる。これに合わせて本日、静鉄バスホームページに静鉄バスコールセンターと市清水道路整備課名で庵原線吉原系統運行再開としてに案内がUpされた。10月11日(火)朝から迂回路で運行が再開される。ただ、この情報は行政ルートでの案内・周知は今のところ届いていない。「気がついたらバスが動いていた」とならない様に、事前に地元住民へ周知する必要がある。静鉄はバス停にはチラシを貼りホームページで案内するとしているが、それよりバスが動くことを知らせる方が重要だと思う。利用の多いお年寄りはホームページと言われても良く分からないと思う。地元自治会の有線放送や回覧で周知する等ケアが必要かもかもしれない。ところで、過去の災害時の話だが、迂回は今回の山切川の崩落個所を通らないルートで実績がある。杉山地区土砂崩れが5日9時には復旧しているので、バスの運行だけ考えるともっと早い運行再開(昨日か今日)が見込まれたはず…ちょっと残念に思うのは自分だけだろうか。写真は杉山橋から山切川左岸を上流方向で見た様子。明日が待ち遠しい。ご近所へは昨日から開通予定の周知を行っている。 |
10月6日は台風以来のまとまった雨。復旧工事の進行を心配するも、工事業者のオジマ土木さんは朝から普通に工事を実施。重機は水とか土砂には強く雨などもろともしないが、ダンプカーは緩い土砂には弱くタイヤが滑ったり潜ったりで苦慮されていた。写真は7日早朝に撮影したモノ。前日の作業終了風景がそのまま再現されている。6日の午後、現場監督に訪ねると、工事は順調で明後日(土曜日)には開通の見込みらしい。これニュースなので隣組や自治会長へ一報すると同時に、行政とたまたま居合わせたメディアの方へも伝える。 ダンプカーは仮復旧の終わった道路を上流側からバックで100m余移動して土や資材を運んでいる。土のうはほぼ積みあがっているので後はこの作業を繰り返し路面を完成させていく段取りだ。アスファルトがオーバーハングしている部分は切り落とし土のうと土を入れ、水を浸み込ませて固めるらしい。川に置いてある土のう4個がそれに使われるのだろうか…。1番下の土のうに生コンを詰める手法は、経験的にこれが一番良いと現場監督。確かに生コンが固まる前に地べたに馴染ませれば容易には動かないし、固まれば袋が千切れても流れ出さない。 オンマウスは三池平古墳の水害対策状況。行政が地割れにシートを掛けたが途中から先は未処理。こんなやり方で良いのか。パイプは地元の有志が行った排水対策。そもそもの排水構造を疑いたくなる。 |
バス通りの仮復旧は徐々に下流へ向かっている。今日は住宅の前まで決壊した杉山橋左岸上の現場の整地と下部土のう(生コン)敷きが行われた。また、上流へやや上った部分の石積みの崩落部分の補修が平行して行われた。写真は前者の工事で、一番下に生コン入りの土のうを敷き詰めた様子。重機の後方に山積みされている土のうがこの後積まれる模様。土のうが積まれるとダンプカーが運び入れる土を充填して固め道路が作られる。後方の重機は石積みの崩落現場。ここは路面の崩落は無かったが崩れた石と路面を取り除き土のうを積んでいる。 オンマウスは奥杉山(杉山地区)で山がズレ落ち通行止めになっていた現場。どうなるかと思っていたが、本日9時半過ぎには最後に残っていた土を除去し、12日振りに通行が可能になった。元々H鋼を打ち込んだ防護柵が作られていたが、H鋼は根元がほぼ直角に折れ曲がっている。地面がズレる時の力は想像を絶するものだ。この開通により、戸倉や吉原へこの道で行けるようになった。山切地区の山切川沿いのバス道路を中道へ迂回(過去実績あり)すれば路線バスの運行が可能になるのだが、行政やバス会社はどんな判断をするんだろうか。住民としては路線バスのいち早い復活を願うばかりだ。 この日は17時頃から本格的に降り出し、被災後初めてのまとまった雨になった。川の水が増えなければ良いのだが…。 |
山切川復旧は生活道路であるバス道路に注目が集まっているが、道路から離れている部分でも護岸の崩落が随所にある。写真は杉山橋から300m程下流の左岸で、バス道路に面した工場群の裏側。凡そ100m近く、断続的に石積みの護岸が崩落している。ここは蛇行はしていないが、対岸側(右岸)に岩肌が複雑に露出していて水が暴れた可能性もある。10月5日までに仮復旧工事が行われた。この辺りから上流は現在でも古い石積みの護岸が部分的にあり、県の河川管理部署に改善要望を毎年提出している。久し振りに川歩きをして対岸に渡てみた。 ところで、水の影響はミカン畑にも及んでいる。多量の降水で、元々ある沢だけでは処理できず、行き場を失った水や土砂は畑を流れ下る。その水や土砂が集中すると容易に畑の土がえぐられて川になる。伊野のポンカン畑は運悪くその水の通り道になった。10数本のポンカンの木の根元が水で掘られ根が丸出しになっている。この日ようやくその対応をする時間が出来た。畑の下方にある農道に堆積した土を畑へ運ぶのだが、1輪車では坂道もあってさすがに辛い。結局クローラを軽トラで移動し、肥料袋へ土を詰めて運び、根元へぶちまけるやり方に落ち着いた。土は石の様に重く、復路に詰めると30kg程になる。500kg程度を運び何とか根を土で覆うことが出来やれやれだった。オンマウスは運搬中の様子。 |
仮復旧工事は順調に進んでいる。本日午前中、車で進入できなかった奥から5戸について往来が可能になった。車の有難さをつくづく感じてしまう。写真は15時半頃、杉山バス停前から下流方面を撮ったもの。遠方に白いトラックが見えるが、杉山橋上の崩落現場用に土のうを繰り返し運んでいる。土のうは重機で川に下ろされ、明日以降に行われるだろう崩落現場の仮復旧工事に備えている。当該地へ自由に車の往来が出来るのは明日か明後日か…。判ったら親戚へ避難されているお宅へ一報を入れる予定だ。ところで、仮復旧だけど舗装はするのだろうか…。 オンマウスは、伊野の農道から山切地区の東側山系に侵入する農道の様子。土石と流木が農道を50m程度埋め尽くし先に進めない。コンクリートの路面の脇は水で50cm以上もえぐられていて驚く。この先にミカンが山があってモノラックで上る友人は作業用トラックを侵入させることが出来ず困惑している。それでも、この土石と流木の山を迂回すれば担いで荷物を運べると、健気にも鍬とスコップで道を付けていた。農道を管理する行政は、調査に入ってはいるものの、この規模の災害に対応できる業者に空きがなく、何時になるか分からないらしい。月末には早生ミカンの収穫が始まるし、何とか車が通れる状態にならないものかと願っている。仮復旧のための資材や車両スペースの確保を進め、スムーズな受け入れが出来る様に準備を始める予定だ。 |
仮復旧工事が急ピッチで進んでいる。写真は山切地区と杉山地区の境目(鳥が沢)の工事。生コンを入れた土のうを積み上げて護岸を作り、土を入れロードローラーで固めている。今日までに山切地区の一番奥の家と杉山地区の入り口集落へ車の出入りが可能になった。当該の皆さんは大いに喜んでおられる。 一方、午前中に重機は川を下り杉山橋手前の工事に取りかかっている。オンマウスはガードレールの撤去やズレ落ちた護岸のコンクリートの破砕と整地を行っている様子。この重機には400リットルを超える軽油が入るが、2日で給油が必要になるらしい。 仮復旧工事の予定が住民に周知されていないため、混乱や憶測を招くと行政へ打診。ここ数日でネット上の書き込みが急激に増え、 何らかの復旧見通し情報等が必要である旨を伝えると、早々に自治会長へ資料が届いた。これをコピーして隣組へ配布し、念のため山切川上流に位置する杉山自治会と人の集まるガソリンスタンドへも届けた。資料はここからPDFで閲覧できる様にした。写真に注釈を入れた簡単なものだが地区全体の工事予定が分かる。雨天等を考慮してか大分余裕を持ったスケジュールになっているが、工事は順調で予定より早く進んでいる。 |
13年振りに草ケ谷地区にある大乗寺(臨済宗)の御開帳があると聞きカミサンと出かけた。今日は復旧作業は午前で取りやめた。オンマウスは本堂の御本尊を撮影させた頂いたもの。御開帳は10月1日〜2日の2日間行われた。駐車場にはテントが複数貼られ、キッチンカーや売店が出て多くの人で賑わっていた。ここに来ると地元の先輩・後輩と顔を合わせることが出来て楽しい。近くに住みながら、40年以上もお逢いしていない先輩と近況交換をしたり、お寺は人を繋ぐ場所でもあると感じる。 写真はカミサンの実家奥の台風15号の爪痕。大乗寺のあと赴いた。山本と書いて「やんもと」と読む地区だ。庵原町だが住所には記さない。殆ど土石流と思われる状況で、ミカン畑が扇状地化し、流れ着いた土石や樹木が生々しい。民家の直ぐ裏で止まっている様に見えるが、土石は沢を塞ぎ溢れ出して道路や民家に流れ込んだ。沢を上ると2番目の砂防ダムが半分決壊していた。これはもう土石流と言っても過言ではないのでは…。こんな状況になっても全く報道されることは無くメディアのスタンスに疑問を持つ。なので行政も言われなきゃ動かない。集落の皆さんの1週間に及ぶ自助・共助で、ようやく通行が出来るようになったが、もう限界。水路だけでも早く付けたい。同級生の自治会長は「拡散して欲しい!」と呟いた。左後方は清水庵原球場。遠方は駿河湾と伊豆半島。東名清水ICから1km程度の、普段は穏やかな場所なのに…。 |
9月24日の晩から断水していた水道が一昨日晩に復活した。翌日の30日には飲んでOKと行政からお墨付きも出た。今朝まで様子を診ていたが、もう仮設の用水は不要とみて、自治会館のトイレタンクと自宅車庫の生活用水タンクの水を軽トラタンクへ吸い戻した。自宅車庫のバケツの井戸水とノズルは暫くそのままとした。吸い戻した水は、泥まみれだった軽トラの洗浄に使った。 一方、殆ど手付かずだった貯蔵庫の中を整理。30〜40cmの泥水に浸かったコンテナと木箱を外に運び出し、軽トラタンクに積んだ水をジェットノズルで飛ばして洗浄。木箱は乾きが悪く既にカビが生え、早くも腐食の雰囲気もあった。貯蔵庫は電球2個分の定額契約のため、ジェットマシンでは容量不足。発電機(EG-2600)を運び込んで対応。泥水に浸かったコンテナは100個近くあり、木箱も60個以上になるため1日仕事だった。しかし木箱が若干とモロブタが多数残っている。コンテナは乾きが早いが、木箱は時間が掛かるため屋外に放置して自然乾燥させている。 写真は貯蔵庫と車庫の間に木箱を並べてジェット水流で洗浄している様子。オンマウスは、ミカン畑まで展開したコンテナの洗浄の様子。コンテナは水が溜まり易く、地面からの跳ね返りもあるためタオルで水気を拭き取っている。 生活に必要な部分は優先的に対応するのだが、自分家のことは後回しにする人の好さをカミサンと笑った…まぁそれも楽しいじゃんって。 |
市水道は24日の晩には一滴も出なくなった。それで暫く使っていなかった井戸水を上げることにした。少年時代に親父が何処からか拾ってきたポンプを井戸の管につないだのが最初だったが、不調で結局設備工事屋にお願いしたものだ。時々チェックはしていたものの、使うために上げたのは結婚後余り記憶にない。ダメ元だったが安定に吸い上げた。25日の晩は未だ汚れがあって透明度が低く、藻の匂いがするとカミサン。しかし1日経つと透明で良好な水になった。これをホースで車庫まで引きノズルを取り付け、生活用水としてバケツに汲み分けた。墓前で親父に感謝の意を伝えた。更に農業用水を雑用水として運び込み250リットルタンクに入れた。これらをご近所や通りがかりの方に持ち帰って貰うサービスを断水復旧の翌日30日まで続けた。写真はその様子。また他県に住む子供たちから大量の飲料水とポリタンク、そして食料等の支援物資が届いた。アウトドア好きの彼らにはお手のもので無駄が無く感心する。また軽トラに雑用水タンクとポンプを積み、モバイル給水サービスも行った。給水所へ赴けない人も複数いらっしゃるからだ。この方式だと風呂の水もOK。また家屋の塀や壁に付着した泥落としにも使える。 25日以降は、こうした水支援のほか、道路の不用物撤去や弱者支援と、どうしてもやっておきたいミカン畑の草刈で時間が流れる。 断水復旧した29日は、決壊したバス通りの仮復旧工事が始まり、重機が初めて山切川に下りた。車両で往来できない民家が一番多い決壊場所から作業が始まっている。オンマウスは30日撮影。 |