星の見方楽しみ方 

(星のこと、望遠鏡のこと=日記・レポート風)
 〜2003年9月

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目次は下ほど古く、記事は下ほど新しくなっております。

まるで冬空   石川町スターライトフェスティバルに向けて 

台風一過   9月18日の火星

9月15・16日の火星   押しかけ観望会

素敵なお客さん   火星とお月様のランデブー(V)

火星とお月様のランデブー(U)   火星とお月様のランデブー

大子の星見   観望会(2)

やっと完成!!   「正しい最接近」の火星

火星の「上下」   忍者の会合に潜入

奇跡の好天(好転)   星と音楽(2)

50cmドブソニアンを作るぞ!(1)   つくば星の会創立20周年記念観望会

観望会(1)   火星撮影に挑戦!

花立山星まつり

目標未達成(U)   火星は「最も近い惑星」か?

目標未達成   天体虫

星が縁でみつけた味噌と甘酒   デジカメの性能向上

宇宙は綺麗に使いましょう   火星大接近の時間

痛し痒し   宇宙開発の妨害者

火星大接近と金星食   夕焼けシジミ

木星シーズンの終わり   硫黄島と南十字星

水星の日面通過   星まつり−その2−

田ごとの月   比較観望会

星と音楽   星まつり







 星まつり 

2002.05.04


星の好きな仲間が集まって、自慢の望遠鏡を見せ合ったり、夜にはその望遠鏡で星の見え具合を比べ合ったり、 そんな楽しい“星まつり”それも何百人もが全国から集まってやるようになったのはいつ頃からだったでしょうか?とにかく 福島県の吾妻山の高原の駐車場で始めたのが、またたくまに全国のあちこちに広まったように記憶しています。
私がまだ20代の青年だった頃のことです。以来、奥さんや子ども達を連れだし、キャンプ用品一式と 「新作」の望遠鏡を持ってはあちこちのお祭りに参加したものです。


今では子ども達も大きくなって、誘っても断られることが多くなりました。
そんな中、久しぶりに参加したのが毎年ゴールデンウィークに開催されている「星空の音楽会in星の里」 でした。
この星まつりの特徴は、埼玉県は寄居町の南に位置する登谷山にある牧場の一角に出現した天体観測所団地「ちちぶ星の里」 のオーナーさんたちが「主催者」であること。(リンクさせてもらっている『「きらら庵」と「銀河」へようこそ』を見てね)
全国各地で開催されている星まつりの中でも、失礼かも知れませんがたぶん最小規模の星まつりではないでしょうか。でも! ここは私がいちばん好きな星まつりです。「きらら庵」と「銀河」のオーナーご夫妻が友達だということももちろん大きな理由ですが、 集まった全員がまるで旧知のお友達のような気分になれるアットホームな雰囲気が何より気持ちがいいんですよね。
ネーミングのとおり生演奏やダンスなど手作りの演出があるなど、全然飽きさせないスタッフの心憎いばかりの気配りがあって。 それに、場所がいわゆる観光牧場なので、いろんな動物がいて、ソフトクリームも売っていて、季節はしたたる新緑真っ盛りで・・・。 本当にあげたらキリがないくらい魅力いっぱいの星まつりです。
この星まつり、今年2002年で20周年になるとか。私が初めて参加した頃小学生だった長男がもう高校を卒業したのだから、 、第1回目の頃は主催者のみんなもピチピチの「天文青年」だったはず。
以来20年。“あの頃”にタイムスリップしたのは、 きっと私ひとりではなかったことでしょう。




 星と音楽 
2002.12.01&2003.04.03

学校や公民館などが主催する「星を見る会」は相変わらず盛んで、重なるときは結構忙しい。
ところで、最近いわゆるライブコンサートなど音楽関係のイベントの主催者から「音楽の合間にちょっと星を見せて…」と 頼まれる機会が重なってちょっと嬉しくなっている。
一度目は千葉県の栗源町というところ(実は私の生まれた町の隣町)にある小さなレストランで、なんとプロのシャンソン歌手のライブの余興! 曇って星は見えなかったけれど、相棒のKくんの語りの上手さに、またお声がかかりそうなくらい喜んでもらえた。


そして次は、茨城県北部の名前も北茨城市(野口雨情の生誕地!)というところの山の上で催された、今ではちょっと懐かしいフォークコンサート。 こちらはリンクさせてもらっている「すずき産地」の主催。 ( コンサートの様子はこちら
会場の外に望遠鏡を据えて、コンサートに来る人帰る人に土星や木星を見てもらおうという, いわばお祭りの「屋台の出店」みたいなもの。
お客さんは土星や木星を見るのは初めてという人が多く、ものすごく喜んでもらえたのと質問攻めにあったことが何よりうれしかった。

それに、この北茨城市、天体写真を撮る人には大変良く知られている「里美村」の東隣というだけあって、筑波山にはない ようなきれいな星空が、インターチェンジを降りて10分ほどのところで見られるという、星屋にはさらにうれしい「発見」もあった。

写真は「すずき産地」お手製のチケットと望遠鏡をセット中の私。チケットは気骨あふれるネーミングが気に入ったのでご紹介。 一方、私といっしょに写っているのは司会のお嬢さん(=こう見えてもトラクター運転の名手?なのだ!)と会場の館長さん=さすが社会教育関係の 公務にたずさわっておられるだけあって、 星にも大変造詣が深く、この日も街灯をすすんで消してくれるなど、星の見やすい環境作りに最大限のご協力をいただいた。(深謝)


その後、すずき産地「落書きボード」にこんな書き込みをしてくれた方が!

…土星のワッカと木星のしましま見せてもらって、それで「わが大地のうた」が私の中でもうひとつ大きくなったのだ。…

(少しはお役に立てたみたいで嬉しい…2003.5.5追記。)




 比較観望会 
2003.04.18

天文雑誌「星ナビ」に「双眼狂闘病記」という記事を連載している 小田 透さんが、筑波山で「双眼装置と接眼レンズの比較観望会をする」 というので15cm双眼望遠鏡を担いで出かけていった。
しかし予定していた駐車場は夜間閉鎖になっていて、遠くからやってきていた人達が困っていたので、そこは地元の人間という事で、夜間 開いている別の駐車場にご案内した。
集ったのは「星ナビ」の人を含めて7人ほど。望遠鏡は小田さんのSCHWARZ-150 とミードの25cmシュミットカセグレン。これに、各社の 双眼装置や接眼レンズをかわるがわる装着して、見え具合や使い勝手を比較しようという趣向である。
空はおぼろ月夜。木星や明るい恒星以外は見えにくかったけれど、見え方を悪くする気流は少なく「比較」という目的にはまあまあの条件。 それより何より、日ごろ個人で所有するのは2〜3個が限度とも思える一個で5万円とか10万円とかする接眼鏡や双眼装置がみんなで持ち 寄れば、十も二十もごろごろ並び、心行くまで見比べることができるという夢のような機会が出現するということで、まさにこれこそ「オタクの凶状」。
思う存分器械談義に花を咲かせ、お互いの持ち物をいずれ劣らぬ「優秀品」であると確認しあって、夜中の2時過ぎ三々五々帰宅の途についたのだが、 久しぶりに本当に楽しい時間を過ごせたと、企画した小田さんに感謝した。

(写真はこの晩あつまった双眼装置…これだけでいったいいくらするんだろう?)




田ごとの月
2003.04.28

久しぶりに早起きをして田んぼを見て周った。(人んちの。我が家に田んぼはない)
水を張り田植えの準備の整った田んぼが日に日に増え、この連休中には見渡す限りの巨大な湖が誕生するだろう。
夜、この水面に星や月が映る様子は本当に美しい。
題名の「田ごとの月」とは、この季節の棚田(段段田んぼ)に月の映る様子を言う言葉だ。 でも、実際にはみんな水平面だから、田んぼの数だけお月様が写るわけではない。「見たことのない町の人間の間違った空想」と笑い捨てる人もいるかと思うが、 水の便の悪い山の上の田んぼまで、苦労して水を張り終えて、ふと見おろした千枚田の一枚一枚にお月様の映る様子を思い描く嬉しさは、 その苦労を知る者でないとわかない「想像」かもしれない。

今年も、水を張った田んぼには月や星が映えて美しかった。が、確実にその数が減っている。 「減反」という珍妙な国策の結果の「作らない田んぼ」のほかに、あととりがいなくて「作れない田んぼ」も確実に増えているのだ。
だって日本の農業従事者、60代でも「青年団」だもの。その田んぼの水源となる山間地(山村)の荒廃もっとすごい。 メダカやタナゴが天然記念物になるか絶滅する日もそんなに先の話ではなさそうだ。
・・・・・なのにこの国では、この期に及んでも勇ましい戦争談義ばかりに喧しい。雨漏りやガス漏れ、はては倒壊寸前の母屋をそっちのけで、 大金をはたいて塀をこしらえているような、現実と乖離した実にのん気な話だ。


という事で、田んぼに映える新月間近のお月様を撮ってみた。写真でお月様の2センチほど左に今年大接近を控えた火星が小さく光っている。




星まつり−その2−
2003.05.04

毎年ゴールデンウィークに開催されている「星空の音楽会in星の里」に今年も行ってきた。
この星まつりは主催者も言っているとおり「日本一長い歴史があって(今年で21年目)日本で一番小さい星まつり」。参加者みんなが 顔見知りになれそうなアットホームな星まつりだ。
今年の目的は、前でお話しした岩崎(だんな)さんに、15cm双眼望遠鏡を見てもらう事。そんなわけで天気予報をにらみ、一番晴れそうな 初日の夜にゆく事に急遽決めて出かけた。

狙いは、私には珍しく的中!見事な晴れ!しかも西の空に沈みかけている細い三日月が全くと 言っていいほど揺れない、1年のうちに何回もないような星を見るには絶好の空。岩崎さんの肝いりで会場の入り口のど真ん中に 据えられた私の15cm双眼望遠鏡で見る三日月、土星、木星エトセトラに、子どもからお年寄りまで歓声を上げてもらえた。
一段落したので、今度は岩崎さんの観測所『銀河』に設置してある25cm反射望遠鏡(右の写真)で木星を見せてもらった。ほとんど原型を とどめないほどに改造・改良を重ねた彼氏の望遠鏡で見る木星像は、この夜の好気流とも相俟って実に素晴らしいものだった。 夜更けには「撤収」をかねて双眼望遠鏡を『銀河』に持ちこみ、これを覗きながら、現在「双眼視」に並々ならぬ興味を抱いている岩崎さんとの星談義。 気がついたら2時を軽く回っていた。



そして、この星まつりに来たかったもうひとつの目的はこの方にお会いする事。日本の電波天文学と電波望遠鏡製作技術を 世界のトップレベルまで押し上げた最大の功労者、ご存知「モリモトおじさん」である。(右の写真の左側)
「おじさん」にお会いするのは今回がはじめてでもなければ久しぶりでもない。私が行くような星祭にはどこにでも呼ばれる人気者だし、 飲めば「超」気さくでうるさいくらい陽気になる、その辺のどこにでもいそうなおじさんである。

このおじさんが若い頃、アメリカかどこかで「干渉計」の研究をするのに、複数の電波望遠鏡を同じ長さの「電線」で結んだと言う話しがあった。 これを職場の電波望遠鏡の世話をしている若者に「昔はこんな子供だましみたいな事をしてたんだってね」と、知ったかぶりをしたら、 彼「ああ、それって今もやってますよ。電線の長さを正確にそろえる器械もあります」だって。聞けば野辺山のミリ波干渉計の可動式10メートルパラボラは なんとその電線を引きずって動いているとのこと。単純だがいまなお科学の最先端で通用「アイデア」を考え出した人として、 あらためておじさんを尊敬しなおしたのだった。

そんなわけで、この日も「キララ庵」の前に陣取っておじさんの前で冗談を言いながら、わたされた揚げたてのスナックが入って油のにじんだ袋を 何気なく緋毛氈(ひもうせん)の上に置こうとしたら、おじさんに叱られてしまった。「油が着いたら緋毛氈が痛んでしまう」のだそうだ。
全国を飛びまわりながら、行く先々でおいしいものを見つけてくる(野辺山の油揚げとか)直感の鋭さもさることながら、とかく科学者には「ない」と 思われがちな「常識」が、この方のなかにはしっかりと収められているのだ。とまた尊敬してしまった。
おじさんは日本人の鑑だ。

(おじさんの「思い」は、おじさんのホームページや『ピンボケ望遠鏡がんばる』=丸善=などの著書を読むとよく分かるよ)




水星の日面通過
2003.05.07


今日は水星が太陽を横切って地球の手前を通過する『日面通過』が起こる日だった。
しかし、天候は昨日の予報からもう絶望的!すっかりあきらめて仕事に出たが、昼過ぎから雲行きが変? なんだか晴れ間が見えてきている!どうしよう!もう迷いに迷った事は言うまでもない。「天気は、今だけたまたま良いだけに違いない」「来年は金星の日面通過、 水星の日面通過だって2006年にはまたある」・・・・・・などと、なんとかあきらめようと自分に言い聞かせたがとうとう「やっぱ休ませてもらう!」とばかり、職場を飛び出し家に帰った。
でも、全く準備がしてない!。
色々考えた末の苦肉の策「投影板に映った太陽像をカメラで撮る」ことにした(右の写真)。
方法は決まったが、肝心のお日様は時々しか顔を出してくれない。じ〜っと待って出てきた!と思ったらピントを合わせているうちにまた雲の中へ…の繰り返し。 なんてストレスの溜まる事を趣味にしたものかと、 情けなくなったりしてくる。そんな気持ちを察してか、5時過ぎになって急に雲がなくなりなんとか撮影もでき、また肉眼(もちろん太陽用フィルターをつけて!) でも太陽面に真っ黒くくっきりと浮かぶ水星を堪能する事ができた。

写真は今回の現象の写真(左側)と撮影の様子。
左の写真で曲線を描いている橙色の部分が太陽、その中で右側にある黒いものは太陽黒点、まわりに薄暗い部分を伴っている。水星は左側の真っ黒な小さな「点」の方。




硫黄島と南十字星
2003.05.26〜30

  太平洋戦争末期の激戦地硫黄島(いおうじま)に調査の仕事で行ってきた。
  私にできることとはまるで畑違いの作業で、予備の予備のそのまた予備の予備くらいだった私が、適任度上位の者がことごとく都合が悪くなった結果「猫の手」で駆り出されたらしい。
  でも、作業期間が5月下旬と聞いて、早速星座早見板で南十字星の南中時刻を調べ、それが20時前後である事を確認したら、悲しい星見人の性。もうすっかりうれしくなってしまった。
  あとは、仕事で他のメンバーの足手まといにならないよう、作業手順をいろいろ教えてもらいつつ、この島に関係する論文やらを片っ端から読み、撮影年の違う航空写真をながめ、 できるだけの情報を頭に入れてこの日を待った。
  しかし、いざ荷物をそろえ始めると、まるで仕事そっちのけで「星見」に行くような装備になってしまう。さんざん悩んだ挙句、ポケット双眼鏡に一眼レフカメラ1台と広角系レンズ2本、 バルブのできるコンパクトカメラ1台と 1キロの三脚。カメラと双眼鏡は仕事にも使うので星専用といえば三脚のみ。
  なんでこんなに無理な切り詰め方をしたかというと、実は、どうしても持って行きたいものがあったからだ。それは「水」。それも出発直前に我が家の井戸から汲んだできるだけ新鮮な 水を持ってゆきたかった。
  もちろん自分が飲むためではない。58年前、この島の戦闘で亡くなった日米3万余の方々に、ささやかでも哀悼の気持ちを示したかったのだ。

  東京から真南に1250キロ、わずか22平方キロメートル、川も湧き水もない、ただ硫黄を噴出する噴気口がいたるところにあるこの火山島に、21000人もの 兵士が送りこまれ、ひたすら塹壕を掘り、800隻の艦船、4000機の航空機、総数25万の米国軍に対し持久戦で戦った。1ヶ月にわたる死闘の末、日本兵のほとんどが死亡、 米軍も8000人もの戦死者を出した。
  送りこまれた日本兵の数割が過酷な塹壕掘りですでに死亡していたともいわれ、1万名以上の日本兵の遺骨は今なお未発見のままこの島の地下に眠っている。つまりこの島自体が巨大な墳墓なのだ。
  日本が深く原因した第2次世界大戦。その中で失われた幾千万の命。その全てを記憶し、平和への教訓として後世に伝える事が、何よりの彼らへの供養であり、 私たち日本人の負うべき責務だと私は信じて疑わない。

  お目当ての南十字星は、一向に北上しない梅雨前線に覆われて結局見られなかった。ただ、到着した夜だけ南十字星の辺りをのぞいて、短時間だがおおむね晴れ、見上げるほどの高さにスピカとカラス座が輝き、 反対に北の空では、 本土の半分くらいにしか思えない高度に北極星と北斗七星が光っていた。

  実際に島内を歩けば、とりわけ断崖が続く島の東部は、空中写真からは想像できないほど地形が複雑で、そのいたるところに半ば樹木に覆われた壕がぽっかりと口をあけている。その周りには無数の銃弾の跡。 刺さったままの銃弾もある。
  あの「死」しか明日のなかった日々、この壕の入り口から兵士たちが見上げた南十字星は果たして美しかったのだろうか?そんな事を思うと胸が痛くなってしまいやりきれなかった。南十字星をが見られなかったのは、 彼らのそんな「思い」があったのかもしれない。

  最後になって恐縮だが、偉くもなんともない私たち調査チームを、本土とは比べ物にならないほど物資調達が不自由な中で、手作り料理で歓迎会を開いてくれ、調査に何の不自由も感じないほど、 交代で終日我々と機材を運んでくれた、在島自衛官の皆さんの親切と協力には心から感謝の意を表したい。

  写真もお見せしたいのだが、星の写真は1枚も撮れず、昼間の写真は全て『勤務時間中』なので個人HPでの公開は問題となるかも知れない。文字ばかりで心苦しいがどうかご勘弁頂きたい。




木星シーズンの終わり
2003.06.04


  まだ梅雨入りはしていないが、久しぶりの晴れ間。残業を終えて外に出ると西の空に5日目くらいのお月様と木星が並んで光っていた。
  この半年ほど、衛星の相互食などいろいろ楽しませてくれた木星だが、気流の安定する時間にはすでに高度が低くなりすぎて、模様の検出など 細かな観測には向かなくなってきた。今期の木星のシーズンは終わりといえるだろう。
  考えてみると、後半年もすればまた楽しめる時期がくるというのに、なんだか寂しい。逆に、また見え始めると「ヨッ!久しぶり」なんて 声をかけてしまう。星座とかでもそうだ。一晩起きていれば見える星座はほとんど見る事ができる。だから「メシエマラソン」などという風情のない 星見遊びもできるというわけだ。
  なのに、いつもそう思うのだが、やっぱりしばらく見えなかった(普通の時間に)星座や惑星が見えるようになると、すごく嬉しくなってしまう。
  逆に、西の空に沈みかけた星座や星はやっぱり寂しい。  




夕焼けシジミ
2003.06.06


  表題の「夕焼けシジミ」は、松江にいる友達の奥さんの個人的なネーミングで、別にそういう種類の蜆がいるわけではない。
  でも素敵な名前でしょ?
  写真でもお気づきのとおり、貝殻の内側といわず外側といわず、ほんのり朱鷺色をしている不思議なこの蜆、宍道湖に沈む夕日が きれいな事で有名な島根県は松江市の湖岸で「見つけた」もの。
  宍道湖といえば有数の蜆の産地。だからふつう誰も不思議に思わないようなことなのだが、沈む夕日と同じ色に染まったこの蜆の貝殻に気づき、 いたく感動した彼女の脳裏を過ぎったことばが「夕焼けシジミ」なのである。
  実はこの奥さんの実家は私の家から車で5分か10分のところにあって、梨畑に囲まれた土地に素敵なお家を建てて、ご夫婦と娘さんで住んでおられ、私も何度かお邪魔している。 ご主人は水質の研究者で、転勤で今はみんなで松江に引っ越し、年に何度かこちらに帰ってくるという生活をしておられる。
  昨年12月、奥さんがあちらでチョットしたイベントを企画され、そのお手伝いで、私達夫婦が松江にお邪魔をしたとき、 次々に出てくる素朴な手料理をご馳走になりながら聞いたのがこのシジミの話しだった。

  実は、私は一昨年も松江のお家にお邪魔していて、そのときは山に山菜取りに行ったからと、綺麗な野の花を飾ったお部屋で、山菜のフルコースをご馳走になりながら、 焼いて食べた駅で買った松葉ガニの味を覚えた。昨年は同行した誰かが口を滑らせ、松江で二番目においしいソバ屋(一番は休みだった)で食べた「出雲蕎麦」の味が いまだに忘れられないでいる。松江は、あまり食い物に執着しない私が「食い物」で好きになった珍しい町である。(もちろんご夫妻の心づくしが大きく貢献しているのだが)

  イベントも大成功で、私も頼まれた写真の焼き増しやらをして一応お手伝いの整理もついた頃、「何かお礼をしたい」と電話があった。 私が即座に「夕焼けシジミを送って欲しい」と言ったら、彼女も、そばで聞いていた我が家の奥さんもきょとんとしていた。
  そして、硫黄島から帰ってきた日、届いていたのが写真の貝殻である。
  話しに聞いてから半年、やっと目にした「夕焼けシジミ」は、けして華やかでも鮮やかでもないけれど、素朴でほのかなその色合いは、シャレではないが「しみじみ」とした実に素敵な色だと思った。





火星大接近と金星食
2003.06.08

  つくば星の会の例会ということで会場になっている公民館の会議室に入ると、なぜか真っ暗。「あれ、会場が変更になってたっけ?」と思っていたら何やら人の気配。 よく見ると、暗幕を引いた中で懐中電灯で何かを見ている。「ビックリした〜。何やってんの」と聞いたら、再接近の時の火星を300倍で見たらどのくらいに見えるか みんなで「体感」しているところなのだそうだ。確かに会議室の隅に30cmほどの精巧な火星儀が置かれていた。持ってきたのはリンクを張らせてもらっている 「つるつる亭やかん」さん。なんでも、アメリカから直輸入したらしい。計算では30cm の火星儀を8メートルなにがしか離れて見ると最接近時の火星の視直径と同じになるのだそうだが、クレーターはともかく、模様が実に複雑に見える。また、有名な「アリュンの爪」 も、火星儀では全体が暗い模様で覆われて「爪」が見えないのだが、離れて見ると、あ〜ら不思議。しっかりカニのハサミ状に見えてくるのだ。それにしても「でかい」。 どうも合点がゆかない。そこでふと何かの本で読んだことを思い出したので提案した。「5円玉の穴から覗くと実感がわくんじゃない」。早速やってみると、「たしかにこんなものかもしれない」 ということになった。穴から片目で覗いた「300倍で見た火星」は、やっぱりチョット小さめに見えた。「でも、コンスタントに300倍かけられる光学系が欲しいよね〜」というのが みんなの同じく思ったことのようだった。

次に、先日の金星の掩蔽とその前の水星の日面通過の話しから、来年6月の金星食の話題になった。
予報だと日本では来年6月8日の2時ごろ潜入し、日没後に現象が終わることになっている。誰かが「全行程見られるところってどこかな」と言い出し、みんなであれこれ想像し始めた。 「白夜に近い北極圏なら確実」と、誰かが言うと「それでは太陽高度が地平線に近すぎて見えても形とか分かりにくいんじゃない?それに行きにくいし」ということでなぜか「北欧」スウェーデン辺りに落ち着いた。 持ちこんでいる「ステラナビゲータ」でシミュレートしてみると、果たして見事な金星食の全行程が見られることが分かった。「来年の6月は『金星の日面通過とムーミン村を訪ねる旅』ツアーで決まりだな」となった。 でも、よく考えてみると、何も北欧でなくとも、地球の4分の1くらいの地域では全行程が見られるようだ。西はヨーロッパからアフリカ、東はインド、チベットからシベリヤ辺りの好きなところで見ればよいようだ。






宇宙開発の少し暗い話
2003.06.14

  いささかわけのわからない題名で恐縮だが、チョット興味深い記事をみつけたのでそのご紹介がてら書いてみようと思った次第。
  その記事とは「解説:情報収集衛星、宇宙開発事業に甚大な悪影響」というもの。
  たしかに今年の3月28日H−U5号機でで国産スパイ衛星を打ち上げたとき、「日本の宇宙技術は平和目的」という金科玉条をずいぶんあっさりと捨てたものだと眉をひそめながらも、 その誇大広告的性能などから国防族のお遊びくらいにしか考えずにいた。 でも、この記事を読み、それが事実なら「おいおい、少し何とかしてよ!」って気になってしまったのだ。
  たしかに世界の宇宙開発を見たら、学術研究目的なんて付録みたいなもので、大半が軍事目的(あのGPSだって)、次が商業目的かな?。 だから別に驚くほどのことではないかもしれない。でも、それにしても予算面でのリスクが大きすぎる気がする。日本の場合、もっともっと商売になる実用衛星を打ち上げ、 アメリカのお株を奪うくらい素晴らしい探査衛星を宇宙に送りこんで 世界をリードしていくのも、ある意味、国是に従いつつ軍事力以上の抑止効果のある政策ではないかと思う。それにひきかえこのスパイ衛星の「効果」たるや、 「日本のロケットは平和を脅かす大陸間弾道弾であ〜る」と早くから「指摘」してきたどこかの国の将軍様の「先見性」をわざわざ 証明させ、その体制強化に助力し問題解決をややこしくしてしまったマイナス効果以上に、どれほど益のあるものだったか冷静に考えてみる必要がありそうに思える。

  ・・・・・・と、11日東京ビッグサイトで行われたイベントの説明要員に駆り出され、なぜかカメラでも望遠鏡でも、はたまた双眼鏡でもないのにニコン、ライカ、 ペンタックスといった会社のブースが軒を並べ、国立天文台の香西先生らがうろついている会場で、 米国の商用高性能観測衛星クイックバードや千葉工大の鯨観測衛星「観太くん」をなどを眺めながら考えていた。

写真は「観太くん」の模型。左の箱の穴からバネ状にたたまれたアンテナが伸びて、伸びきるとシャキッとした円柱状になる。仕掛け人の林友直教授も学生さんたちも楽しそうに笑いながら説明に興じていた。




痛し痒し
2003.06.19

  夏が近づくと小中学校や公民館からの観望会の要請が多くなってくる。とりわけ今年は「火星大接近」の年なのでスケジュールが輻輳するのではと心配している。
  実際、火星の再接近の日に2校からの要望があって日程の調整をしているのだが、受けた会員同士連絡を取り合って、なんとか再接近前と後とに振り分けようと腐心している。 もちろん、要請は「世紀の大接近」を子ども達に見せたい!という親御さんや先生方の当然ともいえる希望から来ている。でも、自分たちも天文屋。世紀のイベントは しっかり見て、写真なりに記録したい!だからその日だけは空けさせて!という、これまたもっともな理由がある。
  要請を受ければ、俺は、他人様に覗かせるために高い望遠鏡を買ったのか?と思えてくるし、断れば純真な子ども達の期待を裏切るみたいで後味が悪いだろう。まさに「痛し痒し」と言う訳である。

  でも、チョット待てよ…。我々天文屋にとっては、月食や何かその日だけの現象と違って「その日」だけが好期じゃあない。それに、8月27日当日の火星の南中は夜中の12時前後。 観望会はせいぜい「良い子の時間」の9時前後には終了する。だったらいちばん「見たい」と思っている日にやってあげるのも、天文屋の「使命」かも。と思えてきた。
  早速「つくば星の会」のBBSに書き込みをしてみたのだが、仲間のみんなの反応やいかに…。




火星大接近の時刻
2003.06.27

  先日火星の観望会について「つくば星の会」のBBSに書き込みをしたことを書いたが、ついでに「いろいろなデータがほしい」と書き加えておいたら 早速、事務局のMくんが「Guide 7.0」という手持ちのソフトを使っていろいろ調べてくれたのでご紹介する。
  東経140度、北緯36度(茨城県南西部あたり)での「最接近」時刻は、8月27日、23h20〜25mごろで、その距離は55,754,394kmとのこと。
  「え〜っ、理科年表では8月27日の18h51mて書いてあるよ」といわれる思うが、実はこの理科年表などの数値は「地球中心」から「火星中心」までの距離が最短距離になる時刻。 実際には、我々はその地球中心からおよそ6300km離れたところに立っているわけで、そのとき地球は自転しながら火星と同じ方向にランデブー状態で公転しているので、 地球表面での最接近の時刻は場所によってずいぶん違ってくると言うことらしい。
  ところで、日本は東の「占守(しゅむしゅ)島」(東経156度)から西の「与那国島」(東経123度)まで、その経度差33度!。日の出日の入りの時刻を単純に計算しても 2時間超の差がある。東京と沖縄本島でちょうど1時間。私たち関東の人間が九州あたりに旅行すると、時計が狂っているのかと思うほどなかなか夜が明けず、反対に夕方はいつまでも明るいというような経験をする。
  つまり、最初に書いた「最接近」の時刻も大阪、神戸あたりでは20分、九州では40分、沖縄本島で1時間ほど遅くなるという計算になりそうだ。





宇宙は綺麗に使いましょう
2003.07.02

  東京大学と東京工業大学の学生たちの手作りのミニ衛星2個が、ロシアのロケットで打ち上げられ無事軌道に載ったようです。10cmの立方体という超ミニ衛星というかわいらしさと、 搭載したデジカメで地球を撮影するといういかにも今風な企画が何とも微笑ましい。こういったことが盛んになると宇宙が身近になって、天文趣味の世界も裾野が広がるのではと自分のことのように嬉しくなってしまう。
  ところで、このようなアマチュアレベルの取り組みは大賛成で水をさすつもりは毛頭ないのだが、これから続々と私的な衛星が打ち上げられるようになるとちょっぴり不安もないではない。それは「宇宙のゴミ問題」だ。
  「ゴミ」といっても、宇宙のそれは鉄砲の弾よりも速く飛びまわる危険極まりない「ゴミ」である。大きなものはお役御免になった人工衛星から、小さなものは切り離しなどの際飛び出したビス類まで大小さまざま。 しかし、ビス程度のものでも船外活動をしている宇宙飛行士に当れば即命にかかわるし、先日のシャトル事故のような大惨事の誘引になる可能性もある。やはり極力「撒き散らさない」努力は、とくに宇宙では最低限の義務であろうし、 打ち上げる衛星には、すくなくとも遺棄機能が義務付けられるようになるのではないだろうか。実際、次元は違うが、場所に限りがある静止衛星の場合には役目が終えた後他の衛星に「場所を譲る」ための燃料を残しておく義務があるようだ。
  宇宙を末永く安全に楽しく利用するためにも地上の観光地と同様、「自分で飛ばした衛星は自分で責任を持って処分する」というマナーの確立が遠からず必要になってくるように思う。
  若者達の情熱で宇宙がぐっと身近になったがゆえに湧いた老婆心切である。





デジカメの性能向上
2003.07.13


 最近のデジカメの性能はますます向上しているが、それはより高い機能を持った「新製品」という形での向上であって、その機能が欲しければ買いかえるしかない。しかし、1年はおろか半年も経つと、もう製造中止になってしまうのではないかと思うくらい、製品の交代はめまぐるしく、銀塩カメラの最盛期のように各社の同クラスの機種を比較してあれこれ論評して本が書けるといった時代が懐かしい。
 ところで、デジカメで星の写真を撮るといったことでは、私は早かったほうだと思っているが、デジカメの進歩はもっと早く、新製品を逐一買っているわけにも行かず、当然ついて行くのがやっとの現状だ。
 写真は、今使っているニコンのクールピクス5000というカメラで、昨年3台目のカメラとして中古で購入した。流行の3倍ズームだが、広角側が28ミリ相当と普通の35ミリ相当のに比べて玄人好みなのと、なかなか優れものの「ノイズ除去装置」を搭載しているのが魅力だ。
 しかし、中古で買ったことが災いして購入後しばらくしてから動作の不調が目立ち始め、ついに完全に動かなくなり修理に出すことにした。保証期間も過ぎての修理だったのでそれ相応の修理代を覚悟していたが、実際の請求は予想の3分の1。「修理項目」にはただ「調整しました」とだけ。どうも機械的な故障ではなかったらしい。しばらくして偶然に「ソフトをダウンロードしてバージョンを変えると性能が向上する」という情報を掴み、早速ニコンのホームページを開くと、確かにファームウェア(デジカメを動作させるソフトをこう言うらしい)のダウンロードコーナーがあった。
 しかし、「TTLは是か非か」といった議論をした時代のおじさんが驚いたのは何よりその中身。合焦性能の改善。液晶モニターの視認性向上。などなど、物自体を変えないと実現しないと思っていたようなことが、ずらっと並んでいるのだ。
 「だったら最初から組み込んでおけよ!」といえるのは若い世代の人。おじさんは、機械が壊れなくなったという時代の進歩に感心するより、なんだか機械がいらなくなったような寂しさを覚えてしまったのだった。
星の写真はクールピクス5000による。




星が縁でみつけた味噌と甘酒
2003.07.15


 昨日、栃木県で味噌屋をしている星仲間から味噌と甘酒を送ってもらった。
 彼は、今の人には馴染みがないかもしれないが「麹(こうじ)屋」つまり味噌や甘酒、果ては酒(=濁酒)や酢といったいわゆる発酵食品の元となる麹を扱うお店の跡取息子である。「星ナビ」に「双眼狂闘病記」を連載中の小田さんの学生時代からの盟友で、スポーツカーにバックヤードプロダクツ社の「Ninja320」ドブソを積みこみ、かなりの範囲を行動領域にしておられる。
 自家製味噌を扱っていると聞いて、同じ買うなら「顔の見える店で」ということで、小田さんのオススメもあり最上級の長期熟成味噌「長寿」と、自慢げに並んでいる「甘酒」を注文した。ところが早速返信があって「発送を2〜3日待って」という。理由は新しい甘酒を仕込むので、その「できたて」と熟成した甘酒を飲み比べて欲しいとのこと。
 壱も弐もなくOKして待つこと数日。届いた味噌は赤味噌のような濃い色をしており、甘酒は当然ながらできたての方は綺麗な白、熟成した方はやや色が出ている。
 味噌は早速晩の味噌汁にして味わうことにしたが、なるべく普段の具で確かめたいと、大根、しいたけ、ねぎに油揚げという、きわめて生活感あふれる具に、だしの元を普段の半分にして作ってみた。ところが、飲んでみるとだしの元など不要なくらい美味い!だしの元などという下賎なものを入れること自体、彼のプライドを傷つけていると反省した。
 また甘酒の方はデザート代わりに、新旧別々に作り女房殿と息子と3人で飲み比べた。どちらも思わず甘味料が入っているのではと疑いたくなるくらい甘味が強かった。できたての方は子どもの頃飲んだ自家製の甘酒の香がして懐かしかったし、熟成した方はその深い味わいがまさしく未体験ゾーン。昔、江戸っ子は夏ばて防止に甘酒を愛飲したとか。実際、疲労回復に役立つ成分が豊富で実に合理なのだそうだ。(江戸っ子は「おろししょうが」を入れて楽しんだとか)

 一度味わってみたい!とお思いの方は写真(どちらでもお好きな方)をクリック。




天体虫
2003.07.18

 昼休み、チョット用事があって車に乗ったら、ラジオがこんな俳句を紹介していた。

   てんたいをまるきせにのせてんとうむし(天体を丸き背に載せ天道虫)。

「天体」とはたぶん背中の黒い点のことだから、「ナナホシテントウ」より星の数の多い「ニジュウヤホシテントウ」なのだろうと勝手に想像した。また、「星」とか「星空」でなくどうして硬い「天体」という言葉を使うのかと、初め思ったが、すぐに、この作者は「テンタイ」と「テントウ」の語呂を洒落ているのだと気がついた(にぶい!)。すると、この作者は頭の中で「天体虫」と書いて「テントウムシ」と読ませようとしているのかな?それに「ナナホシ」のホシの並びは図案化した北斗七星の並びと同じだし…とすると句に登場するテントウムシは「ナナホシテントウ」でもよいのかもしれない…
 などと考えていたら、うっかり赤信号を見落としそうになっていた。アブナイアブナイ…まだ本当の「星」にはなりたくない…。

  でも、チョット素敵で親近感が湧きますよね……「天体虫」…


 ところで、全く話しが変わりますが、またまた音楽関係の集りでの観望会のお誘いを受けました。今度はなんとクラシックの声楽家の方!?(普通「声楽家」だけでクラシック歌手のことを指すらしい…無知)
 お誘いのお礼を掲示板に書いたら、早速

 >シャンソン〜フォーク〜クラシックという順序で天体観測依頼があったとのことですが、この後にまだカントリ〜演歌〜民謡〜カンツォーネ〜ラップ〜ジャズ〜ボサノバ〜ヨーデル〜ケチャなどどんどん続いてゆくといいですね。

 ですって!。
 ムリですよ〜!「音楽」が「3」より上にいったことがない私には…。
 でも、万人向きの殺し文句はあります!

 「貴方の肉体は、かつて星の欠片(かけら)だったんですよ!」




目標未達成
2003.07.22


 かねてより修理を行っている星仲間Mくんの317mmF6ドブソだが、「この連休で一挙完成!」を目指した目論見が見事に外れてしまった。
 一日目(土曜日)は家のまわりの草刈と雑用で終日つぶれたがこれは計算のうち(この季節いたしかたがない)。二日目、作業は順調に進み、仮組み立てをしてバランスの位置を決定するまで進み、最後に耳軸の接着まで済まして終了。明日最終日、一気に塗装まで行こうと目論んで寝た。
 ところが21日の未明、強い雨の音で目がさめた!。作業は露天の屋外でやっているので、これを家の軒下に移しての作業は可能だが効率はあきらかに落ちる。さらに、接着剤の乾き、塗料の乾き、全てが天候(湿度)に左右される。このまま雨が降り続いたらこの日の完成は到底ムリと判断した。
 案の定、雨は昼過ぎまで降り続き、ほんの限られた大工仕事と、細かな金属加工、それと不足した材料の買出しで一日を過ごし、わずかでも先に進めたいと、夕方の残った時間で一回目の塗装を強行して作業を終了した。
 九州地方では大災害にみまわれ必死の救助活動が展開されているその時、望遠鏡作りに血道を上げている自分に少なからぬ後ろめたさが付きまとった一日だった。

写真は「仮組み立て」を終え、塗装を待つだけとなった鏡筒(20日)。




火星は「最も近い惑星」か?
2003.07.23

 火星大接近フィーバーに踊る自分のチョット恥ずかしい話し。
 「地球にいちばん近づく惑星は火星である!マルかバツか?」
 あまりに火星の大接近が吹聴され、とんでもなく近くまでやってくるように思っていたので、危うく「マル!」と答えそうになった。が、少し頭を冷やして考えてみた。
 ホントは「バツ」。で、地球のすぐ内側を回っている金星が正解。火星がずいぶんいびつな公転をしているのに対し、地球も金星も「真面目な」惑星なのでかなりきれいな円に近い軌道で公転している。この地球と金星が最も近づくのは太陽と地球の間に金星が入る「内合」のときでその距離約4000万キロメートル。これに対し火星は今回の超大接近の場合でも約5600万キロメートルである。ちなみにこのときの視直径は火星が25秒なのに対し、地球とほぼ同じ大きさで、直径が火星の約1.8倍ある金星のそれは62秒、つまり1分を超え、この大きさは太陽系最大の惑星木星の接近時の視直径約45秒をも超える。
 でも、「今年の6月から11月まで」は、確かに太陽系の大惑星の中で最も地球に近いのは火星である。先の問題で「マル」と答えても、屁理屈ではあるが間違いではないと言えなくもない。
 また、火星より近づく金星だが、その時は「逆光」で眺めることになり、見えているのももちろん「夜」の部分。しかも金星は厚い雲に覆われているので、表面の観測手段もレーダー観測など特殊な方法に限られる。

 ところで、太陽系の9大惑星というが、水星より大きいかほぼ同じ大きさの「衛星」が3個(木星のガニメデとカリスト土星のタイタン)、冥王星より大きい衛星は、我らがお月様を含め4個(月、イオ、ユウロパ、トリトン)などがあり、大きさからいうなら惑星と衛星の間に線を引くことは出来ない。・・・で、なにが言いたいのかというと、火星や金星よりもっと近づく「大惑星型天体」は、実は、お月様なのだっ!(なんちゃって・・・)

 なお、これらのデータは皆、インターネットでの検索か天文雑誌からの受け売りである。偉そうな「知ったかぶり」をお詫びする。




目標未達成(U)
2003.07.27


 終日、懸案のM君の望遠鏡作りにせいを出した。日曜日は梅雨明けの青空が広がって、塗装作業も順調。むしろ乾燥が速すぎて困るくらい。塗装が終わればあとは組上げて最終チェックをするだけ……と思ったら、これが案外残務がいろいろあって思うようにはかどらない。
 ようやく夕方になって組上げたがガ〜ン「○○が××してる〜」(とても申しあげられないようなお恥ずかしい重大ミス!!!)。ついでに、小さな手違いややり残しが見つかって、とても今日「完成宣言」は不可能。というより、作り直しの日程を追うと納品はお盆明けになりそう…
 気がついたら、夕方まであんなに晴れ渡っていた空が、いつのまにかまた曇り空に変わっていた。他人様が災難でたいへんなときに、お気楽な趣味に没頭していたのだから、なにもかも上手くいったらバチがあたる…と気を取りなおして、再設計に取りかかっている。

写真は組み上がった317mmドブソ(ただし作りなおし部分があり、この姿は最初で最後…)




花立山星まつり
2003.08.02

  茨城県北部、栃木県と接する人口5千人弱の村美和村で、今年も「花立山星まつり」が開催され、私も星関係のスタッフの「お手伝い」に参加した。

 この村にある「美(び)スター」と名づけられた天文台は、れっきとした村の施設だが、そこに収められた82cm反射望遠鏡は、県内の星好きが協力して作り上げた「手作り望遠鏡」である。また、天文台の管理・運営も県内のアマチュア天文家によって行われている。
 「星まつり」は、この天文台と隣接するログハウスキャビン群に面した広場で開催され、今年ではや13回を数える。呼び物は初回から欠かさず参加しているお馴染み柳家小ゑん師匠の司会と落語をメインにした演芸イベント、物産販売などだが、美スターの82cm望遠鏡や星仲間が持ち寄った望遠鏡による天体観望会もメインのひとつ。これをお目当てに参加する村民や遠くからの参加者も多い。

 冒頭述べたように、私はその「お手伝い」に参加したわけだが、何故「お手伝い」かと言うと、私は、この天文台の管理・運営のスタッフとして登録された者ではないからだ。理由はいろいろあって、参加が思うにまかせない(無責任になってしまう)、任務分担など重要な会議に出席できなかった、などなど。そのくせ、このページを飾っている写真の主なものはほとんどここでの写真である事など多大な「恩恵」をうけている。だから、村のイベントだが結構な部分、村からあてにされててんてこ舞い状態になっている天文台スタッフのお手伝いを少しでもやって、多少の恩返しをしておこうというつもりなのだ。

 ところが、気がついたら主砲82cm望遠鏡の昼は説明要員、夜は観望会要員になっていた。
 実はこの望遠鏡、「扱い」が私好みでけっこう気に入っていて、これまでもよく使わせてもらっていたので扱い方はまあ慣れている方かもしれない。でも、夜の観望会になるとお客さんの待っている前で「月の次はM57ね!その後はアルビレオ・…」と指示どおり導入していくのはなかなかの重労働。また、覗く位置が高いので大人でも脚立のいちばん上で立ってもらうこともあるのに、小さな子どもさんの場合、抱き上げて脚立に上る事も多いのだ。「星見だって命がけなんですよ〜」などと言って笑いを取っていても、内心冷や汗の連続なのだ。それでも、一応クーラーのある観測室内での仕事。外では正式スタッフさん達が汗だくで人の整理をしている。これに比べたら、私の役は「ゲスト」に等しい楽なもので、チョッピリ心苦しかった。

 ところで、この82cm望遠鏡。斜鏡を含むトップリングの交換に続いて、つい先日主鏡セルの交換が行われ、見違えるほど安定した星見ができるようになった。一時、お客さんが来ても[見せるだけ]で覗かせることができなかったようなつらい時期もあったようで、それだけに今回の改良に携わったメンバーの苦労話に、思わず拍手しないではいられなかった。

 写真は「小ゑん師匠とスタッピー(星まつりのイメージキャラクター。デザインはスタッフのK君。入っているのは317ドブソのオーナーM君!)」と、「観望会風景(うしろが美スターと82センチのドーム)」。おまけに、82センチ主鏡のマル秘「ご開帳」写真。




火星撮影に挑戦!
2003.08.03

 
 花立山星祭りが終わり、夜の片付け作業も終わった(明日の作業はたっぷり残っている)ので、私はひとり帰宅の途についた。(朝からお墓の掃除やら「薬師祭」の寄り合いやらがあるからなのだが、やっぱりいちばんたいへんなところで役に立てないのだ)

 家に帰ってきたのが2時過ぎだったが、火星が南中しかかっていたのでちょっと覗いてから寝ようと思い望遠鏡を火星に向けた。実は「花立山」会場で、最もよく見えていた15cmF9反射望遠鏡の像と比べたかったのだ。この望遠鏡、自作品だが、会場にあった2種類の15cmアクロマートなどが模様の検出すらおぼつかない中で、唯一見事に模様を見せてくれていた。
 もちろん、時刻も遅く、条件ははるかに良くなっていたので「比べ」ても自慢のできる事ではない。でも、空が幾分どんよりしていただけあってなかなか良く見える。(45cm反射、15cm双眼とも)そこで、寝不足覚悟で写真を撮ってみることにした。

 45pに25mm接眼+2.5倍バーロー、カメラはクールピクス5000。シャッター速度はナント1/125Sで適正だった!。10コマ撮ったものをフォトショップでコンポジットするという、ひと時代前の古い処方(これしかできない)。
 リンクしていただいている「亜熱帯天文台」さんのや「星への誘い」さんの昨今の新技術による作品とは比較にならない低レベルの作品だが、一応「目で見えていた模様」は写っているようだ。




観望会(1)
2003.08.04

 
 県南の小学校の観望会に参加した。学校は関東平野のど真ん中!見渡す限り水田がひろがっているという景色の中にあった。そんな視界良好な中で、4年生だけの企画ということで人数も少なく、落ち着いていろいろなものを見てもらえた。おりしもこの日は「本当の七夕」(=旧の7月7日)。上弦前日のお月様がきれいに光っていた。
 でも、「いろいろなもの」と言っても、お月様や土星以外、案外「わあっ」と言ってもらえるようなものは少なく、こと座のリング星雲は「見える…」と言ってもらえるまでに結構時間がかかるし、アンタレスなど「有名」な星ではイメージが先行するのか、見ても「なんですか?これ」と言われ、慌てて、ない知識を搾り出して説明に四苦八苦すると言った具合だ。あいにく、時期も早すぎて話題沸騰の火星もまだ上がってこない時間に「解散時間」が来てしまった。

 子ども達が帰った後、校長室で先生方とお茶を飲みながらの世間話。校長先生の話ではこの観望会、付近の学校では初めての企画のようでそれがとてもご自慢の様子。私も調子にのって、できたら子ども達に最接近の火星を見せてあげてはいかがかとオススメしてしまった。
 しばらくして誰かが、「火星、昇って来てます!」というと、早速校長先生以下先生方みんなと校庭に出て「火星観望会」が始まった。実は、先生方に「生」の火星を見てもらいたいと望遠鏡は組み立てたままにしてあったのだ。まだ地平の霞みをくぐってきたばかりの、高度10度足らずの火星だったが、極冠やその周りのうっすら暗くなった部分が激しい気流にめげず見えていて、結構感激してもらえた。ある先生が手持ちのデジカメを接眼鏡に押し当ててシャッターを押したら、極冠や少し欠けた火星の形がちゃんと写っていてたいへん喜んでおられた。きっと、明日その写真を子ども達に見せながら何かお話するんだろうな〜。

 実は、さっき校長室で、私はもう一席持論をぶっていた。「星見はまず先生と親御さんが見て感動してください。次に子どもに覗かせてどんな風に見えるとか、どこが見どころかと言ったことを話してあげてください。こうすると先生や親と子ども達との『生きた会話』が生まれるんですよ。」ってね。この意味、先生方に実感してもらえたような気がした。

 写真は、火星写真の第2弾と3弾(8月4日と5日の撮影)。シンチレーションは日を追って悪くなっていて、写りも比例して悪くなっている。




つくば星の会創立20周年記念観望会
2003.08.10

   
 毎月開催されている「つくば星の会」の例会に参加した。
 今年は会ができてから20周年という記念の年で、この日の例会も通算240回目ということだから、20年間一度も休むことなく例会が開催されてきたことになる。私などは不真面目会員なのでその5分の1も出席していないだろう。なのにそこそこ大きな顔をしていられるのは、「観望会」への参加率が8割超と高いからだ。
 ところで、20周年ということで何か記念行事をという意見は昨年あたりから出ていて、「設立総会の時のような記念講演会はどうだ」とか、10人近くいると思われる彗星や小惑星の発見者のサイン色紙を作って配ろうとか議論百出だったが、なかなか具体化せず立ち消え状態になっていた。
 しかし捨てる神あれば拾う神…で、責任感の強い事務局員のひとりが「何かやらねば」という使命感に燃えたのか、市内での「市民火星観望会」を企画してくれた。
日時は9月13日(土)の午後7時から。会場は10数年前「つくば万博」が開催された跡地の「万博記念公園」の一角だ。詳しくはこちらを時々覗いてほしい。(まだ載ってないので…)

 写真は、記事と全く関係なく8月7日の火星。ピントもままならないシンチレーションの中で撮ったにしてはそこそこ写っている。




50cmドブソニアンを作るぞ!(1)
2003.08.19

 今年の春、美和村の天体観測所『美スター』のとある場所に「口径50cmF5」という巨大ミラーが置いてあるのを教えてもらった。持ち主は、ここでたびたび登場するM君。

 前の「花立山星まつり」(8/2付)で書いたように、主砲82cm望遠鏡は、「完成後」調整が上手く行かず一時期星が見られない時期があった。その時、せっかく星を見に来た人に星が見せられないのは余りに気の毒、という思いから、善後策にとたまたま安く出ていたこの鏡を見つけ、代替機に組み上げようとM君が「私費」で購入したものだった。
 以来5年以上もの間仮眠用ベッドの下で眠っていたこの鏡を私に見せてくれたのはK君。そして今年の「星まつり」の日に、「あの50cm、もったいないと思わないかい?」と私にささやいたのもK君だった。

 そして先先日の日曜日、美スターで当番のM君と落ち合ったとき、「どんな望遠鏡にするつもり?」ときりだした。そして私が示した三つほどの案の中から、相談の結果、美スターに来れない人達への「出張観望会用ドブソニアン」と決めた。

 2〜3人で運べる大きさと重さを持つ小距離可搬型。メガネのマツモトの店主松本氏考案のミラー式正立系「EMS」を使用して、一般の方が困惑しない「正立」の像と、高い脚立に登らなくてすむ低い覗き口(接眼部)の実現。観望会にだけ許されるレーザーポインターによる観望中の空域の指示。できれば美和村特産の「木」を使いたい。・・・などなど、いくつもアイデアが浮かんだ。

 いろいろ先に作りたいものがあるので「着工」は早くてもこの初冬。めげて投げ出さないよう、公言して「みんなとの約束」としたい。




星と音楽(2)
2003.08.21


 音楽関係の集まりに「観望会を」と呼ばれることがあることは、前にも書いているが、今回はプロのオペラ歌手さんからのお誘い(日記2003.07.18)で、埼玉県は越生(おごせ)町というところに出かけた。
 今回は、何か忙しい時期と重なって予定の半分ほどの集まりということだそうだが、それでも、「草木染め」あり、コーラス発表あり、プロのフルート演奏あり、うまい料理あり、珍しいお酒や地ビールあり、と、お楽しみ盛りだくさんの集まりで、ほぼ全員の方と初対面というのに、すっかりうち解けてしまった。
 しかし、「でっかい火星を見せる」という私のお約束は、今一歩の雲に阻まれて果たせなかった。でも、いちばん遅くまで起きていた人たちには、雲間から時々顔を出し始めたお月様を見てもらうことができ、結構喜んでもらえた。やはり音楽好きの人たちは感受性に優れているからなのか、星は無限の想像力を引き出す引き金になるみたいだ。

 写真は、21日の朝、久しぶりに晴れ渡った青空の中に浮かんだお月様を、自慢の「トトロ望遠鏡」で見てもらっているところ。ちなみにこの集まりを主催された栗原さんはプロのオペラ歌手であり、細密画の名手であり名演説家でもあるのだが、地元ということもあって「トトロの森」を守る取り組みにも参加されておられると聞き、是非ともお見せしたくて持ち込んだもの。




奇跡の好天(好転)
2003.08.21

 
 埼玉で昼過ぎまでお風呂に入ったりしてのんびりした後、高速道路を乗り継いで帰宅。チョット休んでから、つくば市内の児童数30名ほどの小さな小学校での観望会にむかった。
 お盆をはさんで10日くらいも続いていた異常気象ともいえる寒い雨模様がようやく終わり、久しぶりのスッキリした青空が広がって、「今夜は間違いなし!」と信じて疑わなかった。
 ところが、暗くなるにつれて雲がどんどん増え、星ひとつ見えなくなってしまった。それでも、せっかく集まった全校生徒とその親御さんたちに少しでも星をと、時々顔をのぞかせる1等星などを視野に入れて見てもらっていた。しかし、再びひとつの星も見えなくなってしまったので、PTA会長さんと相談して「とりあえず「解散」ということにした上で、望 遠鏡はしばらくセットしたままにしておくので、「ダメもと」でもよい人は残ってもらう、ということにした。
 みんなが集まって「解散」を宣言していたら、突然メンバーのKくんが「火星が見えます!」。見ると、雲しかないような梢の上の空に確かに火星が光っていた。
 でも、半分くらいの人しか見れないでいるうちに、また火星は雲の中へ。「全員に見てもらえないのはチョット気の毒」と思い「もう少し待てたら待っててね」と言っているうちにまた見えて・・・といったことを何度か繰り返すうちに、気がつけば、「スッキリ」とはいえないけれど、ほとんど雲のない空が広がっていた。
 気流は悪くてグニャグニャに変形する火星像だが、大きな模様や極環ははっきり見えて、悪のりでデジカメによる「火星撮影」サービスまではじめたスタッフも。でも、意外によく写った火星にお母さんや先生方から大きな歓声が上がると、こちらもすっかり嬉しくなってしまった。
まさしく「奇跡の好転。奇跡の好天」であった!

 写真は帰宅後45pで撮影した久々の火星。相変わらず撮影には不適な気流で、口径分の分解能は望むべきもない。画像処理でコントラストを上げたら、意外に模様がはっきり出たのでそれをご紹介する。模様は実際にはもっと淡い事を念頭に置いてみていただきたい。




忍者の会合に潜入
2003.08.23

 
 別に忍者屋敷に遊びに行ったわけではない。「Ninja」という商品名で売られているドブソニアン望遠鏡のオーナーさん達の集り(オフ会)があったので参加させてもらった次第。製作しているのはこのホームページからもリンクを貼らせていただいている「BACK YARD PRODUCTS」 さん。本場米国製の高品質なドブソニアン望遠鏡を扱っているお店が日本国内に数社あって、そのスタイルが「定番」となってしまった感があるのだが、「Ninja」はレンズこそ外国のものを使用しているが、スタイルは純粋な日本生まれの日本育ち。その最大の特色は「FRP」製のつややかな外観を持つ丈夫で軽いボディ。
 しかし、私が一番立派だと思うのは、実はこのオフ会、望遠鏡のメンテナンスも兼ねていること。日本の望遠鏡メーカーは概してユーザーとの敷居が低く、結構顔見知りの関係が多かったりする。バックヤード社は個人企業だけに、このあたりがとりわけ親密で、オーナーさん達とのお友達関係をこのオフ会を通じてより深いものにしているようだ。

 今回参加させて貰った訳は、いつもは富士山の方でやっているオフ会が、今回は私も時々行っている栃木県の高原山だったからだ。
 夕暮れ時、会場につくと20台ほどの大小さまざまの望遠鏡が駐車場いっぱいに並べられ中々の壮観。「Ninja」以外の望遠鏡も多い。お互い、興味のある望遠鏡を訪問して色いろ研究する訳だが、今回のメインはやはり火星。望遠鏡を渡り歩いて、見え方の違いを確かめる。時々雲がかかる最上とはいえない空模様だが、2時過ぎにはほぼ充分火星やお目当ての天体の見え具合を確かめ終えた様子だった。
 私も、15cm双眼望遠鏡を自動追尾式にした架台に載せて参加したが、最初「普通の双眼望遠鏡」と思われたのかあまり興味をもたれなかったが、原理を見てもらったら結構感心してもらえた。

 写真は「忍者」とは全く関係ない、前日の火星。気流もだいぶ落ち着いてそこそこの写りだと思う。




火星の「上下」
2003.08.27

 
 新聞やテレビに出てくる火星の画像、たいてい南が「上」になっているってご存知?
 白い楕円形をしたものは「南極環」という、火星の南極に積もった「雪」(といってもドライアイスらしいけど)。もちろん北極にも「極環」はあるのだが、地球からは見えない角度になっている。
 でも、どうして南を上にしてあるのだろうか。地球では北を上にして地図などを書いているのに…。
 理由は、どうも「天体望遠鏡」にあるようだ。天体望遠鏡で景色を見ると上下逆さまに見えるのだが、天文学者はこれを「我慢して」使ってきたのだ。何故「我慢」しなければならなかったかといえば、その形式の望遠鏡(ケプラー式とかニュートン式)が一番良く天体が見えたからだ。
 カメラや双眼鏡のレンズを見ると青や緑色に見えるが、これはコーティングという処理をしているからで、そのおかげで、レンズは99%以上の光を透過することが出来る。逆にコーティングがしてないと、いかに透明度の良いガラス材を使っても90%どまりと言われている。そのためコーティングの発明されていなかった当時、対物レンズに2枚、接眼レンズに2枚それぞれレンズを使うとすると目に届く光は66%にまで減ってしまい、そうでなくても見るのがたいへんな暗い星がよけい見にくくなる。そしてこの4枚のレンズの組み合わせこそ「最も少ないレンズ枚数でもっとも良く見える」組み合わせだったのだ。だから、もちろんプリズムやリレーレンズを使って倒立の像を「正立」にする技術はあっても、こと最高性能の天体望遠鏡には採用されず、「宇宙には上も下もないのだから問題ない」と、今日まで天文学者は強がりを言い続けてきた訳だ。
 そして、その逆さまに見える天体望遠鏡で観測してスケッチを書けば当然それも逆さま。それが本になり教科書になって世の人々に伝わっていけば、人びとの認識もまた「逆さま」になって当然なのだ。まして「問題なし」としてきた天文学者がわざわざ上下を問題にして注釈をつけることなどほとんどなかったのではないか?

 今ではコーティング技術も進歩し、ことさらレンズの枚数に気を使ったりする必要もないように思えるが、実はまだまだ問題が多い。像を悪くしたり暗くすることのないレンズやプリズムの製作はもちろん可能なのだが、それらはまだまだ非常に高価なのだ(ずいぶん安くはなっているが)。
 一方、あるがままに認識したい、つまり「正立で見たい」というのは、地上の風景を見る場合はほぼ常識。天体の観望会をしていても「なぜ月が逆さまに見えてるのか?」という質問にはいつも閉口する。せめて一般の人に見てもらうときだけでも「正立像」にしたいと思うのは星仲間でも常識化しつつあると思う。そして、将来的には必ず「正立」の方向で研究・開発が進み、実現して行くだろう。
 そうなれば南北が逆さまの火星写真も地球と同じ「北が上」に改まって行くのかもしれないし、逆の言い方をすれば「正立が常識」になるまで、それは変わらないのではないだろうか?  しかし、たとえば南半球に暮らす人々にとって、我々北半球の人間が見なれた星座は皆逆さまである。もちろん望遠鏡で見る火星や月も北半球の逆さま。さらに、南半球に暮らす人にとって、北が上になった地球儀で見る自分たちの国土は、ひっくり返って眺めにくく、気持ち的に屈辱的でもあるようだ。もっと言えば地球儀も地図も「北を上」にしなければならない理由はどこにもない。「上下問題」は、単純なようで結構ややこしい命題かもしれない。

 と言うことで、写真は私の自慢の「正立双眼望遠鏡」(松本氏考案のこの正立システムは、たぶん、現在最も優れた天体用の正立系でしょう)で撮影した火星。つまりこれが「正しい火星の姿」という訳だ。(ただし、北半球で見た場合だけど)




「正しい最接近」の火星
2003.8.28

 
 6月27日、ここで「東経140度、北緯36度(茨城県南西部あたり)での「最接近」時刻は、8月27日、23h20〜25mごろで、その距離は55,754,394km」と書いた。
 しかしちょうどぴったりの時刻には雲の中に隠れてしまい写真が撮れなかったが、わずかに遅れて顔を出した火星をなんとか撮影することができた。ただ、雲の流れが激しく、肉眼ではかなりひどい揺らぎやボケがあってあまり良く見えるとはいいがたい像だった。でも、天気予報からすれば見えること自体予想外。たいへんな幸運だったといえる。
 いちばん下の娘とふたりで、完全に見えなくなるまでのわずかな時間だったが「正しい最接近」の火星を楽しんだ。

 写真は、撮れたての最接近の火星。よくぞここまで写ったと思えるくらいの悪条件下!。
 ちなみに、この間ここに掲載している火星像は、できるだけ肉眼で見えた印象に近くなるように心がけて処理している。



やっと完成!!
2003.08.31

 
 この間何度かここのネタに使わせてもらったM君の「317mmF6ドブソニアン望遠鏡」の修理がやっと終わり、M君に引き渡すことだできた。
 梅雨入り前に、「梅雨明けには渡せるよ」と気軽に預かり、2〜3週間で簡単に終わるという腹積もりだったのが、秋風も吹き始めている今になってしまった。口ではゆっくりで良いよと言ってくれていても、実際、彼の主力望遠鏡だ。いざというときに使えないとなったら言い訳のしようがなかった。
 それにしてもマイッタ!。
 ナントいう天候だったことか。6月、7月、8月とほとんどの土日を作業にあてるため空けておきながら、雨のため半分くらいしか使えなかったような気がする。まして晴れとか曇りの乾燥した日に作業した記憶はホンの数回、ほとんどは雨上がりの濡れた作業台にダンボールをしいての作業か、雨の中の軒下での作業となった。降らないと思って作業をはじめたら降り始め作業を中止したことも何度かあった。いちばん困ったのが塗装。なるべく広い場所でやりたいし、重ね塗りをしたいのになかなか乾かないのには閉口した。さらに、作業が捗らないと、休んでいる間に思っていたことを忘れてしまい、とんだポカミスを犯す。最大のミスは、筒外焦点を大幅に短くするため鏡筒を延長したので、バランス位置が変化し、フォーク部分の寸法を変えなければならなかったのに、雨で1週間休んでいるうちにすっかり忘れて、当初の設計どおり製作してしまったのでお尻がつっかえるというものだった。さすがにこれにはしばらくの間途方にくれてしまった。
 なんとかスムースな動きを確保し、光軸の調整を終えたら、次は晴れない!
 やっと一昨日、薄雲を通して火星や夏の星座が顔を覗かせたので、慌てて「試し覗き」。Fが6もあるので星での光軸調整はものすごく楽。最高は140倍ほどにしか上げなかったが、こと座のイプシロン=ダブルダブルスターの4個の星の周りには奇麗にリングがクリクリしながら取り囲んでいた。また火星は、45cm反射や15cm双眼望遠鏡と変わらないくらいに見えていた。
 終わり良ければなんとやら。難産だっただけに嬉しさもひとしおだった。

 ちなみに主な改良点はといえば、なにせ元は1980年代の設計思想。なんでこんな!といった作り方がやたら目に付き、それを片っ端から直していった。9点支持。シースルー。主鏡前面抑え廃止、筒外焦点距離短縮、ラックピニオン式接眼筒、黒板塗料による筒内塗装、70o正立ファインダー、などなど、そうそう、接眼部周辺を筒内と同じ黒板塗料で塗り覗きやすくもした。

 写真は、やっと完成した317mmドブソニアン。



観望会(2)
2003.09.04

 
 つくば市内の小学校の観望会にボランティアで参加した。この学校はいわゆる「研究学園都市」に勤める労働者の子ども達が主体。核家族で留守番が居ないので「6年生対象」といっても、親達はその子の弟や妹を連れてくる(来ざるを得ない)。おかげで参加者はゆうに数百人という数になる。
 私の担当は、皆さんお目当ての火星ではなくお月様だったので、あまり説明も要らず落ち着いたものだった。
 しかし、真っ先に並んだ子がいたので「お、元気な子だ」と思ったら、突然、接眼部を覗くのではなく、掴んで自分の目の方に引っ張り込もうとしたのにはビックリした。ほとんどぶら下がられた状態になり、あえなく視野から逃げたお月様を再び視野に入れて、「さ、ここに目を近づけて覗くんだぞ」と言ったが、やっぱり接眼部を引っ張り寄せようとしている。この子には何か少し不足している体験があるようだ。
 しばらくして白人のお母さんがお兄ちゃんとその妹を連れて順番になった。最初に覗いたのは女の子で、その子も思いきり接眼部を引っ張って自分の目に引き寄せようとした。慌てて制止して視野を元に戻したが、女の子は大変なことをしたと思いビックリしたのか顔を隠してしまった。御機嫌をとるつもりで、いい加減な英語でお母さんに「今夜はとっても奇麗な半月ですから、ぜひ見ていって」といってみた。するとお母さん、英語で女の子に「あのお月様を望遠鏡で見られるのよ」といって一生懸命なぐさめ始めた。私はこの時はじめて、このお母さんと女の子はほとんど日本語が分からず、たぶん自分達がこれから何を見ようとしているのかも分からないで居たらしいことに気がついた。反対に「6年生」というお兄ちゃんはなぜか日本語が達者で、茨城なまりまでかかっていた。
 当日集った6台の望遠鏡には、それぞれ長い行列ができ、久しぶりに充実の疲れを感じる観望会だった。

 写真は、この晩の火星。極めて悪い気流状態だったが、肉眼では弓の的のように「太陽湖」がまあるく見えていたのが印象的だったので、ナントかそれがわかるように処理した。おかげで補正をきつくかけすぎた感じの仕上がりになってしまった。



大子の星見
2003.09.06

 
  8月21日、ここでご紹介したオペラ歌手の栗原さんの相棒のピアニストさんに火星を見てもらうため茨城県最北の町大子(だいご)にでかけた。(題名は有名な「醍醐の花見」にひっかけた)
  このピアニストさん、先日はいちばん楽しみにしていながら結局何も見れなかったことから、リベンジを約束していたもの。また、大子町となった理由はリンクしている「すずき産地」さんと栗原さんと、もうひとり茨城在住の京友禅の絵師綿引悦朗さんの3人で、大子市内にある「街かど美術館」という私設のギャラリーでの「三人三様展」の開催中の9月27日に、栗原さん達が行うコンサートの下見のため来られたからだ。(フ〜、長い説明)
  それに、三人の友人のイベントだから一度は顔を出さなければならないという義理(フフ…)もあるが、この「街かど美術館」では館長さん御夫妻がおいしいコーヒーを入れて飲ませてくれるというオマケの楽しみや、袋田の滝で有名な大子町を訪ねる良い機会という物見遊山の気持ちも目いっぱいあった。

  閉館の夕方6時まで館内で館長さんご夫妻や栗原さん、ピアニストさん綿引さん、それに訪れたお客さん達とおしゃべりしたりで時間を過ごした後、奇麗な夕焼けを眺め、名物のうまい蕎麦を食べながら火星が登ってくるのを待った。館長さんに教えてもらった小学校の校庭に行こうとすると、ちょうど散歩に出ようとしていた館長さんご夫妻にあったので一緒に火星を見て貰うことになった。
  校庭は大子市街を見下ろす高台にあり、近くの明るい街灯は邪魔だったが相手が火星とお月様だったので我慢できた。
  見上げると、さしもの東京の光害もここまでは届かないのか、山の上で見るような近さに星が見えた。
  まず火星、次にお月様を見てもらったが、いちばん感激してくれたのは館長さんの奥様だった。また館長さんも、子どもの頃天文クラブに所属し星座を覚えたり、近くの山に登ってカノープスの北限調査をしたりしたことなど、いろいろなことを思い出しては話してくれた。お二人が「これで冥土の土産ができた」と話していたのが聞こえたので、「まだまだ、土星とか見てもらいたいものが沢山ありますよ」ときり返した。何度も何度も望遠鏡のお月様を覗き、アルビレオや二重星団に感激の声をあげておられたお二人を見て、本当にまた望遠鏡をかついで見てもらいに来ようと思った。
  また、ピアニストさんにはお月様の「虹の入り江」という場所を知ってもらい、栗原さんにはお月様がデジカメで簡単に写ることを実践してもらった。
  はるばる大子までやってきたかいのあった嬉しい星見会であった。

  写真は、「街かど美術館」正面(右)と前日の火星(左)。
  「街かど美術館」は元は銀行の建物。中はギャラリーや喫茶室、2階は居住用と改装されているが、石造りの玄関や階段の手すりは銀行時代のまま。もちろん「大金庫」もそのままに。
  火星の見え方はこれまでと変わらず良くはなかったが、透明度が良くて1/125秒のシャッターが切れたおかげで、前前日のよりは色、模様ともよく出ている。この間の画像は全てそうだが、12〜3枚の画像をコンポジット(重ね焼き)して調光処理しただけで、特別な処理ソフトなどは使っていない。



火星とお月様のランデブー
2003.09.09


  火星大接近とはチョット盛り上がり方が違うが、今日はお月様と火星が(見かけ上)大接近する日。シベリヤの方では「火星食」になったらしい。

  昨日まで曇りだったので、撮影はぶっつけ本番。でも、今日晴れてくれただけでもありがたい限りだ。撮影方法は色々考えたが、結局15cm双眼望遠鏡の片方にデジカメをセットし、もう片方で直接眺めることにした。ナントいう便利で、しかも贅沢な楽しみ方であろう!(製作者の松本氏に感謝!)

  火星の最接近の日は静かなものだったが、今日のは、肉眼で見られることもあっていくつか問い合わせが来た。その中にお袋の実家の親父さんもいた。ちょうど撮影の準備に余念のない時だったが、先方は少しお酒も入り、話が終わらない。でも、次々に出てくる質問は、勉強していないとできないような、なかなかハイレベルなものだったので、こちらも少々気合が入った。

  写真は、最接近を少し過ぎたお月様と火星。ナントか火星の極冠と模様が写る拡大率を選んだが、慌ててピントを追いこみ損ねた。「すずき産地」の掲示板にも載せたが、月の近さと火星の遠さというある種の遠近感を感じることを、そこで見た人から言われるまで気がつかなかった。



火星とお月様のランデブー(U)
2003.09.10


  昨日の火星とお月様のランデブーの写真を色々作っていたら、すっかり遅くなってしまった。
  とりあえず、面白そうなものをご紹介して今日はおしまい。

  左の写真は、4枚を合成してお月様に対して火星が動いて行く(ホントはお月様が動いていると言った方が正しい)様子。右の写真はお月様の名所、月本体を半周するような放射状の光条を持つ「ティコ」クレーターからポンッと火星が飛び出したような写真が撮れたのでご覧いただきたい。(写真をクリックすると大きな画像が見れる)


火星とお月様のランデブー(V)
2003.09.11

  火星とお月様のランデブーで3回も引っ張るつもりはなかったのだが、当日の火星画像をご紹介するのがまだだったのでやむなく・・・。

  ついでと言ってはなんだが、昨日の写真左の方も大きな画像が見れるようにしたのでどうぞご覧いただきたい。
  実はこの写真、火星も天空上を特に最接近の頃は、かなり早く移動しているのだが、数十分でどうのという早さではない。月が天空を西から東(向かって右から左)に移動しているのだ。それも撮影間隔が5〜6分だから、火星像の間隔分その時間に動いている訳だ。だから教育的にもあまりよろしくない表現なので(ホントに)、いちど、火星を固定してお月様が並ぶように合成してみた。でも、お月様が大きすぎて、重なってはいるのだがなんだかよく分からない写真になってしまったのだ。拡大率を下げてお月様全体を写せば、なんとか分かってもらえる絵ができたと思うが後の祭。くれぐれも誤解のないようお願いしたい。

  ということで、今日の写真はランデブー中(9/9)の火星のアップ。鏡面の温度が気温と同じになっていないのか、やはりゆれが激しく、結果として眠たい画像になっている。肉眼ではもっと詳細に見えるのだが「オリンポス大火山」が見えるというほどではない。




素敵なお客さん
2003.09.13

  2003.08.10にご紹介したとおり、つくば星の会の創立20年記念の例会+観望会が行われた。といっても、いつもと変わるところは特にない…と思っていたら大間違い!
  いつものように遅刻して「やあやあゴメン!」と会場に入ると、いつものメンバーに混じって左の写真の方が座っている。そう、天文ファンなら皆さんご存知の田中千秋さん。ご持参のパソコンでこの夏の活動を楽しく報告してくれた。ご自宅ベランダで撮影されたという火星像のビデオは圧巻だった
  田中さん、うちの会の会員さんということは聞いていたが、例会で会うのははじめて。たしか、職場はつくば市内にあって、市内でたまにお見かけすることはあるのだが、そんなことは知る由もあるまい。

  そしてもうひとりの珍客は、「星ナビ」の「吉田誠一の視点」コーナーを執筆中の吉田誠一さん。わけあってつくば市から離れた勤務先になったためなかなかお会いできないが、遠路かけつけてくれた。「手土産」はなんと「天体発見賞」の賞状とメダル!(写真右下)吉田さんが主宰する、世界中で撮影される天体画像から新天体の検出を目指すプロジェクト「MISAOプロジェクト」が検出した「ケフェウス座の『新星らしき天体』の発見」に対して送られたもの。(何故「らしき」かと言うと過去の画像からの検出のため、スペクトル観測など客観的な確認ができなかったからだそうだ)雑誌などでは知っていても、めったに見られないホンモノの「天体発見賞」の賞状やメダルを、みんなで写真に収めまくった。(笑)

  夜は、かつて「つくば万博」が開催された跡地の公園での観望会。ネットで軽くお知らせした程度なのであまりお客さんは来なかったが、まだまだ大きい火星や、夏の星ぼし、遅れて昇ってきたお月様などを、集った多種多様の望遠鏡で楽しんでもらった。いちばん面白かったのは、中国人の若い御夫妻に星空の案内をしてさしあげたこと。七夕の星の説明でも、中国渡来のお話なのに言葉が違っているためわかってもらえるのにチョット時間がかかった。明るいところで筆談すればすぐ分かったかも。でも、ひとたび共通の物語であることが分かると話が早い!中秋のお月見の話しも同様で、お互いお祭りする風習の違いを教えあって多いに盛り上がった。共通文化を持つ国民同士という確認をしあえる嬉しい会話のできたひとときだった。
  ちなみに、田中千秋さんの望遠鏡はタカハシのFCT100、吉田さんは25pシュミカセ。私は80oEMS双眼望遠鏡だった。




押しかけ観望会
2003.09.15

  昨日は海岸線で福島県と接する「北茨城市」で自然農法での米作りをしていて、ここにもよく登場させてもらっている『すずき産地』に押しかけて「強制的」星見会を開催した。

  連休で寮生活をしている娘さんも帰省中ということで全員揃っていると聞いて押しかけた。でも、考えたらこの連休あたりから早稲種を手始めに刈入れが始まっているのに、わざわざ早めに終わりにして、夜にやっておきたい機械の整備もやめにして待っていてくれたらしい。

  『すずき産地』宅の庭からも火星は見られるのだが「海から昇ってくるお月様も見よう」ということになって、総勢9名(『すずき産地』ご夫妻、息子娘4人と長女ちゃんのお友達、従業員さんと私)が車に分乗して海へ。場所は二ツ島という景勝地。早速望遠鏡を組み立てて火星から見てもらった。
  ところが!早速始まったのが順番争いと鏡筒に手をかざしたり覗きこんだりの「悪ふざけ」。よく見るとお父ちゃんも混じってふざけている…。ナントいう家族だ!と思いつつ、なにかが違うことに気がついた。学校などで我々を冷や冷やさせる「普通の子ども」の悪ふざけと同じことをやっているのに、「この子たち、体中に目がついてる」。
  人間など猿族とか犬族、猫族などは、子どもの頃、最初は親や大人と、やがて子ども同士で徹底的にじゃれ合う。その様子は喧嘩とほとんど見分けがつかないが、そんな中で危険回避のための運動能力をはじめ、さまざまな知恵や社会性を身につける(体や心に目がつく)。しかし、現代の日本人は子ども時代にこれが徹底的に足りず、延いては今日のさまざまな少年犯罪や子ども達の苦しみにつながっているのではないか?
  逆に、『すずき産地』の子ども達は、あれだけ密着して、限りを尽くした悪ふざけを展開しているのに、望遠鏡にぶつかったりするトラブルが、2時間以上もの間にいちどもなかったのだ(効率は悪いけど、「限度」がしっかり守られている!ので、無理に止める必要を感じなかった)。

  そういえば、この子たちは、小さい頃からみんな農作業の手伝いをしていたっけ。この家では「跡取=後継者」の心配もなさそうだ。いやいや、従業員さんも農業希望の青年だし、あすはニュージーランドの高校生が稲刈り体験にやってくるとか、『すずき産地』は農業の後継者育成にグローバルに貢献しているのだ。

  9時を過ぎるとほぼ快晴。お月様は海に映え、二ツ島を照らしている。ちっちゃくてなんだかよく分からない「うわさ先行」の火星より、お月様はやっぱり人気者。通り掛かりの観光ギャルちゃんや近くのホテルの奥さんも加わって、わあわあきゃあきゃあいいながら何度も何度も覗いていた。こっちもすっかり嬉しくなってしまって、出そうか出すまいか迷っていた「トトロ望遠鏡」も組上げて、二重星団とかまで見せてしまったが、これがまた受けに受けた。

  写真は「悪ふざけ」の始まり=私の写真を勝手に加工してこんな事を…(でも、面白い…)。ちなみに、この観望会での悪ふざけの数々の中には、私が「伝授」したものも。でも、実は取って置きのをまだ教えていない。フフフ…それは「必殺!波動砲」。今度、冬になって土星を見てもらいに行った時教えてやろう。こちらは『すずき産地』に載った観望会の様子。




15・16日の火星
2003.09.17


  一応晴れて火星を見ることができるので贅沢を言ってはバチがあたるが、やっぱり少々欲求不満だ。
  すっきり晴れない。火星の条件の良くなる南中時刻になるとなぜか雲が湧く。像も落ち着かない。
  ただ、救いは眼視だとかなりの詳細な模様まで見えるようなシャープ感のある揺らぎ。それと、火星表面に雲が湧かないことかなあ。時々地平線付近(火星の周辺)に水色の雲が見えて、「これが広がったらこの大接近もお終いだな」と思うのだが、こちらは、大したことがなく済んでくれている。
  写真は相変わらずボケボケの火星画像だが、「レジスタックス」という画像処理ソフトを使うと信じられないくらいシャープな画像が得られるらしい。今回の大接近の写真の主流もおもちゃのような形をしたビデオカメラで画像を撮り、レジスタックスにかけるというもの。チッチャな望遠鏡でも昔大口径望遠鏡で描いたスケッチ以上の画像が簡単にえられている。
  しかし、私はと言えばウワサのレジスタックスをインストールしたものの、英語ができないのでなんだか良く分からない。とりあえず、今はせっせと画像を取り込んで、自己流コンポジット法でボケたような写真を作って我慢している。ナントか見えた模様だけでも見える画像にしたいのだが、この頃の「冬っぽい」像の乱れ方にそれもままならない。




9月18日の火星
2003.09.18


  今期の火星の見え方で多分最高の夜だった。ただ、その分透明度は幾分低め。他の星はあまり見えない。
  肉眼では「アリュンの爪」の爪が分かれそうなのと、腕の部分の構造が分かる。ただ、写真だとそうも行かず、ご覧いただいても、せいぜい画像がいくらかシャープかな?という感じだろう。撮影システムから組みなおす事も試したいが、お金のかからない妙案はないものか?

  行けそうだったので15pアクロマート屈折での撮影も試みた。(右の小さい方の写真)今夜のような透明度が低い夜の場合、口径が小さいのは致命的かもしれない。2枚の写真の向きが逆なのは15pの方が「正立系」のため。




台風一過
2003.09.22


  心配された台風15号だったが、なんとか上陸せず大過なく通過し、置き土産に台風一過の澄んだ空と晩秋を思わせるような寒さを運んできた。
  まずは、写真の火星像だが、いつものように左が45cm、右が15cm。すぐにどちらもほとんど写っている模様が同じということがお解りいただけると思う。とにかくものすごい乱気流。30カットほど撮った画像のうちおよそ半分は模様も何も写っていないただのぼやけた円盤!写ってる模様は「大シルチス」という最も大きくてわかりやすい模様だから、ほとんどそれしか写っていないと言う状態である。でも、こんな日「デジカメ」はありがたい。お金のことを何も心配せず心行くまで撮影できる。この夜のように「ダメ元」状態だとなおさらである。

  一方、透明度の良さは年間を通じてもピカイチ。どのくらい良かったかと言うと、自宅の観測所から15cm双眼望遠鏡で「白鳥座の網状星雲」が見えた!。我が家はチョット市街地からは離れた田舎だが、ノーフィルターでは良くて10分露出が限度、と言ったら写真をやったことのある人ならある程度はわかってもらえるかも。
  まあ、8月の末に栃木県は高原山の標高1200メートルのところで「練習」してあったので、その時の「残像」がずいぶん助けてくれたには違いないが、虹状のカーブは付近の星の並びから間違いない視認である。ただ、気流の悪さから、見える星の数が少ない気がするのと、星像が寝ぼけた感じだったのは少し残念だった。

  それから、この夜の寒さもたいへんなもの。そのへんにあるものを重ね着してなんとかしのいだが、暑さに慣れた体には少々辛かった。が、来週末参加予定の「石川町スターライトフェスティバル」に向けた良い訓練となった・・・とも言える。




石川町スターライトフェスティバルに向けて
2003.09.28(29に少し加筆)


  今週末開催予定の「石川町スターライトフェスティバル」に向けて、持参する機材の調整に楽しい時間を過ごした。
  この星まつりは、5月の「星空の音楽会in星の里」と並んで好きな星まつりだ。チョット縁があって初回から参加していたが、ここしばらく「星のために出かける」という事ができないでいた。そんな状態をやっと抜け出し、昨年、5〜6年のブランクをおいての久しぶりの参加となった。が、あの日本の星まつりの草分け「星空への招待」を彷彿とさせる「望遠鏡まつり」的なワクワク感がまだ残っていてものすごく嬉しかった。
  昨年は「マツモト式15cm双眼望遠鏡」でかなり注目を集め良い思いをしたので、今年も「柳の下」を期待して、これを「自動追尾式」にしたものを持って行こうと思っている。
  この星まつりの仕掛け人の一人近内礼一氏が、アストロフィジックの15cmアポによるマツモト式双眼望遠鏡を会場に持ち込み、参加者の度肝を抜いたのだが、それももうずいぶん前のことになっている。そしてこの近内さんの双眼望遠鏡と私の双眼望遠鏡とはいくつか基本的なところに共通点がある。というよりその共通点があるが故に15cmF8という鏡筒を選んだというほうが正しい。
  また、実は昨年、近内さんとは会場で会っているのだが、気後れがして言葉をお掛けする事ができなかった。今年はナントか度胸が据わったので、見つけたら話しかけてみようと楽しみにしている。
  ということで、今年も集るであろう近内さん始め目の肥えた「うるさい連中」の餌食にならないよう、日がな一日をこの機械の調整に努めた次第。

  写真は今晩の火星。天頂の星も瞬く冬っぽい悪条件だったので、相変わらずのボケボケ画像である。ちゃんとした画像は、リンクを貼っていただいている「亜熱帯天文台」さんの方でどうぞ。




まるで冬空
2003.09.30


  日中から「天高く」の模範的な秋晴れ。つくば市内にある職場の6階の窓からは久しぶりに富士山が見えた。ただ、まだ冠雪していない富士山は黒くてなんだか少しさえない。
  この空は夜も変わることがなく、久しぶりに「満天の星空」がひろがり、火星の観望や撮影に大いに期待していた。ところが、ワクワクしながら覗いた火星はやたら明るいばかりで模様がサッパリ見えない!。そう、冬型の気流の荒れた空なのだ。それも飛びきり冬型の「最悪」状態。15cm双眼望遠鏡だといくらか模様の検出がしやすかったので、もしやと思い撮影を試みたが、結果はまったくだめであった。
  それにしても、透明度は抜群。寒さもたいへんなものだったが、そのままやめてしまうのももったいないので、セーターを着込んで秋の星雲・星団を楽しんでいた。ところが少し欲が出て、デジカメで星雲でも写してみようという気になり、いくつかメジャーなものを狙ってみた。その中のひとつが写真のM27=こぎつね座の亜鈴星雲。合成焦点距離3300o(35ミリ版換算で)で1分露光を3枚撮ったが星が少し流れてしまった。しかし、3枚をコンポジットする際、星像が丸くなるように少しずつずらしてごまかしている。デジカメは赤色に弱いのでM27の虹のような多彩な色は写しきれないが、外周部の濃い部分でわずかだが赤い色が出ている。機会があればノイズをキャンセルする工夫をしてもう少しなんとかしたいものである。









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