《有難い 対面世界 傍にあり》

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 情報社会の素材は言語です。言語の役割は分類区分けをする一方で,まとめることです。例えば,果実はリンゴ,ミカン,ブドウ,梨などと分類されます。違うという部分を認めようという機能です。リンゴは誰にとってもミカンではなくリンゴになります。ところで,同じリンゴでも富士や王林,ジョナゴールドと違う種類もあります。細かな違いを意識すると,言葉は増えていきます。違い,同じ,違い,同じという階層が世界を表していきます。
 ところで,同じリンゴでも,人との関わりでは違ってきます。富士よりジョナゴールドが好きだという感覚による違いが現れて来ます。リンゴが好きだと同じ表現を交わしても,実は違うリンゴを思い浮かべているということが起こります。同じ表現でも,人の感性によって区分けているものが異なることがあるので,確認する必要があります。文字についても,違いが出てきます。リンゴ,りんご,林檎,アップルという字形の違いがあるほかに,細かくいえば,りんごという字も書いた人によって違っています。りんごと読み取れるなら,同じということでもあります。
 言葉は区分けをする道具ですが,区分けをする必要がある状況はどうなっているのでしょう。基本的には人が生きていく上で必要な情報としての区分けです。果実では,食べることができる木の実であるという区分けです。気候でいえば,暑いとか寒いといった区分けをします。位置では高いとか低いとか,重さでは重いとか軽いとか,移動では早いとか遅いとか,その他に明るいとか暗いとか,新しいとか古いとか,大きいとか小さいとか,色にもいろいろあります。
 ところで,区分けをしないこともあります。例えば,気候では,夏は暑い,冬は寒いと区分けをしますが,春や秋は過ごしやすいのでことさらに区分けをする必要がありません。人の特徴を区分けするとき,背の高い人とか低い人,太っている人とか痩せている人と言いますが,いずれでもないこともあり,普通の人,中肉中背としか表すことができません。言葉は普通からずれていることを表す道具です。共通に当たり前の状況はことさらに意識しないので表現する必要がないのです。人は生きているので,生きていることをあらわす言葉はありません。幸せに生きているかどうかを意識するときは,仕合わせを区分けしなければなりません。
 普通の状況は均一性,画一性,単一性といった同じという状況であり,違いが現れると意識され区分けをする言葉が生まれ,多様性の状況になります。情報社会の多様性は,違いが発展して言葉が増加するために,意識がついていけなくなっていきます。違いだけに直面していると,普通に生きていることを見失うこともあり,落ち着かない境地に追いやられます。そこで,私の普通があるべき状況であると拘り,違いを拒否し排除したくなります。それはハラスメントとして現れています。
 当たり前の普通の状況に価値観が絡んでくると,良い悪いという基準が区分けに重なってきます。自由に振る舞っていいという普通の状況であっても,それはしてはいけないという禁止区分けやこれはした方がよいという推奨区分けが現れます。自由にも程があるのですが,その区分けが人によってずれてしまうことがあります。した方がよいことをすべきことであると厳格化したり,しない方がよいことを問題はないと曖昧化したり,それぞれ勝手に区分けの重みが解釈されるのです。逆の立場に立つと,物事には程があるとか,たとえそのつもりがなくても相手には過ぎてしまうことが起こります。
 だれもが自分は普通の生き方をしていると信じているので,言葉は自分の解釈通りに伝わると思っています。しかし,人によって普通の認識にはずれがあるために,区分けを表す言葉が相手の普通とはそぐわないときに,誤解が生じることになります。例えば,暑がりの人が暑いですねと言っても,寒がりの人はそうですかと言うのが精一杯で同意はできないでしょう。話を聞いているときに,イラッとしたり,意味不明であったり,あきれたりと,通じないという場面はよく経験します。
 特に,ネット上での匿名者同士の言葉の交換では,それぞれ相手の普通が不明であるために,意味のずれは厳しく受け止められることになり,炎上しやすい状況にあります。普段に付き合っている人同士であれば,お互いの普通を修正し合えるので,言葉の意味の違いは許容範囲に収まります。しかも,対面していれば幾分かは言語以外の伝達が追加されるのでずれは和らぎますし,補充説明などをしやすくなります。

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(2024年08月04日:No.1271)