《楽しみは たまに危険を 見届けて》

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 私たちがあれこれ考え何やかやと行動するのは,意識があるときです。ところで,眠っているときは,意識はありませんが,身体は生きるために活動しています。身体が生きるために必要な食料を摂取して吸収しエネルギー変換や配分などの活動は,睡眠中も含めて常時行われています。ただし,その端緒となる食料の摂取活動は後処理能力と必要量の制限から,3度の食事という適正化が行われています。いわゆる暴飲暴食は不健康であるのみならず,過剰摂取は拒否されます。
 眠りから目覚めて起きて意識が戻ってくると,まぶたが開きます。視覚や聴覚が働き始めます。意識は視聴覚情報を摂取し吸収しなければなりません。情報を得て理解し適切な反応に至るプロセスが意識が目覚めている人としての振る舞いになります。人として生きていく上では意識が情報という栄養を摂取していく必要があるのです。
 その情報の摂取は,かつては身近な人との直接の会話やうわさ話,新聞や放送といった公共性のある媒体を通じて行われていました。情報の内容に対して,真偽や軽重,必然性などそれなりの検証がなされているという信頼がありました。その摂取のタイミングは,朝に新聞に目を通す,昼に放送に耳を傾ける,夜には出会ったことを語り合うといったものでした。その限られた情報摂取量を補うために,書籍による先人が発してくれている栄養価の高い情報の摂取が行われていました。こうして意識が必要とする適切な情報が,処理能力に適当な量だけ摂取されていました。
 この情報環境が急激に変わったことに気づかなければなりません。電子機器の個人サイズ化が可能になったお陰で,情報の受発信も個人サイズに変貌しました。以前の状況のどこに変化がもたらされたかを考えてみると,個人的な直接対話,身近な井戸端談義が無限大と言えるほどの膨張爆発をしているのです。情報伝達ルートの容量限度が,新たなルートの参入によって,無制限になりました。
 この新たな個人的な情報ルートに対して,視覚と聴覚が暇さえあればというほどに過剰反応し,情報の暴視暴聴に陥ってしまいました。意識の処理能力を遙かに超えた情報摂取は,意識の混乱や麻痺につながってきます。一方で,個人的な情報発信が可能になったために,以前であれば内輪話や気休め程度のその限りの情報が,無制限に拡散してしまう事態が起こっています。悪意の情報発信も簡単に紛れ込まされるという不都合な状況も起こっています。
 情報爆発と暴視暴聴が,制御された意識の多様性を希薄化し,何でもありという意識の散逸化に暴走し,身勝手という混乱状況に向かおうとしています。食料の摂取になぞらえるなら,栄養価のあるものをきちんとより分け必要な量だけという望ましい状況を放逐して,手当たり次第に四六時中過剰摂取する自滅行為となります。この個人の不摂生は集団という機能維持を解き放ち,エントロピー増大の第二法則が人間界に適応される事態と見なされます。
 情報の散逸が進むと,意識の分解,分裂に至り,人という形は維持できなくなっていくという,破滅のシナリオが描かれてしまいます。
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(2026年04月12日:No.1359)