【生きる羅針盤の提案(3):マズロー】
人権宣言等から導き出した「人権羅針盤」は,人権という言葉が目指すものに言い換えると人が穏やかに生きるための羅針盤と考えなければなりません。だからこそ,先に示した子どもの育ちを考える羅針盤としても有効になることができたのです。ここでは,「生きる羅針盤」としての様子を描き出しておくことにします。ふと立ち止まって,「生きるとは?」という疑問に出会った際に,その思考のお手伝いができたら幸いです。
******************************************************************
「私が生きる羅針盤」を考える第3版です。今号では自己実現という面から生きることを想定したマズローの欲求説に対して,羅針盤的整理を試みることにします。
マズローの欲求五段階説というものがあります。1943年にアメリカの心理学者エイブラハム・マズローが提唱した理論で,人間の欲求を5つの段階に分けて説明しようとしています。マズローは,人間の欲求が段階的に発展していくものとして,下位の欲求が満たされた後に上位の欲求に関心が移っていくと考えています。この理論は,自己実現に向けた動機づけの過程を理解するために広く用いられているようです。
この自己実現に段階的に向かう前提を見直して,自己存在の完結という同時平衡的な認識にすると,人間社会で人として生きる羅針盤の6項目に対応させることができるのではないかと考えることができます。その対応を以下に考えてみることにしました。
第1段階:生理的欲求は,「生きていたい欲求」
マズローの第1段階である生理的欲求は,生命を維持するために必要とされる本能的な欲求とされています。具体的には,食欲や睡眠欲,性欲などが想定されています。
動物でさえ生きる欲求があるように見えますが,意識を持つ人間は生きようという意欲である「生きていたい欲求」を持ち合わせています。従って,飢えることから回避するために,狩猟や採集という自然依存から自らの能力を開発して農耕や栽培といった機能を織り込んだ社会生活を創出してきました。さらに例えば食生活で,何をいつ食べるかという生活を意図的に決断しています。
第2段階:安全の欲求は,「信じ合いたい欲求」
マズローの第2段階である安全の欲求は,安心して暮らすことへの欲求や身の危険を守ることへの欲求です。主に事故や災害などが起きてしまったときや,病気にかかったときなどに現れるとされています。
未体験な状況への恐怖,危険や急激な変動への緊張を避けるために,安全の欲求が安全を確保できる知恵に結びつき,頼りになる信じ合える仲間を求めて共生できる集団を創出しています。その作り上げた集団が「信じ合いたい欲求」に叶うようなものであるように,法律という共通の約束事を設けて信賞必罰を遂行し,社会に成長していきます。
第3段階:社会的欲求は,「頼り合いたい欲求」
マズローの第3段階である社会的欲求は,所属と愛の欲求であり,集団の一員でありたい,社会から必要とされたいという欲求とされています。ところで,人間がグループを作ったりSNSで連絡を取り合ったりするのも,この帰属意識を求めるためだと考えられるというコメントが見られますが,社会発生の要因ということであるなら違和感があります。
安全に生きていたいという欲求で芽生えた共同生活が,実際には安心な生活であるということに気付いて,持続していけるようにとの願いが出てきます。そのような安心の場に参画していたい,一員でありたい,それが自然な流れでしょう。そこには,「頼り合いたい欲求」からは,愛という感情が生まれてくることになります。
第4段階:承認の欲求は,「分かり合いたい欲求」
マズローの第4段階である承認の欲求は,誰かに認められたい,尊敬されたいという欲求で,「自分自身の評価」と「他者から受ける評価」の2つに分類されています。
社会生活における人のつながりではお互いに理解し合うことが必須であり,その道具として言葉が通じなければなりません。共同作業であるバベルの塔は言葉が通じ合わなくなって頓挫してしまいました。社会を発展持続するためには,人の知恵を三人寄れば文殊の知恵として,みんなで考えてそれぞれの思いつきを語り共有し積み上げていく過程が大事です。社会の維持進展に関与することを通して構成員としての存在感を自覚し承認される,そのためにはお互いを「分かり合いたい欲求」が満たされるべきです。
第5段階:自己実現の欲求は,「育ち合いたい欲求」
マズローの第5段階である自己実現の欲求は,第4段階までの欲求が満たされたとしても,自分に適していることを行わない限り新たな不満が生じてきて,理想の自分になりたいという欲求として現れてくるとされています。
社会の一員としての存在が承認されると,その貢献度といった評価軸が現れてきて,配分の序列が生じてきます。現実には,個人に備わる能力の成熟度や関わる機会の多寡により,皆が同じ境遇にとはならず,差異が生じてしまいます。さらには,社会の発展という現実がより高い能力を必須としてきます。結果として,資格や競争といった自己実現の尺度に従った「育ち合いたい欲求」が個人には訪れてきます。
第6段階:自己超越の欲求は,「明日に向かって生きる」
晩年のマズローは,自己実現よりもさらに高次な「自己超越」という段階があることを発表しました。具体的な例としては,寛容・慈善・弱者救済などがあげられています。さらに,自分(利己)だけではなく,他者(利他)も大切にしようとする心が当てはまるとされています。
人が生きる欲求は基本的には今生きるということですが,明日を意識できる能力を持つようになった人類は,明日に向かって生き続けたいという欲求を持つようになります。その欲求は自分の命を受け継いでいく次世代に生きやすい社会をもたらしたいという願いになっていきます。自分の命だけではなく,私たちの命という意識に基づく欲望が,希望という目標を人類社会にもたらしてくれています。
******************************************************************
マズローの欲求5段階説を人が生きていく要因としての欲望の発展段階とだけに限らずに,それぞれの欲望によって人はどのように社会化して生きる形を作り上げてきたのかという顛末につなぐことができました。人は個人で生きているのではなく,社会人という形を帯びるように生きているのです。自分と他者の間を意識できるからこそ,人は人間という間をまとうようになったのです。
(2025年02月16日)