*** 子育ち12章 ***
 

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「第 78-10 章」


『子育ちは 互いの心 受け入れて』


■子育ち12心情■

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『子育ち第10心情』

【太いつもりで細いのが愛護 細いつもりで太いのが我執!】

《まえがき》
 子育て羅針盤では,子どもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのかという問題視です。また,2つの領域とは,自分自身の育ち(私の育ち)と他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ちの領域を意識します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が羅針盤の針路構成となります。
 この第78版では,77版に重ねて,子どもたちが育ちに向けているはずの心づもりに寄り添って考えます。育ちたいという健気な心積もりを12の指標になぞらえてみることで,子どもたちの育ちの現実に寄り添います。それによって,子育ての願いも目の前の子どもにきちんと重なっていくはずです。子どもが向かっている心づもりを理解できる新たな12の指標盤を楽しんでください。

《太いつもりで細いのが愛護!》
 友だちと仲良くするというのは,親だけではなく,子どもも願っています。ところで,仲が良いということはどういう状況なのでしょうか? 一緒にいると楽しいとか,得だからという間柄でしょうか? 大事なことは,困っているときに助け合えるということです。お互いを大切にしようと思い,愛護する間柄です。実際には,友だちがいじめられていてもかばうことなく見ているだけ,果ては寝返ってしまうのでは,誰も仲良くしてくれなくなります。愛の強さとは護る強さなのです。親の愛とは護ることですよね?

《細いつもりで太いのが我執!》
 江戸時代のタクシーである駕籠屋が旅人の足の運びを眺めています。疲れた足取りの人を見かけると,駕籠代を高くふっかけることがありました。これが「足元を見る」ということです。人の難儀につけ込む行為は,最近のマスクを買い占めて高額でネット販売するという事例のように,今も起こります。人助けであると自らの我欲を言い抜けようとするのが,我執の一端です。子どもも物事を自分の都合のいいように言い訳しようとしますが,そのときに我執が顔を出しています。無駄な執着を解き放つことです。

《親としての関わりは?》
 子どもが「愛護を目指し我執に引き込まれない」という心情を実現できるためには,親としてどのように関わっていけばいいのでしょう。普段の家族としての暮らしの中で,些細な手伝いを持ちかけ,助かったよと機嫌良く笑顔を返してやります。自分の行動が親を喜ばせることにつながるという経験があれば,自らの我執には余計なことであっても,人にはうれしいことであるという愛の基本形を身につけていきます。愛は考えるものではなく,人に対する振る舞いの中に自然に組み込まれているものです。


 子どもが賢くなる一つの方法は,より大きな価値を選ぼうとすることです。自分にとって良い価値を選ぶのは当たり前ですが,それが他の人にとって悪い価値をもたらすものであれば選ばないという選択ができなければ,愚かな選択をすることになります。自分さえ良ければという価値の選択が愚かさであることは明らかです。善い価値を選ばなければ悪い結果をまき散らすという顛末を理解できることが賢さです。世間をうまく立ち回ることが賢さという勘違いは,しないようにしましょう。

★落書き★

 三味線の世界では,正統は「本手組」といわれているそうです。それに対して,型破りな曲風で挑戦したのが「破手組」です。彼らは華やかで人目を惹きつけたので,「はで」はその意味に使われるようになり,やがて「派手」と書かれるようになりました。正統があることで技は続いていく一方で,正統をはみ出したいという意欲も出てしまうようです。若者のはみ出しは目立ちたがりであり,派手となるのは頷けます。ただ派手は飽きられるという弱点があり,エスカレートするか,しばらくはおとなしくするか,いずれかです。


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