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「第 96-13 章」 |
『子育ちは 命の炎 継いでいく』
■子育ち12視標■
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『子育ち第13視標』
【感動あり】
《まえがき(毎号掲載)》
子育て羅針盤では,こどもの育ちを6つの方向と2つの領域から考察します。6つの方向とは,「誰が,どこで,いつ,何が,なぜ,どのように育つのか」という問題視座です。また,2つの領域とは,「自分の育ち(私の育ち)」と「他者と関わる自分の育ち(私たちの育ち)という育ち」の領域を表します。6つの方向にそれぞれ2つの領域を重ねた12の論点が「子育て羅針盤」の基本的な考察の構成となります。
この第96版でも,これまでの流れに沿って,子ども自身や親が育ちの確認をしていくときに,見えて感じることができる視標という面から育ちを考えていきます。それぞれの完成度に違いがあってもそれは個性になり,一応の評価ができるようなら,幸せに育っているということができます。子どもの育ちは見えにくいものですが,羅針盤としての全方位を見届けることができることを再確認していただけたらと思っています。
《育つということ(育てるということ)?》
子どもの誕生は感動です。動物の出産に対しても,人は誰でもがんばって生まれるように応援します。いのちというものについて,人は特別な感情反応があると思わざるを得ません。懸命に生きようとする姿を美しいと感じる美意識も,いのちへの共感があるからです。子どもが誕生して生きていく,それは子育ちです。いのちの営みである子育ちそのものが感動であることを,思い起こしておかなければなりません。
立場を交代すると,子育てもまた感動です。子育てという営みの中では,傍目にはよくできるなと思われる難儀もないわけではありません。親でなければやれないという但し書きがつきます。親にとっては,細部はあれこれあったとしても,子育てそのものは感動なのです。たまたま障害を持っている子どもを授かった親御さんも,子育てに感動を見つけておられます。生き方は人それぞれですが,みんなちがってみんないい,同じいのちだからです。
私たちは豊かな環境に慣れて,考える暮らし方を選んでいます。幸せになるための条件は何かと考えて,そこに向かっていこうとしています。意識を優先する生き方です。よりよく生きようと考えて努力しています。幸せであるとか,よりよく生きるとか,それは今生きているということへの素直な感動があってはじめて実現可能になります。考える生き方には感動が織り込まれていないので,美しくありません。
生きることは感動であるというメッセージは,子どもたちに伝わるのでしょうか? もしかしたら伝わらないのではと危惧します。感動するという認識はなくて,感動させてもらうというスタンスが当たり前になっているようです。たとえば,美味しく食べるのではなく,美味しく食べさせてもらうのです。楽しく過ごすのではなく,楽しく過ごさせてもらおうとしています。待っている生き方から抜け出すきっかけを与えなければ,生きる感動は絵空事になります。
★落書き★
何度失敗してもくじけずにがんばることを表す「七転び八起き」ということわざがあります。子どもは不思議に思うかもしれません。七回転んだら起き上がるのも七回のはずです。八起とは勘定が合いません。人は最初の失敗をしてから意欲が湧いてくるからということで,先ず起き上がることから数えているのです。失敗をすればやり直すことで少し育つことができます。たくさん失敗をしてたくさん起き上がって,子どもは育っていきます。
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