1202年 (建仁2年 壬戌)
 
 

5月2日 乙巳
  兄弟相論の事、向後に於いては、是非に付き和平を仰せらるべきの由、今日これを定
  めらる。
 

5月5日 戊申
  鶴岡神事例の如し。北條の五郎奉幣の御使いたり。
 

5月10日 癸丑
  左金吾三浦の海辺に出でしめ給う。列の笠懸有り。十騎射手を撰ぶと。
 

5月20日 癸亥
  御所の御鞠なり。六位の進盛景・紀内行景・細野四郎兵衛の尉・富部の五郎・稲木の
  五郎・比企の彌四郎・源性等これに候ず。員二百二十・五百二十。伯耆少将・北條の
  五郎等、脚気を煩うに依って見證に候ず。
 

5月30日 癸酉
  早河庄を以て中分せしむと。田百四十丁六段、預所土肥の彌太郎遠平を停止し、箱根
  山に付けらると。