1202年 (建仁2年 壬戌)
 
 

8月2日 癸酉
  京都の使者参る。去る月二十二日、左金吾従二位に叙す。征夷大将軍に補せ給うの由
  これを申す。
 

8月5日 丙子
  奥州に遣わさるる所の雑色男帰参す。舞女の父為成すでに亡すと。彼女涕泣悶絶躄地
  すと。
 

8月7日 天晴 [明月記]
  近日武士入洛す。その数を知らず。門々戸々に入宿すと。これに依って人口嗷々す。
  但し例の大番有勢の者、上古此の如しと。
 

8月8日 天晴、陰雨間々灑ぐ [明月記]
  盛時子の男東国より上洛し来たる。この男和歌を好むに依って喚び出す。道に於いて
  頗るその意を得て京人に勝る。奇すべし。
 

8月15日 丙戌 晴
  鶴岡放生会例の如し。将軍家御参宮。夜に入り、舞女微妙栄西律師の禅坊に於いて出
  家を遂ぐ(持蓮と号す)。父の夢後を訪わんが為と。尼御台所御哀憐の余り、居所を
  深澤の里の辺に賜う。常に御持仏堂の砌に参るべきの由仰せ含めらると。この女、日
  来古郡左衛門の尉保忠と密通す。比翼連理の契りを成すの処、保忠甲斐の国に下向す。
  帰り来たるを待たずこの儀有り。悲歎に堪えざるが故なり。
 

8月16日 丁亥 霽
  将軍家御参宮無し。馬場の桟敷に於いて流鏑馬ばかりを覧玉うなり。
 

8月18日 己丑 晴
  午の刻に鶴岡若宮の西の廻廊に鳩飛び来たり、数刻立ち避けず。仍って供僧等これを
  怪しむ。真智房法橋・大學房等、問答講一座を修し法楽せしむなり。将軍家見聞の為
  参り給う。遠州・大官令等扈従す。その外貴賤市を成す。酉の刻に及び、件の鳩西方
  を指して飛び去ると。
 

8月21日 壬辰
  御鞠、人数例の如し。員二百五十・百三十。
 

8月23日 甲午
  江間の太郎、三浦兵衛の尉が女子を嫁す。
 

8月24日 乙未
  夜に入り亀谷の辺騒動す。これ古郡左衛門の尉保忠舞女微妙が出家の事を訪わんが為、
  甲州より到着す。而るに彼の女栄西律師の門弟祖達房に属き、落餝せしむの由を聞く。
  先ず件の室に至り、子細誓盟を尋ね問うべしと称す。祖達怖畏の余り、御所の門前に
  奔参す。この間保忠欝憤を休め難くして従僧等を打擲す。これに依って近隣の輩競集
  すと雖も、異事に非ざるの間即ち退散す。また尼御台所朝光を遣わし、保忠を宥め給
  う。
 

8月27日 戊戌
  今日保忠御気色を蒙るは、これ去る夜祖達房が従僧を打擲するの間、彼の憤りに依っ
  てなり。僧従の法、人々の善に帰するを以て本意と為すが故、左右無く除髪せしめ戒
  を授くか。而るに理不盡の所行奇怪の由、尼御台所義盛・朝光等を以てこれを仰せら
  ると。