1214年 (建保2年 甲戌)
 
 

6月1日 甲午 晴
  晩に及び聊か雲延い雷鳴る。これ御祈請の験か。
 

6月3日 丙申 霽
  諸国炎旱を愁う。仍って将軍家葉上僧正を屈し、祈雨せんが為八戒を持し、法華経を
  転読し給う。相州已下、鎌倉中の緇素貴賤心経を読誦す。一心に潔み信じて精勤の誠
  を致さるるなり。
 

6月5日 戊戌 甘雨降る
  これ偏に将軍御懇祈の致す所か。皇極天皇元年壬寅七月、天下炎旱の間方々祈祷有り
  と雖も、その験無きに依って、大臣蝦夷(馬子大臣男)自ら香炉を取り祈念す。猶以
  て雨降らず。同八月帝河上に幸し、四方を拝せしめ御うの間、忽ち雷電し雨降り、五
  箇日休止せず。国土の百穀豊稔に帰すと。君臣異なると雖も、その志相同じきものか。

**[日本書紀]
  (秋七月)庚辰、大寺の南庭に於いて、佛菩薩像と四天王像とを厳ひて、衆僧を屈請
  し、大雲経等を読む。時に、蘇我の大臣、手に香炉を執り、香を焼き願を発す。辛巳、
  微雨。壬午、祈雨能わず。故に読経を停む。八月甲申朔、天皇南淵の河上に幸し、跪
  いて四方を拝し、天を仰ぎて祈る。即ち雷大雨。遂に雨ふること五日、普く天下を潤
  す。これに於いて、天下の百姓、倶に万歳を称えて曰く、至徳の天皇と。
 

6月13日 丙午
  関東の諸御領乃貢の事、来秋より三分の二を免ぜらるべし。仮令毎年一所づつ、次第
  に巡儀を為すべきの由仰せ出ださると。