1227年 (嘉禄3年、12月10日 改元 安貞元年 丁亥)
 
 

9月2日 戊寅 晴
  金火迫犯の由、天文道等周防の前司親實に属き、連署の勘文を捧ぐと。
 

9月3日 己卯 晴
  丑の刻大地震。
 

9月4日 庚辰 霽
  地震の事、周防の前司を以て尋ね下さるるの処、天王動なり。月に随い日に随い吉凶
  相交るの由、陰陽道等これを申す。
 

9月9日 乙酉
  天変御祈り等の事、今日これを始行す。
   薬師護摩(大進僧都)     一字金輪法(信濃法印)
   八字文殊法(宰相律師)    七曜供(助法印珍誉)
   北斗供(師法橋珍瑜)     天地災変祭(親職)
   螢惑星祭(晴賢)       太白星祭(国継)
  以上御祈り等の事、後藤左衛門の尉・進士判官代等奉行たり。但し薬師・八字文殊・
  天地災変等は、今日評議有り、延引すと。
 

9月13日 己丑
  御所中に和歌御会有るべきの由、兼日その沙汰有りと雖も、機嫌然るべからざるに依
  ってこれを止めらる。但し人々の詠歌内々これを召覧す。
 

9月21日 丁酉
  天変御祈りの内、薬師護摩・八字文殊法・天地災変祭等、去る九日延引しをはんぬ。
  今日始行せらるる所なりと。
 

9月22日 戊戌 晴
  佐々木判官信綱近江の国佐々木豊浦・羽爾堅田の両庄並びに栗本北郡等の地頭職を賜
  う。これ去る承久三年合戦の賞なり。即ち宇治川合戦の時、最前に河を渡すに依って、
  勧賞・補任の由御下文に載せらると。
 

9月23日 天晴 [明月記]
  夜に入りて雑人の説、北山の聖法印臨時の作事、夢の告げに依って阿弥陀像(孔雀に
  坐し給う)を供養せらる。導師退出の後、引き籠らるる僧の関東布施(物毎に五十六
  人なり。三百把を以て引かる)、綾(三百)・絹・綿絲・染絹・紺布・藍摺・砂金(三
  百両)・ショウ牙(三百石)。将軍給物を送り奉ると。衆僧の富有末代比類無きか。
 

9月26日 朝天陰 [明月記]
  除目関東の返事を待たるると。