1232年 (寛喜4年、4月2日 改元 貞永元年 壬辰)
 
 

5月14日 甲午
  武州政道を専らし給うの余り、御成敗の式條を試みるの由、日来内々沙汰有り。今日
  すでにこれを始めしめ給うと。偏に玄蕃の允康連に仰せ合わさるる所なり。法橋圓全
  執筆す。これ関東諸人訴論の事、兼日法を定められ幾ばくならざるの間、時に於いて
  縡両段に亘り、儀一揆せず。これに依ってその法を固め、濫訴の起こる所を断ぜんが
  為なり。今夕将軍家鼻血を出し給うと。
 

5月15日 乙未
  日中以後将軍家御不例。この間世上咳病盛んなり。上下遁れる者無し。世これを称し
  三日病と。仍って御所中に於いて鬼気祭を行わると。
 

5月16日 丙申
  御不例。心神殊に違乱すと。
 

5月17日 丁酉
  今暁御占い等を行わる。七座の泰山府君は親職・晴幸・晴職・国継・晴賢・親貞・経
  昌、土公は重宗、鬼気は晴茂等これを奉仕す。今日未の刻、鳥糞御前北面の御簾に懸
  かると。仍って百怪御祭有り。国継奉仕すと。
 

5月18日 戊戌
  鳥の怪に依って御祈祷の為、御所に於いて千度御祓いを行わる。今日武州故修理の亮
  (時氏)第三年の忌辰を迎え、彼の墳墓堂に於いて、新造の阿弥陀三尊を供養せらる。
  導師は弁僧正定豪と。
 

5月26日 丙午
  将軍家の御不例平癒す。今日御沐浴の儀有り。