1239年 (暦仁2年、2月7日 改元 延應元年 己亥)
 
 

6月3日 辛丑
  今暁京都の飛脚参着す。禅定殿下の御不例、今に於いては殊なる御事無しと。
 

6月6日 甲辰
  武蔵の国請所等用途の事、地頭の沙汰として毎年京進有るべきの所々、今日これを定
  め下さる。当時匠作国務せしめ給う所なり。
 

6月12日 庚戌 天晴
  前の武州御労御平減以後、今日御沐浴。医道施楽院使良基朝臣父子・典薬の頭時長朝
  臣、御衣・御劔等を給うの上、各々一村を拝領すと。
 

6月19日 丁巳 霽
  兵庫の頭京都より下着す。禅定殿下の御不例本復し、去る十二日御沐浴と。