1240年 (延應2年、7月16日 改元 仁治元年 庚子)
 
 

5月1日 甲子
  人倫売買の事一向停止すべきの旨、今日仰せ下さると。
 

5月2日 乙丑
  勝長寿院の別当法印良信の本坊焼失す。放火と。
 

5月4日 丁卯
  祖父母に敵対し相論の事、今日これを停止せらる。
 

5月6日 己巳
  師員朝臣・基綱・行然等の奉行として、人倫売買の事、綸旨に任せ停止すべきの由、
  重ねて下地を加うと。
 

5月7日 庚午
  山城の前司元忠京都より帰参すと。
 

5月11日 甲戌
  将軍家聊か御不例。両時を経るの後御少減。霍乱か。
 

5月12日 乙亥
  御所に於いて和歌御会有り。題は深山郭公・隣家橘・社頭祈なり。当御所に於いて披
  講せらる。一條少将・右馬権の頭・秋田城の介・佐渡の前司・河内の前司・伊賀式部
  大夫入道・卿僧正・兵庫の頭等参る。前の武州置物・砂金・羽・色革・美絹以下を奉
  らると。
 

5月14日 丁丑
  信濃の国落合家の尼と子息太郎と相論の事有り。今日評定を経られ、子息の訴訟を棄
  損せらる。且つは教令違犯の罪科これ重し。自今以後もし敵対に及わば、重科に処せ
  らるべしと。
 

5月20日 癸未
  恩沢の沙汰有り。人々御下文を賜う。佐渡の前司基綱これを奉行す。御下文は御所よ
  りこれを分ち賜う。
 

5月25日 戊子
  今日の評定、御家人等雲客以上を以て聟と為し所領を譲る事、次いで私領及び御恩の
  地等を凡下の輩並びに非御家人に売り渡す事、次いで山僧を以て代官に用いる事、自
  今以後停止する所なり。