1240年 (延應2年、7月16日 改元 仁治元年 庚子)
 
 

6月1日 甲午
  御所の御持仏堂に於いて八万四千基の泥塔を供養せらる。導師は三位僧都頼兼、請僧
  七口。卿相雲客布施を取ると。今日最勝王経修法を始行せらる。若宮の別当法印定親
  これを奉仕すと。
 

6月2日 乙未
  炎旱旬を渉る。祈雨法の事、日来若宮の別当法印に仰せらるると雖も、効験無きに依
  って、今日勝長寿院の法印良信に仰せ付けらると。
 

6月8日 辛巳
  将軍家二所御参詣の事、師員朝臣の奉行としてその沙汰有りと。
 

6月9日 壬寅
  良信法印祈雨法を奉仕すと雖も、今にその験無し。仍って今日永福寺の別当荘厳房僧
  都に改め仰せらると。
 

6月11日 甲辰
  前の武州の御亭に於いて臨時の評議有り、三ヶ條の事を定む。
  一、新補地頭得分の田畠加徴物の事
    本年貢一斗の所に於いては、参分の一たるべしてえり。
  一、篝屋用途勤仕の所々犯過の事
    謀反殺害に於いては、守護所に召し渡すべし。自余の事は沙汰有るべからずてえ
    り。
  一、山僧代官に補す事
    地頭(山門領は制限に非ず)はこれを停止すべし。離山の後年序を経らば、沙汰
    の限りに非ずてえり。
  今日、晴賢朝臣師員朝臣に属き申し入れて云く、後三條院御当年星日曜に当たらしめ
  御うの時、天下炎旱なり。関東また貞應年中故禅定二位家日曜星に当たらしめ給うの
  間、鎌倉旱魃す。時に属星・日曜・七座の泰山府君等の祭並びに霊所御祓い・十壇の
  水天供を行われをはんぬ。今年御所の御年二十三、日曜星に当たらしめ給う。例に任
  せ御祈祷有るべきかと。早くその沙汰有るべきの旨仰せ下さると。
 

6月15日 戊申
  祈雨の為日曜祭並びに霊所七瀬御祓いを行わる。泰貞・晴賢・国継・廣資・以平・泰
  房・晴尚等これを奉仕すと。
 

6月16日 己酉
  祈雨の為、安祥寺僧正孔雀経御修法を始行せらると。
 

6月17日 庚戌
  酉の刻俄に雨降る。程無く晴に属く。地を湿すに及ばず。
 

6月18日 辛亥
  泰貞朝臣今日より三ヶ日、江島に於いて十度御祓いを勤修すべきの旨仰せ付けらると。
  政所沙汰なり。
 

6月22日 乙卯
  鶴岡宮寺に於いて最勝王経御読経を行わる。夜に入り属星祭を始行す。権暦博士定昌
  朝臣奉仕す。これ皆祈雨の為なり。佐渡の前司基綱・兵庫の頭定員等奉行たり。
 

6月24日 丁巳
  酉の刻将軍家御不例。
 

6月25日 戊午
  御不例は御痢病なり。仍って今夜前の武州の御沙汰として、御所に於いて痢病祭を行
  わるべし。泰貞朝臣奉仕すと。