1243年 (仁治4年、2月26日 改元 寛元元年 癸卯)
 
 

5月13日 [百錬抄]
  佐渡院の御骨、今日大原御墓所に納め奉る。岡崎殿に於いて中陰の御仏事を始めらる。
  世人三十ヶ日穢を称す。
 

5月23日 戊戌 天晴
  子の一点大地震。今日左親衛の御亭に於いて、摂津の前司・若狭の前司等参会し、諸
  人訴論の事沙汰に及ぶ。次いで親衛御書を加賀民部大夫の許に遣わさる。これ評定事
  終わると雖も、事書遅々するの時、諸人歎き申す事なり。向後は奉行人等に付け、事
  書と御下知の草案とを引き合わせ、内評定を加うの後、清書せしむべきの由と。
 

5月28日 癸卯 天霽
  晩景将軍家赤痢病気御坐す。時長・廣長等の朝臣御療治の為祇候す。