1243年 (仁治4年、2月26日 改元 寛元元年 癸卯)
 
 

6月10日 己卯 [百錬抄]
  去る夜より中宮御産気有るなり。午後皇子降誕(後深草)。禁裏御混合の儀無し。桜
  井宮・常住院僧正御馬を引かる。医師施薬院使経長朝臣御衣を賜うと。
 

6月15日 庚申 天霽
  故前の武州禅室周関の御仏事、山内粟船御堂に於いてこれを修せらる。北條左親衛並
  びに武衛参り給う。遠江入道・前の右馬権の頭・武蔵の守以下人々群集す。曼陀羅供
  の儀なり。大阿闍梨信濃法印道禅、讃衆十二口と。この供、幽儀御在生の時殊に信心
  を抽んずと。
 

6月16日 辛酉 未の刻小雨・雷電
  深澤村建立の一宇の精舎、八丈余の阿弥陀像を安じ、今日供養を展ぶ。導師は卿僧正
  良信、讃衆十人。勧進聖人浄光房、この六年の間勧進す。都鄙の卑尊奉加せざると云
  うこと莫し。
 

6月18日 癸亥
  京都の使者参着す。去る十日午の刻皇子降誕すと。この御加持の為、大納言僧都隆弁
  去年上洛す。件の勧賞として、同二十日法印に叙す。この御誕生、別して将軍家の御
  慶賀たり。御外戚の寄せ有るが故なり。仍って御息災御祈り用途の事御沙汰を為すべ
  しと。
 

6月20日 乙丑
  来八月鶴岡放生会の役人以下の事その沙汰有り。

[百錬抄]
  御産御祈大法の賞等僧事を行わる。