1248年 (宝治2年 戊申)
 
 

6月1日 丁丑
  左親衛訶利帝十五童子像を以て彼の産所に安置せらると。
 

6月5日 辛巳
  人勾引の事その沙汰有り。兄弟は人勾引の儀たるべからず。他人を以て人勾引と為す
  べきなり。その科盗犯に準ずと。
 

6月9日 乙酉
  相模河の水その流れ血の如し。観る者これを怪しむ。試みに白布を浸しその色を移す
  に、殆ど紅梅の如しと。
 

6月10日 丙戌
  諏方入道蓮佛、左親衛新誕若君の乳母たりと。
 

6月11日 丁亥
  相模河の流れ猶赤くして紅に似たり。縡すでに上聴に及ぶに依って、殊にその沙汰有
  り。今日御祈り等を行わると。
 

6月15日 辛卯
  酉の刻常陸の国関郡仁木奈利郷白雪降る。則ち休止すと。
 

6月16日 壬辰
  相模河の水赤色漸く薄れると。
 

6月18日 甲午
  寅の刻濫橋の辺一許町以南雪降る。その辺霜の如しと。
 

6月21日 丁酉
  佐々木次郎兵衛の尉實秀法師(法名寂然)款状を捧げ、恩澤に浴すべきの由を申す。
  これ祖父三郎兵衛の尉盛綱入道兄弟四人、相共に右大将家義兵の最初、御方の軍士と
  して、専一に数度の勲功を励ますに依って、連々の恩賞有りと雖も、亡父太郎信實の
  時、或いは相論に就いて、或いは自然にこれを召し放たる。今に於いてはその計略を
  はんぬと。数枚これを続いで、累家の子細を載すと。
 

6月29日 乙巳 [百錬抄]
  南都より上皇已下を呪詛し奉る張本入洛すと。