1253年 (建長5年 癸丑)
 
 

9月14日 己丑 雨降る。雷鳴数声
  城の介入道百箇日の仏事、甘縄の旧宅に於いてこれを行う。導師は若宮の僧正隆弁。
 

9月16日 辛卯 晴、午の刻地震。夜に入り小雨灑ぐ
  今日新制の事を定めらる。延應法の外十三箇條を加えらる。関東御家人並びに鎌倉居
  住の人々過差を停止すべき條々なり。これ去る七月十二日宣下せらるる所なり。蔵人
  の頭宮内卿平時継朝臣奉行たり。これに依って宣下の状を守り遵行せしむべし。且つ
  は十月一日よりこれを停止せしむべし。もし猶これを叙用せざれば、且つは法に任せ
  糺断を加え、且つは罪科に行わるべきの旨仰せ出さると。

**建長五年七月十二日宣旨 [鎌倉幕府法]
  一、諸社幣物不法を興行すべき事、
  一、慥に同使を進発すべき事、
  一、諸寺執務は四ヶ年を以て任限と為すべき事、
  一、諸社新加神人を停廃せしむべき事、
  一、公家並びに諸院宮以下新加の供御寄人等を停廃せしむべき事、

9月26日 辛丑
  倫長の奉行として、殿中に於いて内々沙汰の事有り。これ山門領の外、山僧を以て預
  所職に補せしむ事停止せらるべきの由なり。去る二十日評定の時その沙汰有り。件の
  禁制は、去る延應元七月二十六日これを定められ、六波羅に仰せられをはんぬ。而る
  を能登の国御家人高畠の太郎式久彼の式目案文を備進するの間、校合の為写し進すべ
  きの旨、御教書を備後の前司康持に下さるるの処、禁忌たるに依って、同二十三日東
  入道唯明に仰せらる。唯明これを写し進す。仍って校合せらるるの処相違無し。評定
  の時事書の正文を持参すべきの由、重ねて仰せ下さるる所なり。