1260年 (正元2年、4月13日 改元 文應元年 庚申)
 
 

5月4日 辛未
  故武州禅門御成敗の事、改め沙汰するに及ばざるの旨式目に載せられをはんぬ。而る
  に同時に重ねて沙汰有るべきの由、所見の輩有らば、この文に拘わらずその沙汰有る
  べし。仁治三年以後、御教書を給わり問答の疑いを遂げらば、沙汰の限りに非ず。今
  日これを定めらる。
 

5月10日 丁丑 晴
・ 秋田城の介入道覺智第三年の追福、松下禅尼施主として願文を修せらる。右京権大夫
  茂範朝臣これを清書す。曼陀羅供、大阿闍梨は日光別当法印尊家。
 

[5月13日 庚辰 晴
  子の刻将軍家御悩。]
 

5月16日 癸未 雨降る
  御悩の御祈祷、鬼気並びに御夢祭等を行わる。
 

5月18日 乙酉 雨降る
  将軍家御悩復本せしめ御う。