1260年 (正元2年、4月13日 改元 文應元年 庚申)
 
 

7月2日 戊辰 晴
  京都の飛脚到来す。院の御脳御減の由これを申す。御験者は左大臣法印、近衛右府の
  御息と。
 

7月4日 庚午 晴、夜に入り雷雨
  今日三浦式部太郎左衛門の尉光政使節として上洛す。御悩御減の事賀し申さるるに依
  ってなり。
 

7月6日 壬申
  和泉の前司行方の奉りとして、越後の守實時・相模の太郎主等に尋ね問わるる事有り。
  これ去年随兵に相催せらるるの時、大須賀新左衛門の尉朝氏・阿曽沼の小次郎光綱各
  々自由不参す。而るに光綱に於いては子息五郎を差し進し、朝氏は弟五郎左衛門の尉
  信泰を代官に立つ。この事の許容、誰人の計らいをやてえり。實時朝臣等申して云く、
  詞を以て申せしめば、伝者もし委細の披露無らんか。退いて状に載せ言上せしむべし
  てえり。則ち状に整え工藤三郎右衛門の尉光泰に付け、先ず相州禅室に披覧するの処、
  計り仰せられて云く、状に載せるの條頗る以て厳重に似たるか。ただ光泰・實俊等の
  詞を以て行方に属き謝し申すの條宜しかるべきかてえり。彼の状に云く、
    去年八月の放生会御社参供奉人の間仰せ下さるる両條
   一、阿曽沼の小次郎随兵役子息を以て勤仕せしめ申す事
   右所労の由廻文に押紙するの間、子細を言上するの処、光泰・實俊を以て度々子細
   を御尋ね有り、勤仕せしむべきの由仰せ下されをはんぬ。更に自由の計に非ず候。
   一、大須賀新左衛門の尉、同五郎左衛門の尉等の間の事
   右大須賀新左衛門の尉に於いては、随兵の御点を下さるるかの間催促し候の処、所
   労の由廻文に押紙するの間、その旨を注し申し候の処、すでに所労たるの間、御免
   をはんぬ。次いで五郎左衛門の尉に於いては、本より直垂の御点を下され候の間勤
   仕しをはんぬ。この両人の事、同じく私計に非ず候。以前の両條此の如きの由覚悟
   候。但し胸臆の申状、御信用に足らざり候わんか。然れども此の如き事先々御書下
   に及ばず候の間、或いは愚記を引き勘じ、或いは御点注文に任せ、子細を言上す。
   この趣を以て披露せしめ給うべく候。恐惶慎言。
     七月六日           平の時宗
                    越後の守實時
   進上 和泉の前司殿
 

7月7日 癸酉
  朝氏・光綱等の間の事、行方光泰・實俊の口状を聞くの間披露すと。殊なる事無きか。
  越州等の書状、禅室の厳命に随い留め申すと。
 

7月8日 甲戌
  放生会供奉の直垂着の事、御点有らんが為、然るべきの輩を撰び注進すべきの旨、去
  る月十六日仰せ下さるるの間、小侍所これを清選せしむ。一昨日進覧するの間、今日
  御点有り。催促せしめんが為これを返さると。
 

7月10日 丙子
  鎌倉中の保殊に狼藉を鎮むべきの旨御教書を下さると。
 

7月16日 壬午 [続史愚抄]
  僧日蓮安国論一巻を作り武家入道平時頼に献ず。
 

7月21日 丁亥 [続史愚抄]
  新僧正道浄また一院の御瘧疾を加持落居す。土御門院皇女(淳子内親王、仙華門院姉
  宮なり)薨ず。
 

7月23日 己丑
  小侍の番帳更に清書の事、中山城の前司盛時に仰せらるると雖も、所労の由を申すに
  依って、佐藤民部大夫行幹また仰せを奉り筆を染める所なり。これ和泉三郎左衛門の
  尉行章を以て廂の御簡を小侍所に下さる。廂と小侍と、その番(一番より六番に至る)
  毎に参差せず、同日たるの様これを結番せしめ、書き改むべきの由仰せ下さるるに依
  って、此の如しと。且つは清書の仁、前の両人を以て然るべきの旨、相州禅室の御計
  たりと。
 

7月24日 庚寅 晴
  京都の飛脚参着す。去る十五日以後、院の御瘧御更発の由これを申す。
 

7月25日 辛卯 晴
  御悩の事に依って、信濃次郎左衛門の尉行宗使節として上洛す。今日薩摩七郎左衛門
  の尉京都より帰参す。また小侍番帳の事、その沙汰有り。書き様に於いて、次第不同
  の儀たりと雖も、何ぞ思う所無からんや。聊か次第を立て書き改むべきの由仰せ下さ
  ると。和泉の前司行方・武藤少卿景頼等奉行たるなり。これ日来結番の躰、官位を守
  らず、嫡庶を論ぜず。且つは宿老に依り、且つは勤否に随い書せらると。
 

7月26日 壬辰 陰
・ 京都の飛脚また到来す。去る二十一日・・(仙華門院御姉、将軍家御姑)崩御の由こ
  れを申す。
 

7月29日 乙未 霽
  中御所の番衆は、廂御所に着到すべきの旨、和泉の前司行方の奉行として、工藤三郎
  右衛門の尉光泰・平岡左衛門の尉實俊に相触ると。午の刻京都の飛脚到着す。院の御
  瘧病、去る二十一日平復す。御験者は道性僧正と。今日御息所相州禅室の御亭に入御
  す。
  供奉人
   越前の前司時廣     刑部少輔教時      尾張左近大夫将監公時
   陸奥左近大夫将監義政  相模の三郎時利     新相模の三郎時村
   壱岐の前司基政     和泉の前司行方     出羽大夫判官行有
   式部太郎左衛門の尉光政 城四郎左衛門の尉頼泰  上総太郎左衛門の尉長経
   武藤左衛門の尉時盛   大曽彌太郎左衛門の尉長頼 和泉三郎左衛門の尉行章
   常陸次郎左衛門の尉行清