3 若武者(魔神と見えしは)

 物凄き峰より風は吹き落ちて雲に嵐の声すなり、此は魔界の尉が島、崖の上には怪しき
魔神、崖の下には小桜姫、彼方は岩石、此方は強弓、互に矯めつ覘いつして暫く睨み合い
けるが、矢頃を測りし小桜姫ヤッと声掛け矢を放てば、彼方の魔神は身をかわして持てる
岩石を楯として、飛び来る其矢を発止と受けたり、小桜姫二の矢を番えんとなせし時、魔
神は早くも大岩石を上より堂と投げ落せば、七内・八内の両人は其岩に打敷かれ微塵にな
って失せにけり、小桜姫大に怒り、憎き魔神が振舞かな、イデ二の矢を受けて見よと再び
引絞って兵と射る、其矢風を截って魔神の面上に飛び行きしが、彼方も曲者、左知ったり
と身を躍らせ、小手を伸ばして飛び来る其矢を宙に確と握り留めたり、小桜姫心安からず、
此上は魔神にもあれ、天狗にもあれ、我が手並を以て討取り呉れんと、側に在りし大薙刀
を取って小脇に掻い込み、魔神を望んで崖の上に馳せ登る、魔神は早くも後ろなる松の大
木を根より引抜き軽々と打振りて、イデ来れと待ちかけたり、此方は女ながらも武勇関東
に隠れなき小桜姫、今此魔神を討取らずんば、生きて再び帰るまじと猛虎の荒れたる如き
勢いにて、精神励まし撃て掛る、魔神は松の木を獲物となし、大薙刀を相手にして丁々発
止と撃ち合いしが、何れも劣らぬ武芸早業、いつ果つべきとも見えざりしに、小桜姫は面
倒なりと長薙刀を打捨て、魔神の松の木を確と押え、我が力量にて捻り倒さんと為したり
しに、魔神も不思議の怪力にて此方より捻り返す、互に総身の力を両の腕に籠め、エイヤ
エイヤと押し合いしが、小桜姫は七十人力、魔神も劣らぬ怪力なれば、互の力にて松は中
程より捻折れたり、魔神は早くも声を掛け「ヤレ待たれよ希代の勇婦、扨も御身は勇名関
東に隠れなき楽岩寺家の小桜姫よな、聞きしに勝る武芸力量、古の巴板額たりともよも御
身には勝るまじ、今迄の無礼御許しあれ」と顔に被りし魔神の面を取除くれば、魔神と見
えしは姿勇々しき若武者なりけり、小桜姫も大に驚き「イヤ御身の武勇こそ妾が遠く及ぶ
所に非ず、さりながら御身は何人にて斯る怪しき姿をば為し給う」、若武者「某は三浦道
寸が嫡男荒次郎義意にて候」、小桜姫「扨は三浦家の鬼神と呼ばれ給いし荒次郎殿にて候
か、仮令荒次郎殿にもせよ、妾が参詣の道を遮り、剰え従者両人を撃殺し給いし子細は如
何に」、荒次郎「扨其子細こそ大事なれ、そも此島は様子あって山奥に人を入れざるに、
折々速夫の者ども我が武勇に慢じて山奥に来る事あり、其時は番の者ども天狗の姿に身を
装い、威して山を追い落とすか、或は手向いなすものは斬って捨てる習いにて候、今日も
某此島に参りて山の番を致し候に、御身等主従が明神の祠へ御参詣あり、やがて大胆にも
此奥山へ分け登り給う気色なれば、威して帰し参らせんと一たび石を落せしなり、然るに
御身の武勇中々帰り給うべき様子もなければ、射取らんと思いしが、女人の事故従者を撃
って御身を懲らし参らせんと斯く計らいし愧かしさよ」、小桜姫「扨は此島こそ新井の城
の要害にて兵粮・武具を籠め置き、万一に備え給う所と覚えたり」、荒次郎再び身構えな
し「斯く見透し給う上は女人なりとて容赦なし難し」と刀に手を掛け、ヌックと立ちたる
有様は魔神天狗よりも恐ろしかりける勢いなり、小桜姫は其武威を感じ、是こそ尉が島明
神の我が心願を容れて、斯る英雄を引合せ給しものならんと、心竊かに打悦び「イヤ待た
れよ荒次郎殿、御身が妾を助け給いし情に対し、妾は決して此島の事を何人にも漏らし候
まじ」、荒次郎「誠そうか」、小桜姫「何とて偽りを申さん、弓矢八幡も照覧あれ、妾は
誓いを立て候」と偽りならぬ真心は其面に現れければ、荒次郎も始めて心を安め「さあら
ば小桜どの、人には見せぬ要害ながら、御身を此峰に案内申して山上の風景を御覧に入れ
ん、此方へ来ませ」と先に立ちて、小桜姫を尚山奥に誘いたり、