7 金沢城(愈々出発)

 三浦荒次郎義意は父の催促止み難く、尉が島より渡り来たって毘沙門堂の浜に打出でた
るが、小桜姫も種久もハヤ舟にて遠く落ち延びたれば、心中竊に安堵して浜の汀を見てあ
れば、逃げ後れたる女一人多勢を対手に斬結ぶ、こは健気なり、斯程の女を空しく討死さ
せんことの不愍さよ、生捕にして助け得させんと駒を駆け寄せ、鉄の棒にて八重絹が刀を
撃落し、其侭生捕になしければ、今は浜辺に敵もなく、唯松風と波の音、沖に千鳥の二つ
三つ、春知り顔に鳴くばかり、荒次郎小手を翳して沖の方を眺むるに、波間に見えし舟影
は、今剣崎の後ろに隠れて跡白波と失せにければ、是までなりと駒の頭を立直し、宝蔵山
の本陣へ生捕を召連れて帰りける、父道寸入道は謀事意の如くならず、種久親子を取逃し
たれば、掌中の玉を失いし心地して「如何に荒次郎、汝が来りしこと今一足早かりせば、
種久親子を討取らんは易かりしに、彼本国に帰りなば、必ず兵を起して此怨みを報ずべし、
彼等が再戦の用意整わぬ先に、是より武州金沢へ逆寄せして楽岩寺家を滅すべし」と勇み
進んで申しける、荒次郎義意大に憂い「始めより何の怨みもあらざるに、不意に起って人
の油断を撃ちしさえ道ならず、それを再び此方より逆寄せなさば、仮令楽岩寺家の領地は
奪うとも、関東の人心は皆我が家を離れ候わん、それよりも油断なり難きは当国小田原の
城主北条早雲入道にこそ候、此人兼ねて我家を滅し、相模一国を我物にせんとの心あり、
兵を練り武を講じ、日夜我家の隙を窺い候えば、早雲こそ末恐ろしき大敵と覚え候、早雲
を禦がんには楽岩寺種久如き勇将こそ味方に取りて屈強の援けなり、早雲志を得候えば、
楽岩寺家とてよも安穏に済み難きは種久も知り候わん、されば今より楽岩寺家に使者を立
てヽ、今日の事家臣の狼藉より起りしと御詫あり、再び和睦を結んで共に北条を禦がんと
の御約束を遊ばされ候え、もし種久早まって北条に味方せば、是こそ由々しき御大事に候」
と理非分明に述べけるが、父道寸は武蔵の地を奪って関東に覇たらんとの心止み難く「否
々種久は再び和すべきものならず、汝は留まって新井の城を守り候え、我自ら兵を率いて
金沢の城を攻取るべし」と諫を用ゆる気色なし、荒次郎も力なく「然らば某は城に留まり、
北条早雲が後ろを襲わぬ手当を為すべし、して今日毘沙門堂の浜にて生捕候女武者は如何
計らい候べき」、道寸生捕を打眺め「女人の事故日頃なれば命を助け得さすべきが、今は
金沢攻の途出なり、女ながらも敵の一人、首打って軍陣の血祭にせよ」、荒次郎「こは思
いも寄らぬ仰せかな、関東一の名族と天下に名を得給いし父上が、敵に懼れて女人の首を
打ったりと聞えなば、東八ヶ国の若殿原に笑われ候わん、アワレ願くば此生捕を某に御預
け下されたし」と請いければ、道寸も其言葉に従い、八重絹を荒次郎に預け、其身は精兵
八百を率い、時を移さず武州金沢に向て発向せり、道寸はもとより三浦累代の大族にして、
所領相模半国に跨り、一族門葉九十余人の多きに及べば、道寸途中より一族が方へ使を発
し、此度武州金沢を征伐するによって、一同軍陣に参着致すべきよし触ければ、菊名の城
よりは菊名左衛門重氏、初声の城よりは初声太郎行重を初めとして、岩戸・長沢・一色・
芦名の諸将各々軍兵を引連れ、取敢ず道寸が本陣に馳せ参じ、三浦領を出る頃には総勢三
千余騎となりにける、此勢いに乗て金沢の城を唯一揉に攻落し、進で武蔵一国を平定せば
やと其翌日は浦郷の天神山まで打出でたり、