8 此恨み(晴さばや)
 
 遙々の八重の潮路を過ぎ行きて我が故郷に帰る舟かな、楽岩寺下総守種久は小桜姫と共
に宝蔵山の難を遁れ、毘沙門堂の浜より海を渡って其夜の明方金沢の浦に着船なしければ、
種久大に舟人を労い「我等が危きを救い、遙々の海を渡せしこと神妙なり、褒美の品を取
らすべければ我等と共に城中まで来るべし」と促せしに、舟人は主従七人を陸に卸して申
す様「情けは人の為ならず、海を御渡し申せしは我等が主、イヤナニ我等が信仰致す尉が
島明神の神慮に依る所、爭か褒美の品を望み候わん、用事相済めば是迄なり、いざ御暇申
すべし」と舟を再び沖に向け、飄然として漕ぎ返す、種久遙に声を掛け「扨も不思議なる
舟人かな、汝は何処の浦の者にて名は何と申し候ぞ」、舟人漸く振返り「賤しき身なれば
名も候わず、我等は尉が島の大天狗に仕え申す者なり」と答うる声も次第に遠ざかって、
舟は波間に隠れたり、種久の郎等関団六世に希有なる事を思い「恐れながら我君、今の舟
人こそ兼ねて我君が御信仰深き当峰が岡八幡宮の神霊、仮に姿を現し給いて我君の御武運
を守護なし給うと覚え候」と申しけるに、外の郎等も口を揃え、さこそあるべしと同じけ
り、独り小桜姫は心にそれと推しけれども、漏すべき事ならねば口にも出さず、やがて種
久主従は城に入て心を安めけるが、種久は無念遣る方なく、俄に一族郎等を城中に呼聚め
「世に憎むべきは三浦入道道寸なり、我等昨日宝蔵山に登り、桜の御所の花盛を遊覧なし
けるに、我等の油断を身澄まし、不意に起って我等親子を討取らんとなしたりしは、我が
所領を奪わん欲心と覚えたり、此怨を晴さんには是より兵を起して三浦の地に攻入り、運
好くば新井の城まで攻落すべし、面々も日頃の武勇を現し、相模武士に後れを取り給うな」
と怒気を含んで申しける、さなきだに君辱しめらるれば臣死すと忠義に凝ったる若殿原、
此物語に無念の切歯を為し、是より新井の城に押寄せて道寸父子の細首打落すべしと、勇
気日頃に百倍して見えにける、独り小桜姫は悦ばず「父上の御無念は去る事ながら、三浦
家は累代の名族にして道寸は管領家の執権たり、彼妄りに我家に仇を為すべき謂れなし、
此度の事或は家臣等の野心より起りしにもや候わん、宜しく一旦三浦家に使者を立て給い
て、昨日の趣意を篤と御質しあるべし、其上に兵を起すも遅き事は候わじ」と述ぶる心は
荒次郎を頼りに思い、如何にもして此合戦を留めたきが願いなり、種久頭を左右に振り「
イヤイヤ趣意を質すまでもなし、昨日宝蔵山の敵陣に道寸入道が自ら指揮して居たる上は、
彼の野心と極まったり、疾く疾く出陣の用意して三浦領を踏荒すべし」と家臣に下知を伝
えたる折柄、浦郷より急使あって「只今三浦道寸三千余騎の兵を率い、天神山の彼方まで
押寄せ候」と注進したり、種久奮然として立上り「扨は道寸めに先を越されたるか、我が
用意の整わぬ内に此城を攻落さん工みと覚えたり、其儀ならば此方にも敵の謀事によって
敵を破るべき計略あり、如何に小桜姫、汝は逞兵六百人を率いて天神山の麓に伏勢せよ、
我自ら羸兵数百を先立て天神山の中程まで打て出でなば、敵は必ず我等が用意の整わぬと
覚え、短兵急に攻登るべし、其時我は弱々しく戦って敵を山の迫りへ誘き寄せれば、汝は
後ろより起って三浦勢の逃路を塞ぐべし、斯くて前後より激しく攻め立てなば、三浦勢を
地獄谷へ追落し、道寸を討取らんこと手の中に在り」と流石関東に名を得し知勇の大将、
計略を定めて浦郷天神山へ押出したり、小桜姫も今は詮方なし、道寸が斯くまで野心を逞
しゅうする上は、手痛く攻め破って我が家の武勇を道寸に知らしめ、手懲をさせて向うよ
り和睦の事を計らわしめんと心勇んで打立ちける、