10 此武者振(御覧あらば)

 一夫城を守れば万卒も攻め難し、三浦荒次郎義意は先に父と別れて独り新井の本城に留
りけるが、彼の生捕りし八重絹の縄を解き、懇ろにこれを痛わりて「今に合戦止みなば、
父に請うて金沢の城に送り帰すべし、もとより楽岩寺家と当家とは、差したる宿意のある
にあらねば、折を見て我必ず和睦の事を計らわん、其方も本国に帰りなば、種久殿親子に
能く我が意を伝えよ」と頻りにこれを慰めける、八重絹も其義に感じ、斯る義勇の大将は
復あるべからず、姫君小桜様には兼ねて天下の英雄を良人に持ちたしとの御望みなれば、
斯る英雄の世にある事を御知らせ申しなば、さぞ頼もしく思し召されんと、主思いの忠義
者竊に心を荒次郎に傾け、早く合戦の止めよかしと祈りしが、荒次郎も姫の事は忘れ兼ね
てそれと無く問いける様「人の噂に楽岩寺家の小桜姫は武勇古の巴板額に劣らぬと承る、
斯る勇婦を妻にせんこと武士たるものヽ本意なるが、姫には最早定まる婿君のあり候か」
と申しけるに、八重絹は聞くも嬉しき言葉かなと打悦び「申すも賢き御事ながら、我が主
君小桜姫には其御力量七十人に対し給い、武芸早業も城中の武士一人として姫君に勝る者
候わず、さりと申して女の道も何一つ御心得無き事は候わで、縫針糸竹又は文読み・歌を
詠じ給う事も人に勝れて在しまし候、さるに依て父君の御寵愛深く、姫の婿には天下の英
雄を撰びたしと仰せあり、姫君も我に勝らん程のものならでは良人に持たじと宣い候、然
るに今東八カ国の若殿原多しと雖も、姫君に勝らん程の者は恐れながら御身を惜きて外に
在りとも覚え候わず、されば定まれる御縁辺も無し、此合戦止んで御両家の御和睦整い候
わば、アワレ御身こそ姫君を申受け給えかし、数ならねども妾が御執成申し候わん」と実
意を顕わして答えける、荒次郎は聞くほどに懐かしき心地して、愈々忘れんとするも忘れ
難し、「御姿を見候えば唯美しき姫上なるに、其勇力の恐ろしさは此荒次郎も舌を巻きた
り」と思わず口より漏しければ、八重絹は不審に思い「桜の御所の合戦に御身は出会い給
わざるに、何時姫君を御覧ありし」、荒次郎はハッと思い「イヤナニ、それはまだ合戦の
始まらぬ内、群集に紛れて姫の御姿を垣間見たり、また其勇力は津久井九郎を討取り給い
し御手並にて知り候、兎も角も斯る勇婦を妻にせんこと我が生涯の願いながら、人の心の
測り難きは姫が如何に我身を思い給うらん」、八重絹「それは妾が御執成申して、必ず姫
君の御心を誘い候べし、憚り多き申条ながら、御身の事は三浦家の鬼神と世に聞え給う程
なれば、誰か御武勇を知らざらん、姫君とて妾より御身の事を申上なば、定めて御懐かし
く思し召されん、唯心に懸るは此度の合戦、いずれに御勝敗ありとて御遺恨愈々累なりて、
御和睦の妨げとなり候べし、今の内に何とか御思慮遊ばされ候え」と八重絹が憂は復荒次
郎が憂なり、
 斯る処に城門より御注進々々々と呼わる声聞えければ、荒次郎立上って表の方を眺むる
に、汗馬を駆って武者一騎玄関前に馳来り、馬より降りて跪き「若殿に申上候、今日大殿
天神山に於て楽岩寺種久と合戦あり、味方勝利を得て敵を山の中程まで追上げ候に、思い
も寄らぬ後ろより敵の伏勢俄に起り、それが為味方敗走して、大殿は長柄の城に御引揚げ
あり、然るに敵兵勝に乗って無二無三に長柄の城を取囲み、合戦難儀に候えば、早く若殿
に御出馬あるべしとの大殿よりの御諚にて候」、荒次郎聞きも敢えず「扨は父上敵を侮り
給いて不覚を御取り召されしか、イデ某が馳せ着いて金沢勢を微塵になさん」と大鎧を取
って肩に投げ掛け、十八貫目の鉄の棒を軽々と提げ、丈なる駒を引寄せて「者ども続け」
と呼わり、疾風の如く馳せ出だす、八重絹は其後ろ姿を見送り「さても勇ましき武者振か
な、此武者振りを姫君が御覧遊ばしたら」と思えど、今は敵味方、もし戦場にて出会い給
わば遁れぬ勝負を遊ばされん、何卒御怪我の無い様に思う心は後や先、