9 軍振り(心得ぬ)

 三浦道寸は敵に斯る計略のありとも知らず、無二無三に金沢城へ攻寄せて、唯一揉に攻
落さんと天神山の麓まで来りけるに、物見の者馳せ帰り「只今敵兵三百余人天神山の彼方
まで押出し候」と告げたれば、道寸からからと打笑い「扨は楽岩寺種久早くも城に帰り、
見兵を率いて防戦に来りけるか、彼が城に籠って固く防御の備えを為さば味方却て難儀な
らんに、自ら城外へ打出でたるは是首を我に授くるなり、イデ者ども今日の合戦に種久の
首を撃ちたる者は第一の功なるべし、励めや者ども、進め、進め」と下知なして、天神山
へ攻め登る、此時種久は山を降って半腹に備を立てたるが、態と敵を怠らしめん為に射手
を揃えて矢戦を始めたり、道寸此有様を見て味方を顧み「アレ見よ、種久は無理に城中の
兵を纏めしなれば、手詰の合戦叶い難く、頻りに矢戦を為して時を移し、其暇に後陣の兵
を駆り聚めん計略と覚えたり、されば空しく矢戦をあしらいて時を移さんより短兵急に此
陣を撃ち破れ」とエイエイ声して攻め登る有様は、矢も楯も溜るべしとは見えざりけり、
種久心に打悦び、態と防ぎ難き体を為して次第に後ろへ兵を引けば、道寸気を得て味方を
励まし「スワこそ敵は浮足立って見えたるぞ、此図を外さず攻め破れ」と、大音に呼わり
て次第に兵を進めけるが、流石に老巧の武者ならば、向いの道の切所を眺めて俄に駒を留
め「ハテ心得ぬ種久が軍振かな、まこと我兵を防がんとならば、アノ迫りにこそ兵を纏め
て我が道を遮るべきに、さはなくして自ら切所を引き、我兵を迫りに誘き寄せんとなす計
略ありと覚えたり、斯る切所に味方を入れて双方より撃たれなば一大事、スワ引け」と下
知なして俄に兵を留めたり、種久山上より此様子を眺め、今少し切所に導きて敵を皆殺し
にせんと思いしに、道寸早くも悟りたるか、場所は構わず討取れと用意の狼煙を高く天に
向って打揚げければ、麓に隠れたる小桜姫が一手の逞兵、俄に起って三浦勢の後ろを断ち
切ったり、「扨こそ敵の計略よ、一方を撃破って長柄の城まで引揚ぐべし」と道寸入道自
ら駒の頭を立直して、小桜が兵に向いたり、種久は今こそ道寸を遁すなと山上より輪宝の
如く撃て降れば、三浦勢三千余騎前後に乱れて敗走す、小桜姫は手痛く道寸を懲らしめて、
再び野心を起させじと、自ら例の大薙刀を打ち振り、道寸の本陣を目掛けて阿修羅王の如
く斬り入ったり、さなきだに乱れ立ちたる三浦勢、此勢いに辟易して誰防がんとするもの
なければ、小桜姫は人なき所を行く如く、道寸の馬前に近づきて大音揚げ「如何に道寸、
先頃は能くも我等の不意を撃ちたるぞ、其時の返報に武蔵鍛冶が鍛えたる薙刀の斬味見せ
申さん」と疾風の如くに斬って掛る、道寸も遁れぬ所と大太刀を引抜き「女の分際にて此
道寸に向わんとは推参なり、イデ我手に掛って相果てろ」と二打三打撃ち合いしが、道寸
の郎等長沢六郎馳せ来り「我君には早く長柄の城へ御引揚あるべし、此敵は某が引受候わ
ん」と小桜姫に撃って掛る、道寸は好まぬ戦いなり、小桜姫を郎等に任せて其身は忽ち引
返しければ、小桜姫大に怒り「妨げするな下郎め」と長沢六郎を唯一刀に斬って捨て、再
び駒を速めて「道寸返せ」と追駈けたり、道寸は小桜姫に迫られて再び太刀を合せんとせ
し時、菊名左衛門重氏中を隔てヽ小桜を防ぐ、小桜怒って左衛門が馬の足を薙刀にて払い
ければ、左衛門堪らず馬より墜るを、小桜姫は見向きもやらず、尚も道寸が跡を追駈けて、
其間近くなりければ、道寸も怒りを発し、斯くまで女に追わるヽとは我が末代の恥辱なり、
引返して勝負せんと駒を後ろへ返直せしに、初声太郎・芦名三郎等馳せ来って小桜姫を遮
り、其暇に道寸は危きを遁れて遂に長柄の城へ入りにける、
 斯くて楽岩寺種久は今日の合戦勝利を得たれば、勢いに乗って直ちに長柄の城を取囲み、
敵の後詰のなき内に、此城を攻落して道寸を討取るべしと秘術を尽して攻めたりける、道
寸も今は防戦に苦しみ、急に使を新井の本城に走らせて、嫡男荒次郎に救いを請えり、