13 一騎打(面白や)

 楽岩寺下総守種久は我が伏勢の計略を敵に見透かされたれば、俄に伏勢を引揚げ備を堅
固に立て直し、敵こそ来れと待ちかけたり、田越川の川岸に駒を乗出したる三浦荒次郎、
川を渡して楽岩寺勢に攻め掛らんと水の面を見てあれば、澄み渡りたる早瀬の流れに水際
の桜散り敷きて、波の花こそ盛りなり、渡らば錦中絶えん、あな心無の合戦よと暫し眺め
てありけるが、斯くては果てじと手綱掻い繰り、駒をザンブと乗り入れたり、流るヽ花を
押し分けて水に写らう武者振の勇ましさ、緋威の鎧は桜に映じ、金鍬形の兜朝日に輝き、
胸金物には羽衣の天人を顕わし、薄墨に雲竜を描きたる陣羽織は朝嵐に翻りて、散り来る
花を払いける、連銭蘆毛の名馬に遠山の鞍置て、浪に千鳥の鐙踏張り、十八貫目の鉄の棒
を馬の平首に引付け、悠然として川を渡りし有様は、実に坂東随一の勇将を見えにける、
道寸入道味方を励まし、アレ荒次郎を討たすなと呼われば、三浦勢我も我もと川に飛入り、
荒次郎に続いて押渡りしが、荒次郎義意は向う岸に駒を乗上げ「楽岩寺殿に見参申さん、
種久殿は何処に候ぞ、荒次郎義意が是まで推参致したり、御出会い候え」と大音に呼わり、
鉄の棒を真甲に振翳して、敵の備に馳入ったるは梵天帝釈が四魔の軍を破りしも斯くやと
思うばかりなり、此時種久が陣中より駒を乗出したるは小桜姫、紫と白とに染め分けたる
鎧を着し、兜は被らず白綾を畳んで鉢巻なし、例の大薙刀を横え嫣然と笑うて荒次郎が前
に立塞がる、荒次郎も莞爾と打笑い、鉄の棒を取直して撃って掛れば、小桜姫は薙刀の手
を尽し、駈け寄り駈け寄せ繚乱として戦うこと七十余合、花は紛々として馬前に舞い、風
は飄々として鎧の袖を吹く、斯る勇ましき勝負こそ復あるべからずと両軍闘を止めて此一
騎打を見物なしけるが、此時道寸の本陣に於て引上げの陣鉦を鳴しければ、荒次郎小桜姫
に会釈なし、累ねて勝負致さんと駒を返して道寸の陣に到りける、道寸荒次郎を待ち兼ね
て「如何に義意一大事の起りたり、只今松尾の城より注進あって、小田原の北条早雲入道、
我が此に合戦最中なるを窺い、八千騎を率いて小淘の浜に撃出たるよし、未だ種久を討ち
得ぬ先に早雲に後ろを攻められては難儀なり、如何致さん」と当惑の体なりければ、義意
父の前に進み「扨は早雲めが愈々出陣致したるか、早雲は大敵にて候、今日の謀は唯早く
種久と御和睦あって、一意に早雲を禦がんこと専一に候」と申しける、道寸眉を顰め「さ
りと申して此方より初め挑みし此合戦、容易に種久が和睦なすべき謂れ無し」、荒次郎「そ
れをなさのみ案じ給いそ、某自ら敵陣に赴き、種久に利害を説きて和睦を結び候わん」、
道寸「イヤ大将が自ら敵陣に使いする例無し、余人を使わし候え」、荒次郎「余人にては
此和睦調い難し、もし種久聞かざれば、其場に於て掴み殺さん、さりながら種久も尋常の
事にては誠の和睦と思い候まじ、先立て生捕りし八重絹を帰し、復種久の娘小桜姫を某が
妻に申受けたく候」、道寸「兎も角汝計らい候え」、荒次郎「畏て候」と我が陣に帰り、
鎧を脱いで平服を着し、従者一人を供に連れて、種久が陣所へ赴きける、