14 一旦の敵(と百年の敵)

 此日の合戦相引にて別れたれば、楽岩寺種久は兵を収めて陣所に帰り、小桜姫を呼んで
申す様「実に唯今の一騎打ほど世に目覚ましきものはあらじ、聞きしに勝る荒次郎が剛勇、
敵ながら天晴の若武者かな」と頻に感歎なしければ、小桜姫は敵ながら意中の人を褒めら
るヽ事の心嬉しく「さればに候、荒次郎殿程の英雄は今の世に多くあるべからず、斯る英
雄を永く敵にせんこと余と申せば本意無し」、種久「もし味方に致しなば百万の兵を得る
にも勝りつらん、否百万の兵とは云わじ、彼を其方に配偶せて婿と呼び、又舅とも呼ばれ
なば如何に頼もしき事ならんに、可惜勇士を敵にするも戦国の習い是非も無し」、小桜姫
「アイヤ是非も無き事は候わず、味方一旦道寸の大軍を破り、長柄の城まで囲みたれば、
我家の武勇は最早敵に知れつらん、今より後は敵に荒次郎の援兵加わり、味方の合戦難儀
なるべし、我が武名を汚さぬ内に三浦家と御和睦あって然るべく候」と申しける、種久頭
を振り「イヤイヤ道寸は再び和すべきものならず、我三浦家を滅すか、三浦家我を滅すか、
二つに一つの運定まらずば、迚も合戦止むべからず、不思議なるは今日の戦場、未だ勝敗
の機も決せざるに、敵が俄に兵を引きしこそ心得ね、敵の本国に事起れるか、余所に合戦
の始まりしか」と怪む折柄、本城金沢より使者来って、北条早雲が三浦領に攻入ったるよ
し告げたりける、種久大に悦び「ナニ早雲が大軍を起して三浦の領地に攻め込みしと申す
か、其儀ならば早雲に後ろを撃たせ、我は此方より兵を進めて新井の城を攻落さん、小桜
先陣仕れ」と勇んで立つを、小桜姫引留め「父上一旦の御怒りに乗じて百年の計事を誤り
給うな、早雲は我家と親みも無し、彼三浦家を滅さば忽ち我家をも滅すべし、三浦家は一
旦の敵、早雲こそ百年の大敵にて候」と申しける、されども種久は桜の御所の遺恨骨髄に
徹しけん、容易に道寸と和せん心無し、斯る処に軍卒一人馳来り「只今陣門へ敵の使者と
号し、三浦荒次郎義意従者一人を召連れ平服にて参り候、如何計らい申すべき」と言上す、
種久屹と向うを見やり「扨は道寸入道、早雲に後ろを攻めらるヽが苦しさに、和睦の使者
を送りしと覚えたり、偽りの和睦、取結びて何かせん、早々使者を追返せ」、小桜姫進み
出で「御言葉はさる事なれども、余人の使者ならばイザ知らず、敵の大将たるものが自ら
我陣へ来りしものを、無下に追返し給わば、我陣を見透さるヽ事の苦しさに追返したりと
笑われ候わん、兎も角も呼入れて使者の趣を御聞取り候え」、種久「然らば此へ呼入れよ、
さりながら荒次郎は大剛の勇士、油断して不覚を取るべからず、面々心得候え」と郎等に
警固を命じける、小桜姫大薙刀を執て側に引付け「御用心の事は御心安く思し召し給え、
荒次郎に野心あらば妾が討取り候わん」と勇気を含んで述べけるは、頼もしく覚えたれ、
さる程に兵士の案内に連れて此に入来る三浦荒次郎義意、生年二十一歳、威あって猛から
ぬ若武者なるが、楽岩寺勢の剣を並べて控えたる中を、怯めず臆せず悠然自若として打通
り、種久・小桜両人が前に座を占め、用心厳しき四辺りの体を見廻して、莞爾と笑いし有
様は、気宇天地をも呑まん勢いなり、種久先ず声を掛け「如何に荒次郎殿、敵の大将が自
ら軍門に来るは、是降参の意を表するなり、御身は降参の使者として来られしか」と言い
ければ、荒次郎容を正し「某は両家の繁昌を計らわんとて来りしものを降参とは舌長し、
戯れ給うな種久殿」、種久「アイヤ陣中に戯言なし、両家の繁昌を計らわんとは和睦せん
との事なるか、北条早雲に後ろから攻めらるヽが苦しさに、偽りの和睦を結ばんとは卑怯
なり、降参ならば兎も角も、和睦などとは思いも寄らず」、荒次郎ヌックと立上り「無礼
なり種久殿」と天地に響く大音にて呼われば、スワこそ大事と一同に刀を柄に手を掛けた
り、