18 末広舞(面白し)

 神徳高き峰が岡八幡宮と申すは、近国近在より参詣の人引きも切らず、貴賤老弱常に群
集して国中一の霊場なり、小桜姫の腰元八重絹は主君の御行末を祈らんと、下僕一人を供
に連れ、城中を立出で八幡宮に参詣し、何卒姫君並に荒次郎殿の御武運を守り給えと一心
不乱に祈念して、やがて社前に出でけるに、名にし負う金沢の浦の風景なれば、海漫々と
して水平に、白砂青松眺むれども飽くことなし、此景色を愛してや、八幡宮に参詣の人々
は皆社前に立休らいけるが、水に臨める岩の上に年若き男女、各々手に扇を持ちて節面白
く舞居たれば、人々皆其周囲を取囲む、八重絹不審に思い、彼は何者ぞと下僕に尋ねしに、
下僕畏り「彼は此頃当地に参り、一方ならぬ評判を取りたる末広舞にて候、彼の男女が手
に持てるは縁結びの末広と称え、見物に思う人の名を書かせ、それにて面白き末広舞を為
し、後に其末広を岩の上より海中に投げ入れて末広流しを致し候」、八重絹興に入り「姫
君が御縁組の御祝いに末広舞とは聞くも目出たし、一段の舞済まば此方へ呼び候え」と命
じける、やがて下僕は走り寄って末広舞の男女を伴い来る、八重絹其姿を見れば、各々身
に怪しき衣を纏いたるが、相貌骨柄賤しからず、何さま武家などの浪人して斯る営業を為
すならんと、八重絹一入に憐れを催し「如何に末広舞とは如何なる謂れに候ぞ」と尋ねけ
る、男は末広を前に置き「是は縁結びの末広と申し、相州箱根山の奥金時峠の夫婦竹を以
て造りしものなり、雄竹にて造れるを男の身にかたどり、雌竹にて造れるを女の身になぞ
らえ、それを陰陽和合神に捧げて縁結びの祈りをなし候、されば殿方も女中衆も思う人の
名を此扇に書き入れ、末広舞を仕りて海に流し候えば、思う人に添われん事こそ受合なり、
或は既に添い給う方々も、行末の和合を祈り給わば、矢張り末広舞を為して和合神を御祭
あるべし、時の御慰みに一段舞わせられ候え」と言葉淀まず申しける、八重絹其扇を手に
執り「妾が頼むは人の身の上なり、此度姫君三浦家と御縁組整い、愈々来月三日に御輿入
あるなれば、其御行末を祝して一段舞候え」と二つの扇に姫と荒次郎の名を書き込みける、
末広舞の男は屹と顔を揚げ「ナニ小桜姫の御縁組が愈々来月三日に定まりたるか」と言葉
鋭く言かけしが、忽ち顔を和らげて扇を執り「我等も御城下に参り、一方ならぬ御贔屓を
蒙り候えば、御城主の御祝いに心を籠めて舞候べし」と一本を妻に渡し、一本を其身が持
ち、双々立並びて末広舞を始めける、「千秋の松に鶴巣くい、万歳の巌に亀遊ぶ、あら目
出たや尊や」と声も涼しく謡い連れ、共に扇を打振りて、或は合し或は離れ、片々として
舞う有様、世に面白く見えたりけれ、八重絹は舞の手振の優しきに感じ、脇目も触らず眺
めけるが、やがて男女は舞終り、口に怪しき呪文を唱えて、男先ず扇を海に投げ入るれば、
春風にヒラリヒラリと舞下りて水に浮ぶ、続て女手に持てる扇を風に飛ばせば、不思議や
是も二つ三つ舞狂いて男の扇に落ち累なる、斯くまで美事に落ち累りしは、是れぞ御行末
の目出たき印しと男女斉しく祝いければ、八重絹も大に悦び、末広舞の男女に厚く引出物
を取らせて、其身は城中にかえり行く、跡に末広舞の男女は何思いけん、俄に売物の扇を
箱に納め「小桜姫の縁組愈々来月三日と定まる上は、一刻も早く此事を我君に御知らせ申
すべし、汝も疲れを忍んで小田原へ急ぎ候え」と妻を促し身仕度して、何処とも無く立去
りける、