51 嬉しの舞(内も外も)

 此時老翁少しも騒がず、慇懃に荒次郎の前に両手を突き「今は何をか包まん、某は世を
捨て山に入りたる隠者にも候わず、故の小田原の城主大森式部大輔実頼が弟蔵人頼親と申
すものにて候、某若き時、兄と不和なる事あって、独り都に登り永く室町御所に仕え申せ
しが、先年兄の実頼没し、甥にて候藤頼が未だ幼き身を以て世に立ちしと承り、乱国の世
なれば累代の家こそ危しと、兄との不和を忘れ竊に案じ煩いたるに、案の如く北条早雲に
城を欺き取られ、関東累世の大森家も一朝離散し跡を留めず、某都にて此事を承り、こは
残念至極の事かな、いで本国に立帰り、早雲めを滅して再び家を起さんと竊に当国へ罷り
下り、兄実頼が墓に詣でて死したる人と生前の仲違いを和睦致し、旧臣を尋ねて頻に再挙
の謀を廻らし候えども、早雲の勢い強くして容易に手を下し難し、此上は天晴れ武勇の大
将を頼み参らせ、折りを得て早雲に怨を報ずべしと、旧臣どもは此山より程遠からぬ処に
身を潜み、某は此庵室を宿として日頃関八州を打廻り、あわれ早雲を滅すべきほどの英雄
はあらざるかと心を尽して尋ねたるに、恐れながら荒次郎の君、御身ほどの英雄は今天下
に多くありと覚えず、殊に三浦家と北条家とは度々御取合もあり、終生和すべからざる敵
なれば、御身を主と頼み参らせ、犬馬の忠を尽さんと存ぜしところ、金沢合戦より此来、
父君道寸公と御仲不和に見えさせ給い、遂に本国を立退れて処も丁度某が仮の宿りの庵室
に入り給う、某疾くより君の御跡を慕い参らせ、胸中の願いを聞え上げて、臣下の列に加
わり申さんと無礼の段を顧みず、斯くは俄に此庵室を驚かし参らせて候なり、某を始め大
森家の残党八十余人、皆同じ志にて候えば、あわれ一同の心を御推量あって御家臣の列に
加え給え」と初めて申す身の来歴、重氏・行重両人は此上無き味方を得し心地して、互に
顔を合せ、我君の御答如何あらんと待ちけるに、荒次郎幾度か沈吟し「其御無念は理りな
れども、某は人甲斐も無き浪々の身の上なり、我身一つだに置きかねて御身の庵室を借る
ほどの有様なれば、早雲を滅さんこと思いも寄らず、それほどの志を抱かれなば、本国三
浦に赴いて我父道寸を助けられよ」、老翁「余所に求むるまでも無し、天下の英雄は此庵
室の中に在るものを、君が一たび足を挙げて当地の兵を起し給わば、相模川の西岸一帯の
地は攻めずとも君が領地となり候わん、其上に兵を練り武を講じ、長策を画いて小田原に
臨みなば、早雲猛しと雖も、爭か君の武勇に敵し参らせん、もし捨て置き給わば、早雲こ
そ日に領地を広げて遂には御家を滅さん、君は家の滅亡を余所に見給う御心なるか」と此
一言に荒次郎思わずも励まされ「何とて余所に見過さん、某此山に隠ると雖も、心は常に
我家を忘れず、竊に早雲の動静を窺って、まさかの時は撃って出でん心なり」、老翁「其
時は我等一同をも召連れて日頃の無念を晴させ給え」、荒次郎漸く心を定め「さあらば其
時こそ御身の力とも成り申さん、御身の家も我家も共に管領家累代の老臣なれば、某御身
と主従の約束は為し難し、唯早雲との合戦あらば、某が味方に就き給え」、老翁「御味方
申すまでも無し、某は旧臣どもに此事を伝え、君を主君と仰ぎ参らせ申すべく候、扨当所
にて御旗揚の義は如何に」、荒次郎「其儀は早雲と合戦の折を待つべきなり、唯今我身事
を起さば、一つには管領家への不忠となり、又一つには父への不孝となる、眼前の利を見
て不忠不孝の罪を侵すは是義に於て成すべからず、暫く共に世を忍んで時の到るを待つべ
きなり」、老翁「あら嬉しの御事や、時は今にも到るべし、天下の英雄を主として日頃の
望み足り候」と嬉しさの余り、立上って舞を奏す、重氏・行重両人も我君こそ好き味方を
得給えりと喜び舞い狂う、最前より庵室の外まで尋ね来て、中の様子を立聴きしたる小桜
姫も、人々の喜びに連て思わず翳す舞の袖、重氏早くも其影を認め、舞ながら表に走り出
で「オヽ姫君か、悦び給え」、小桜姫「悦ばいで何としょう、妾は様子を立聴きしたり」