69 若木の松(植えて候)

 新九郎氏綱は父の言葉をそれと聞き「さん候、一の宮の辺りの景色と申すは、鳶尾山下
しの風烈しくして、草も木の葉も皆枯れなん計りの有様にて候」、早雲「実にも鋭き木枯
しの風なるよ、して其方が居城は如何に」、氏綱「某が居城には木枯しの風を防がん為、
常盤木数多植え置きて候、殊に此度若木の松を一本移し植えて候えば、此上は仮令木枯し
の風が霜となり雪となり候とも更に怖るヽ所は無し、さればこそ某も馴れし箱根の秋色を
遊覧なさん為是まで推参致して候」、斯くと聞くより早雲悦ぶこと斜めならず「扨は首尾
好く若木の松を植えたるか、我等も長く此山の景色に飽かんとは思えども、三浦道寸と云
える大敵を前に控えたり、殊に楽岩寺殿の御頼みも黙し難ければ、秋の眺めを余所にして
直に三浦征伐の軍を起すべし、其方再び一の宮に帰り、尚も備えを固めよ」と忽ち氏綱を
帰し、斯くて種久親子に向い「然らば楽岩寺殿、明日とも云わず今是より不意に三浦領に
乱入して敵の備え無きを破るべし、出陣の用意は疾くより既に為し置きたり、者ども続け」
と云いながら、駒引寄せてヒラリと打乗り、明星が嶽の頂上より疾風の如く馳せ降りて、
小田原にも立寄らず其侭三浦領に打向う、小田原城中八千余騎の勇兵は、予てより何時出
陣の沙汰ありても差支無き様に用意したれば、直に城外に馳せ出でて、我後れじと早雲公
に追い付きたり、此時までも早雲と共に馳せ来りたる楽岩寺種久は娘小桜姫に向い「如何
に小桜、早雲殿の軍振を見てあるか、初めは我より催促し、今は我身が後れん計りの有様
なり、平生の軍令行届きたれば火急の出陣にても兵士は斯くまで打揃う、実に早雲殿は世
に珍しき名将なり、殊更今日は箱根山に紅葉狩を催し、遊楽に日を暮すべきよし敵人に聞
こえさせ、其油断を見済まして不意に兵を起すなんどは、古の名将にも劣らざるべき軍略
なり、我は此合戦の発当人なれば、一足も早雲殿に後るべからず、姫よ其方は一旦小田原
城に戻り、兼て用意せし物の具・打物を取揃えて跡より我等に追い付くべし」、小桜姫に
言葉を残して其身は早雲と共に打立ちける、小桜姫其軍勢の後ろを見送り「心憎き早雲が
備立なり、此勇兵を以て不意に三浦領に攻め掛らば、道寸如何に猛しともよも防ぐこと叶
うまじ、道寸破れなば荒次郎の君必ず小田原攻めの兵を起し給うべし、其兵を押えんと一
の宮を固むるは新九郎氏綱、先程の言葉にも鳶尾山下しの木枯しを防がん為若木の松を植
えたりとは心得難し、若木の松とは何者ぞ、もしや虎王丸の身の上にてはあらざるか、虎
王丸が我身を慕うこと多目権平に知られたれば、権平と氏綱と相謀って虎王丸を欺き寄せ
たるにはあらざるか、我身が此に在ることを虎王丸に知らせんと兼てより思いしが、客人
とは云え生捕同様の我等親子、人目繁くして鳶尾山へ音信ん便りも無し、然るに此侭三浦
表へ出陣せば、荒次郎君の御様子も分らず、虎王丸の安否も知れ難し、父君には済まずと
も一旦病気と号して此出陣を延ばし、思う人々の様子を探り緩々戦場に赴かんも、敢て遅
きことはあるまじ」独り心に思案なし、小田原城に入りてより俄に病起れりとて、其由を
父種久が方へ申送りぬ、早雲此事を聞き、小桜姫が俄の病気こそ心得難し、無双の勇婦に
敵方へ内通せられては一大事なり、能々姫の身を打守れと竊に小田原の留守居たる次男氏
時、並に一の宮なる嫡男氏綱にも申付けたり、